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憧憬

憧憬

作者: 千東風子

 

 結婚の無効。

 そう、夫は言った。


 告げられたあまりの言葉に血が下がり、私の意識は落ちた。







 愛していたのに。

 愛されていると思っていたのに。

 けど、こうなる予感はあった。

 この未来を、見ないフリしていただけ。


 私の家族は陰謀に巻き込まれた。

 王の命令で、夫は結婚という制度を使って私の保護をしていただけ。


 それでも、振り返れば、穏やかで優しい日々。


 愛おしい眼差し。







 ある日、夫が依頼したというドレスの最終確認に、縫製職人が訪れた。


 明らかにサイズの違うドレス。

 明らかに()宛ではない意匠のドレス。

 夫の髪と瞳の色を使った妻には似合わない、誰かのためのドレス。


 縫製職人は言われた通り事前に連絡をしてドレスを持ってやって来たという。

 連絡を処理した執事は、夫に確認せずに()のドレスだと思ったのだろう。

 本来であれば関わった皆の首が切られるような失態。


 夫が恋人のためにあつらえたドレスの確認を妻にさせるなど。


 夫に秘めた愛する人がいることを見せつけられた()は、一体どんな顔をすれば正解だったのだろうか。


 床に伏す縫製職人と自害しそうな程青ざめる執事を見ては、何も言えなかった。


 何も見なかった。

 だから、皆にも()()()何も言わないように言い含めた。

 今日縫製職人は、()()()()()

 縫製職人に、改めて夫宛に訪問伺いを出すように言い、執事には、中を確認したら夫に忠実な家令に()()対応するのか必ず聞くように指示をした。


 その後、案の定、夫が誰かのために用意したドレスのことは、家令によって私の耳には入らずに処理された。


 館にドレスを持って来させる意味。

 このドレスを贈る相手がここに居るか、もうすぐここに()()か、だ。


 覚悟した。

 私は妻ではなくなる。

 それは、そう遠くない未来だろう。







 目が覚めた。

 自分()の部屋。

 ()の部屋。


 もう、いてはいけない部屋。


 密かに準備していた。

 離婚されると覚悟していた。

 ……無かったことにされるとは、さすがに思わなかったけれど。


 だから、夫は私に一切触れなかったのだろうか。口付けひとつしたことがない。

 結婚式も誓いの口付けは額。

 寝室が別なのは、まだ成人したてだからと言っていた。

 夫は大事そうに切なそうに私を見るが、今思えば、愛の言葉は一つもなかった。


 大事そうだったのは、私が預かりものだったから?

 切なそうだったのは、騙すまでいかなくても、心に他の人がいるのに、夫のフリをしなければならなかった良心の呵責?

 それとも、私の気持ちを受け取れない罪悪感?


 三年。

 三年もの間、王の命令を忠実に守り、私の面倒を見た。

 もしかしたら、夫の愛しい人は、ずっと待たされていたのかもしれない。

 陰謀が明らかになって王命による保護が終わり、私という存在が無かったことになるのを、じっと待っていたのかもしれない。


 私のこの三年は、誰かの犠牲の上に成り立っていたのか。


 震える手で結婚の無効に同意し、以後一切の手続きを元夫に委任する旨を書き残した。


 涙と鼻水で汚してしまったが、書き直す時間よりも早くいなくなった方が喜ぶだろう。


 ここに来る時に持って来た小さな鞄には、元々の私の肌着とワンピースが二組ずつ、それと少しの現金を入れてある。

 本当に色々とギリギリでここに来たことを思い出す。

 それ以外は夫が……元夫が与えてくれたものだ。全て置いていく。


 その鞄を一つ持って部屋を出た。


 いつも側にいた護衛騎士や侍女たちの姿はなかった。


 もう、夫の妻ではないことを実感した。


 正門をくぐるなど烏滸おこがましい。

 中庭を通り、通用口から出て行く。

 いつもいる門番が離れた所で騎士たちと話していた。


 こっそり出て行くようで気が引けたが、どの道、出て行く私を止めることなど無いだろう。


 屋敷の敷地から出たが、帰る場所はとうにない。

 父と母を死なせた陰謀の解明はされても、生き返りはしない。

 既に家督は分家が継いでいる。

 友人も陰謀により離れて久しい。







 孤独。







 でも、生きている。私は生きている。


 明日には野垂れ死んでいるかもしれないけれど、今、生きている。


 ならば、死ぬまで生きる。

 誰に見せるでもないけれど、私の人生を見事使い切って見せよう。

 悲嘆したまま、要らないと言われたまま終わるなど嫌だ。

 保護が終わったのなら、すべては自己責任、自分次第なのだから。







 歩き疲れて腰を下ろした。

 ふと見渡すと、遠くの畑で男と女が働いていた。

 小さな子どもたちが駆け寄り、男に抱きついた。

 男が一人を抱き上げると、自分も自分もと手を伸ばす幼児おさなごたち。

 女は微笑みながらそれを見ていた。


 それは、かつて私が夢見た光景そのもの。

 もう手に入らない、幻。

 私は私の夢を弔って、泣いた。







 涙を拭い、その場に背を向け一歩踏み出した。

 手に入らないことへの憧れも、妬みも、胸を焦がす焦燥も、生きているからこそ。


 自分を守る大きな手()温もり()を失い、愛した人()との未来は無くなったけど。


 私は生きている。


 新しい人間関係を作るも。

 誰かを愛しく思うも。

 彼を思い一人でいるも。


 私は自由だ。



 読んでくださり、ありがとうございました。


 短いお話ですが、この子の悲しみや諦め、諦めが悪いところ、憧れや希望が皆様の胸に伝わったのならば、嬉しいです。



誤字、訂正いたしました。

誤字報告ありがとうございます。

(短文なのにお恥ずかしい限りです……)

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