突きつけられた歪み
集められていた軍馬は、どれも見事なものだった。
だが、自分の半身が分からない。どれも正しいような、どれも違うような。そんな感じだった。
悩んでいると、アリエラと言う少女に、順番に話しかけろと言われた。
何でも良い。好きな食べ物でも、やりたい事でも良い。それに声を出す必要も無い。首に手を置いて、心の中で語り掛けるだけで、軍馬は聞いてくれると。
一番近くに居た軍馬に、言われた通り首に手を置いて語り掛ける。何が良いか? やはり、自分の弱さだろう。あの時の無力感。愚痴とも弱音ともつかない話をした。
何の反応も無かった。次の軍馬に同じようにした。
何頭目だったか、反応があった。一緒に戦おう。そう言われた気がした。
俺で良いのか? お前が良い。間違い無くそう言った。
涙が出ていた。苦悩を分かり合える半身。共に歩もう。
その日の内に合格通知が来た。
ゼムフェルクは新たな軍馬を得て、赤備えに入ることが出来た。
しかも、勇者直属の150騎の中に入ったのだ。それは勇者の直営と呼べるだろう。
「……そう思ってたんだよね」
同じように選ばれたレジェーネが、同じような考えをしていた事を周囲に話すと笑いの渦が巻き起こった。
主に笑っているのはヤニスやルウルと言った古くからいる面子で、一週間もこの部隊にいると、彼等の反応の理由が良く分かる。
「でも、親しみやすいでしょ?」
「まあね。目の前に立たれて、緊張するよりは良いかな」
勇者は、近くで接してみると神々しさなど微塵もなく、その強さも冗談の類と思えてきて、笑うか呆れるしかないとういう有り様だ。
それに、自分達が救出された時の良く聞こえなかった会話も実にバカらしい内容だった。
ただ、妹の姿を見て本気で怒ってくれたことに関しては、凄く嬉しかった。
「それにしても、美味しいよね」
一週間の野営訓練の最後に、弓騎兵の訓練を兼ねた狩りで獲ったイノシシやシカを調理して、全員で食べているが、中でもエリーザが作っている腸詰めが絶品だった。
「それで、気になってたんだけど、あの子は何かあったの?」
あの子とはアリエラの事だ。訓練後にリヴルスと一緒に、離れていたようだが、どうやら落ち込んでいる。
同じように隊長の直属になったが、信じられない程の弓の腕前だ。訓練中に何度も驚かされた。
今の半身を得る時に世話になったし、出来ることがあれば何かしてやりたい。
「え~と、まあ、凄すぎて気付かなかったんだよね……まわりにいる私達も、それに本人も」
「残念だが、俺達に出来ることは無いな。隊長に任せるさ」
ルウルが口を濁し、ヤニスが悔しそうに言う。
そのヤニスが任せると言った隊長はリヴルスと何か話をしていた。
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「申し訳ありません。全く気付きませんでした」
辛そうな顔で口にするリヴルスだが、これは仕方がない。
むしろ、半分分かっていながら、確認をコイツに任せて悪い気がするくらいだ。
「良いさ。お前の所為では無い」
「ですが、途中でアリエラを合格と判断したのは俺です。
最後まで試験を続ければ分かった事でした」
「アリエラだけを見ればそうだろうが、それでも全体を見れば間違った判断では無い。
実際にお前の判断があったから、今の選出があった。お前が後悔する事は、今の顔ぶれに対して、選ばれた事は間違いの可能性があると思っている事になりかねない。
まあ、これは大袈裟かな。だが、お前は自分の判断を後悔しないようにしろ」
アリエラ一人と他の合格者全員。どちらを優先するかは言うまでもない。
今のリヴルスに必要なのは、アリエラをフォローする事では無く、全体を見る事だろう。
「まあ、今は親睦会だ。ヴィクトルは自分の隊だけでなく、声をかけまわっている。
アリエラは俺に任せて、お前もアレをやってくれ。エリーザは料理で手が放せんが、アレも一つの武器だ。アイツの場合は黙っていると近付きにくいが、そうじゃない事を分からせれば良い人間だからな」
エリーザの場合は料理をさせたり、バカをやらせる方が周囲の親しみを得られるキャラだ。
黙ってると周囲は声をかけにくいし、声をかけられると逆に緊張させるタイプだが、料理とかやって、お嬢様の仮面を剥がせば、素のエリーザが見えてくる。
おまけに人を覚えるのは得意なものだから、頑張って話しながら人を覚える必要も無い。
ただ、素の姿を見せるだけで、何か慕われる反則キャラだ。勇者と言う最高の看板を持つ俺と同じレベルである。その点はヴィクトルが羨ましがるくらいだ。
リヴルスも当然、エリーザのマネは出来ないから、ヴィクトルを真似るしかない。
「一緒に戦う者を出来るだけ覚えろ。今のお前に一番手に入れて欲しい能力だ。
アリエラの事を聞かれたら正直に言って良い。隊長に任せたから、矯正させるかクビになるかは隊長次第だとな」
「クビにするのですか?」
「反対か?」
「はい。アリエラの能力は惜しすぎます」
「そうか。まあ、お前の意見は頭に入れておくよ。
だが、今は切り替えろ。アリエラの事に関して意見を聞くのは良いが、お前の意見を押すなよ」
「了解です」
リヴルスが離れるとアリエラの元へ行く。一緒にイオネラがいた。
イオネラはアリエラが心配なのだろうが、出来れば多くの人と顔を繋いで……は、心配ないか。
直ぐに打ち解けられる性格だから、後で挽回できるし、今は頼らせてもらおう。
「何も食べていないのか?」
顔色が悪いアリエラに聞くと、辛そうな表情を向けてくる。
いや、そんな顔を見せられたら俺も辛いぞ。本当にな。
だが、ここは出来るだけ普段の調子で行くしかない。
「イオネラ、適当に食べる物を持ってきてくれ。俺達の分。汁物も欲しい」
俺の意図を察したイオネラは、返事をして焼いている肉を取りに行った。
「食欲が無いか?」
「はい」
蚊の鳴くような声。まあ、そうだろうな。
沈黙が続く中、イオネラが木皿に肉を入れて持ってきた。
エレナが手伝いでスープを持ってきたが、何と言えば良いのか分からず、困った表情で俺とアリエラを見比べている。
エレナを視線で追い払うと、俺とイオネラは肉を食い始める。
「美味しいですね」
イオネラが明るい声を出すが、アリエラはチビチビと食べ始める。
肉を胃が受け付けないのだろう。スープは何とか飲めるようだ。
「早い夕食だから、しっかりと食えよ。訓練所で寝るのは今日までだからな」
明後日にはメトジティア城に向けて出発する。
アリエラたち見習いは、今日はこのまま訓練所に帰って寝るだけ。明日の午前中に正式な騎士への叙勲を受けると、帰宅して一晩だけ家族の元で過ごすことになっている。
その後は年末までの2か月半を火矢を使っての戦闘訓練だ。
「私は、訓練所から出ても良いのでしょうか?」
「訓練所に居続けても意味はない」
「そうですね。邪魔なだけですね」
強く言いすぎたか。余計に落ち込んでしまった。
だが、事実だ。これ以上アリエラが訓練所にいても何の意味も無い。
「これから自分が“どうしたいか”それがあるなら言うと良い。後二日、考えてみると良いさ。
無ければ任せて貰う」
言うだけ言った軽い言葉だ。今のアリエラに何かを思いつくことなど出来ないと分かって言っている。
いや、今の俺は、それこそ罪から逃れようとしてる偽善者か。
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「意外なところから連絡があったが、体調に変化があったのか?」
「いや、相談したいことがあっただけだ。相変わらずだよ。これ土産」
アーヴァングの屋敷に行き、昼間に作った腸詰めと、ジジィのところから持ってい来た酒を見せる。
話があるから、屋敷に戻り時間が出来たら連絡を欲しいと伝言を頼んだのだが、その連絡先がジジィの屋敷だ。アーヴァングにとっては、意外だったのだろう。
「相談か。私への話と言うのと関係があるのか?」
「まあな。先ずは飲もうぜ。ジジィがくれた。アイツはもう飲めないからな」
話しにくい事だから、珍しく気をきかせてくれた。
アーヴァングも難しい話だと察したのだろう。何も聞かずに酒を傾け、腸詰めを齧る。
「美味いな」
「赤備えの自慢だ。エリーザの手際が随分と良くなってな。
何人かが手伝ったが、新規参入の弓騎兵が大量に狩ったやつを調理してくれた。日持ちもするから、みんな隊舎に持ち帰った」
「この味を知れば、隊舎に押し寄せる奴らが出そうだがな」
「問題ない。隊舎と言っても、元から居た連中だけではない。
新規参入組も今いる隊舎に持ち帰っている。お別れ会みたいな事をするらしい」
「どれだけ狩ったんだ」
アーヴァングは呆れながら呟く。
まあ、ざっと700騎は弓騎兵が出来るからな。イノシシを一矢で仕留めるのは難しいが数の暴力が発揮された。
他にシカやウサギなども狩っている。
「ちなみにアリエラの成績だが」
「ふむ。一匹くらいは狩れたか?」
「一匹も狩っていない。いや、狩れなかった」
今まで娘の優秀さを耳にしてきたはずだ。一匹くらいというのも謙遜的な意味合いで使ったのだろう。
俺の回答に少し動揺が見える。
「私の耳に入ってきた情報は大袈裟だったのかな?」
「全然。噂以上だと思うよ。馬術も弓の腕も神技と言って良い。
命中率は百発百中で、弓騎兵用に改造した弓でなく、大弓を使って弓返りも出来るから、飛距離もある。
おまけに、これは誰にも言っていないが、矢に気を込めている。無意識の技かな?
中貴族が込める気だ。質が高い。多分だが、アリエラの矢は魔族を貫ける。今まで無かったことだ」
「信じられんな。で、理由は? 動く相手は無理とか?」
「疾駆する弓騎兵が持った手持ちの的に当てるんだ。それも、当たると確信してな」
「では……」
「動く物は大丈夫だ。物ならな」
俺の言葉に少し驚いたようだが、直ぐに納得したように溜息を吐きながら頷いた。
今までもダニエラを始め、何人かその兆候があった。
生き物を殺す際に見せる一瞬の躊躇。それが、アリエラの場合は一瞬ではなかった。
リヴルスに確認させたが、動物をさばくのも抵抗が強く、内臓が出た際は顔色が一瞬にして悪くなったようだ。その後は腸詰めを食べることが出来なくなっていた。
「殺したくても殺せない」
俺が元の世界で抱えていた歪んだ情念。
言葉にしたら全く同じなのが笑えてしまうが、意味は真逆だ。
「俺は、元の世界では異端者だったよ。
前の世界では人殺しはもちろん、動物を殺す事も悪とされていた。
狩は野蛮な趣味だと思う奴も多かった。俺の両親や兄弟もな。
俺と俺を育ててくれた祖父は、アイツ等を善人だと言い、俺達は悪党だとうそぶいていた」
俺は悪党だ。それで良いと思っていた。
そして、俺達を否定する奴らを善人だと皮肉っていた。
だが、今は違う。この世界は俺を肯定してくれた。俺の歪んだ衝動を受け入れている。
「なあ、アリエラは悪党か? この世界の異端者か?」
リヴルスはアリエラの能力を惜しいと言った。
アイツに悪気は無い。だが、アリエラに殺させることが正しいと考えているのは事実だ。
それが、この世界での正しさだ。
「教官は? 教官は何と言った」
動揺しているのか、ジジィの事を昔のように呼んでいる。
「分かり切った事を相談しに来るな。そう言われたよ」
「そうか。そうだな」
アリエラの選択肢は二つ。
殺せないから騎士を辞めるか。
騎士であるために殺すか。
「アリエラに新しい道を用意出来るか?」
一番良いのは、アリエラに別の道を歩ませることだ。
だが、俺の知る限りアリエラは、それを望まないだろう。
「無理だな。おまけに、あの性格だ。下手をすれば自害しかねん」
「じゃあ、答えは一つだ。殺せるようにする」
「出来るか?」
「幸いなことに、これから訓練を行う場所は、メトジティア城だからな」
城と言っても都市を内包した広大な縄張りは、軍港だけでなく漁港も備えている。
街の人々は、漁港で水揚げされた魚を食っている訳だが、魚と言うのは鮮度を保つには、絞めて直ぐに内臓を取った方が良い。
「魚は意外と血が出る。虫を踏み潰すのと違って、生き物を殺した実感もある。
それでも、他の生き物、今回は出来なかったイノシシや鳥より抵抗が薄いから大丈夫だろう。最初は小さい魚から手を付けさせる。
一緒に食ったろ。ヴィクトルの土産。あれをやらせようと思う」
ヴィクトルの土産はアジの開きみたいなやつだった。
あれくらいの魚ならいけるだろう。まあ、やることは干物づくりのバイトだな。
それに慣れたら、大きい魚に手を付ける。
「大きい魚に挑戦させていって、最終的には入鹿魚もさばかせる。他に海獣の類だな」
アシカかアザラシかは分からんがいる。岩で日光浴をしているのを見た。
一応、肉を食うそうだし、海軍が使っている革鎧は、その皮を加工しているらしい。
それを弓で射て、加工できるようになれば、立派なハンターになっているだろう。
「アリエラに出来るかな?」
「それで無理なら諦める」
だが、出来るようになるだろう。
人間と言うのは慣れるものだ。頼もしいほどに。そして、悲しいほどに。
アリエラが殺せるようになる。
それは、この世界の常識で照らし合わせれば、臆病な性格が矯正されたとされるだろう。
だが、俺に根付いた元の世界での常識が、俺を責め立てる。
自分は悪党で良いと思っていた。
それも、結局のところは、自覚があったのだ。俺の存在は間違っていると。
言葉にすれば同じ苦しみだが、内容は真逆。
どちらが、正しいか?
正義の価値観は変わる。生物の本能。生きるための行為。
それは、どれも言い訳でしかない。俺は自分を正当化していただけだ。
善人の上から目線の正しさには反発できたが、アリエラが苦しんでいる姿を見ると反発は出来なかった。
初めて見た時、天使のようだと思った少女は、俺にとっては悪魔のように残酷な存在だった。
いや、やはり俺のような悪党にとっては、紛れもなく天使なのだろう。




