護国の鬼
「それで、タケル殿は相変わらず、元帥のところにいると?」
「はい。自分では魔族を見張ると言っていますが、単に戻り難いだけですな。あれは」
「気にせずとも良いのに。むしろ宮中の者も会いたがっているがな」
笑いだすダランベール宰相に、苦笑で答える。
実際に王宮では、今年最後になる今日も、廷臣が忙しく走り回っており、召使の者も巻き込まれている状況だから、タケルが帰ってきても十分な対応は出来ると言い難い。
「忙しいと言っても、文句を言いつつ笑っておる。そこが今までとは違う」
「それを言ったところ、宮殿がブラック社員の巣窟になったと頭を抱えてましたよ」
聞きなれぬ単語に、首を傾げるダランベールに、自分もそうだったと前置きして説明する。
部下に過酷な仕事を押し付けるのがブラック企業と言われていて、タケルの世界で問題視されている。
だが、仕事が楽しくて仕方がない人間は、それで平気だという。
趣味ならば、時間を気にしないで続けられるように、仕事が生き甲斐の人間は、いくら働いても平気なブラック社員と化すようだ。何しろ仕事で、大きな精神的な負荷を感じない。
問題は、そのブラック社員に巻き込まれる、そうでない社員だ。
彼等は普通に精神的な負荷を受けるので体調を崩し、最悪死に至る。
殆どのブラック企業の実態など、創始者を始め、ブラック社員の集団が運営しているので、自分たちの価値基準で働かせるから問題になるそうだ。
「実際に、どうでしょう? 今回の件、宰相閣下にとっては楽しい仕事になるでしょうが、そうでない廷臣もおられるのでは?」
「ふむ。確かに道理よな。途中で倒れられては問題があるか。注視しておこう。
それで、タケル殿が戻らぬ言い訳に使われている、残った魔族はどうだ?」
「かなり衰弱しています。実験の負荷以上に空腹でしょう。ですが奴らにエサを与える訳にもいきません」
「他の魔物の肉は、どうなった?」
「まだ手に入っていません。現在、狩りの技能に優れた者で動いていますが」
「騎士が近づけば逃げるか……残念だが仕方がないな。グロースへの借りを少しでも返したかったが」
魔族が人間以外を食するか試したかった。それが出来れば生かしたままグロース王国へ運べる可能性がある。
グロース王国には、武具の開発や戦術の効果の教授で、全ての国家が借りがあると認識していた。
魔族を生かしたまま運べば、借りを返せる上に、あの国での実験結果が反映されるかもしれない。
「先の解体の件では、随分と感謝されたが、現状ではアルスフォルト殿下こそが対魔族戦の中心よ。
あの国には、出来るだけの情報を送りたい」
「最悪の場合も考えねばなりませんからね。悔しながら、今の我々ではヘルヴィスの攻撃に耐えられません。今は少しでも恩を売らねば」
現状、最も恐れられているのが、魔王ヘルヴィスを刺激したのではないかという疑念だった。
そして、その場合の対策は、王命にて決定された。
「うむ、タケル殿だけでもという陛下の心意気は良いが、我々まで、それに乗る訳にもいかん。
アナスタシア様と御二方も一緒に逃がす」
王命は、万が一の時はタケルをグロース王国へ脱出させること。あの男をグロース王国は拒絶しないだろう。
タケルがアルスフォルトの元で戦えば、自分より上手く使う気がする。
そのタケルと一緒ならば、王家の人間も大事にされるだろう。残されたロムニア王家の血統である二人の姫殿下を保護させる。
二人の姫殿下と後見になるアナスタシアがいれば、何とかなる。
「まあ、そうならない事を祈りましょう。我々とて死にたくはない」
「そうだな。それと、タケル殿の隊の増員は?」
「現状では、今の人数の質を上げたいとの希望です。
来年は一年間、現在いる100騎を磨き上げ核とし、翌年には数を増やします」
来年は隊員の練度向上と、タケルの指揮能力の向上を目指す。
副長のヴィクトルは、ヘルヴィスに対抗するには1000騎が理想としているようだ。
それ以下ではヘルヴィスの竜騎兵に対抗できず、それ以上だとヘルヴィスの動きに付いていけない。
「その翌年に向けて候補者は、独自に訓練をさせようとは思います。そして、年の暮れに選抜試験を行います。騎士になる事が決まった見習いも含めて」
来年を乗り切り、冬になれば大規模な選抜試験を行おうと考えていた。
現在いる隊員を中核に、予定では残り900騎を選び出す。
「そして、年明けと共に、魔族の頑丈さの秘密を公表します。すでに指揮官格の者には、トウルグが見つけた気の感触を、素手で叩かせて教えています。
それを見習いに至るまで公表します。そこから対魔族戦の戦術の見直しと、年末に選抜試験を行う事を伝えます」
これまで、見習いには絶望しないよう、あえて魔族の強さを教えては来なかった。だが、その強さの秘密が分かった今なら、隠さずに対策を教える方が良い。
そう思える根拠が、自分を含めた、魔族の気を触った者の感想だ。
これがあると分かっていれば、今までと心構えが全く違う。無理な大振りは避けて、確実に削るつもりで戦えば、例え一騎打ちでも、そう易々とは負けないと多くの騎士が発言した。
実験場は狂気と言うより、狂喜の場と化していた。
「なるほど、やはり候補者は、ライヒシュタインの神童の影響を受けた者か?」
「はい。ゲオルゲの残した者が、我が国を守る。私はそう信じています」
「見習いも含めてという事だが、良いのか?」
「当然でしょう」
ダランベールが何を言いたいかは察している。本音を吐露すれば拒絶したい。
翌年には流石に選ばれるだろう。娘と姪。妻に、妹に、託された、アーヴァングにとっての宝だ。
だが、最もゲオルゲの影響を受けているのは、あの二人なのだ。
アーヴァングを含めた多くの者が、ゲオルゲの影響を痛感していた。
タケルの隊を構成する隊員たちの独特の空気は、あの少年が残したものだった。
タケルの戦術に適応し、何よりタケルを前にして臆さない。そうでなくては、その下で戦えない。
そして、皮肉にもタケルの登場は娘を変えた。
戦いに向かない筈だったアリエラは、弓騎兵と言う兵種の登場により、教官のヨランダに、新たな怪物が産まれたと称される存在になった。
「来年を乗り切れば、反撃を開始します」
そう静かに宣言した。
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訓練が好きな子供と言われているが、本当に好きだと思っていた訳ではない。
ただ、強くなりたかった。死なない力が欲しいと思い続けた。
弟を死なせたくない。そんな姉の苦しみを払ってやりたかった。自分は死なないと安心させたかった。
それが産まれて間もない頃に刻まれた自分の記憶だった。
何故、そんな事を憶えているかは知らない。ただ、姉が自分を救いたいと願っている事を知っていた。
勘違いだろうと思おうとしても、まだ幼い泣いている姉の顔を知っていた。
そして、ライヒシュタイン家の男子は率先して死ねと言う家訓と、その家訓を嫌う姉。同じ歳の従妹。勘違いかもしれないが、自分がそう思ったのだ。なら、それで良いではないか。
姉が自分と従妹を取り替えようとしたのは、死なせたくないからだと。
兄のアハロンも同じ考えだった。その兄は取り替えようとされた少女に恋をしていた。
自分はどうだ? イオネラにそんな感情は抱かなかった。
惹かれた少女は、馬が好きで、戦いに向いてない少女だった。
同時に、王国最強の剣士と言われる人物の娘。
自分も恋という感情を理解しきれなかったが、彼女の方は、そんな感情は抱いていないようだった。
それでも構わない。ただ、戦いに向いてないので、彼女が騎士になる前に魔族を滅ぼしたいと願った。
だが、そんな願いは直ぐに夢物語だったと思い知らされた。
想像を超える魔族の強さに打ちのめされた。
だが、このままでは大好きな少女が騎士になる。アリエラが戦場で死ぬかもしれないと思うと、震えが止まらなくなる。
だから耐える。苦しくとも、戦い続ける。
それでも、そんな決意を吹き飛ばす存在が表れた。
父と兄の仇。そして、祖父や叔父の仇でもあり、姉がライヒシュタインの家訓を憎んだ元凶。
逃げ出したくなるが耐えた。アレを野放しにすれば、この戦場にいる姉が死ぬ。いずれはアリエラとイオネラをも殺す。
奴が王太子の元へ向かっていた。側に元帥もいる。
追った。王太子も元帥もどうでも良い。本気で守りたいと思わない。
だから、追いつつも機を窺う。隙を見つけろ。
奴の剣が、元帥の首を刎ねた。続けて王太子の首を狙う。今だ。
渾身の一撃は確かに、奴の首に当たった。だが、剣が弾かれる。次の瞬間、右腕が無くなっていた。
逃げる王太子に興味は失せていた。
期待外れの凡俗の逃げようとする先には、東部戦線を受け持つグラールスが待ち構えている。凡俗は配下が討つだろう。
それよりも、この小僧だ。久しぶりの傷みに身体が震えた。久しく忘れていた感触を思い出させたのは、年端もいかない小僧だった。
右腕を斬り落としたが目が死んでいない。歓喜が身を包んだ。
右腕と一緒に太刀を無くした。だが、左腕はある。何より命がある。ならば戦える。
左手で短刀を抜く。済まない、直ぐに追うから死んでくれるか。
半身に語り掛ける。お前と出会った時、アリエラが一緒だったな。お前の事を良い軍馬だと褒めてくれた。
アリエラを守りたい。その意思に快く承諾する我が半身。奴の目の前で飛び上がり、身体で押しつぶすように動く。
軍馬が飛び掛かってきた。背に乗っていた小僧が見えなくなった。
一瞬、驚いたが、残念ながら分かる。
軍馬の影から飛び出してきた小僧を、馬と一緒に切り伏せる。
駄目だった。今度は当たりもしない。その上、攻撃を避けるのに盾にした左腕も失った。
無様に地面に倒れる。動け。まだ死ぬわけにはいかない。
殺す気で振った剣は、小僧の左腕を斬り落としただけで、その命に届かなかった。
この戦場に来て良かった。お前と会えた。それだけで、ここに来た甲斐がある。
凡俗は無様だったが、お前は違う。素晴らしい小僧だ。
両腕を無くし、虫のように這いずっているが、お前は諦めていない。
ああ、そこへ行きたいのか。隣で無様だと笑う奴がいた。気付いた時には剣を振ってソイツの首を斬り落としていた。アレを侮辱する事は許さない。アレは俺のものだ。アレは俺になる。
嘲笑が聞こえたが、直ぐに止んだ。どうでも良い。それより武器だ。
斬り落とされた右腕は太刀を掴んだままだった。
這いずり、その先にあった右腕から太刀を咥え取り、膝立ちで構える。
その目は死んでいない。その視線は隙を伺っている。
どうするか。隙を見せてやれば飛び掛かってくるだろう。その姿を見たい。
だが、それこそ侮辱だろう。一切の手加減はしない。騎竜を降り、小僧の元へ向かう。
隙を見つけろ。渾身の一撃を叩き込め。攻撃が通じないなど思うな。迷わずに行け。
奴が剣を構える。その一撃が首筋に向かってくる。奴の隙は何処だ……
斬り落とした小僧の首を抱いた。力を込めて骨を砕き、脳を口に入れる。これまでにない強い想いが心を支配する。知識だけでは無い。心まで一体となるような、今までに経験したことがない感覚。
優しかった姉。面白かった従妹。愛しい少女。守りたかった人々。
悲しい事だが、彼女らを殺す。それが魔王となった自分が成す事だ。
我が名はヘルヴィス。同時にゲオルゲ・ライヒシュタインでもある。
愛しい者たちを殺し尽くそう。
「ヘルヴィス様」
バーゼルの声に現実に戻る。
昔の事を思い出していた。ゲオルゲだった頃の記憶か、それともゲオルゲを食った記憶か。
今までにない一つとなった感覚は、自分がどちらなのか時々分からなくなる。
「バーゼルか、どうした?」
「申し訳ありません。ロムニア方面で、郷が襲撃された上、守備していた部隊が全滅したようです」
「ロムニア?」
そこを故郷だと思ってしまう、不思議な響きがある。
そこで、部隊が全滅したというのは信じ難い。
あそこにはアルスフォルトのような強敵はいない。アーヴァングでは、剣が強いだけでは、魔族には勝てないはずだ。
「妙だな。まさか大軍を見逃したか?」
郷の守備隊が全滅となれば、それなりの大軍が必要になる。
そんな大軍を見逃したとは、普通なら思えない。
「グラールスとも話しましたが、襲撃された郷に行くには、大軍だとヴァラディヌス城を通る必要があります。よって、少数の部隊と思われます」
「となると……死兵と化したか」
自分で言って違和感を感じた。違うと何かが訴えかける。
死兵とは、逃げ道を失い、後がなくなった国の騎士に発生する。
己の命を厭わぬ特攻は、こちらの犠牲が大きくなるので戦うのを避けたい相手だ。
だが、何かが違う。
「私も、死兵と化したと思います。ロムニアは、まだ領地的に余裕はありますが、地理的に見れば、後がなく追い詰められています。
更に王太子の死で、王族の生き残りも僅かとなりました」
それでも違う。死兵では無い。もっと危険なものが発生したのだ。
だが、今なら育っていない。今なら余裕を持って勝てる。
「それで、どうすると言うのだ?」
「死兵は強力ですが、その状態が長く続くことはありません。時が経てば命が惜しくなるもの。
よって、暫くはロムニアへの侵攻を控えるべきと思います。その間はカザークへ兵力を集中させます」
却下だ。今すぐにでも出陣するべきだが、この気温では兵糧が死ぬ。
だから、気温が上がり次第、自ら軍を率いてロムニアへ出撃する方向で準備をさせよう。
「分かった。ロムニアへの侵攻は止めておけ」
「了解しました。その様に進めま……ヘルヴィス様?」
思っていた事と違う言葉が出た。
そんな事は初めてだし、命令を変更すべきだと本能が訴える。
今の反応にバーゼルも首を傾げているし、ちゃんとした指示を出そうと思ったが、同時に面白くもなってきた。
「いや、何でもない。下がって良いぞ」
「承知しました」
危険だと分かっている。間違いなく何かが起きている。
だが、それでも構わない。あの小僧が一矢報いたと思えば、喝采を叫びたくなる。
「何が生まれてる? それは俺に届くのか、お前の期待に応えられるのか?」
嬉しくなって、己自身でもあるゲオルゲ・ライヒシュタインに問いかけた。
書きだめに投稿が完全に追い付いてしまいました。
何とか区切りの良いところまでは毎日投稿できたのですが、今後は不定期な投稿になります。
一応、週一回は投稿できるよう頑張ります。




