舞踏会で札束ビンタされたら「お詫びに…」と公爵閣下に求婚されました。こんなはずじゃなさすぎる。
『悪魔祓い』
それは、聖なる力を宿す者が悪魔に憑かれた人間を浄化して救済すること。
社交とは無縁の貧乏男爵令嬢の私でも、噂くらいは耳にしていた。
「食らえっ!悪魔よ!」
「んぶっ!?」
王城の廊下に響き渡る、バチンという鈍い音。
新年の舞踏会で陰口を叩かれないようにと……、兄が用意してくれた薄桃色のかわいらしいドレスを着た私・レイリーは、陰口どころか札束で叩かれた。
まとめていた赤い髪がはらりと一束落ちてきて、でもそれを耳にかけるより先に疑問が口から出た。
「なぜ!?」
私が何をしたっていうの!?
何で札束でビンタされてるの!?
頬がひりひりと痛み、薄っすら涙も浮かんでいる。
絶対に許さない……!
私は、自分を叩いてきた黒い盛装姿の男性に向かって叫んだ。
「あなた何なんですか!?信じられない!ひどすぎます!!」
「えっ、あれ?違った……?」
私に札束ビンタしたその人は、艶やかな金髪に蒼い目の美しい顔立ちを焦りで歪めた。
彼は何かに驚いているが、びっくりしたのは私の方だ。
知り合いかも、と思って近づいていっただけなのにいきなり振り向きざまに札束ビンタとは、どう考えてもおかしい。
しかも「悪魔」とか何とかって、侮辱にもほどがある!
貧乏男爵令嬢とはいえ、こんな目に遭って黙っていられるほど私は我慢強くなかった。
「あっ、すまない。本当に申し訳なかった……」
散らばったお札を拾うでもなく、その人はすぐに謝罪の言葉を口にする。
私は怒りを露わにしたまま、彼を睨みつけていた────。
◆◆◆
人気のない廊下とはいえ、注目を集めたくないと言うことで私は札束ビンタ青年と共に談話室へとやってきた。
目の前に座っている彼は、今改めて見るとその雰囲気も所作もとても洗練されていて、どう見ても高位貴族だ。
第一、札束を拾わずに談話室まで来たのも、お金に困っていないのが伝わってくる。
だからって許せることでもないけれど……!
「親にも札束で殴られたことないですよ」
「うん、そうだよね。本当に申し訳ないと心からお詫びします」
どこの世界に、舞踏会に来て札束で殴られて帰る娘がいるのだ。
怒りが収まらない私に対し、彼は落ち着いた声で自己紹介をした。
「私はフリード・パドリーと申します。国家魔術師で、今もその仕事中でした」
「フリード……パドリー……様?」
彼の目は「知ってるかな?」と私の顔色を窺っていた。
見つめ合うこと数秒、だんだんと自分が青褪めていくのを感じた。
フリード・パドリー公爵様。この国で最も有名な魔術師様である。
聖なる力をその身に宿した稀代の天才で、民を惑わす悪魔と戦う英雄。そのお名前を知らない人はまずいない。
「え?本物……?どうして?ずっと昔からご活躍だって……」
十九歳の私が生まれる前から、活躍しているはずの方がどうしてこんなに若々しいのだろう。
見た目は二十代前半だ。
「あっ、年齢は二十七歳で、魔術師歴は二十年になるんだ。私のことを初老男性と思ってる人も多いんだけれど」
「思ってました……!」
つい正直に答えてしまい、慌てて口をつぐむ。
「あ、あの。申し遅れました。私はレイリー・アマンダと申します」
「あぁ、アマンダ男爵の……妹さん?」
「はい、そうです」
どうやら兄をご存じらしい。
王城の末端の末端の文官まで知っているなんて、随分と記憶力のいい人なんだなと思った。
いや、それよりなにより、私は公爵閣下に対して……。
札束ビンタどころか素手で殴り殺されても文句を言えない身分差なのに!
絶句している私に向かって、彼はにこやかに言った。
「そういえば、君は無事でよかった。悪魔に憑かれた人間が入り込んでいたんだけれど」
「え?」
私は目を瞬かせる。
舞踏会にそんな怪しげな人物はいなかったけれど……?
「悪魔憑きの人間を探していた時に話しかけられて、それでてっきり君がそうなんだと思ってあんなことを……。本当に申し訳ない」
結局、悪魔憑きの者には逃げられてしまったらしい。
しかしこれは「あなたには関係のないことなので、迷惑をかけて申し訳ない」と再度謝られ、私は慌てて「やめてください」と告げる。
「いえいえいえ、こちらこそ紛らわしくてすみませんでした!お仕事中に……。って、札束で悪魔が祓えるんですか?」
イメージと違う。
「公爵閣下は、その」
「あぁ、フリードって呼んでくれないかな?」
「えっ、あの、では……フリード様は日頃から札束を使っていらっしゃるので?」
そんなバカなと思いながらも尋ねると、彼はやはり「いつもは使っていないよ」と答えた。
聖なる力は何にでも宿せるそうで、今日は悪魔が出たと突然言われたので武器になりそうなものが札束しかなかったらしい。
札束を持ち歩いているのもおかしいが、もう質問する度胸はなかった。
なぜ札束、なぜ札束、なぜ札束。
頭から札束のことが消えない。
「この国の紙幣は、私の魔術で刻印をつけているんです。偽造できないように」
「お札を……?」
悪魔祓いにお札の刻印付けに、魔術師って忙しいんだなと感想を抱く。
もしかして手作業なの?と思っていたところ、私の胸のうちを察した彼は「魔法道具があるから手作業じゃないよ」と笑って言った。
くすりと笑った顔がとてつもなく麗しい。
そして私みたいな男爵令嬢にも、優しく説明してくれるところに器の大きさを感じる。
間違えてビンタされたのは驚いたけれど、公爵閣下で魔術師なのに全然偉そうじゃないし、とても親しみやすい印象だった。
しかしここで、やけにじっと見つめられていることに気づく。
居心地が悪く、思わず「何ですか?」と聞いてしまった。
「──レイリー嬢、失礼なことをしたお詫びといっては何だけれど私と婚約しませんか?」
「は?」
今なんておっしゃいました?
婚約?
意味がわからない。
理屈が通っていない。
「会場内に悪魔憑きの人間がいたのに、君はずっと正気だった。何の影響も受けず」
「はぁ……」
「おそらく、君はとても耐性が強い」
「だから婚約ですか?」
いえいえ、ほかにいますよ!?私じゃなくても、ほかにも正気を保っていた女性はたくさんいました!
首を横に振る私に向かって、彼はさらに続ける。
「それに、札束で殴られたのに怒って向かってくる元気さがとても素敵だと思いました」
元気という一言で片づけていいのだろうか……。
素敵すぎる人から素敵と言われても、何かの皮肉かなと一瞬思ってしまった。
でも、フリード様はにこにこと笑っていて嘘をついているようには見えない。
「すみません、急すぎて何が何だか」
これが夢という可能性もある。
きっとそうに違いない。
「あぁ、そうですね。まずはアマンダ男爵に婚約の申し入れを行ってからでないと……」
違います。そういうことじゃありません。
そもそも「お詫び」はもう十分すぎるくらいに謝ってもらいました。
私はスッと立ち上がり、何もかもなかったことにするつもりで礼をする。
「謝罪は受け取りました。ありがとうございました。それでは失礼いたします」
「え?あっ、はい。では……」
私が出ていこうとすると、彼は急いで扉を開けてくれる。
優しい。
許します、札束ビンタは許します……!
「さようなら」
笑顔でそう告げ、私は舞踏会の会場を後にした。
もう二度と会うこともないだろう、どうせ夢だしね。
そんなことを思いながら……。
◆◆◆
翌朝。異変は起きた。
「レイリー!邸に客がたくさん押し寄せている!」
「え?」
朝食をとっていると、登城するためにすでに出ていったはずのお兄様が血相をかえて戻って来た。
窓の外を見れば、見たことのない豪華な馬車の行列ができている。
あれはすべてうちへの来訪者らしく、どういうことなのかと兄妹二人で目を丸くした。
そこへ執事が、さらに驚きの物を持ってくる。
「フリード・パドリー公爵様より、お二人にお手紙と婚約申込書が届いております」
「「は??」」
どういうことなのか?
まさか昨夜の夢は本当に……?
卒倒しそうなお兄様に、私は札束ビンタからの求婚について説明した。
「おまえ、どういうことなんだ」
「わからないわ」
事実をありのままに話したけれど、兄も理解が追い付かないらしい。
うん、私もまったく追い付いていません。
ただ、フリード様が私との婚約を申し込んできたことは事実だった。
「お詫びに結婚って、そんなことでいいのか……?」
「いいわけないでしょう?私なんかと結婚するんじゃフリード様がかわいそうよ」
「そうだよな」
激しく頷く兄に、ちょっとだけ苛立った。
これでも結婚適齢期の乙女なんですが……?
お兄様は、再び窓の外を見て呟く。
「もしや客人たちは、公爵様の求婚の話を聞きつけて来たのか?」
一体どこから洩れたんだろう。
私でさえ夢だと思っていたのに。
「一緒にいるところを見られたのでは?」
「っ!」
そうかもしれない。
私たちは二人で談話室に入ったのだ。親密な仲と勘違いされたのかも?
「それで、婚約だなんて、おい。一体どうするんだ……?」
「もちろんお断りするわ。優しい方だから、事情を説明すればわかっていただけると思う」
「そ、それがいい。いくら何でもうちじゃ無理だ。公爵家に嫁いだ娘なんて何代さかのぼってもいないよ」
私たちの意見は一致した。
客人はお兄様と執事に対応してもらい、私はすぐにお断りの手紙を書こうと思って部屋に向かう。
しかし階段を上っている途中でいきなり玄関が開き、見知らぬ男たちが押し入ってきた。
お兄様たちは準備をすると言い、書斎に行ってしまってここにはいない。
「なっ……!!」
暴漢でも現れたのかと思い身構える私。けれど、男たちの様子がおかしかった。
目は虚ろで口は半開き、意味のない呻き声のようなものを発している。
彼らはまっすぐに私のもとへ向かってくる。
背筋がぞくりとして、恐怖で足がすくんだ。
でも次の瞬間、突然我に帰る。
……私、これと間違えられたの!?
ねぇ!?昨日これと間違えられたの!?
「ありえない」
あぁ、でも今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
逃げなきゃ、捕まってはいけない。
そう直感し、階段を必死で上がる。途中、ワンピースの裾を踏んでしまい派手に転んだ。
「いや!」
追い付かれそうになった私は、靴を投げて抵抗する。
男の顔にガンッと音を立てて当たったのに、相手が怯む気配はなかった。
「どうして」
血も出ていないし、何より反応がない。
痛みを感じないみたい。
「まさか、悪魔憑き……?」
普通の人間じゃない。これが悪魔に憑かれた人なの?
もうだめかもしれないと思った瞬間、私の名を呼ぶ声がした。
「レイリー嬢!」
そして私に襲い掛かろうとしていた男がいきなり吹き飛んでいく。
キラキラとした光が眩しく、思わず目を眇めた。
「フリード様?」
「よかった、間に合って」
魔術師の白い制服姿のフリード様が、ほっと安堵の表情を浮かべている。
その手には煌めく宝石付きの杖を携えていて、どうやらそれで男を吹き飛ばしたらしい。
「札束じゃないですね」
「あ、第一声がそれなんだね」
しまった。つい気が緩んで……。
彼は私のそばに片膝をつくと、「立てる?」と聞いて手を差し伸べてくれた。
私はその手を取り、ゆっくりと立ち上がる。
「ごめんね、私が求婚したことがバレてしまって……。私が愛してやまない恋人が君だとすぐに広まって」
「愛してやまない恋人?」
昨日出会ったばかりですが?
しかも恋人でも何でもなく、婚約の申し込みも断ろうとしていたのに?
「君を守るには、今日にも婚約して我が家に移り住んでもらう必要がある」
「今日!?」
驚きで目を見開く私を見て、彼は「うん」と頷いた。
「婚約しないっていう選択肢は……?」
念のため聞いてみた。
けれど、フリード様は苦笑いを浮かべる。
どうやらもう逃げ場はないらしい。いや、逃げ場はフリード様の邸宅にしかないのだ。
「えええ……」
戸惑う私の右手をそっと取り、フリード様は言った。
「大事にする。絶対に守ってみせる」
真剣な目にきゅんとなってしまった。
恋愛経験ゼロの私には刺激が強すぎる。
これで落ちない女性はいないと思う。
私は覚悟を決めて、ぎゅっと手を握り返した。
「もう……!こうなったら責任を取ってもらいます!私も札束ビンタの悪魔祓いを覚えますからね!」
「あ、えっと、聖なる力がないと……。いや、何とかしよう。そういう前向きなところが好きだよ」
こうして私たちは出会ってたった一日で婚約することになった。
貧乏男爵令嬢にはあり得ない良縁、でも同時にとんでもない危険にさらされることになるわけで……。
この婚約は前途多難に違いない。