おもてなし
「誰が姉上だ!」
エリーザが怒声と共に振るった剣を、ヘルヴィスは太刀で弾く。
それが数度続いたが、やがて飽きたのか平然とエリーザの太刀を掴んで攻撃を止める。
接触している状態では気の防御は関係が無い。純粋に握力で剣を横から挟み込むことで、完全に固定していた。
「確かにそうだな。だが、名前で呼ぶのに妙に抵抗がある」
困ったように呟く。
奴はゲオルゲでは無い。だからエリーザは姉では無いが、それでもゲオルゲの感性に近いのだろう。
「ゲオルゲは、随分と相性が良かったようだな。同化しているんじゃないか?」
「ああ。時々、自分が分からなくなる。で、その分だと、俺達の知識の元を知っているみたいだな」
「やはり、貴様は……」
俺とヘルヴィスの会話に割り込んで、エリーザが何か言おうとしているが、怒りと悲しみのせいで、それ以上の言葉が続かない。
ヘルヴィスはそれを見ながら、嘲笑するでもなく、悲しむでもなく、淡々と事実を述べる。
「ああ、喰った」
「ゲオルゲを嬲り殺しにしただけでは飽き足らず!」
その言葉に、エリーザが怒りを再燃させ、再度の攻撃を試みようとするが、掴まれた剣はビクともしない。
確か、ゲオルゲは両腕を斬られ、抵抗できない状態で首を刎ねられたらしい。
一方のヘルヴィスは、そんなエリーザの反応と言葉に困惑していた。
「嬲り殺しって、そうか。周りからはそう見えたか」
「エリーザ離れろ」
埒が明かないな。俺は間に入って、エリーザに剣を手放させる。
エリーザは感情が収まっていないが、それでも従ってくれた。
ヘルヴィスから離れたエリーザには、俺の太刀を渡して下がらせる。
ヘルヴィスは安堵したかのように掴んでいた太刀を放り投げた。
「それで、本気で何をしに来たんだ?」
「いや、お前に興味があってな、会いに来た」
「そんな理由でロムニア全軍が集まっている中に来たのか」
「武装して無いだろ?」
「確信犯かよ」
ゲオルゲの知識があれば、閲兵式の内容も知っていて当然か。
それにしても、近くで話をしているだけで、肌を刺す感覚が強くなってくる。
朝から感じていた寒さの正体はコイツだったのか。
向こうからは、同じように感じているんだろうか?
「聞きたいことがあるんだが、体調はどうだ?」
「ああ、お前が側にいるだけで妙な感覚がある。あそこからも感じるな」
ヘルヴィスは、そう言いながら城壁の上を見る。
鮮花の存在も感じ取っているようだ。
なるほどね。この感覚を頼りに、これまで勇者を探し出してきたって事か。
「いや、部下共の反対を押し切って来た甲斐があった。
そろそろ帰るとするが、今度会う時が楽しみだ」
「待て、お前、本気で俺を見に来ただけか?」
「そう言っただろうが。顔を見た上に、名前も聞けた」
平然した態度に毒気を抜かれるが、このまま終わらす気は無かった。
現状では、ヘルヴィスは100騎だが、こちらで戦えるのは直属の150騎のみ。
しかし、その150騎は精鋭中の精鋭だ。それに時間が経てば経つほど、他の部隊が装備を整えて参戦する。
「もてなしの準備は出来ていないが、折角だ、つまらないものだが、槍を受け取れ」
俺が槍を叩きつけ、ヘルヴィスが太刀で受ける。
「これはご丁寧に。こちらもつまらないものだが」
ヘルヴィスが、2メートルを超える大太刀を上段から振り下ろし、俺は太刀で弾く。
「わざわざ、お気遣いなく! 受け取れや!」
「そうはいかぬ、礼儀は大切であろうよ!」
お互いに攻撃を繰り返すが埒が明かない。
後方からも剣戟の音が響いてきた。
互いに耐える必要は無いと判断したのか、号令を待つことも無く戦闘が始まった。
これほどに俺の攻撃を防いだ相手はいない。
それに、奴の攻撃を防ぐたびに、今まで経験したことが無い衝撃が走る。
驚きもあるが、それ以上に嬉しかった。
どれだけ攻防を繰り返したか分からない。
早く仕留めなければならない。そう思うと同時に永遠に続けたいと思う。
援護として、弓騎兵の攻撃がヘルヴィスにも注ぐ。
矢を嫌ったのかヘルヴィスが距離を取りはじめた。
形としてはそうなのだが、それは何処か違う遊びに誘うような感じがした。
「乗ってやる」
埒が明かない並走しながらの打ち合いから、軍を率いての集団戦闘に移行する。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
何だアレは?
フォルケンは、アレを見ながら思ったが、声に出たかもしれない。
城壁上は、先程までの喧騒は納まっていた。
国王すら退避することを止めて、誰しもが赤と黒に見入っていた。
共演、競演、狂宴。どれが相応しいのか。
赤も黒も一頭の怪物のように見える。
共に先頭の牙が最大の攻撃力を持つため、擦れ違いざまに噛み合い続けても埒が明かない。
そのため、腹に噛みつこうとしているが、それを避けるように動くさまは、確かに獣の一騎打ちのようだ。
だが、獣と違うのは体の形を変化させることが可能な点だ。
三角の形をしていた獣は、今や長い身体をくねらせる巨大な蛇に見える。
絡み合っていた蛇は、形を変えて、また異なる形をしている。やはり蛇と言うには相応しくない。あれは魔獣だ。
黒い魔獣がなだらかな丘を駆けあがる。赤い魔獣が追う。
突如、黒い魔獣が向きを変える。丘の上からの逆落とし。
勢いに乗った黒い魔獣が赤い魔獣を喰い散らす。
赤い魔獣の身体が引き裂かれ、血しぶき、いや、肉片のように散らばった。
そう思ったが違う。自ら散ったのだ。
赤い魔獣は花が開く様に広がり、その中心を黒い魔獣が通った。
開いた花が再び閉じると、蛇のように姿を変えて、黒い魔獣を襲う。
今度は赤い魔獣が逆落としをしていた。
黒い魔獣は反転しないで、そのまま駆け続けて、模擬戦中で満足な装備をしていない部隊に突っ込む。
そうして混乱を引き起こしながら、戦場をかき回したかと思うと、突如方向を変えて赤い魔獣と正面からぶつかる。
「フォ、フォルケン将軍、あんなものとアルスフォルト殿下は戦っているのか」
そう言葉を発した護衛対象の文官に、どう返答すれば良いか迷ってしまう。
確かに、ヘルヴィスと戦い続けていた。
だが、眼下で繰り広げられている動きをフォルケンは知らない。
グロース軍でも、幾度も実戦を重ねてきた豊富な経験を持つ将軍だった。
その目も、見識も、アルスフォルトに信用されている。だからこそロムニア軍の実力を確認するよう命じられたのだ。
そんなフォルケンにとっても、今のヘルヴィスの動きは初めて見る。
これ程激しい動きは見たことが無いし、出来るとさえ思っていなかった。
何度か罠に嵌めたことがある。あと一歩だと思った事もある。
だが、その一歩は遥かに遠かったのかもしれない。今までのやり方では、届くとは思えない。
それほど凄まじい動きだった。
そして、それを引き出し、対抗している勇者の部隊。
両者の戦いは、恐ろしくも、美しいとさえ思ってしまう。現に声をかけられるまで見蕩れていた。
それほど、異質で異常な戦いが繰り広げられている。フォルケンは返事も出来ずに戦場を見続けた。
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衝突は、再び並走と言う形になった。
タケルが左にいるヘルヴィスに槍を叩きつけ、ヘルヴィスが右にいるタケルを太刀で斬ろうとする。
間合いはタケルが有利だから、ヘルヴィスは距離を詰めて来る。
その距離をヘルヴィスから取った。タケルが距離を詰める。
それを狙っていたかのようにヘルヴィスが距離を詰めてきた。
タケルが離れる前に一気に詰めようとする。
そこで危険を感じた。誘われたのは自分の方だと気付いた。
鋭くも、おぞましい刺突が、顔をめがけて来た。
これまでタケルは突きを温存してきた。
振り回しに慣れさせて、ここぞという時に突けば対応できないと思っていた。
ヘルヴィスは咄嗟に左の掌で槍を止めようとする。
槍の穂先があっさりと掌を貫通する。が、貫かれたまま振り払う事で顔面を守る。
それだけでなく、掌を貫かれることで槍を固定し、更に距離を詰めて太刀の間合いに入った。
ヘルヴィスに凶悪な笑みが零れる。
タケルの武器は奪ったも同然。一刀に両断せんとする振り下ろし。今から逃げても遅い。
距離を詰めながら降ろす太刀は、多少離れたところで間合いから逃れることは無理だ。が、タケルは更に距離を詰めた。
ヘルヴィスの太刀の間合いから、遠く離れるのではなく近付いた。ヘルヴィスは太刀では無く、腕でタケルの肩を殴るだけになる。
タケルの右手が、ヘルヴィスの右腕を上から押さえる。惜しげもなく槍を手放していた。
咄嗟に引き上げようとするが、腕が動かない。軽く押さえているようにしか見えないが、ピクリとも上がらない。
剣を持った右腕は、タケルの左肩と右手の間に挟まれて微動だにしない。
タケルに凶悪な笑みが零れる。
魔族の肉体構造は熟知していた。下に向ける力は強いが、上に向ける力は人間より弱い。
左のカギ突きを肘に対して撃ち上げる。
ショートアッパーと言われる打ち方。それを骨が砕けやすい角度に正確に狙い撃つ。
ヘルヴィスの右腕が曲がってはいけない方向に曲がった。
これで、両腕を奪った。が、ヘルヴィスは左腕で殴ってきた。
槍はすでに抜け落ちていた。それでも掌は砕かれている。それを武器に使うのかと驚いたが、身体は反応して首を傾けて掌をやり過ごした。
改めて攻撃をしようとする。が、後ろ襟を掴まれていた。引っ張られ、身体が浮き上がろうとする。
理性が状況を否定する。左の掌には槍が刺さっていた。それも平たい形状では無く三角槍だ。穂先の太さは子供の手首ほどはある。位置的に最低でも中指と薬指に繋がる中手骨(掌の大半を構成する骨)は砕かれている。人差し指と小指に繋がる中手骨も無事では済まないはずだ。
ヘルヴィスが獣のような咆哮を上げ、タケルの身体を引き上げた。
それに上へ持ち上げる力は、そんなに強くない筈だ。明らかに異常が起きている。
本能が状況に反応する。
そのまま地面に叩きつけようとする勢いに逆らわず、身体を丸めて勢いを逆に強くする。
地面に向けた力は再び上へと向かい、タケルは猫のようにしなやかに一回転して、ヘルヴィスが騎乗する騎竜の首元に立った。
身体を丸めた勢いで、同時にヘルヴィスの左腕の関節も折っていた。
重い物を投げていたのが、急に軽くなるどころか、その方向に進みだしたのだ。更に妙な角度をつけて。
自らの力で自身を傷つけたも同然。頑丈な肉体であろうと関係なく関節は折れてしまう。
今度こそ両腕を奪ったと思ったタケルの前で、ヘルヴィスの右腕が元に戻って行く。
治癒の魔術。魔族も使えることを思い出す。そもそも、ヘルヴィスはゲオルゲを含めた多くの騎士を喰っているのだ。その技量を身に付けているのは当然だろう。同時に、自分と同様に骨折すらも治せる痛みへの耐性。
倒すには軽い怪我をじわじわと積み重ねても無意味だと察した。
ヘルヴィスを倒すには、武器を使用して一気に仕留めるか。
武器が無ければ、治癒の暇が無いほどの連打を続けるか。
現状は武器が無い。おまけにヘルヴィスは簡単には仕留められないだろう。
つまり、これまで身に付けた能力を、全力でぶつけても良い相手なのだ。
歓喜の衝動に包まれながら、拳を打ち込む。
足場は最悪だが、絶妙なバランス感覚で拳に体重を乗せ、それを連打で浴びせ続ける。
一方のヘルヴィスは、これまで経験したことが無い攻撃に戸惑いを覚えながらも、別の感情に震える。
興味。素手でこれほど多彩な攻撃が出来るのか。必死に防いでいるが追い付かない。
恐怖。自分を殺すことが出来る。それが分かる。
つまり、この男は殺戮するだけの相手でも、狩りの獲物では無い。戦う相手なのだ。
歓喜に包まれながら、鐙に立ち上がりタケルに攻撃を始める。
だが、自らの攻撃が当たらない。一方的に攻撃されるだけだ。
素手での戦闘技術に差がありすぎる。
威力で優っていても、当たらなければ意味は無い。
しかも、ヘルヴィスが初めて経験する多彩な攻撃は、痛みと共に身体の自由を奪う。
その全てが新鮮で楽しい。もっと経験したい。
タケルの前蹴り。ヘルヴィスの顔を狙っているが、上段蹴りでは無い。
立っているタケルに対して、ヘルヴィスは座っている。
いわゆるヤクザキックと呼ばれる野蛮な攻撃だが、その威力は非常に高い。
ヘルヴィスは、両腕で防御しながら、腰を降ろし鐙から足を抜いた。
その威力に身体が浮く。疾駆する騎竜から身体を浮かせれば、離れながら落下するだけだ。
だが、空中で後方から来る、配下の肩を掴んで落下を防ぐと、配下の肩や騎竜を足場に飛び移りながら、再びタケルに迫る。
「仕切り直しだ」
戦場は、それぞれの乗騎での戦闘から、疾駆する竜騎兵の上に移った。
周囲を置き去りにして、勇者と魔王は、狂人同士の戦闘に興じ続ける。




