深い森の黒い影
涼やかな風が髪を撫でる。見上げた空は高く。そして青く澄んでいてとても綺麗だ。緑豊かで、空気も排気ガスが混じった嫌な匂いではない。
──要約すると。
「ここ何処だよ……」
相澤陸は今、四方を木々で囲まれた平地に立っていた。自然豊かであり、悩みだってこの場で寝そべったりしたら、大地の力とやらで吹き飛ぶ事間違いなしだろう。
しかし、陸の今あるこの状況状態は不安と恐怖一色だった。なぜなら、この地に自分から赴いた訳では無い。血相をかいた表情を保ちながら、ものの数分前迄の行動を辿る。
「──で、どうだった?」
商店街を立石メンチ食べながら歩きつつ、陸は隣を歩く親友・刈谷優斗に問い掛けた。
「主人公の源義経だっけか?アイツが少し厨二病過ぎたなぁって感じと、タイトルが長すぎんのが気になったけど最終的に転移させた女神自体が敵だったって事には驚いたよ」
爽やか系金髪男子。ピアスはしてるし、毎日友達に囲まれている。笑顔は絶えず、クラス内でのムードメーカー。見た目はチャラチャラしているが文武両道であり、高校三年になった今年は生徒会・会長と実績をあげている。
そんな彼の真逆である陸は、癖のある黒髪は、視線を隠すかのように目に少し被る程度に長く。目にも覇気はない。口数も少ないが故に、クラスで友達は僅か数人。趣味はアニメ鑑賞や小説を書く事。交わるはずもない二人が、しかしこのように仲良くできているのは幼馴染だから。
いや、優斗が優しいからだろう。
「確かに俺もキャラ濃すぎるかなぁ?とか思ってたけど、活き活きしてるしいいかなってさ。タイトルに関しちゃ、ウェブ小説だからってのもあるんだよね……でも自分が書いた小説を優斗に読んでもらえて俺は嬉しいよ」
「ああ、目に留まりやすくする為──だっけか?どちらにせよ、俺にはそんな想像力ねぇからさぁ。尊敬するよ、陸にゃあよ!」
立石メンチを頬張りながら、優斗は笑顔を見せる。
「俺も自分が人気だったなら短いタイトルで勝負したいんだけどさぁ。んじゃ、優斗はどの人物が一番すきだった?」
「そりゃあ、断然アル──」
記憶をたどり、行き着く焦り。陸は左右を見渡した。
──優斗は、居ないのか。
足元を見れば、陸の足を囲むように白い花が咲き誇っている。つまり、この場所にいるのは陸だけって事を意味していた。けれど、これは拉致なのだろうか。
商店街は寂れていたが、人通りが一切無い訳でもない。ましてや隣には優斗が居のだ。二人で拉致られたのなら兎も角、一人だけってのは有り得ない。
──なら、優斗も別の場所にいる可能性がある。
だからと言って陸に探すだけの余力は残っておらず、目まぐるしく回る思考とは裏腹に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「……痛ッ」
左手の痺れが針を刺すような痛みを与える。だが手先に外傷はないし、ならばと学ランの袖をめくるが至って健全だ。部活をしている訳でもないし、体育の授業もない。
普段の日常を送る際に痛める何かをした覚えもなかった。それと同じぐらいに気になるのは足元に落ちている赤く分厚い本だ。
表紙には六芒星とヒエログリフのような物が刻印されている。見た感じ、真新しいというよりも、角の色褪せ具合から考えるに年季がはいってそうだ。
──一体何が書かれているのだろうか。
現状から逃避するかのように、陸は赤い本を手に取りページを捲る。一枚、また一枚と捲るにつれ、そのスピードは増していった。
「……何も書いてねぇじゃん」
ゆっくりと置いていった場所に本を戻し、立ち上がった刹那、鼻腔を突く獣臭と鼓膜を叩く唸り声が陸の背筋を凍らせた。
その敵意を剥き出しにした唸り声は、確実に陸の背後から聞こえるものだ。ライオンか。いや、周りを鑑みるに熊の可能性も高い。まだ距離は離れているだろうか。走れば逃げ切れるのか。
そもそも野生の獣が出た場合は背を向けていたら駄目な筈では。寧ろ、万年帰宅部である陸が野生の獣に対抗出来る脚力をまず持っているはずもない。
しかも既にすぐ側まで来ていたら。
跳ね上がる律動。過呼吸の一歩手間。蒼白した顔には絶望が色濃く宿り、全部の歯で音を鳴らし続けた。
身近に感じる死を前に陸の四肢は、立ち方すら分からなくなるほど激しく震える。
──死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
「はぁ……はぁ……はぁはぁ」
一歩また一歩とよろめきながら前に進む陸は最早、正常な判断が出来ずにいた。
「うぁぁぁぁぁあぁぁあ!!」と、絶叫し走り出したのは、足音が鳴った後。陸は我武者羅にただ前を見て駆けた。ひたすらに、ただひたすらに。後ろは振り返らず、涙で滲んだ視界で前を見続けた。
だが、その決死な行動も陸に落ちる影を認識した矢先終わりを迎える。距離にして数十メートル程度。陸の命はその程度の延命しか叶わなかった。
立ち止まり、陸は初めて声の正体を視界に収める。同時に自分がいる今の場所が日本ではないのだと察しがついてしまった。
「……黒いおおか……み?」
逆立った毛は黒く、赤い双眸は鋭い。身の丈は三メートルはあるだろうか。鋭利な爪や牙を剥き出すそれを見て、陸の絶望は諦めに変わる。
「グルルル……」
「俺なんか背後から襲う必要も無いってか??」
あるいは、黒い狼のプライドなのか。
「どうでもいいか。どうでもいいや。どうせ死ぬなら、お前の片目だけでも貰っ……ははっ」
乾いた笑いを浮かべる陸が思い出していたのは、自分が手掛けた小説。無意識に出た言葉が、まさか主人公に言わせた文言だとは思いもしなかった。
だが、不思議と嫌な感じはしない。
「来いよ犬っころ」
「グルルガァァァァア!!」
土を抉りながら、物凄い勢いで向かってくる黒い狼。数十メートル離れていた筈の距離。人間ならば十秒以上はかかるであろう距離を、黒い狼は僅か数秒で駆けた。
瞬く間に眼前には大きな口と、そこから伸びる鋭利な牙。陸は覚悟を決め、宣言通り片目を潰そうと手を振りあげた──瞬間だった。
置いた筈の赤い本を左手が何故か持っており、その本は燦然たる発光を見せた。目が激しく眩む閃光に、黒い狼も距離を取り直す。
一命を取り留めた陸が、霞む視界の中で聞いた言葉は耳を疑うものだった。
「あれれ?ボクはさっきまでヨシツネ達と話していたはずなんだけどなぁ」
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