炸裂、パンジャンドラム
準備は整った。9月も終わりに入り、朝晩は寒さを感じる。
散々に調べてきたロムニアの狙いは確信が無いままだが、これ以上時間をかければ、兵糧が寒さで死んでしまう危険があった。
10月になる前に、グラールスは全軍に号令をかけ、出陣を命じた。
行軍は順調に進み、ロムニアで大規模な工事が行われていた地点に到着する。
ロムニア軍も準備を整えて待ち構えている。
雲一つない秋空の下、視界は良好で、ロムニア軍の前方に異様な物体が並んでいるのが見えた。
「全軍停止。前へ出る」
グラールスは、進軍を停止してロムニア軍の陣容を確認するために僅かな供回りを連れて最前列まで向かう。
これまで得た情報から、ロムニアの目的を予想したが、まさか、という思いがあった。
「どうやら、思い違いでは無かったらしいな」
「あれを知っているのですか?」
展開するロムニア軍の前に陣取る巨大な物体を見て嘆息する。
グラールスは、それを知っていた。食った勇者の知識にあったのだ。
「パンジャンドラム。珍兵器の代表だ」
「珍兵器?」
「珍しい。それも悪い意味でだな。要は失敗作だ」
イギリスが開発した、いや、開発しようとして挫折した兵器。
火薬を満載した物体を転がして敵軍に突っ込ませれば、大打撃を与えることが出来る。
それも、火薬の燃焼を推進にするという案だが、実際は真っ直ぐに進まず、下手すれば自軍に突っ込んでくる可能性すらあったらしい。
「そのための溝か」
事前に行われていた大規模な工事。
パンジャンドラムから、こちらへと延びる溝が掘られている。
確かに、この溝に沿って進めば、方向が逸れずに進めるかもしれない。
「石でも何でもいい。あの溝に置けば終わりだ」
旗下の竜騎に騎乗した兵に、人の頭ほどの大きさの石を探させに行く。
行かせた後で、あんな下らん兵器で負ける恥を晒さずに済んだと安堵する。
あの中には油か火薬が入っているだろうが、自軍に突っ込まれた状態で引火したら、大打撃だし、銃は確実に使えなくなるところだった。
だが、知ってさえいれば問題ない。
むしろ、大掛かりな工事が、無駄になったとなれば、人間どもの士気も落ちるだろう。
石を探してきた兵が戻ってきた。前列に並ばせて進軍を命じる。
「前進開始」
ゆっくりと前へ進む。軍が溝のある場所まで進んだところで、パンジャンドラムが進み始めた。
全体の進軍を止め、石を持たせた兵だけを急いで前へ進ませ、溝に石を落とさせると、すぐに戻ってこさせる。
進んでいたパンジャンドラムは、いくつかは溝から外れて転倒したが、進んでいたものも、石を置いた場所で転倒するか、溝を外れてその場で回ったかと思うと倒れる。
やがて、その全てが発火し、激しい炎を上げだした。
部下の口から驚きの声が漏れる。グラールスも予想以上の火力に戸惑いを隠せなかった。
もし、自軍の中で発火し、あの炎に巻き込まれるかと思うと、背中に冷たい汗が流れる。
「だが、奴らの企みは失敗だ。あの炎が消えると同時に、進軍を再開する」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は、炎を上げるパンジャンドラムを見て、天を仰ぐ。
正直、何個かは敵軍まで到着する事を期待していたが、まさか全部倒れるとはな。
「ロムニアに召喚された勇者が隊長で良かったっス」
ヤニスの呟きが聞こえた。そちらを見ると、同じように天を仰いでいる。
いや、ヤニスだけでなく全員がそうしていた。
「そうですねぇ。アザカ様は楽しい人だし、好きなんだけど、これはちょっとねぇ」
イオネラが呆然とした口調で、呟いてるが、その響きは恐怖が滲んでいる。
その言葉に同意する言葉がチラホラと聞こえる。
「それにしても凄まじい炎の勢いだな。残骸が焼き尽くされそうだ」
ゼムフェルクが嫌悪を漏らしながら、パンジャンドラムを見て声を漏らす。
鮮花が用意したパンジャンドラムに入れた燃焼物。おそらく原油から採取したのだろう、木製のパンジャンドラムは、全てが灰になりそうな勢いで燃えている。
このままでは、パンジャンドラムだけでなく、辺り一帯を野焼きにしそうな勢いだ。
「でも、山火事の心配は無さそうです」
アリエラは何処か安堵したように声を出す。
基本、ネガティブな性格だ。この状況だと山火事を心配するらしい。
だが、アリエラの言った通り、その心配は無いようだ。
「降り始めたか」
顔を水滴が打つ。先程まで快晴だったのがウソのように、空は重そうな雨雲に覆われていた。
鮮花が立案した作戦。その計画を話した最初の作戦会議の時のことを思い出していた。
「銃の対策は雨が一番です。個人的には変な物は作りたくないと思っているので。
ただ、雨への対策を必要以上に取られたくは無いので、別の事で気を取らせたいと思います」
鮮花の考えは理解できた。彼女は必要以上にこの世界の文化や技術に干渉したくは無いと考えている。
例えば、銃が人類の歴史に与えた影響を考えれば、確かに抵抗はあるだろう。
何かを作る時も、その製法が周囲に伝わらないよう万全の準備をしてから始めるようだ。
だが、銃は既にある。それに対抗する以上、手を抜いて負けましたでは洒落にならない。
「それで、どうする気だ?」
「やり方は不明ですが、魔族は情報を集めています。今回はそれを逆手に取ろうと思います」
「いや、逆手に取ると言っても、奴らの情報を集める手段が分からなければ、ニセ情報を掴ませるのも至難だぞ」
「嫌でも目に付くことをする。何をやっているか気になる。
そんな行為です。ここは前例に倣ってパンジャンドラムを作ることを進言します」
兵糧を作るのかと思ったら兵器の名前だった。
ただ、兵器がメインではなく、兵器が使える準備。
パンジャンドラムが使えそうなレールとなる溝を掘る工事で注意を引きたいと考えている。
「溝を掘る工事ね。気を引くために、そこまでやる必要があるのか」
「今までの戦闘記録を調べました。私から見れば、ヘルヴィスは論外ですけど、武尊さん達も大概ですね。
将棋のように2手3手先を読む。それは分かりますが、明らかに読みが外れていても、どうして、そんな咄嗟に判断してしまえるのか理解に苦しみます。
私なんか読みが外れたら動揺しますし、しばらく硬直してしまいます」
どうしてって、思わず、アーヴァング達を目を合わせる。言葉では説明しにくい。
その場で感じた事で判断しているだけなんだが。
「私は軍人ではありません。戦場で判断できる人間ではないので、分かりませんが、貴方たちには、私に理解できない何かがあるのだと思います。本質を見抜く目と言って良いのかもしれない。
それが一番、嫌な能力なんです。いくら緻密に計算しても、それをひっくり返す。そんな相手が。
そして、グラールスも軍人だと思います。彼に全能力を発揮されると困る。私みたいな策士は、相手の足を引っ張り、その力を十全に発揮できない状態に追い込むことが本領ですから」
言っている事は謙遜している気がしないでも無いが、どうにも恐ろしさの方が勝る。
やる事は、意識を本命の作戦から逸らすことを目的とした囮の作戦。
ただ、囮とばれたら、それまでだ。やるからには成功する事を目的として作戦をたてる。
情報の入手手段が分からない現状で、やれることは限られているが、幸いにも先例があった。
「パンジャンドラムという兵器は、珍兵器の代表として嘲笑の対象になっていますが、当時の敵から見たら笑い事では無かったと思います。何しろ、あんな物でも成功すれば大打撃です」
安いコストで作成し、安全な場所から始動を始めれば、自動で転がり絶対の防御を誇っていたナチスドイツの地雷原とトーチカ群を破壊し尽くす。
確かにナチスからしたら、成功しない事を祈りながら、実験の結果を気にしただろう。
その結果、ナチスは米軍を意識していなかったノルマンディーに上陸させてしまうが、未来を見通す目を持たない限り、パンジャンドラムを無視する事は出来ない。
「囮を大々的に作るって事は理解した。それにグラールスの思考を誘導するって事も。
だが、そう都合よく雨が降ってくれるか?」
「雨は私が魔術を使用して降らせます。
雨は自然の現象。この世界の魔法は干渉です。その現象を起こすために干渉をすれば良い。
ちなみに降雨と言う現象のメカニズムは知っていますか?」
当然、横に首を振る。
説明を始めたが、大規模な魔術を使い地表の温度を変えたりするそうだ。
だが、俺には理解できない言葉のオンパレードで途中で遮った。
分かった事は、戦場のすぐそばで行う、大規模魔術の行使を邪魔されたくないので、それに気付かれないためにもパンジャンドラムと言う目立つ存在が必要になるとのこと。俺にとっては、それが分かっていればいい。
俺以外も、雨を降らせると平然と口にする女にドン引きである。
「まあ、パンジャンドラムが成功しようが失敗しようが、その場で燃えますから、これも干渉に良い影響を与えます。
欠点として、雨が降った後で戦い難いかもしれませんが、我慢してください」
そして、実際に三日後に快晴の中、雨を降らせたのだからハッタリでは無い事が証明された。
もう、誰も嫌とは言えない。天候を操る女に口答えをする根性の持ち主はいなかった。
アルツールなんか、これから雨期だから、訓練に最適だと、媚びてるのか現実逃避しているのか分らん反応をする始末だ。
俺達からすれば、結城鮮花の恐ろしさは、その病的なまでの臆病さにある気がする。話に聞いていたカザークの勇者とは正反対だ。
この世界の謎に対してもそうだったが、俺たち軍人の能力なんかにまで、理解できないものは理解できないと認める。
銃を無力化するために、雨を降らせる術を身に付けても、そこで満足しない。
臆病ゆえの性格から、相手を過大に評価し、対策されるのが当然と考えている。
油断と言うものが存在しない。どんな経験をしたかは知らないが、臆病さと同時に無理な物は無理と言う諦観も持っている。
俺が言うのもなんだが、どうやればこんな変な女になるんだか。
まあ結果的に、アーヴァング達は鮮花に苦手意識を持つことになったのだが、どうやら、それは俺の部隊の隊員たちにまで広まりそうだ。
豪雨の中、これを引き起こした鮮花に、恐怖心を抱いている者もいるみたいだ。
まあね。これって普通に神の御業って部類じゃね?
「でも、降り過ぎじゃないッスか?」
ヤニスが声を大きくして聞いてくる。そうしないと激しい雨音で声が聞こえないからだ。
「奴らの持っている銃を完全に使えなくするには、小雨じゃ駄目だからな。
それに長くは続かん……らしいぞ?」
「何で疑問形?」
いや、鮮花はそう言ってたが、予想より大雨だからな。
そう思っていると、実際に雨脚が弱まりだした。視界も効く様になったので、後方のアーヴァングに視線を送る。
向こうも俺を見て、行けの合図を出した。
「さてと、お前等」
左手を頭上に掲げる。
周囲から闘気が立ち上る。勝利への自信が、それを強くする。
逆に魔族の部隊には、雨が降るまでは漲っていた闘気が見えない。
動揺、混乱、そんな雰囲気が漂っている。
「突撃!」
左手を降ろし、魔族の軍勢へと駆ける。
雨は降り続けているが、すでに小雨と言って良い。
足場は万全では無いが、湿地での訓練もしてきたので、軍馬の動きに停滞は無い。
「ヤニス、指揮官や危険だと思った奴を撃て。アリエラはヤニスが狙った奴を仕留めろ。
アリエラが仕留めきれないようなら、ナディアを間に挟め」
「了解ッス!」
「はい!」
アリエラでも一矢で仕留めるには、急所を狙わなくてはならない。
だが、先にヤニスが射た後なら、気が散っているので仕留めきれるはずだ。
それに、ヤニスの方が狙うべき奴を察する能力があるので、丁度良い連携になる。
「銃剣を装着しているな。敵も槍を持っていると思え! 油断してると刺されるぞ!」
戸惑う魔族の軍勢に、一気に駆け寄り、槍を振り回しながら中央突破。
赤備えの後方からは、ブライノフとアルツールも続く。
2万の魔族軍は、カザークで対峙した時より、横に狭く縦に厚みがある。
そこを、俺の1000騎と、ブライノフ、アルツールが5000騎ずつ。普通なら無謀な突破で途中で力尽きるだろう。
「同情するよ。グラールス」
思わず呟かずにいられないほど、魔族は動揺している。
途中で何人か隊長と思える魔族を討ったが、どうしたら良いか分からないようだ。
完全にグラールスからの指示が届いていない。
無理も無いだろう。俺もグラールスの立場なら、そうなっていたはずだ。
少し前までは快晴だった。出発した時から対峙した瞬間まで、見事な秋晴れだった。
雨が降るなんて不安は持っていなかった。それより、パンジャンドラムと、こちらが地面に施した細工が気になっただろう。あげくに、あの激しすぎる炎だ。
余程の馬鹿でない限りは、大地に神経が集中する。悪辣な鮮花の作戦はグラールスの思考を誘導した。
「ヤニス、グラールスは見えたか?」
「いましたけど、何か撃たない方が良い気がして撃たなかったッス」
「呆然として無防備には見えましたが」
「いや、ヤニスが正解だ。良い判断だったぞ」
アリエラは呆然としているグラールスを撃ちたかったようだが、グラールスは他の魔族より気が厚いので、仕留めきれる可能性は低い。直接の攻撃で怒りを覚えるだけだ。
そうなれば、気合を入れ直す切っ掛けを与える可能性がある。
アリエラがしゅんとなって可哀想な気がするが、間違いは間違いだ。
前から思っていたが、アリエラには指揮官の才が無い。
咄嗟の判断や勘に優れた、鮮花の苦手とするタイプに程遠い。平時の後方勤務の方が向いているだろう。
「さて、グラールスには悪いが、立て直すヒマは与えない。それに……」
すでに俺達は当然ながら、ブライノフとアルツールも突破した後、陣形を整えている。
魔族軍の向こうでは、ティビスコスの歩兵20000が隊列を整えて整然と前進を開始している。更に後方には王都最強の精鋭部隊であるアーヴァングの5000騎。
グラールス軍2万の前方に、2万5千、後方に1万1千。挟撃の体勢は整った。
「今回は逃がさん。グラールスは当然、他の魔族も討ちに討ち果たす! 殲滅するぞ!」




