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根之堅洲戦記  作者: 征止長
真実と偽りと
89/112

父として、友として


死ぬのか? 肩から胸にかけて付けられた傷から溢れる血を見ながら、グラールスは敗北と死を悟った。

横薙ぎの一閃が、アーヴァングの腹を斬ったと思った瞬間に、大きく斬られていた。

誘いだったのか、手ごたえはあったと思うから相打ちかもしれない。

だが、アーヴァングは追撃をするべく剣を振りかざす。それに対して、自分は動けない。


「グラールス様!」


間に入った部下が代わりに斬られていた。

その間に、抱えられるように騎竜から落ちるのを止められ、戦場を離脱しようとする部下に身を任せる形になった。

前も後ろも敵がいる以上は横に行くしか無かった。

しかし、それは悪手だ。停滞していた押し合いが崩れる。一気に潰さんと人間の軍勢が襲い掛かってっ来る。


唯一の光明が中央突破だった。

それをアーヴァングに防がれたのだ。

勝てると思っていた。自分の手で討つことだけ考えて、討たれるとは微塵も思っていなかった。

甘かった。それが今となっては痛いほど分かる。


見事な剣技だった。

良くぞ、あれほどの剣技を身に付けたものだと驚嘆に値する。

ソフィアが、強くなるアーヴァングを見て、どれだけ不安だったか、そして、どれだけ嬉しかったか知っている。

好きになってはいけない、守るべき男に恋をした女が、最後に守れてどれだけ嬉しかったか知っている。

あの男に斬られたのだ。それで満足しよう。この命は尽きる。それで良い。

だが、配下はそうではない。少しでも多くの兵をヘルヴィスの元へ戻す。


「無駄だ。お前等は、逃げろ。俺を、捨てろ」


何とか声を振り絞って、それだけを口に出せた。

どうか、少しでも多くの配下に戦場を離脱して欲しい。

そう思って指示を出した。


「大丈夫です。その傷なら治療は可能なはずです」


手当をしながら、騎竜を引いている部下が言うが、そうでは無いのだ。

確かに、治療すれば助かるかもしれない。

だが違う。言いたいが声が出ない。


逃げられないのだ。

奴は追って来る。いや、違う。逃げ道に待ち構えているはずだ。

ヘルヴィスならそうするはずだ。だから奴もそうする。

絶えず後方から圧力をかけ続けてきた。戦いの最中、心に圧し掛かって来ていた重圧の正体。


来た。退路を読んでいたかのように、赤い部隊が迫って来る。

先頭を駆ける男。ロムニアの勇者。

槍で雑草を刈り取るように、配下を蹴散らしながら進んでくる怪物。


「前に出る。グラールス様を頼む」


そう言って、供回りの配下が前へと出る。

身を盾にして逃がそうとしている。

止めろ。そう言いたいが、声が出ない。


どうすれば良い。奴の狙いは自分だ。自分を狙っている間に、出来るだけ配下を逃すのが最善だ。

だが、それは出来ない。声を出して指示をしても、拒絶する者もいるだろう。

ならば答えは一つ。生きるのだ。屈辱にまみれても構わない。

戻ってヘルヴィスに処断されるなら、それでも良い。


今は生を諦めない事だ。それだけが、この配下たちの想いに報いる唯一の方法だ。

生きて、この戦場を脱出する。

身体に力を入れる。入らない。だが、心に力を入れる。加護が蘇ってくる感覚。

例え、ロムニアの勇者の攻撃でも耐えてみせる。あの槍を見ていると無理だと冷静な自分が訴えて来るが、そんな弱気を抑え込む。


赤い獣が近付いてくる。

もう目の前、配下が討たれる。


「グラールス様、おさらばです」


今まで自分を支えてきた副官が前に出て、槍で吹き飛ばされる。

だが、槍の軌道が変わった。

勇者が邪魔だと、怒りと失意の叫びを上げるのが聞こえた。

そう、失意。勇者の槍の範囲を抜け出したのだ。


あの地獄の空間から、抜けることが出来た。

生きる。絶対に生きて帰る。

矢が飛んできた。アリエラだ。見事な弓の技だ。感心してしまうが、加護を貫くにはいたらない。

目の前に、赤い鎧を纏った若い騎士。

その男を払おうとした剣を弾かれた。態勢が崩れる。


これほど高い技量を持った騎士の存在に驚いた。それでも自分を討つことは叶わない。

その先に、少女が剣を構えているのが見えた。

何処かで見たことがある。知っている少女だ。


その少女の持つ剣が、何故かおぞましく感じた。

何かが違う。

何処が違うか分からないまま、少女の事を思い出した。


イオネラ


少女の事を思い出した。アリエラと戯れている思い出。

この娘も戦場に来ていたのだなと、妙に冷めた心でいた。

そして、少女の持つ、おぞましい剣が、真っ直ぐに首筋に打ち込まれた。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「追え! 奴を逃がすな!」


叫んだ。力の限り叫ぶ。グラールスを斬ったが、命には届いていない。手の感触がそう告げた。

アーヴァングは、グラールスを逃すまいと追撃を指示する。

腹の傷に治癒の魔術を施しながら、自身も前へと進む。


「元帥、怪我をされています。追撃は我らにお任せを」


先程まで腹部から大量の血が流れていた。配下がそう言うのも当然だろう。

腹部の傷は塞がった。

出血は無くなっている。


「問題ない。治った」


それだけ言って、追撃に専念する。

血は止まったが、灼けるような痛みが消えない。どうやら(はらわた)を斬られたらしい。

骨と違って、正確な場所が分からない内臓は治癒の魔術が効かない。

腹を切り裂いて、直接内臓を治療した後に、切った腹を癒せば治る時もあるが、戦場で可能なものではなかった。


ここが死に場所だ。

だが、ただでは死なない。グラールスの首を取る。

奴を逃すのは危険だった。


予想を大きく上回る突撃。

奴の蛮勇が、圧倒的に優位な状況にあったロムニア軍を、あわや壊滅と言う状況にまで持って行った。

今まで知らなかったグラールスの姿だった。

死地がグラールスの眠る力を引き出したのか、或いは最初から持っていたが、ようやくそれを引き出せるまでに人間が活躍したのか、それは分からないし、分かる必要も無い。


ただ、グラールスの力は、自分が思っていた以上の能力だった。

それを疎ましいと思う自分がいる。

それを嬉しいと思う自分がいる。

思えば、グラールスこそが自分の軍人としての人生の目標だった。


ソフィアに求婚した時のことを思い出す。

彼女は、アーヴァングが死なないように、代わりに死ぬ事を命じられ育ってきた。

そんな女に惚れて、死なないように願った。

故に、彼女を愛するには、彼女より強くなる必要があった。


俺の方が強い。もう、守られる必要も無いから妻になれ。


そう言いたくて強くなり、そう言って妻にした。

それなのに、彼女は使命を果たした。

グラールスとの戦闘で気を失ったアーヴァングを守って死んだ。


何が守られる必要は無いだ。

ソフィアの死。生き延びた無様な自分。

死にも勝る絶望が、アーヴァングの身体を縛り、同時に駆り立てた。


グラールスを憎んだ。

奴の首を取ると言い続けた。

だが、本当に憎かったのは自分自身だ。

許せないのはアーヴァング・テオフィルという弱い男だ。


憎悪を糧に、戦いに備えて腕を磨き続けた。

狂気めいた訓練を始めた。どのような苦難にも耐えられる。

この身を蝕む、妻を失った喪失感と怒りを糧にすれば、どのような過酷な鍛錬でも耐えられる。

だが、時と言うのは、悲しくなるほどに残酷だった。

絶対に癒えることが無いと思っていた喪失感に、慣れて来たのだ。


一日が終わり、その日はソフィアの事を思い出さなかったと気付く時もある。

自分を守って死んだ妻に申し訳が無いが、今では、あの時の絶望感さえ思い出せない。

目を閉じるだけで浮かんでいたソフィアの顔を思い出すのに苦労する事さえあった。


妻だけではない。妹も。友も。死んだ者の顔を、直ぐには思い出せなくなってくる。

思い出しても、何処か鮮明さが足りない。時間は無情にも、大切なものを奪うのだ。

それが生き続ける事なのだ。ならば生きると言う事が残酷なのだろう。


死にたかった。死んだ方がマシだ。ソフィアの後を追いたかった。

だが、子供たちを残して死ねはしない。

だからこそ、グラールスを追う。

奴こそが、許せない自分そのものだ。


妻を守れない自分を憎んだ。

妹や友を守れない自分を憎んだ。

愛する者を忘れていく自分を憎んだ。

グラールスへの憎悪が消えていく自分を憎んだ。


そうだ。憎むべきは自分自身だ。

グラールスへの復讐心が消えていくことに耐えられなかった。

復習するために磨き続けた剣は、何時しか自分自身を斬りたいという歪んだ願いへと変っていた。

そうしないと、剣の腕を磨く目標を見失いそうだったからだ。


強くなるには目標が必要なのだ。

生き残りたい。その程度では死んだ方がマシな鍛錬には耐えられない。

自分を殺す。歪んだ願いがアーヴァング・テオフィルを強くした。

あれが、アーヴァングだ。グラールスを見ながら、そう言い聞かせる。

もう直ぐだ。やっと、殺せる(死ねる)のだ。


グラールス配下の魔族が遮る。

邪魔だ。斬り伏せながら突き進む。

追いかける。


腹の灼け付くような痛みは、重さに変わってきた。

地の底に沈みそうな感覚が襲って来る。

沈まないように、(くら)から腰を上げ、(あぶみ)に立って剣を振る。

意識を手放さないよう、大切なものを心に浮かべる。


(アリエラ)の顔を思い浮かべる。

(ソフィア)と違い、直ぐに浮かんだ。

真っ直ぐな、尊敬する眼差しを向けてくる。

まだ死ねない。


息子(ファルモス)の顔を思い浮かべる。

(アーヴァング)を目標にして、鍛錬している姿が浮かんだ。

まだだ。その程度では父に届かない。

お前の父は、王国最強の剣士だ。


魔族を斬り伏せる。突き進む。

見えはしないだろう。だが、聞くだろう。

お前の、お前たちの父が、どれだけ勇敢だったかを。

本当は情けない男だが、子供の前では見栄を張らせて欲しい。


尊敬に応えるため。目標であるために。

この父の子供で良かったと誇れるように。

斬る。斬る。斬る。魔族を全て斬り伏せる。斬り伏せながら突き進む。


歓声が沸き起こった。

何があった?


「元帥、グラールスを討ち取ったとの事!」


「討ったのはイオネラです!」


グラールスが。

終わったのだ。

それだけを思った。自分の手でと思っていたのに、いざ終わると、惜しいとも思わない。

ただ、無様な死に方で無ければ良い。そう思った。


それよりも偉業を成したイオネラを褒めなくてはならない。

どう褒めるか。お前の娘には、どう言えば良い?

妹を思い浮かべようとするが、やはり直ぐに顔は浮かばない。


赤備えが近付いてきた。鞍に腰を下ろすと沈みそうな感覚が蘇ってくる。

深い闇に沈みそうだ。

沈んだら、二度と浮かんでは来れない。それが分かった。


グラールスを討ち取ったイオネラが誇らしげに手を振っている。

良い笑顔だ。目に焼き付けておこう。

アリエラは驚愕の表情で見ている。父の状態が分かったようだ。目が良いのも考え物だ。

最期は笑顔を見たかった。


何か言い残す言葉を考えるが、何も浮かばない。

元帥と、自分を呼ぶ声が聞こえる。

配下の声に悲痛な響きがある。それも遠くから聞こえている感じだ。


配下に、自分が死んだ後の指示を出そうと考えたが止めた。

下手に指示を出しても、生者の足を引っ張るだけだ。

これからの事は、生きている者が考えるべきである。

元帥の、上官の遺言など邪魔なだけだろう。


赤備えが近付いてくる。

先頭の男。勇者だ。勇者は配下では無い。かと言って、上官でもない。

なら、何なのだろう。


今までの付き合いから考える。

友だ。

友で良い。

友になら言える事もある。


「後は任せる」


アリエラの事、ファルモスの事、イオネラの事、軍の事、国の事。

任せよう。

もう、良いだろう。周囲が色あせる。良く見えない。

アリエラの顔も良く見えなくなった。


最期にソフィアの顔を思い出そうとする。

鮮明に、鮮やかに蘇った。目の前に居るようだった。

ようやくだ。この時を待ち望んでいた気がする。ようやく死ねる(会える)





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