心残り
後方でひときわ巨大な爆発が起こった。赤備えが補給部隊の攻撃に成功したのだ。
ティビスコスは、これ以上の戦闘は避けるべきと判断した。
「頃合いだな。弓兵を私の後ろまで後退させろ」
弓兵が走って後退するのを見ながら、前方の戦闘を見守り続ける。
騎士は残ったままだが、火矢を放って以降は損害は無いようだ。
「ゆっくりと後退させろ」
騎士も後退を開始するが、魔族からの追撃は無い。
期待していた状況に、笑みが浮かぶのを抑えるのに必死だった。
「あの御仁の予想通りになったな」
「はい。明らかに弱くなっています」
グロースの王太子アルスフォルトが、ロートルイに伝言を命じた事柄は、魔族が銃を持ったことで弱体化するとの予測だった。
アルスフォルトの読みを称えるべきか、それとも、改めてヘルヴィスの恐ろしさを警戒すべきか。
判断に迷うが、今はこの状況が続く方が望ましい。今回はアーヴァングもブライノフもいない。
今の状況で、あの二人が率いる軍があれば、どれほどの損害を与えられるだろうか。
ティビスコスが率いる歩兵は、攻勢に移って魔族を減らすのは難しい編成だった。
「数を減らせない以上は、頭が消えてくれると助かるがな」
タケルはどう動くか。大人しく撤退をするか、それとも、魔族の軍勢を切り裂いて、こちらに向かって来るか。
その場の判断で動くと言っていたが、今の状況で大人しくする男とは思えない。
そして、予想通り、魔族の軍の後方が崩れていくのが見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
総毛立つような赤い騎馬隊。先頭に立つ男が、配下の兵を草を刈り取るように吹き飛ばしていく。
あれでは、まるで……
「違う」
思い浮かんだ言葉を振り払う。
あって良いはずが無い。あの方と同じ存在など存在する訳が無いのだ。
腰に差した銃を抜き、その銃口を先頭の男に向ける。
コイツを全員が使えたら、あんな油の攻撃で使えなくなることも無いのに。
そう思いながら、引き金に魔力を流す。少しの時間をおいて轟音が鳴る。
先頭の男に当たった……はずだった。
「加護の力?」
銃弾を弾いた。それこそ有り得ない事だ。ただ外れただけだ。
撃った弾が見えないのが欠点だ。何処に外れたかが分からない。
新しく開発された銃は短く。横に並んだ銃身は狙いが付けにくいから命中率が悪くても仕方がない。
横にずらして、再度引き金を引きながら魔術を流す。
ずらした先には、弓を持った少女。何処かで見たことがあるだけでは無い。何故か懐かしいと思った。
火薬に着火した瞬間、少女を押しのけながら年老いた騎士が前に出る。
「バルトーク様!」
少女の叫びが聞こえた。
その瞬間、思い出した。少女の事も。老人の事も。懐かしいはずだ。
彼女にとって、何よりも大切な少女と、恩師だ。
彼女の恩師の胸から血が溢れる。
だが、その時には先頭の男が目の前に来ていた。
憤怒の形相。やはり重なってしまう。
認めたくなくても、有り得ないと思っても、その男はあまりにも似ていた。
振り回される槍から、銃を持った右手で頭部を庇う。
とても加護の力を信じて受け止めることなど出来ない。
直ぐに傷みが来た。同時に騎竜から転げ落ちそうになる。
「グラールス様!」
頭が白くなるような激痛に苦しむ。
気付くと配下に抱えられながら、赤い獣から逃げている。
先頭の男だけでは無い。あれが牙なら、続くのは赤い獣の爪だ。それらから逃げた。
「グラールス様、腕の手当てを」
右腕を見ると、有り得ない方向に曲がっている。
まるで、加護など無いと言わんばかりの痕跡。
治癒が使える側近の手当てを受けながら、気持ちを落ち着けて戦場を見渡す。
真っ二つに切り裂かれた自軍は、呆然としている。
そして、切り裂いた赤い獣は、先程まで戦っていた盾を持った歩兵部隊の前に並んでいた。
「無様なものだな」
右腕の治療が終わったので動かしてみるが、痛みまでは消えない。
数十年ぶりの傷み。魔王の出現により、守られ続けた身体は痛みに対する耐性を下げていたらしい。
今更ながらに、持っていた銃を無くしている事に気付く。
「撤退だ」
火薬も無くし、戦意を喪失している。
継戦は無理だろう。
だが、相手も赤い部隊以外は防御を優先した部隊だ。
撤退は難しくない。
軍を下げるが、予想通り追撃の気配は無い。
距離を取りながら、あの赤い部隊を見る。
そこに懐かしい顔がいた。
「あの女の代わりに言っておくか。
娘を守ってくれて、ありがとうございます。教官」
言って後悔した。
何の慰めにもならない。自分にとっても、彼女にとっても。
ただ、言葉が虚しく流れただけだだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
命が流れ落ちる。
バルトークは、胸から溢れる血を見ながらそう感じた。死が近付いているのだ。
病になり、屋敷で死ぬのを待ちながら、死とは何かを考え続けた。
それは同時に、生きるとは何かを考え続ける事だった。
先に逝った戦友たちの顔を思い浮かべた。
アイツ等は、どう生きて、どう死んだのだ。何を思ったのか。いくら考えても答えは出ない。
ただ、このまま屋敷でひっそりと息を引き取るのが嫌になった事は確かだ。
何かを残したい。何かを成してから死にたい。そう願うようになった。
幸いにも、新しく入った連中に面白そうな者がいた。
ゼムフェルクという小僧は、何処か殻に閉じこもっているから、それを破った。
スムルダンとオジェーヌの娘のイオネラは、技量は高いが、敵を討つ気概が低い。そこを指摘して高めた。
他にも、若い騎士たちを鍛え上げ続けた。
死ぬ前に、残せるだけのものは残せたはずだ。
だが、それでも満たされない。
じきに死ぬ。それが分かったが、騒ごうとするアリエラを制し、痛みに耐えた。
我ながら、良く反応できたものだと思う。
アーヴァングとソフィアの娘を守れた。思い出深い教え子同士の娘だ。
その娘を導けた。そして、守れた。それで満足すべきでは無いか。
訓練所で見てきた教え子の中で、並ぶ者のいない才能の持ち主だったのがソフィアだ。
そのソフィアに思いを寄せ、必死に強くなろうとするアーヴァングを鍛えるのが楽しくて仕方が無かった。
思えば、多くの教え子を見てきた。
従順な者や反抗的な者。才能がある者や無い者。今も健在な者に逝ってしまった者。
そんな中で、飛び抜けて異質な存在を、最後に面倒見ることになった。
その男がグラールスを討たんと槍を振り回す。
「戯けが」
グラールスを狙った攻撃は、仕留めるに足りず、腕を砕いたものの避けられてしまう。
いや、振りが雑過ぎた。怒り任せの攻撃は、技に昇華されていない。グラールスの身体を砕くはずが吹き飛ばしてしまった。
グラールスは部下に支えられながら、戦場を離脱しようとしている。
落ち着いて自らの状態を確認すると、自分もアリエラに支えられている。
何をしているのだ。少女の手を振り払う。
「矢を放て。それが貴様の使命だ」
「ですが」
「逃げる気か?」
生物の命を奪うのに抵抗が強い少女だ。
魔族への攻撃にも抵抗を覚えるだろう。
もう大丈夫なはずだが、無意識に逃げている可能性がある。それに、こう言えば、自分の心配より戦う事を優先するはずだ。
最後の戦いなのだ。
小娘に支えながら死にたくはない。
アリエラは沈痛な表情を浮かべて矢を放つ。
首に当たった。そこから血を出している。信じられない事だが、一矢で気を通り抜けている。
だが、勢いが弱くなっている。魔族の厚い皮膚を貫くには至らない。
続けて放った矢は目に刺さった。狙ったとしたら見事なものだが、目は意外と頑丈だ。
特に、矢のような攻撃には、眼球の適度な弾力が勢いを殺し、眼球の裏にある骨が攻撃を殺してしまう。
失明するので有効な攻撃ではあるが、命を刈り取るのは難しい。
「口の中」
そう叫んだ。叫ぶほどの音量は出ていないだろうが、聞こえたと信じたい。
続けて放った矢は、口の中に刺さっていた。口から矢を生やして倒れる。間違いなく絶命している。
見事なものだ。そう言ってやりたかったが、声が出ない。
口からかすれた息が漏れるだけだ。命が漏れているのだと思った。
ただ、駆けた。剣を振ることも出来ない。
何のためにいるのだと笑ってしまう。
無理をして付いてきながら、最後がこの様だ。
先頭を行くタケルを見る。
この男をどうにかしなければと思った。
危険な男だ。この先、何をやらかすか知れたものでは無いと思った。
獣を繋ぐ鎖は見つかった。
アリエラだ。彼女の存在は、タケルに自分を見つめさせる。
その正反対ありながら、引かれあう性質は、タケルを繋ぎ止める鎖になる。
彼女がいれば安心できると思った。
「まったく、とんだ勘違いだ」
だが、違ったのだ。
タケルに必要なものは鎖では無かった。
鎖は必要では無かった。あった方が良い。その程度のものだ。
「騙されたぞ。この臆病者の偽悪者が」
偽善者ならぬ偽悪者。
最初に見られた破壊衝動を抑えている印象は薄れていた。
何のことは無い。この世界で己の力を振るえる事を想像して、興奮していただけだ。
それが表に出ていただけなのだろう。
力の振るい先を見つけた今では、かなり落ち着いている。
元の世界との差異。
偽善者だらけの元の世界では、力が振るえないと、いじけて、拗ねていた。力を振るえる場所を願っていた。
それでいて自分は悪だと捻くれる偽悪者。何とも子供では無いか。
銃が自分に通じない事にさえ気付いていなかった。
魔族と同様な防御が出来る。その事を、すっかり忘れ去っていた阿呆だ。
いや、目を逸らしていたのだろう。本当は自分が他者と違う事が怖いのだ。
そのくせに、自分は他人と違うのだと、今回も自分で火を点けようとした。
この男は、人を殺しても傷つかない異常者だが、態々やる必要は何処にもない。
自分が人殺しの業を背負う事で、油を撒いた連中の気を休めようと考えたのだろう。
悪党ぶりながらも、身内にはひたすらに甘い。
しかし、何かが足りない。確かに、そんな危うさがある。
だが、この男に必要なものが分からない。何が足りないかが分からない。
一生をかけても見つからない困難なものなのか、それとも容易く手に入るありふれたものなのか。
最後までバルトークには、それが何か分からなかった。
それを見つけなければ、タケルは不幸になる気がする。
だが、それを見つけて与えたとしても、やはり心残りはある気がする。
死を考え続けることで分かった。死が何かなど分かるはずもないのだと。
当然だ。それが人と言うものだろう。
全てが満たされることなどありはしないのだ。
何処まで行っても苦しみは付いて回る。
だが、それで良い。
悔いる事の無い大往生など求める気は無い。
「ジジィ」
タケルの声が聞こえた。
気付くと、何時の間にか魔族の軍勢を突き抜けていた。
それどころか、魔族の軍勢が下がっている気がする。
そう、気がするだ。遠くが良く見えないから確信はない。
それどころか、近くも見え難い。声が聞こえるが、何と言っているか分からない。
何とか、整列した軍勢の中にいると判断できるだけだ。
半身が勝手に動いてくれたか、いや、アリエラが手綱を握っている。どうやら誘導してくれたらしい。
そのアリエラは顔を伏せている。泣いているのか? 泣く必要など何処にも無いのに。
誘導してくれた礼も言いたかったが、もう声が出なかった。
何時の間にか傷みも無くなっていた。既に零れる命は尽きている。
うっすらと、タケルの姿が見える。
怒っているのか? 泣いているのか? それすらも分からない。
何も言い残すことは出来ない。言い残す必要などない。
ただ、笑って死のう。
笑った。笑えただろうか?
タケルの反応は分からない。タケル以外の反応も。
もう、何も見えなくなった。




