これから
「それが、教官が飼っていたというタヌキか」
屋敷に戻ったアーヴァングは、アリエラの側にいるタヌキを見て、興味深そうに呟く。
だが、近付こうとすると逃げられる。聞いていた通り、アリエラ以外には懐かないようだ。
昨夜は親子二人で話もあるだろうと、ロートルイは遠慮してアーヴァングの執務室に泊まったが、今日はテオフィル家の家人と一緒に、アーヴァングに同行して屋敷に帰還していた。
明日から、タケルやアリエラと同行する事になっているので、その準備もあるし、何よりアリエラの初陣を祝いたい気持ちがある。
その戦で、ソフィアの仇であるグラールスを討ち取るまで、あと一歩だったという。
アリエラ自身も、魔族三体を討ち取ったのだ。テオフィル家の家臣として誇らしくなる戦果だった。
このアリエラの功績は、色々な意味で大きかった。
まず、魔族に対して、弓での攻撃が間違いなく通用する事実が明らかになった。
矢が貫通した事実は、アリエラが中貴族という事もあるが、アリエラの魔力は、中貴族にしては大きいとは言えない。
基本的に身分が高いほど、つまり1000年前の勇者の血が濃いほど魔力が高い人間が多いが、アリエラの母ソフィアはロートルイの叔母で、下級貴族だから、血が薄まったと言える。
同居していたイオネラは、両親ともに中貴族と言うこともあり、アリエラより高い魔力を持っていた。
上級貴族に生まれながら魔力に恵まれなかった王太子妃アナスタシアの例もあるように、一概に血が濃ければ魔力が強いと言う訳では無いが、アリエラよりイオネラの方が魔力が高いのは間違いがない。
それでも、イオネラは一撃で魔族を斬ることは出来なかったという。
この差が、武器に気を込めるという違いだとすれば、矢を狙い撃つ際の集中と関係がありそうだと、アルツールを始めとした者たちは考察しているのを聞いた。
グロース王国には、魔族を一撃で斬れる騎士が現れ始めたそうだが、アリエラの功績はグロースの騎士にとっても興味深いだろう。互いの情報を合わせれば、より効果的な攻撃が出来るかもしれない。
ましてや、アリエラはロムニア王国元帥の娘だ。騎士として国の顔になる素質を持っている。
祝いの言葉を述べ、食事を共にしながら、初陣の感想を聞く。
やはりと言うべきか、自分が成した結果には実感がないようで、それよりもバルトークの最期が鮮明に焼き付いたようだ。
初めて経験する身近な人物の目の前の死。それも、アリエラを庇っての死だという。
下手をすれば、今後の行動の枷になりかねない出来事は、アリエラに悪い方に作用しなかったようで、そこは安心できた。
いや、それはバルトークと言う偉大な老騎士に対する侮辱だろう。アーヴァングとソフィアが師と仰ぐ人物が、周囲に悪影響を残すような死に方をするとは思えない。
「その、昨日も願い事をして図々しいとは思うのですが」
ひとしきり談笑をした後、アリエラが言い難そうに切り出す。
アリエラは、幼い頃から従順で、我が儘の類が無い娘だった。
初陣を果たした事で性格が変わったとも見えないが、何を言いたいのだろうか興味がある。
「構わない。言ってみなさい」
「は、はい。その私の婚礼は父上に任せると言っていましたが、今はお待ち頂きたいと」
アーヴァングに促され、続けた言葉に、部屋の空気が張り詰めた。
もし、婚礼の話が進んでいるなら断ってほしい。今は戦に集中したい。アリエラは、そう言ってはいるが明らかにウソだと分かる。
ウソを吐き慣れないせいか、アリエラの方が動揺しているが、アーヴァングの手が震えているのが見える。
アリエラに好きな相手が出来た。
この部屋にいる誰もが察しただろう。
だが、アリエラも既に14歳だ。今まで気になる相手がいなかった事の方が不自然だった。
幸い、婚約の話など出てはいないので、問題はない。
むしろ、アーヴァングは口には出さないが、かなりの親バカだ。
婚礼の話を持ち掛けるどころか、申し込みを全力で断る人物だ。このままでは、アリエラは一生嫁に行くことは無いだろう。ちなみに、イオネラも被害者候補である。
ロートルイが素早く周囲に視線を走らせ、部屋にいる同僚の騎士や召使いに目で合図する。
その瞬間、全員がアリエラの味方をすると誓い合った。
恵まれたことに、テオフィル家にはファルモスという優れた後継者がいる。
だから、アリエラには良い相手を見つけて、嫁に行くのが幸せな道だと考えられていた。
だが、現状でアーヴァングは阻止に回るだろう。
実に迷惑この上ない父親だ。頭首として、武人としても尊敬できる人物ではあるが、父親にはしたくない。
後の問題はアリエラが好意を抱く相手の素性だ。
碌でもない相手なら、アーヴァングが手を下すまでも無い。ロートルイが丁寧に話をして離れて貰うだけだ。
「立派なお覚悟ですアリエラ様。それに今のところ婚姻の話などは無いので、ご安心ください。
良かったじゃないですか、御屋形様。これで、アリエラ様に婚礼の話が来ても断りやすくなります」
このまま、アーヴァングが相手を聞こうとしたら、話がややこしくなる。
ここでは、この話を終わらせるべく、話題を断ち切る方に会話を進める。こう言えば、アーヴァングはバツが悪くて黙り込むだろう。
「べ、別に、今までも話を断ったりは……」
ちなみにウソである。今まで話が無かったわけでゃないが、進めるどころか、話になる前に切り捨てていただけだ。
だが、これでアーヴァングを黙らせることは出来たし、残りの問題は、アリエラの相手を聞き出すだけだ。
幸い、アリエラはウソが下手だから簡単に聞き出せるだろう。
予想通りの反応で、アーヴァングが黙り込んだため、同僚の騎士がロートルイとアリエラは、明日は早いからと、話を終わらせる方に進めていく。
アリエラは安堵したようだが、アーヴァングはロートルイに聞き出せと視線で訴えて来る。
元よりそのつもりだ。食後に明日の事で話があると伝え、ここでの会話を終わらせる事に成功した。
食事の後、遠征の準備を終わらせると、アリエラと話をするべく、別室で会うよう使用人に手配を頼む。
アリエラの遠征の準備は終わっていたようで、直ぐに合うことが出来た。
「それで、話と言うのは何でしょうか?」
「ええ。お聞きしたいことがありまして。アリエラ様が好きになった相手の事です」
アリエラ相手に高度な駆け引きは必要ない。
むしろ、唐突に切り出して動揺させた方が、本当の事を探りやすいと踏んでの発言だったが、アリエラの反応は予想外だった。
しきりに首を傾げ悩んでいる。
図星を付かれた反応では無いが、否定するでもない。本気で悩んでいるようだった。
どうやら、自分の心が分かっていない。そんな感じだ。先ずは相談を聞く形で情報を引き出すべきだ。
「その、タケル様と約束をしたのですが」
悩みの相手はタケルであった。その事は意外でもあり、同時に納得も出来る。
齢が離れているとは言え、離れすぎている訳でもない。
まして、騎士の娘だ。貴族の娘なら、強いオスを伴侶に求める傾向があるし、本人が騎士なら尚更だ。その意味ではタケルほどの相手はいないだろう。
だが、問題は単なる恋愛感情では無いらしいという事だ。
ずっと、一緒にいると約束した。
血の繋がりが無い相手だ。それは婚約と言っても良いかもしれない。
そうなった経緯は、二人の秘密だと言って、詳しくは説明してはくれなかったが、軽い約束には思えない。
タケルの本意も不明だが、アリエラも自分の想いが分かっていない。
少なくとも、アリエラは、他所へ嫁ぐ事に拒否反応を起こしているので、タケルに対して懸想していると思える。
そう考えると、少女特有の夢見がちな軽い恋心に思えるが、どうもそうでは無いようだ。
むしろ、家族や恋人、夫婦よりも強い繋がりを感じる。
これが、アリエラだけの想いなのか、タケルも同様の想いをアリエラに抱いているか不明だが、仮にタケルも同様なら手に余る。少なくとも引き裂くことは出来ないだろう。
これは、もう少し情報を集めるべきだろう。
そうなると、しばらくは行動を共にする任務の存在はありがたいと思った。
それは、同時に、この任務に就く切っ掛けをくれた女性を思い出させ、自分の胸が高鳴っている事を感じていた。
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「派手にやられたな」
帰還したグラールスに送られたバーゼルの言葉は、淡々と事実を述べたに過ぎない。
そこに、侮蔑や逆に慰めがあれば、グラールスも怒りを露わにするところだが、事実を否定することは出来なかった。
「敗因は何だと思う?」
「勝ちに慣れ過ぎた。油断、等と言うものではない。何と言えば良いか分からないが、相手が噛みついてくることを忘れていた。そんな感じだった」
「確かに全体で見れば、此度の遠征は圧勝であった。
捕獲した人間は、質、量、共に数年分の戦利品であるしな。貴様が止められなくなったのも無理はない」
「よせ。暴走した兵を止める事が出来ないなど、兵を率いる者として恥じるべきだ。
慰めなど、辱めに他ならん」
「それで、私には自分が出来もしない事を、やれという恥さらしになれと?」
「そう言う訳では……いや、そう言うことになるのか」
「そうだ。貴様の率いる軍の状況は報告を受けていた。私ではどうにも出来ん。
まさか、ヘルヴィス様に兵を止めに行って下さい、とも言えんだろう」
「勘弁してくれ」
その状況を想像して、グラールスは頭が痛くなった。
それを言ったバーゼルが、その場で殴られるか、兵を止めに来たヘルヴィスにグラールスが殴られるか。
「今回の損害は仕方がない。1000近い犠牲は痛いが、功績で帳消しだ。
それより、回復にはどれほどかかる?」
「火薬以外の消耗は無い。その火薬も半年も必要ない」
「では、カザークの支配領域を増やすが上策か」
「いや、ロムニアだ。奴らを野放しにするのは危険だ。間違っても死兵などでは無い」
明らかに、こちらが銃を装備している事を想定していた。
何が起きているかは不明だが、アルスフォルトが率いるグロース軍と同格の注意が必要な気がする。
それらを説明しながら、脳裏に浮かんだのは、赤い獣。一瞬、ヘルヴィスの姿を思い浮かべた。
だが、それを言うのは抵抗があった。
ヘルヴィスと見間違った等と言いたくもない。
それに、武人の矜持としてヘルヴィスに頼りたくは無かった。
「それほど危険ならヘルヴィス様に御出陣を願った方が良くは無いか?」
「それは……」
そうした方が良い。頭では分かっている。
だが、ずっとロムニアと戦ってきたのは自分だ。
あの国は自分が落としたい。ロムニア軍の頂点にいるのはあの男なのだ。
「武人の矜持か。ヘルヴィス様の言われた通りだな」
「ヘルヴィス様が?」
「ああ、貴様が自分の手でロムニアを落としたがっていると言っておられた。そうするが良いともな」
それは意外な言葉だった。強い相手と知れば横取りされる。
そう思っていたので、言うに言えなかった。
「ヘルヴィス様は、今?」
「西に張り付いている。グロースの圧力が増していてな。
貴様の遠征中にも攻めてきた。城を一つ奪われている」
ヘルヴィスがいない隙をついて、城を一つ奪還されたようだ。
その周囲の郷は、こちらから手放すことになったという。
そのため、万が一のため、最終防衛線となる城を改修中である。
例によって、捕らえている勇者が知恵を出して、銃を使用した防御に適した城になるという。
「悪いが出かける。再編の準備は配下に任せるから安心しろ」
「分かった。たまには戻るように伝えておいてくれ」
自分の行動が読まれている不快さはあるが、同じくらい分かってくれる相手の存在はありがたかった。
バーゼルに別れを告げると、騎竜に乗り駆け始めた。供回りが10騎、何時ものように付いてくる。
ようやく目的地にたどり着いた時は半月近く経過していた。
「相変わらず分かりやすいな」
訓練で対峙する軍勢から、少し離れた岩山にいる。その存在が分かる。誰よりも分かる。
遠目でも、その密度が違う。威風がある。
迷わず、そちらに向かった。
「ヘルヴィス様」
後ろから声をかける。
振り返った姿に、思わず見とれてしまう。
我が王にして神。素直に平伏したくなるが、それをやると面倒そうな顔をされるので、我慢して近付く。
「よう、派手にやったと思えば、最後は派手にやられてきたらしいな」
「はい。調子に乗って惨敗ですよ。笑えません」
「いや、笑うところだろ。ザルティムが面白い事を言っていたぞ」
「ほう、何と?」
「奴が食った勇者の知識にあった、何かの大将の言葉だそうだが、『戦いは五分の勝利をもって上となし、七分を中となし、十分をもって下となる。五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕りを生ず』だそうだ。
どうだ。良い言葉だろう?」
「ああ、何となく知っている気がします。勇者共の世界では有名だった者の発言ですね?」
「そうらしいな。凄く納得できる格言だ。考えてみれば、今までは戦では無かった。狩りの障害を払っていただけだ。
軍を率いているつもりだったが、少し違ったな。俺も甘かったよ」
「別にヘルヴィス様が失敗したわけではありません」
「いや、成功とか失敗とか、そんな事はどうでも良い。俺達は戦争をしている。
それを、もっと考えるべきだった。アルスフォルトは、確かに傑出している。だが奴だけが考えている訳では無い。他の国、他の奴、人間は俺達を倒そうと必死なんだ」
今まで見たことが無いような真面目な表情。
これまで、戦争を遊戯のように考えていたヘルヴィスにも変化が起きているようだ。
「ヘルヴィス様とて、楽しんでばかりはいられない、と言う訳ですか」
意外に思いつつ、そう言ったところ、不思議そうな顔で、こちらを見ている。
しかも、何処か憐れみを感じるのは気のせいでは無さそうだ。
「バカ言うな。真剣にやるから楽しいんだろうが」
ヘルヴィスらしい納得の返しが来た。
要するに、今までは子供が遊ぶという感覚だったのが、大人の趣味に進化したのだ。
余暇と資金を全力で注ぎこむ、いわゆるオタクというやつに近い。
項目は戦争。今までは二千円程度の銃で撃ち合う戦争ゴッコだったのが、数万円の装備を整えるサバゲに進化したと考えれば良いかもしれない。真剣な遊びだ。
「グラールス、お前も楽しめ。真剣にだ」
「良いのですか?」
「構わん。それとも嫌なのか?」
「俺はロムニアを攻撃するべきと判断しました。
カザークなど放置しても構わない。が、ロムニアは違う。全力で立ち向かわなくてはならない。そう考えます」
「じゃあ、そうしろ」
「ロムニアは死兵と化したわけではありませんでした。
それよりも危険な怪物が産まれたようです」
「面白そうじゃないか。倒せば楽しいだろう。お前はそう思わないのか?」
脳裏に蘇る赤い怪物。不届きにもヘルヴィスの姿を思い起こさせた。
アレを討つ。ロムニアの頂点に立つ、あの男と共に討つ。
「必ず勝てると約束は出来ません。ですが、是非とも、俺にロムニアの殲滅を任せて頂きたい」
「任せる。存分にやれ。それに必ず勝てる約束など不要だ。そんな出来もしない事を言っても約束と言う言葉が軽くなるだけだ」
「お任せください。正直、安心しました。俺の獲物を横取りされると考えていたので」
「フン、興味が無いと言えばウソになる。だが、お前に討たれたら、それまでの相手と思うさ。
それに正直に言うと、お前が負けることを少しは期待している」
「何の。ヘルヴィス様の楽しみは残しませんが、お許しを」
悪戯な笑みを浮かべる主に平伏したい。
それに全力で耐えながら、好戦的な笑みで応えた。
それこそが、主が望む臣下の姿だからだ。そして、敵を討ち帰る。この主の臣下として恥じぬように。




