刑事部長室へ赴く流儀
シベリア刑事部長から呼び出されたことは気になるけれど、いつまでも雑談を続けている訳にもいかない。山積している厄介事捜査二係の仕事を、一つでも多く片づける責務があるのだから。
穂波とヤマネ刑事は、それぞれの抱える案件に取り掛かった。九十分ばかりが、まさしく「光陰矢のごとし」の通りに過ぎ去る。
ここへ男性が一人、近寄ってきた。穂波が気づいて声を発する。
「マスタード課長!」
「やあ、おはよう」
立ち止まった笑顔の男性は、刑事部捜査第一課の課長、増田努警視。部下から慕われる敏腕ノンキャリアで、五十歳だけれど、彼の容姿と言動には、十歳くらい若いように感じさせる、なにか不思議な快活さがある。
「おはようございます」
ヤマネ刑事は、チェアに座ったまま冷静に応じた。
一方、穂波が大あわてで立ち上がる。
「お、おはようございます! 挨拶が遅れまして、たいへん失礼しました!」
「気にしないで、座っていいよ。ふふふふ」
「おそれ入ります……」
穂波は頭を下げて、チェアに腰を下ろす。
ヤマネ刑事が問い掛ける。
「マスタード課長、例の一件でしょうか?」
「そうだよ」
「例の一件って、もしかして?」
穂波が気になって、ヤマネ刑事に尋ねた。
これには、マスタード課長が答える。
「シベリア刑事部長から呼び出されたことは、知っているね」
「はい、もちろんです!」
「それに関する話だよ。二人とも、刑事部長室へ赴くのは初めてだろうから、少なからず、そのための流儀を教えにきたという訳さ」
「ええっ、流儀!?」
思わず穂波が声を上げた。
隣りのデスクで、ヤマネ刑事が意図的に「ごほん」と咳払いをする。
「あ、大声を出して済みません」
「ふふふ。流儀というのは、少し大袈裟だったかもしれないね。正確には、注意点といったところだよ」
「はあ、そうですか……」
戸惑いを隠せない穂波と、冷静な様子のヤマネ刑事に、マスタード課長が「刑事部長室へ赴く流儀」を説明した。
それは決して難しいことでもなく、指定されている時刻の厳守。ただし、五秒の誤差すら許されず、本当の意味で丁度の時刻に赴く必要がある。つまり、メールに書いてあった通り、午前九時二十一分を迎えると同時に、刑事部長室の扉をノックしなければならない。
話を終えたマスタード課長は、笑顔を保ったまま静かに立ち去る。