幕間~女王~
Sideマリア
「マリア様、ご無事で!」
ルドー様に優しく背中を押され、私はローガンに抱きかかえられた。
ルドー様はレイラを連れてすぐに牢屋から逃げ出そうとし、リョウ様達が後を追ったものの、「なんだ!? 壁!?」と声が聞こえ、無事に逃げ出せたことが分かってホッとする。
そして私は手に握らされたものを見た。
見た目は青色の葉のようなもので、とてつもない魔力量を秘めている。水を掴んでいるような不思議な感触で、こんなもの見たことがない。
お湯に溶かして飲ませると……お母様の病気が……治る……。
私はすぐにローガンに頭を下げた。
「ローガン、本当にありがとうございました。貴方の忠誠に感謝を」
「マリア様! そのような、もったいなきお言葉は不要でございます! 私は近衛に任命された時より、貴方の剣!」
「こんな壁……オラァ!」という掛け声と共にリョウ様が素手で壁を崩したものの、その先にも更に壁があった。それも拳で打ち破ろとしたが、二枚目の壁はビクともしない。
それを見たアーミヤ様が「リョウ、退いて! ジャイアント・インパクト!」と巨大な衝撃波を放ち、それでようやく壁が崩される。
しかし十分な時間稼ぎをされていた為、三人は追跡を諦めていた。
私は三人に駆け寄ろうとして、久しぶりの歩行で足がもつれて倒れそうになり、ローガンが支えてくれる。
「ありがとう、ローガン。皆様、レイラについてはこのまま見逃して構いません。今回の事は他国にも報告致しますので、もうあの子には何をする力も無いでしょう」
「甘いですよマリア様! レイラ……いや、ああいう奴は蛇のようにしつこく執着してくる!」
「……お願いです、私を信じてください。きっと大丈夫ですから」
リョウ様だけは興奮して反対してきたものの、ルドー様がいるなら大丈夫……と思える自分がいた。
リョウ様は何かを言いかけて、それを呑み込んでくれた。
そうして私はようやく、暗く汚れた……というのは過去の話だが、隠し牢から出る事が出来た。
途中破壊された重扉にローガンが大騒ぎしながら、大広間にまで出ると兵士の皆さんが私の姿を見て歓喜の声をあげた。
「マリア様!」
「ご、ご無事でしたか……! 本当に良かった!」
「レイラ様の支配も終わりだ! マリア様バンザイ! トリロス王国バンザイ!」
レイラがいつもの如く無茶な事をして、皆さんに迷惑をかけていたのは想像に難くない。
傷ついた兵の方も多くいて、私の浅慮の結果を見せつけられたようで、胸が痛くなる。
「ローガン、私はこのあとすぐにお母様に会いに行きます。貴方はリョウ様達をお部屋に案内してあげてください。私も、もう歩き方を思い出しましたので」
「ハッ! 承知致しました! レイラ様の兵は全て囚えていますので、安心してお行きください!」
まだ少し足が棒のように硬かったが、私は何とか自分の足でお母様の寝室へ向かった。
「マリア様!?」
「カラ! お久しぶり、また会えて本当に嬉しいわ」
道中、個室から顔を覗かせていた私のメイドであるカラに出会った。
カラはすぐに部屋を飛び出して、私に抱き着いてくる。
「どうして、死んだって聞いていて……マリア様……マリア様ぁぁ!!」
「ごめんなさい。レイラに城の地下牢に幽閉されていたの……」
こらえきれずに泣きだしてしまうカラの頭を撫でる。
それも数秒、カラはすぐに私から離れ、笑顔になった。
「私、ずっと信じられなかったです! マリア様こそ、トリロスの未来を引っ張る最強の女王だと信じていましたから!」
「そんな事は無いと思うけど、でもありがとう。カラ、お母様は……?」
「セリーヌ様は、マリア様の死の話を聞いてから、更に体調が悪化し……既にどの医療魔法も効果がなく、医療師の話では持ってひと月と……」
「そう……分かったわ。お願いがあるの、いいかしら?」
「なんなりと!」
「私はこのあとお母様のお部屋に行くから、お部屋までお湯を届けて欲しいの」
「お湯を……はい、分かりました、すぐに準備します!」
あっという間に飛んで行くカラを見送って、ようやく私の世界に戻ってきたような安らぎを感じた。
そしてお母様の寝室前に辿り着き、扉をノックする。
「誰だ! 合言葉を言え!」
扉越しに怒号が響く。随分と警戒が厳重のようだ。
私は合言葉なんて知らない、どうすればいいかしら……。
「あの、私はマリアです。ただいま帰還致しました。お母様に会いたいのですが……」
「何を言うか! マリア様は亡くなられ……マリア様は亡くなられた!?」
バンッ、と扉が開けられ、お母様の側近騎士・レイドが私の顔を見た。
「マリア様!? マリア様!? マリア様!」
レイドは瞬きしながら三度私の顔を見て名を呼び、私の事をようやく認識するとその場に崩れ落ち。
「れ、レイド、落ち着いてください。ただいま戻りました」
「おお、神よ……これは夢でしょうか……今私は、都合の良い夢を見ているのでしょうか……」
「夢では無いわ。レイド、私よ」
「お、おお……おおおおお!!! セリーヌ様!!! マリア様が!!! マリア様がお戻りになりました!!!」
レイドが部屋に飛び込んで行ってしまう。
私もレイドの後に続いて部屋に入ると、か細い声が聞こえた。
「……レイド……そんなに大声を上げずとも、聞こえていますよ」
お母様の声だった。嬉しくて自然と涙が込み上げて来てしまう。ひと月程の時間だったが、私にとっては永遠にも感じられる地獄のような時間だった。
それも、お母様の顔を見るまでだった。
今の私よりもずっと痩せ細り、頬もこけてしまっている。目の周りも黒くなっていた。数か月前までは元気で、国一番の美貌を持つと言われていたお母様の影はなくなってしまっていた。
医療師でなくても、先が長く無いのは明らかなほどの状態だった。
「お母様……お久しぶり、でございます」
「ええ。そしてやはり、レイラが首謀者でしたか」
やはり、ということは、お母様はレイラが何かしたのではないかと疑っていた……ということだ。
そこで私は気付いた。
「ローガンはお母様が?」
「ええ、秘密裏に探らせていました。貴方についての報告を受けた時から、私はレイラが怪しいと思っていました。そしてレイラが首謀者であれば、貴女が生きているだろうとも。アレは愚かな子ですが、悪知恵は働きますから」
「そうでしたか……」
「……よく戻りましたね。良かった……生きているだろうとは思っていましたが、それでも私が死ぬ前に、この目で貴女の無事を確かめられて良かった」
「セリーヌ様! 死ぬなどと言わないでください! きっと腕の良い医療師が」
「レイド……もう良いのです。この国にはマリアがいる。マリアは優し過ぎる所がありますが、聡明で民からも慕われていて……出来ればメアリーにマリアを支えて貰いたかったのですが、あの子は束縛を嫌いますから」
お母様の言葉を受け、レイドは何も言う事が出来ずに俯く。
お母様は死を受け入れている。
私は持っている青い葉を見つめた。……本当に、これでお母様を助ける事は出来る……? 国一番の医療師でもお母様を治療する事は出来なかったのに……。
少しだけ疑う気持ちが出てしまう。でも……私はルドー様の事を思い返した。どこか拗ねたような雰囲気で、でもとても良い人だと言うことは話してるだけで分かって……そして彼はこれを飲ませると「助かるかもしれない」と言っていた。
「お母様、お話が」
言い終わる前に扉がノックされた。
レイドが扉に近付き、警戒する。
「失礼します、セリーヌ様。マリア様に言われて、お湯をお持ちしました」
カラの声だ。レイドも警戒を解いて扉を開ける。
私はカラに駆け寄り、その手に持つコップを受け取った。
「……ありがとう、カラ」
「いえ! あの、失礼ですが、これは何に?」
「ええと……お母様に、飲ませたくて……」
なんと答えれば良いか分からず、そんな風に誤魔化してしまった。
そして私はお母様に近付いた。
「マリア?」
コップの中に、ルドー様から貰った青い葉を入れる。
葉は一瞬で溶け、少しだけ濁っていたお湯は透き通るような青になった。それに、ほんのり温かかったコップが、氷の魔法で冷やしたかのように冷たくなった。
そして、私はこの青い水からとてつもない力が溢れ出ているのを感じた。
隣で見ていたカラとレイドは感嘆の声をあげているが、この水の凄さは多分分かっていないと思う。
「……それは?」
「お母様、これを飲んでください」
「それを?」
「病気が治る薬、と聞きました」
「病気が? 今お湯に入れたのは、青い葉のようでしたけど」
「私にも詳しいことは……お湯に入れて飲ませると病気が治る、とだけ言われて……」
そう言って私は、コップをお母様に手渡す。
「ま、マリア様、本当に大丈夫なのですか……? いえ、病気が治るという話が本当なら良いのですが、とてもそのような代物には……」
レイドが不安げに言ったが、お母様の見る目が明らかに変わっているのが分かった。このコップの中の物の、とてつもない力を感じているようだ。
そしてカラとレイドが戸惑っているなか、お母様はコップと、それから私を見て、まるで普通の水を飲むようにコップに口をつけ、一気に中のものを飲み干した。
パリンっ!
お母様がコップを落とした。
そして苦しそうに胸をおさえ、ベッドに倒れてしまう。
一瞬頭が真っ白になる。
「セリーヌ様!?」
レイドがお母様に駆け寄った。
騙された? もしかして、ルドー様は本当にレイラの仲間で、あの青い葉は毒で、また私の浅慮で……。
「……いえ、これは……?」
すぐにその考えは消え去った。
お母様の身体から魔力が溢れ出て来ていた。
そして、黒い魔力が外に放出されて行くのが目に見えた。
「こ、これは!?」
「なんですかこれー!?」
レイドとカラにも見えている?
通常、魔力は魔法適性のあるものが感じるだけのもので、強い魔力になると目に見えるようになるが、それも適性のあるものだけのこと。
レイドとカラには魔法適性は無い。にも関わらず見えているということは、それ程までに強大な魔力だと言うことになる。
黒い魔力は数分ほど放出され続け、その間お母様はずっと苦しそうにしていた。
やがて黒い魔力が薄れてゆき、完全に出なくなった頃、お母様は静かな寝息を立てていた。
顔を覗いてみる。先程のお母様と同一人物とは思えないほどに顔色が良くなっていた。私が幼い頃の時のお母様のようで若返りの効果もあったのだろうか? どこからどう見ても健康体にしか見えなくない。
「お、おお……これは……ま、マリア様……?」
「……本当に、お母様の病気は治った……本当に……ああ……ルドー様……」
ここにはいないあの人へ、感謝の言葉が次から次へと脳をかけ巡る。
ひと月の投獄の事も忘れてしまいそうになるほどの、強い衝撃が全身を走っていた。
もし今ここに彼がいたら、抱き着いて頬に口づけをして、一生をかけてでも恩返しをする事を誓っていただろう。彼に会いたい。ルドー様……本当にありがとう……。
「……レイド、カラ、お母様を起こしたくないので、部屋を出ましょう」
二人を促して、私達はお母様の寝室を後にする。
私が捕まる前も、お母様は夜な夜な苦しそうにしていたと聞いていた。
お母様の久しぶりの安らかな眠りを邪魔したくない。
「おやすみなさい、お母様」