あいさつ
最終章、始まります。
妙に肌寒い朝だった。寒いというか刺さるというか。
起きた時の感想はそれだった。
今日は閲兵式があるというのに、外の天気は大丈夫なのかと不安になって来る。
そう思っていると、ドアをノックされ、エリーザが来たことを告げられる。
「今日は寒いが、天気は大丈夫か?」
迎えに来たエリーザに、外の様子を聞いてみる。
エリーザは昨日まで、屋敷に戻っていたので、王宮では寝泊まりしていない。
ここに来る際に、外の様子の確認はしているはずだ。
「え? 今朝は寒くは無いですよ。むしろ、昨日に比べて暖かいくらいです」
その返答に首を傾げる。
いや、寒いと思うんだが、まさか風邪でも引いたか?
まあ、熱は無さそうだし、食欲もある。
取りあえず、朝食を食べるために移動する。
以前は、部屋まで運んできてもらっていたが、今は鮮花がいるので、別室で一緒に取ることが多い。
移動中に、よく話す使用人とも話したが、全員が今日は暖かいとの感想だった。
やがて、食事をする部屋へ到着すると、すでに鮮花が待っていた。
「武尊さん、今日って寒くないですか?」
「寒い。だが、何人かに聞いたが、誰も寒いとは言わない。むしろ暖かいそうだ」
鮮花も寒そうにしている。良かった。俺だけじゃなかった。
こうも否定されると、俺がおかしいと思ってしまうが、仲間がいると安心する。
だが、鮮花は表情を曇らせる。
「う~ん、まさか」
「どうした?」
「私達って異世界人ですからね。もしかすると、私達だけ免疫が出来ていない病気になったかも」
それ、怖いんですけど。エリーザまで不安そうに見て来る。
まさか、ここに来て病死なんてオチは無いよな。
いや待て。別に熱は無いんだよ。きっと大丈夫だ。
「まあ、そうなったらそうなったで、どうしようもありません。
病への対策は、食事と休養です。しっかりと食べて免疫力をつけましょう」
確かに鮮花の言う通りだ。それに食欲はあるし、出された食事に手を付ける。
閲兵式があるから、休養は無理だが、去年と一昨年みたいに終わった後の飲み会は自重した方が良いかもしれない。
そして、食事を片付けると、王への挨拶へ向かう。
「タケルよ。新生ロムニア軍の実力、余に、そして国民へ見せる事を期待している」
陛下は、公の場では俺に敬称を付けることを止めにした。
これまでは勇者と言う別枠だったのが、元帥と言う身分へと変わったためだ。
むしろ、そう呼んでくれた方が俺としても助かる。
「お任せを。亡きアーヴァング元帥を含め、我らが作り上げた新しい軍。
存分にお見せいたしましょう」
相変わらず、上手くは喋れない。
それでも、俺達の気持ちは、ここにいる者に伝わったはずだ。
文官の協力が無ければ、決して出来はしなかった。
内政的にも楽ではない筈なのに、物資の不足に泣いたことは少ない。
少しでも安心できるよう、しっかりと見せつけてやろう。
いや、俺は模擬戦に参加しないんだけどね。
俺の直属150騎と、イグニスに指揮権を譲ったエリーザは、一緒に城門のところから見学だ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鮮花には対決する両軍の事は良く分からない。
だが、兵の動きで察するより、周囲の人の顔色で察することは出来る。
まず、ジュリア。ただ茫然としている。明らかにロムニア軍の動きに圧倒されていた。
そして、もう一人の客人を見る。
グロース王国から来たフォルケン将軍。
最初は査定でもするように見ていたが、今は驚愕の混ざった満足な笑みを浮かべている。
どうやら、グロースの騎士からも合格が出たようだ。
その事に安堵する。魔族と対等に渡り合えている唯一の国がグロースだった。
かの国が望んでいたのが、自国と同様に魔族に匹敵する戦力を持った国だ。
それが叶った事は大きな前進だと言える。
「見事だ」
思わず漏れたらしいフォルケンの言葉。
何がどうかは分からないが、動きがあったようだ。
西にある軍が押され始めた。
フォルケンの隣にいる男が、解説を求めている。
グロースの文官だ。
元々、公式の名目はその文官が、ロムニアから送られた情報への礼と対策に関しての返答に来て、フォルケンはその護衛を指揮する者だった。
フォルケンが単なる護衛では無く、ロムニア軍の実力を確認するよう、アルスフォルトに命じられているのは明らかだったが、それを拒絶する理由も無い。
彼はその任を果たし、大喜びでアルスフォルトに報告するだろう。
だが、鮮花としては、正式な返答の方が悩ましかった。
「グロース王国としては、情報を発表する方が望ましい。だが、正式に決定するのはディアヴィナ王国の判断に委ねる」である。
拒否する理由は無い。情報を引き出したのは、鮮花の功績とされている。
それに、例えば武尊が見つけ出した気の情報だったら、各国に感謝されて終わりだ。
しかし、今回の情報はそうではない。この情報を発表したディアヴィナ王国は恨まれるかもしれない。
今後の予想として、経済の停滞が起こりえる。それも北の方が深刻な被害を受けるだろう。
何故なら、南の両端は、グロースとロムニアだ。経済的には陸路よりも海路に頼っている部分が大きい上に軍事的に強国だった。
魔族にとっては、現状でも警戒すべき相手である。それならば、情報を求めて北へ向かう。移動中の商人の脳を狙って襲撃する。
必然的に北での魔族の襲撃が増えて、経済の動きは落ちる。
情報を出そうが出さなかろうが、結果は変わらないから、普通なら公開した方が恨まれずに済む。
理性的に考えれば、公開した相手に文句を言う筋合いはない。
だが、人間は理性だけで判断しない。その不満をぶつける相手を探す。
その相手にディアヴィナがなる可能性は十分にあった。
おまけに、この状態は長引くだろう。例えヘルヴィスを討ち、この戦争に勝利したとしてもだ。
この戦争、勝とうが負けようが、魔族を全て滅ぼさない限り、北方諸国はダメージを受ける。
そして、全ての魔族を根絶やしにすることなど不可能だ。
今まで平穏だったツケが回ってきたと言えばそれまでだが、北の騎士では魔族と渡り合えるかは不明だ。
ロヴィーサ王女の顔が曇る事を想うと憂鬱になる。
「アザカ、大丈夫か?」
「大丈夫よ。熱がある訳じゃ無いし」
ジュリアの声に我に返る。
耐えられない程では無いが、今朝からの寒気が続いているし、強くなっている。
ただ、やはりこの寒気からは逃げ出したい気がする。
「え?」
自分の考えに違和感を抱いた。
逃げたいとは、何から逃げるというのだ?
今までも風邪で頭痛や寒気に襲われた事はあるが、逃げ出したいなど思ったことも無い。
そもそも逃げられるものでは無いのだ。
では、何だ?
改めて自分の身体の状態を観察する。
寒気。肌を刺すような寒さ。
本当に寒いのか?
近付いてくる。寒さでは無いが肌を刺してくる感覚。それが近付いてくる。
「なにアレ?」
立ち上がりながらソレを見る。口からは呆然とした響きが漏れた。
周囲が自分の異常を見て騒ぎだすが、返答が出来ない。
黒い物が、凄まじい速さで近付いてきた。
「ティビスコス殿! フェイン陛下から望遠鏡を借りろ!」
「陛下、失礼します」
フォルケンに言われて、フェインの隣にいたティビスコスが望遠鏡を借りて覗き込んでいた。
望遠鏡を持つ手が震えている。
「バカな。何故奴が来る。何をしに」
「奴か?」
「ああ、数は100騎程。竜騎兵全軍では無いが」
その黒い物。まるで巨大な一頭の怪物は真っ直ぐに近づいてくる。
模擬戦をしているロムニア軍の中央を這うように、突き破るように近付いてくる。
知らずに足が下がっていた。逃げ出したいのは、アレからだ。
「陛下、お下がりを。ヘルヴィスです」
ティビスコスの言葉に、城壁の上の騒動が高まる。
だが、それと同時に自分たちの足元から赤い物が飛び出す。こちらも一頭の怪物のようだ。
そして、まるで引かれ合うように黒い怪物に向かっていく。
「バカな。逃げろ」
フォルケンが叫んだ。
フォルケンも赤い怪物が何か知っている。
今回の模擬戦に参加しない150騎の部隊。
想像もしなかった状況で、勇者の率いる赤備えと、魔王が率いる竜騎兵が衝突した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「装備を実戦用に変更しろ。矢も征矢を準備!」
来る。それが分かった。
何が、かは分からない。だが、危険な物が来る。それが分かった。
急いで全軍に実戦装備を着けさせる。
全員が動揺しつつも忠実に指示に従い、装備を整える。
「ウソだろ」
ゼムフェルクが呟く。
装備が終わった時には、全員が俺の指示の理由が分かったようだ。
模擬戦の中に、魔族の軍が紛れ込んだ。だが、ただの魔族では無い。
「行くぞ」
駆けだす。
距離が近付く。先頭の男。銀髪に黒い角。黒い鎧を着ている。
俺が槍を構えると、その男も腰から太刀を抜く。
その時になって、初めてその魔族が今まで攻撃をしていなかったことに気付いた。
だが、関係は無い。奴は明らかに俺を見ている。
近付く。
俺の距離になる。槍を振った。
俺の槍は、奴の剣に弾かれる。
この世界に来て、初めて全力で振った槍を弾かれた。
更に近付いた。
奴の距離になった。奴が太刀を振る。
奴の太刀は、俺の槍に弾かれる。
この世界に来て、感じたことの無い衝撃が手に響く。
すれ違った。
思わず笑った。奴も笑っていた。
もう一度、後ろに槍を振るう。
それも弾かれる。
すれ違いざまの一瞬の攻防に、身体が震えた。
待ちわびていた友に出会ったような気がする。
後続は攻撃出来ないように奴は、斜めに移動し距離を取る。弓騎兵は矢を番えており、何時でも放てるが、今撃っても効果は無い。
俺が左に曲がり、奴は右に曲がった。
同じ方向に進み、その距離が近付いてくる。
すでに互いの間合いに入ったが攻撃は無い。
同じ速度で、同じ方向に進んでいく。
ただ、奴の顔を見ていた。想像よりも人間染みた顔立ちだ。
奴も俺を見ている。興味深そうに、嬉しそうに。
「一応、確認するが、お前が勇者で良いんだな?」
「ああ。それで、お前が魔王で良いんだよな?」
「そうだ。ヘルヴィスと言う」
「タケルだ。ところで、招待した覚えは無いが何しに来た?」
「お前に会いに……」
ヘルヴィスの手に矢が挟まっていた。
後ろから撃たれた矢を、見もしないで指で掴んでいた。
「おい、会話中に、無粋なマネを……」
本気で怒った風でも無く、矢を放った犯人を見ると、ヘルヴィスは呆然として固まっていた。
「アリエラ、なのか? そうか、騎士になったんだな。おまけに、この部隊か」
呆然としたまま、隊員の顔を見ていたと思うと苦笑を漏らす。
「いや、随分と知った顔ぶればかりだな。
アリエラの横に居るにはヤニスだろ。それに旗を持っているのはダニエラだし、ルウルと、その両脇の奴らは知らないが、後ろにはイオネラかよ。それにナディアと…」
呆れた様に、隊員の名前を言っていく。
ちょっと待て。何故、ルウルを知っていて、その両隣にいるゼムフェルクとレジェーネを知らない?
ここにいる中で、ヘルヴィスと遭遇した経験があるのは、その二人だけだ。
それを知らないのに、会ったことも無いはずの連中を何で知っている?
「そうか。みんな騎士になったんだな。
おめでとうってのは変な話だが……」
「そんな……」
イオネラが呆然と呟く。俺だけではない。全員が気付いてしまった。
奴の情報は、誰かの脳を食って得たものだ。
そして、奴は戦場の話はしていない。騎士になる前の事を言っている。
この部隊は、ある人物の影響を受けた人間を優先して集められた部隊だ。
むしろ、ゼムフェルクとレジェーネは数少ない例外。
「まあ、懐かしい顔ぶれに驚いてはいるんだが、ゆっくりと話す時間は無いようだな」
奴が苦笑しながら呟いた原因。
後方から凄まじい怒気を撒き散らしながらエリーザが接近する。
そして、太刀を振り下ろしながら叫んだ。
「貴様、ゲオルゲを喰ったな!」
ヘルヴィスは、エリーザの剣を太刀で受け止める。
何処か困ったように、それでも懐かしそうに。そして嬉しそうに答えた。
「お元気そうで何より。姉上」




