第125話 約束はよく考えてから
「ほら、ここだ」
案内されて連れてこられた場所は、年季の入った昔ながらの本屋って雰囲気のこじんまりとした店だ。
古本屋だともっと薄暗くて埃まみれなのを想像していたけど、そんなことはなかった。
「いいね。よし、入るぞー」
もう用はないだろ、と言わんばかりに帰ろうとしていたニナの手首を掴んで店内に入る。
「なんだよ!」
「いいからついてこい」
人は少ないけど、本はいっぱいある。軽く眺めるだけでもたくさん種類があるので目移りしちゃうね。
お目当ての本はあるかなー?
「お、この辺かな」
「ああ? 何だお前、絵本なんて読むのかよ」
そう、私が探していたのは子供向けの絵本だ。もちろん私が読むのではない。いや、読むことにはなりそうだけど。
「好きなの選べ」
「は?」
「読み書きの練習の良い教材になるぞ。読み上げてやるからこれで勉強しろ」
全然予想してなかったのか、口を開けて心底驚いた表情をしているニナ。
ああ、あとで紙とペンも用意しないとな。
「な、んでそんなこと! 見下しやがって!」
「自分が見下されないような崇高な人間のつもりか? おとなしく受け取っておけ。仕返しがしたいなら勉強しろ。理由は最初に言ったろ、暇なんだ」
さすがに崇高は意味が伝わらなかっただろうか。まあ雰囲気で伝わるだろう。
選ぶ気がなさそうなので、絵本を手に取りパラパラと流し読みする。あんまり可愛くない絵だけど、読みやすい字で書かれているので勉強にはいいはず。
どんな世界でも子供の読み書きには絵本。二、三冊適当に選ぶか。
「読み書きができれば今の生き方以外にも選択肢が生まれる。目の前にチャンスがあんなら逃がすなよ」
施しがしたいとか、可哀想だとか、そんな綺麗事は言わない。そんな思考は欠片もない……わけではないけど、少しだけだ。
単純に暇つぶしであり、このコソ泥が他の被害者に掴まって、無残な死体にでもなってその辺に転がっていたら気分が悪いからってだけだ。
私の全ての行動原理は、私が今夜何も気がかりなく、気持ちよく眠るためでしかない。
そのためならまあ、多少の面倒ごとくらいは引き受けてもいい。
絵本を買い、紙とペンも購入した。ニナが眉間にしわを寄せて不機嫌さを隠しもしないが、知ったことではない。
「さてどこでやるか」
こいつの家……までいけば更なる面倒ごとが起きそうなので、やめよう。幼い弟や妹が出てきたり、病気の母親が出てきたりしたら困る。
「ここでいいか」
また大きな広場を見つけたので、そこの端に座り込んで絵本を読むことにした。
「読むから、覚えろ。覚えれば私がいなくなってもなんとかなるだろ」
「……わかった」
そういって渋々横に座り込んだニナと一緒に絵本をのぞき込む。
文字を指で追いながら、ゆっくりと読み上げる。
よくあるおとぎ話の一種で、お姫様を助ける勇敢な戦士の話だ。
川を渡り山を越え、たどり着いたお城で悪い魔物を倒し、攫われたお姫様を助ける王道ストーリー。最後は当然ハッピーエンド。
絵本を何度も読み上げたら、次は紙とペンの出番だ。
「これが挨拶の言葉。これが別れの言葉。こっちがお祝いの言葉で、これがお礼の――」
基本となる挨拶がこの絵本の中には出てきている。それを重点的に書かせる。
声を出して読ませて、書いていけばそのうち覚えられるだろう。
「お前の名前はこうだな」
「これがオレの名前……」
ニナという名前を字にして書いてやる。初めてみるのか、書かれた自分の名前に打ち震えている様子のニナ。
最初は乗り気じゃなかった彼女も、ようやくやる気を見せてくれた。その方が教えがいがあるというものだ。
時間が過ぎるのはあっという間で、もう夕暮れ時になってしまった。でもまだ不十分だな。
まだ絵本を自力で読めるほどではないし、自分の名前くらいは書けるようになったみたいだけど、その程度でしかない。
「明日もまたここに来る。勉強がしたければ来い」
「……わかったよ」
道具を持って立ち上がる。
絵本はこのまま渡してしまってもいいんだが、明日また来るなら私が持っていてもいいだろう。魔道袋に仕舞い、代わりにお金を出す。
「私に勉強を教わる間は悪いことをしないと約束できるなら、今日と明日の飯代くらいはくれてもいいけど、どうする?」
ニナはそれを聞いて苦虫を噛み潰したような表情で思案していたが、目の前でお金をちらつかせたら諦めて承諾していた。
素直に数食分にはなるだろう金額の小金を袋に入れて渡し、別れを告げる。
「じゃーな。悪いことすんなよ? 私にまで迷惑がかかるかもしれないからな」
「ちっ。しねーよ!」
吠えるように吐き捨てて走り去っていったニナ。
風呂代も渡せばよかったかな。そこまでいくと過剰すぎるか。
走っていく後ろ姿を見送り、夕食をいろいろと買い漁ってから宿へと帰る。なんだか精神的に疲れちゃったなぁ。
「ただいまー」
「おかえり」
宿の部屋に戻ればエルフが三人でお茶をしていた。エルシーナが返事をしてくれる。ここは平和でいいね。
帰ってきてからしばらく、何故か落ち着きがないように見えるエルシーナに声をかけられる。
「あ、明日よかったら出かけない? その、二人で」
なんとエルシーナと二人でお出かけのお誘いが! なんということでしょう!
思えばエルシーナと二人になったことってあんまりないなぁ。一度くらいそういう機会を設けるのは良いことだと思う。思うんだけど……。
「んー………………」
明日も勉強を教える約束しちゃったのよね……。
読み書きを教えている間は悪いことをしないと約束させた以上、私が破るわけには……ぐぬぅおおおお!! タイミング!!!
でもやっぱり好きな人優先……いや、そうやって好きな人ばかり優先することはしたくないんだ。そういうところを気を付けたいんだ。
恋は盲目……これだけは避けたい、私は誘惑には負けない。
でもその相手がニナなのは違う気がする……。うう、こればっかりは仕方がない。先約優先だ。
「明日は用事があるから、ごめんね」
「そ、そっか……」
しょんぼりしているエルシーナ可愛い……じゃなくて、すごい罪悪感が。
うぉおおお……さっきの自分を殴って止めたい気分。エルシーナと二人でお出かけ……行きたかったなあ!
「ごめんね。また今度行こうね」
「気にしないで……」
うう、ごめんよエルシーナ。次は絶対空けておくから。
前々話でリアがエルシーナの誘いを断った経緯でした。




