ep6 再会
それから数日後、
「いらっしゃいま――」
再び浅倉がバイト先にやってきた。
「答えを聞きにきた。俺の会社で働くか、一人惨めに朽ちていくか、どっちを選ぶ」
相変わらずワックスで髪をキッチリ固め、どうせブランド物のスーツで揃えた、自信に満ちた男だった。
「一人惨めに朽ちる方だ」
「……っ」
浅倉は眉を顰める。
「正気か?」
「意地を張ったわけじゃない。お前は高校の時の夢を覚えてるか?」
ますます訳が分からないというように顔を顰める。
「俺は金持ちになること、お前は平等な社会にするとか言ってたよな」
「そうだな」
高校時代に浅倉と馬が合ったのは、実家が決して裕福ではなかったという点で通じるものがあったのだろう。
「お前は毎日仕事から疲れた風に帰って来る両親を見てもっと生きやすい世界にしたかったんだよな。俺はあの頃は貧乏なこと以外に不満はなかった。奨学金のこと以外に頭を悩ませられることがなかったから、ただ金持ちになりたかった」
「お前……」
浅倉が疑心を込めて顔を覗いてくる。勘が良いから何か気付いたことがあるのかも知れない。
「今俺達がしていることは逆だ」
「……っ」
俺は犯罪まがいの行為で不平等に押しつぶされる人々の力になり、一方で浅倉は金持ちになった。
この世界で素晴らしい人間とされるのは誰がどう考えても浅倉の方だが、
「忘れるんだ。自分が豊かになれば、どんな人間だってつらかったことを忘れる」
「忘れてはいない」
「俺は守るものが何一つない。失うものがないから権力が怖くない」
世界に疑問を呈する者は優秀だ。そんな優秀な人間ほど出世してはその疑問を忘れてゆく。
浅倉は値踏みするようにこちらを見下ろしてから、苦笑気味に腕を組んだ。
「いつもお前は俺の想像を超えてくる」
「お前には負けた」
十人に聞けば十人浅倉を羨む。
「お前は昔から優柔不断だった。一週間と期限を付けたのは行動を促すためだ。気が変わったらまた声をかけろ」
と何やらポケットから今時珍しく紙を取り出した。
「結婚式の招待状だ。速水からお前のことを聞いた高嶺に渡して欲しいと頼まれた」
「……っ⁉」
高嶺は昔から、変わった趣味をした少女だった。わざわざ電子ではなく手紙を用意したのもその嗜好によるものだと分かる。
受け取って裏側を見れば、『加賀見樹 様』と宛名が手書きで書かれていた。
「意外だ」
浅倉が踵を返しながらそんなことを言った。
「何が?」
「お前のことだから受け取らないと思ったぞ」
「別に行くとは――」
言ってない。そう伝える前に、浅倉はそのまま退店してしまった。手元に残された結婚式の招待状を握りしめる。
「加賀見君!」
そこへやってきた鬼のような形相の店長の話は長かった。
後悔はしていない。
翌朝。その日はいつもと変わらないはずだった。
ぼんやりと起きていた午後三時、携帯の着信音が鳴る。ただの目覚ましだ。
これから労働の時間だと意識して気分を悪くしながら起き上がる。
近頃は梅雨真っ只中だが着実に暑くなってきており、冷房のないこの部屋では地獄の夏が始まろうとしていた。つけっぱなしの扇風機を消して、便所へ直行。大きい方のクソを流してから洗面所で顔を洗って顔面のヤニと脂を流す。
「あ~、髭伸びたなぁ…」
鏡を見て呻く。剃るのは面倒だが、仕方ない。
そのまま何も食べずにバイトに向かう。
バイトは週四日、四時~二時。十時間で一万円、月に十六万円。家賃は諸々込みで五万、食費は二万、ネカフェ代が三万、残りの六万はPCやその周辺機器、あまりがなけなしの貯金になる。老後二千万など論外だ。
沈み始めた太陽もギラギラと肌を指す。昼間に寝て夜に起きるという生活は夏が一番つらい。寝ているときが一番気温が上がってしまうからだ。
「暑いなぁ。エアコン欲しいな~。いい加減エアコン買うか…? でも金がなあ…。買えるかなあ」
他の物を買う余裕はない。つらいのは寝るときだけで、他は大体ネカフェかコンビニにいる。
昨日今日と梅雨時に時々顔を見せる快晴に揺れる陽炎の上を歩く。この炎天下でまだ六月、生きられる気がしない。
都市の中心部に近づくほど人通りが増える。
結婚式は月末、梅雨の間の晴れ間を縫ってジューンブライドが行われるのはよくあることではあった。今時の天気予報の精度は百パーセントだからだ。
式は次の土曜日に執り行われる。一週間も猶予はない。
そんなことをぼんやりと考えていたそのとき、
「……あの、すみません」
声をかけられたような気がしたが、人と人との間を縫うように、足早に通り抜ける。
「……すみません」
一度目が勘違いではなかったのだと気付いて振り返る。そこにはあどけなさの残る一人の少女がいた。背は低く、髪は顔を隠すほど長く、年の頃は恐らく小学生くらいだろう。
「はい?」
「……ぁ」
その少女は慌てたように口を開いては閉じて、
「……ありがとうございました」
「え…?」
突然感謝される。心当たりはなかったが、そう言えばこの前イジメられていた女子生徒に似ていると気付いて、冷や汗が滲む。
あまりにも予期していなかった遭遇に、頭が上手く回らない。
「……だって同じ服ですし、家も近いので」
「同じ服…?」
見下ろせば昔から着まわしている無地の黒いTシャツとベージュの短パンだ。
だがあの日、服装は誰にも見られていないはずだ。
「人違いです」
どういった理由で特定されたのかは分からないが、インターネットで勝手をしていたことが警察にバレたら良くない。その場を切り抜けようとしたが、話を聞かない少女は頭を下げた。
「……助けて頂いてありがとうございました。その、お願いがあります」
(なんだこいつ…⁉)
「私にパソコンを教えてください」
「――はい?」
少女は顔を上げて、
「私口下手で同級生の子と友達になれなくて、よくイジメられてて、他にも何にも取柄がないんです。……だから、加賀見さんのことかっこいいと思って、憧れました。……私も何か得意なことがあればって思って」
「……」
名前まで知られている。少女はかなりの確信をもって話しかけてきたらしい。
「自分を守る武器があればって思ったんです」
「……っ」
未だ自分語りを続ける少女のその言葉は少なからず的を射ていて、何故バレたのか、どう対処すべきかを考える前に、ついその方に耳を傾けてしまった。
サイバー技術は自分にとってこの世界で唯一の武器だ。運動も学歴も信用も何一つ持ち合わせていない自分が社会に蔓延る悪を一つずつ潰していくための唯一の武器だ。
それは後ろめたい人間を打ち倒すことに特化していて、あらゆる手段で秘密を暴いて社会正義の元に粛清することができる。
そして少女がその武器を求める気持ちはよく分かる。それは自分が何よりも強く望んだものであり、この少女には同情しうるだけのものがある。
「そう簡単に身に付くものじゃないし、学校通いながら勉強するのはかなり大変だぞ?」
自分の口からついて出た言葉は、少女を否定できなかった。
少女は口をパクパクさせてから、
「……いいんですか⁉」
「そっちがそれでいいなら別に構わない。……だけど警察沙汰は勘弁だ。中学生女児を誘拐されたと勘違いされないように、親とか周りの人には怪しまれないようにするんだぞ」
すらすらと言葉が出てくる。
「……っ、は、はい」
「どうした?」
少女の表情が微かに強張る。目元は髪で隠れて見えないが、確かに緊張が走っている。
「……これからよろしくお願いします。連絡先を教えてください」
「ああ」
偽装用ではないSNSのアカウントを紹介する。少女はそれを見ながらIDを打ち込む。自分でも何をしているのか、分からなかった。
「じゃあ俺はこれからバイトだから」
バイト先のコンビニへと足を向けると、再び少女は呼び止めた。
「……あの、明日は大丈夫ですか?」
「ああ、丁度休み」
「……時間は?」
「あ~、いつでもいい。場所は…、後で連絡しとく」
「……待ってます」
「じゃ」
今度こそ本当にコンビニに向かう。場所はどこにすべきだろうか。もし少女の外出が誰かに不審に思われたとき、自宅だと不都合だ。とは言えそこらへんのカフェですることも出来ない。二十五歳男と女子中学生の組み合わせは奇妙に映るだろう。それならいつものネットカフェにすべきか、しかし店員に怪しまれるだろう。
「って、何してるんだ、俺……⁉」
一人になってから愕然とする。
――普通に犯罪だ。
次回も四週間とかで投稿するかも知れません。なるべく早く書きます。