宴
城壁の上は静まり返っていた。
その沈黙の中、フォルケンは己の目を疑ってしまう。目の前で起こっている光景は現実なのだろうか。
先程まで五月蠅く質問してきた護衛対象の文官も、その光景に目を奪われ言葉を無くしている。
疾駆する竜騎兵を足場に戦い続ける勇者と魔王。
それだけでも現実と思えない。あの速さで駆ける騎竜と、それに騎乗している魔族。どちらも足場には適していない。いや、そもそも足場にすることが間違っている。
だが、現にその上で戦っているのだ。
おまけに勇者は、竜騎兵にとっては敵だ。当然のように攻撃を受けるが、その攻撃を全て避けて、素手で攻撃していく。
時折、放たれる蹴りは、尋常な威力では無いようで、角を砕かれ騎竜から落下していく魔族の姿が見られる。
そして、ヘルヴィスの攻撃をも避ける。そして、ヘルヴィスに攻撃を加えている。
今も、その拳がヘルヴィスの顔を撃つ。あのヘルヴィスが吹き飛ばされる。
勇者の実力を報告するよう、アルスフォルトに命じられている。
だが、これを報告して信じて貰えるだろうか。
冷静な思考が訴える。どう言えば良い?
見たまま、竜騎兵の上で戦い、ヘルヴィスを殴り飛ばしていました。そう報告しろと言うのか。
そんな事を言う奴がいたら、寝ぼけるなと怒鳴りつける自信が有る。
それでも、これは幻では無い、現実の光景だ。
身体が震えて来る。アルスフォルトがどうやれば討てるか悩み続けているのを知っている。
そして、その方法が見つからずに、何時も険しい顔をしている事に、胸を痛めていた。
だが、倒せる。この勇者がいればヘルヴィスを討てる。
もしかすると、このまま討ってしまうかもしれない。それならそれでも良い。
グロースとしては不満もあるだろうが、奴を討てるなら文句は無い。
是非とも討ってほしい。そう願った。
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この時、タケルがフォルケンの気持ちを知ったら、こう返事するだろう。
冗談じゃない、と。
周囲からはタケルが優勢に見えるだろう。
現に、周囲の竜騎兵をものともしないで素手で倒していくし、ヘルヴィスを相手にしても、一度も撃たれることなく、何度も攻撃を当てている。
だが、実情は決して甘くなかった。
足場の悪さは、卓越したバランス感覚の前では問題にならない。
それに、竜騎兵自体にも問題ない。
確かに精鋭だ。赤備えの精鋭、リヴルスやイグニスすら上回るだろう。
だが、タケルにとっては、逆にその程度だ。
言ってみれば次元が違う。
しかし、問題は、やはりヘルヴィスだ。
ヘルヴィスが近付く。それに牽制の打撃を放ち、怯んだところを仕留めんと攻撃する。
しかし、牽制の攻撃は当たっても、仕留めようとした攻撃は防がれる。
ヘルヴィスは初めて見る攻撃にも関わらず、自分にとって危険な攻撃には反応するのだ。
「こうか?」
更に質が悪いのが避け方だ。
最初の内は大きく避けていたのが、今はさばいている。
タケルの防御方法を、見様見真似で身に付けているのだ。
ヘルヴィスは、素手での戦闘技術は未熟だった。
言ってみれば力自慢の素人。正に武術のカモであり、タケルにとっては御しやすい相手。
それなのに、仕留めきれない。
ヘルヴィスの攻撃、まだ、振りが大きい。
力は凄まじい。速度も速い。決して魔族の中でも大きいとは言えない体格にも関わらず、有り得ない力と速度。嫌になるほど覚えのある現象だった。先程、持ち上げられたことも納得がいった。
「武神の力、魔族が使うのかよ」
「せっかく、知識にあるんだ。それは使うだろうさ」
「お前だけだろうが」
鮮花に言わせれば、やはり同類と言うだろう。
成人し、魔力が大きい者が使用すれば、制御に失敗するのが武神の力だ。
ヘルヴィスは、それを平然と使っている。
いや、痛みの耐性がタケルと互角であれば、それも当然だろう。
「まあ、ザルティム以外は出来ないと言って諦めたな」
「他にもいるのかよ」
その返答に呆れてしまう。
同時に、ザルティムと言う名に覚えがあった。
尋問で発覚したヘルヴィスの片腕と言われている魔族だ。
「ソイツは?」
「ここにはいないな」
その答えに安堵する。ここに、そんな危険な魔族が混ざっているとすれば、警戒せざるを得ない。
ヘルヴィスの言う事を信じ切っている事に呆れそうになるが、何故か疑うことは出来ない。
いや、分かっている。ウソを吐く必要など無いのだろう。
「なるほど、こうか」
ヘルヴィスの拳が真っ直ぐに伸びて来る。
最短距離を、鋭く真っ直ぐに。タケルと同じく、空手の正拳突きをヘルヴィスが使う。
先程までの、力任せに拳を振り回していた姿は無い。
防御も攻撃も、見る見るタケルの技術を吸収している。
自分が強くなれる技術があれば貪欲に学び、急激に成長して行く。
話に聞いていたゲオルゲの特徴そのものだ。
そもそも、現状では、周囲から互角か、弱冠だがタケルが有利に見えるだろう。
だが、少し視点を変えれば、そんな問題では無いことに気付く。
現在、二人は素手で戦っているが、ヘルヴィスはその気になれば、何時でも武器を補充できるのだ。
ただ、足場にしている配下の竜騎兵から、剣を受け取れば良い。
それだけでヘルヴィスは使い慣れた剣を持ち、素手のタケルを圧倒できる。
だが、それをしない。素手の戦いに付き合い続けている。
タケルは、ヘルヴィスの無知を利用し、隙を付いた攻撃を使用としている。
それに対し、ヘルヴィスは未知を楽しみ、新しい戦いを吸収している。
タケルの中での常識が崩れていく。
兵は詭道なり。思ってもいない事をするのが勝利の近道だと信じていた。
格闘技の世界では、相手の知らない攻撃が可能であれば、圧倒的に優位に立てる。
戦争も同様だ。相手の思わない事を、意表を突くことを意識していた。
対ヘルヴィスでのシミュレーションでも、相手は通常の騎士との戦闘を想定した訓練しかしていない。
だが、こちらはヘルヴィスの突撃に対抗できるように自分が仮想ヘルヴィスとなって訓練していた。
そして、想像さえしていなかったであろう、素手での戦闘に持ち込むことを考えていた。
それが叶ったのに、ヘルヴィスは動揺するでもなく、ただ楽しみ続けている。
「冗談じゃ無い!」
ヘルヴィスの攻撃をさばきながらのカウンター。
芯をずらされた。致命傷には程遠い。
不意の攻撃に対してもこれだ。こんな奴と同類だと思われていたなんて、過大評価も良いところだ。
離脱を考えるが、赤備えの姿が見えない。並走していたが、今は離れたらしい。
何処にいるか周囲を探ろうにも、少し意識を離した途端にヘルヴィスの攻撃に対応しきれなくなる。
赤備えは何処に行った? 不安が身体を蝕む。
みんなは無事だろうか。今のエリーザは不安定だ。
彼女の指揮で十分な働きが出来るとは思えない。
ヘルヴィスもタケルと同様に指揮は出来ないが、兵の質では竜騎兵が上回る。
「浮気するなよ」
周囲に気をまわしていた事を悟られた。
俺だけを見ろ。そう目が言っている。
そして、もっと新しい技を見せろと催促している。
その姿に、かつての自分と、今の不安を上回る恐怖を思い出した。
「良いだろう」
元の世界では、このまま朽ち果てることに対する恐怖を、何時も感じていた。
意味の無い武術を必死に身に付ける日々。
使う日など、決して来ない技術を磨き続け、無駄な時間を過ごしている。そう思うと言い知れぬ恐怖に包まれるのだ。
何度も止めようと思いつつも止められない。身体と心が強さを求め続けるのだ。
その癖に、理性と知性は否定する。無駄だと訴える。
その頃の恐怖に比べれば、死は恐ろしいものでは無い。
ヘルヴィスを恐れる理由は何もない。むしろ、自分の人生に意味を与えてくれた恩人である。
その恩に報いよう。力を振るえる歓喜に身を任せよう。
「殺してやる」
心と身体のリミッターを外した。配下の安否を忘れる。あるのは己一人。
家族に疎まれた狂人の心のままに、それでも祖父と、バルトークに叩き込まれ、そして自分自身で身に付けた技術が身体を動かす。
投げや関節は効かない。いや、危険な技が極まると、自ら関節を外してくるので効果が薄い。
ならば打撃で殺す。貫手、掌底、鶏口、手の形を変え、攻撃に種類を増やし、急所を狙う。
骨が折れるまで強化する。折れた側から瞬時に治療すれば良い。痛みに耐えればいい。
危険を察するなら察しろ。それを上回る量と速度を送り続けて飽和させてやる。
笑う。笑ってしまう。声に出して笑ってしまう。
まだ死なない。まだ新しい技が出る。
まだ攻撃出来る。まだ技術を覚えられる。
痛いいたいイタイ。それでも止まらない。楽しすぎる。
殴るのが楽しい。殴られるのが楽しい。
新しい技を使うのが楽しい。新たな技を喰らうのが楽しい。
身に付けた技術を吐き出すのが楽しい。新たな技術を吸収するのが楽しい。
吸収した技術を吐き出すのが楽しい。吸収された技術を跳ね返すのが楽しい。
この想いを何と言えば良いのか。
感謝したい。目の前に現れてくれたことに心から礼を述べたい。
だが、それ以上に心を震わす感情があった。
「生まれてきて良かった!」
ヘルヴィスが叫んだ。それは俺の言葉だと言い返したくなった。
この世に生まれたことを感謝した。嫌っていた両親に今なら礼を言える。
産んでくれてありがとうと頭を下げたい。
この世に生まれてくれたことに感謝した。敵であっても構わない。いや、敵だからこそ嬉しいのだ。
戦ってくれてありがとうと殺してやりたい。
同時に物足りなさを感じる。
こんな一騎打ちで終わらせてしまって良いのだろうかとも思う。
だが、今の戦いを止めるのも惜しすぎるので、止めるに止められない。
そんな躊躇いに似た感情を抱いた中、横から強力な圧力が来た。
「イオネラ?」
ヘルヴィスが驚いた表情を見せる。
イオネラを先頭にした赤備えが横から突撃してきていた。
竜騎兵は丘の間を駆けており、そこへ丘の上から逆落としをしかけてきたのだ。
凄まじい勢いで、赤備えが竜騎兵を二つに割る。
更に、ヘルヴィスにとって無視できない状況があった。
イオネラの剣。これに斬られるのは危険だと悟った。それが間近まで迫っている。
ヘルヴィスは剣を持っていないが、タケルとの戦いで身に付けた防御技術で剣を弾く。
イオネラの剣は避けられたが、タケルの前では余りにも致命的な隙を見せてしまった。
タケルの上段後ろ蹴りが、ヘルヴィスの側頭部を襲う。
当たり前の話だが、足は後ろ向きに進むより、前へ進む事に適している。
足は、前より後方へ振るように筋肉は発達しているのだ。その筋肉の発達に目を付けたのが後ろ蹴りや後ろ回し蹴り。
馬のような草食動物には、唯一の武器と言える攻撃方法で、肉食獣を再起不能の怪我に至らしめる事さえある。
欠点として、視界の悪さとバランスの困難さ、そして隙の大きさがあるが、逆に言えば、それらをクリアーすれば、素手の人間にとって最大の破壊力を叩き出せる。
視界。タケルの柔軟性は首も含まれる。
バランス。タケルが自身で最も優れていると公言している。それは疾駆する竜騎兵の上で戦う事によって証明されている。
隙の大きさ。イオネラの攻撃がそれをクリアーした。
回転しながら視界を確保し、標的を見定める。同時に強力な足腰の筋力を踵に集中してヘルヴィスの側頭部を穿った。
ヘルヴィスの右の角が、小さな破片を撒き散らしながら宙に浮く。
同時にヘルヴィスの巨体が崩れる。
「ヘルヴィス様!」
ヘルヴィス旗下の兵から悲鳴がに似た叫びが上がり、赤備えの騎士が笑みを浮かべる。
タケルは蹴った右足が地に着くと同時に、追撃の選択をする。
拳打か蹴りか、攻撃の選択は、身体の反射に任せる。もはや脳から発せられる命令が、身体に到着するまでのタイムロスを許せる余裕は無い。
そして、タケルの身体が選択したのは防御だった。
「……こうか?」
倒れようとしたヘルヴィスの身体が急激に回り、後ろ蹴りを打ち出した。
タケルは身体を後方に浮かせながらガードを固める。
吹き飛ばされ、宙に浮く。それでも勢いを殺しきれずに、防御した腕の骨が折れる音が響いた。
「隊長!」
運良く赤備えの群れの中に落下し、地面の前に旗下の騎士に抱き留められた。
「タケル様!」
アリエラが安綱の手綱を持って寄ってきた。
折れた腕を治しながら、安綱に乗り移る。
その間、ヘルヴィスから目を話すことは無かったが、追撃は無い。
ヘルヴィスと言えど、ダメージは大きかったようで、騎竜の上で片膝を付いて頭を抑えている。
その視線が動くと、騎竜に跨り逃走するように疾駆を始める。
直ぐにヘルヴィスが何を見たかが分かった。
ヴィクトルが、リヴルスとイグニスが指揮していた残りの赤備えを率いて追ってきたのだ。
「隊長、落とし物だ」
タケルの愛用の槍を拾ってきており、それを受け取る。
手に馴染んだそれを一振りすると、指示を待つ旗下に宣言した。
「追うぞ。ここで奴を討ち果たす」




