ep2 加賀見の日常
俺は機械だ。
そう暗示しながら、品出し機械に商品を並べる。品出し機械、正式名称もとい商標はどうでもいいか、その機能は店の裏側に並んだ商品を引っ張って随時店頭に並べるだけだが今や全国のコンビニが取り入れている。
機械と言っても人型ロボットではなくコンベアのようなもので、そのコンベアの自動仕分けのために人間が手を貸してやらなければならない。
箱に入れられたコンビニパン達を粗雑に放る。弁当やスイーツになるともう少し丁寧な仕事が必要になる。
2150年の自称超ハイテク時代(笑)になってすら、人間様がこんなことをしなければならないとは、呆れたものだ。
「――君」
とは言えそれらの機械化により大幅に業務効率が上がったのも事実だ。ここのコンビニの従業員は店長と小間使いとしてのアルバイトの二人で回っており、人件費は殆ど掛からない。いくらか機械の補助が必要なだけで、あとは勝手にやってくれる。
とは言えコンビニなんてものはオワコンで、つまり儲からない。アルバイトは最低賃金で働かされ、ただ搾取される。
「ちょっと加賀見君⁉」
「ああ、店長」
目のまえにフランチャイズの死にぞこないの顔が現れる。どこにでもいそうな冴えない禿茶瓶で、張り付けた笑顔の瞳が死んでいる。
「何ぼうっとしてんの⁉ 給料下げられたいの⁉」
「さーせん」
「ほんとさあ! 困るんだよね! うちに働かないやつおいておく金なんてないからね⁉ 君の代わりはいつでもいるんだよ!」
などとぐちぐち言いながら去ってゆく。
「それはお前だろ」
一番暇なのがこの店長だ。自分では殆ど何もしないくせに隙を見つけてはこちらに八つ当たりしてくる。しいて言えば本部に良い顔をするのがあの禿の仕事だ。
そもそも、誰が好き好んでこんな仕事をするもんか。
「くそっ…!」
精密な機械類を殴ることもできず、一人歯を食いしばって拳を握りしめる。
羨ましいよ。お山の大将を気取って喜ぶ幸せな禿頭が。
トラックから荷下ろしした商品を並べれば次は掃除をする。早く自動家事メイドが開発されてくれないかなぁと思いながらトイレに向かう途中、丁度客が来店した。
「いらっしゃいませ!」
精一杯無理してスマイルを届ける。これがプロフェッショナルだ。単に店長の禿に絡まれたくないだけだが。
「……っ」
その客は何かに気付いたようにこちらを見た。
よく見ればなかなかの美人だ。色の薄いデニムのパンツスタイルは体の線が出るもので、トップスの黒との相性もいい。そんな具合に私服のセンスはいいし、何より顔がいい。
顔の骨格や配置は天に恵まれたとしか言いようがない。肌は手入れがよく行きどいており、その上メイクも自分の素材を最大限に生かしているのが伝わってくる。
とは言え、平日のこういう手合いはデート前の女かビッチのどっちかだ。俺にはその両方とも関係がない。
そう思っていたのだが、その美人はどうやら明らかにこちらに向かって詰め寄って来る。
(な、なんだっ⁉)
記憶を探る限り、知り合いなどでもなさそうだ。
そしてその紅をさした唇は開かれた。
「すみません、急な雨で。少しそこで休んでもいいですか?」
その美女は休憩スペースを指した。
「は、はい。どうぞ」
混みあっているわけでもない。ここはコンビニアルバイトのプロらしくさわやかな笑顔で対応する。
だが美女は礼を言うこともなく終始不愛想に椅子に座った。
(せめてなんか買ってけや…)
どうやらデート前の雰囲気ではない。となればイケメンかつ金持ちからの誘い待ちをするビッチだ。
外を見れば確かに土砂降りだ。六月のこの時期は天候が不安定だからよくあることだが、今日は予報でも雨だ。『予報』ではあるがその精度はほぼ百パーセント、『予言』と言う方が相応しい。そんな予報が出ているのに傘を持ち歩かないなんて変な奴だ。ここで傘を買わないということはタクシー待ちするつもりだろう。
まあどうでもいい。頭を切り替えてトイレの掃除に向かおうとすると、また来店があった。
「いらっしゃいませ!」
「……」
その客も何かに気付いたように――
「……お前、いつき?」
よく見ればそのスーツの決まった男は、
「――速水、龍二…」
高校の同級生だった。男は驚きと再会を喜ぶように頬を上げたが、こちらに配慮するように抑えたトーンで話す。
「おお、久しぶり。こんなところで会えるなんて、思わなかった」
こんなところで、そう言ってから言葉のチョイスが悪かったと思ったのだろう。尻すぼみしかける。
「お前が急にいなくなったから俺達びっくりしたんだぜ。お前んちのことは少し聞いた」
「もう七年も前だから、吹っ切れてるよ。そっちは…、もう結婚までしてたのか」
その左手薬指には指輪がはまっている。二十五歳で結婚はまあまあ早い方だろう。すると男は照れたように刈上げを掻いて、
「同じクラスだった、相沢」
「そうか、おめでとう」
そう言えば誰かと付き合っていた気がするが、正直顔は思い出せなかった。
「ありがとう。でも結婚した奴は結構いるぞ。高嶺も結婚して、もうすぐ式を挙げるらしい。仲良かっただろ?」
「もっと話したいけど、仕事だから」
ただのバイトだが、それ以上聞きたくなかった。
「おう。頑張れ」
「ああ」
そっちこそ、なんて言えなくてそそくさと逃げるようにトイレに向かった。ゴム手袋を付けて、他人の糞と小便の臭う便器をシートで拭く。ごしごし、ごしごしと執念深く拭いていく。
あの男の言いたいことは分かる。なんでお前がこんなとこに。
いやそれよりも、失望したという気持ちの方が先だろう。
そして憐れんで、あの顔、あの距離感。
今日はついてない。高校の同級生に会うなんて。その上結婚までしていた。ここら辺で働いているということはきっと良い会社だ。
(なんでこんなに差が開いてんだよ…!)
奴らは幸せの最中、対して俺は人類の底辺で燻った糞でしかない。便器の裏側にこびりついて、流されることもない糞だ。
俺だってこんな小さなコンビニでしみったれた人生を送るなんて思ってなかった。
店長みたいな底辺の人間からすら馬鹿にされるだなんて考えたこともなかった。
なんて不平等なんだ、この世界は。
バイトの上がりが深夜二時。そこで夜食にカップ麺を買ってから帰る。
深夜は仕事も殆どないため基本的に一人だ。入れ替わりにシフトに入った爺さんに会釈してコンビニを出た。
真っ暗な外はまだ雨が降っている。店内の光を反射して白い粒が真っ直ぐ落ちてゆく。じめじめとした空気が体に纏わりついて、傘を開いても足元から少しずつ濡れていく。
だがこんな雨も嫌いではなかった。
まだ純粋だった小学生くらいの頃の、無邪気に雨を楽しんでいた思い出に刺激されて心が躍る。
昼間の世界に俺の居場所はない。一見すると寝静まった住宅街であっても、夜は昼間に溜まった鬱憤が解放される時間だ。客観的な正しさと建前をかなぐり捨てて、極めて人間的な本能が暴発する。
昼間になりを潜めていた獣達が正体を露わにしたところで、その脳天を撃ち抜く狩りの時間、夜はこれからが本番だ。
計画的に整備された都心から少し外れた雑多なビル群のなかにいつものネカフェがある。古びたコンクリートの階段を上ってから、ICカードで金を払って部屋に籠る。
一畳もない狭い空間だが、ここが果てしなく広がる電子世界の入口だ。
ゴミスペックのpCにUSBを差し込んで二つのプログラムを起動する。
一つ目のプログラムはダミーを流すためのものだ。これから行う行為は全く適法である訳がない。そこで本物の閲覧履歴を全ての経路において隠ぺいし、代わりにダミーの閲覧履歴を残すことで足がつかないようにする。
AIに見分けられないように、自宅のゴミカススペックのPCでせっせと作り上げたダミープログラムだ。それに毎日情報更新もしているから、不審な点があってもよほど注意深く見ない限りプロでも分からない。
二つ目のプログラムはゴミスペックのPCをまともに動かすためのプログラムだ。このネカフェは独立した複数台のPCではなく、一つのサーバーで繋がっている。そこでそれぞれに対してサーバーの一部分が割り当てられているのを、バレないように他の演算領域までを使用することでやっとまともな処理が出来るようになる。
そしてこれら二つのネカフェを要塞にするプログラム――『フォートプログラム』と呼んでいる――を土台に、さらなるプログラムを使ってセキュリティをこじ開けてゆくのだ。
だがその前に。
「よいしょ…」
このプログラムが完全に起動するまで三分かかる。その時間を使って個室の外でカップ麺に給湯する。
無駄のない動きでドリンクバーのボタンを押してお湯を流し、即座に貰った割りばしで蓋をしながら自らの要塞に帰還する。
インターネットカフェのPCのスペックは個人の持つものよりは遥かに優れているが、それでも起動に時間がかかるのは、フォートプログラムの長さ故だ。個人が作るレベルのものとしてはもちろん、企業が作る大規模なものにだって負けないプログラムであると自負している。
言わばこの起動時間の長さは努力の証だ。
この腐った世界における唯一の俺の武器だ。
プログラムと麺が出来るまで待っている間は、この武器を作り出すまでに積み上げてきた思いを噛み締める。優しさと喜びと怒りと苦しみと悲しみが、具体的な経験と共に脳裏に蘇る。
そうしてぼうっと決意を固めていると、カップ麺はほぐれてゆく。
「沁みるぅ…」
三分のカップ麺を二分で食べるのが至高だ。少し固いくらいの噛み応えが食べている感じがする。
それと同時に、フォートプログラム以外のプログラムを順番に展開してゆく。
今日の目的は主に例の私立中学校の監視カメラや会話音声の録音、その他の関係のありそうな書類を漁ることだ。そのために学校のサーバーに潜り込む。
今回の事件は一言で言えば『イジメ』だ。一人の中学生の少女が同級生の理由のない悪意の対象になる。
とは言え、Lawmakerはイジメまでは許容していない。このAIは個々人の権利を尊重するように作られており、事実人間の他者を蹴落としたいという本能を抑圧し、被害者を生まない方が生産的であると演算した。
それならば何がイジメを許容しているのか。
それはひとえに社会だ。
画像データや音声データの解析まで十分に行うことが出来るAIに対して、イジメに関する全ての情報を隠蔽している。つまり組織的な隠ぺいがある。
そこから導き出される答えは一つ。
(この学校を支配している上層部の人間が腐っている)
現代社会は極限まで不正を許さないメカニズムになっているが、それでも時々バグが発生してしまう。Lawmakerのエラーとも言える。
昨日イジメの主犯と思われる子供の親を調べたら、新進気鋭の有名IT企業○○の役員の男だった。その会社からの学校への寄付金の多さと圧力の大きさが比例しているのはよくあることだ。
文部科学省と都の教育委員会により主なコンピューター系のシステムは規定されている。しかし私立学校にはシステムによって発見されたイジメを揉み消すインセンティブが働いてしまうことがある。
今回がその例だ。不正の連鎖の順番としては、イジメ主犯の父が自らの息子に下駄を履かせるように暗に脅しつけ、イジメが発生し、学校側が隠ぺいしているようだ。
大抵イジメは証拠を見つけだして直接ネットに曝せば解決するのだが、
「見つかんねえ…」
かれこれ三時間。監視カメラの映像や音声データ、会話履歴を確認するのはかなり地道な作業で、時間がかかる。いくら技術が発達しようとも結局人力に頼らなければならない。
色々と怪しい箇所はあるにはあるのだが、分かりやすいイジメじゃないと意味がない。
一目で悪質なイジメであることが分かり、それを見た民衆が叩き上げることを楽しめるようなものでなければ、晒すことの効果がない。
親の不正も子のイジメも狡猾にそのしっぽを見せない。
「ふざっけんなよ…!」
この悪を断じて許してなるものか。
品出しとコンビニのシステムチェックで異常がないかを確認すれば、あとは掃除で時間を潰す。
塗装が剥げるのではないかと思えるほどモップで擦りながら時々来店する客に、
「いらっしゃいませ!」
と快い挨拶を寄せる。
常に店長の監視があるからサボる素振りを見せてはいけない。当人は仕事がないくせに、ただバイトに文句をぶつける機会を伺っている。そうして自尊心を保っているようだ。
昨日はそのまま証拠は得られず、今朝の七時に帰宅して午後の三時に起床して今に至る。
分かったことと言えばそのイジメの手口で、最初はちょっとした嫌がらせから始まったらしいのだが、それが今や過激なものにシフトして、サイバー攻撃をメインに個人情報漏洩やそれによる脅しから品のない要求を押し付けるようになったらしい。
イジメと思われるものが始まったのは今から半年も前だった。
よくここまで耐えることが出来たと思うが、それ以上によくそこまで隠ぺいし続けたものだと怒りが沸いてくる。
だが昨日、勝機を見つけた。どこにも証拠を残さない生意気なクソガキだが、それこそが手がかりだった。
明日のバイトは休みだから丁度良かった。
「いらっしゃいませ!」
クソ親子に対する怒りと、成敗できる喜びを嚙み殺して、客に爽やかな挨拶を向けた。