弓騎兵
ヤニスの意外な才能にビックリだ。
あいつ、俺が教えた弓道の射方をあっさりとマスターしたかと思えば、自然に弓返りも出来ている。
蒙古式は地中海式に比べて、手の甲が上を向くため、より後ろまで引くことが出来る。更に弓返りをすることで、他の者より飛距離が伸びている。
蒙古式と矢を手のひら側に添えるのは、騎射の際にやりやすいと、その方向で進んでいるし、ヤニスに触発されて、他の面子も弓返りにチャレンジしているが、そう上手くはいかないようだ。
まあ、それは予想済みというか、上手くいったヤニスが計算外だっただけ。
俺としては、失敗する前提だったので、技術は道具で補おうと、弓の改造を持ち掛けていた。
「なるほど、この形なら、逸れる事がないですね」
「ふむ、弓返りという技が出来る方が、飛距離も伸びる、つまり威力も上がるが、正直難しいからな」
武器屋の兄ちゃんとアルツール将軍が、アーチェリーの弓を持ちながら感心したように呟く。
ちなみにアルツール将軍は、将軍の中で最も武器の発展に熱心で、グロース王国と独自に伝手を持ったり、研究に余念がない。そのため、俺の提案に飛びつき、気を打ち消す矢の研究と並行して、俺の相談に乗ってくれている。
ちなみに出来上がったのは、正確に言うとアーチェリーの弓では無い。ただ、アーチェリーの弓を模して、ハンドルとリムを別の部品にして作った弓だ。スタビライザーや照準の類は付いていない。
古来の弓と言うのは、一本の木に弦を張ったものだ。当然ながら木は糸より太い。
その後も材質に変化はあったが、形状は基本的な変化はない。
つまり、和弓に矢を番える時は、上から見ればTの字で、縦線の下に筈(矢の末端)をかけて、横線の右に矢の棒の部分がかかる。更に弦を引けば縦線は伸び、放すと縦線は短くなりながら矢が飛んでいく仕組みである。
当然ながら、そのまま射れば、右にスライスする。弓返りとは、スライスをしないように、射ると同時に弓を回すことでTの字の横線を避けてしまう技術だ。これは自然に回るそうで、意識して回すと“弓返り”でなく“弓返し”と呼ばれ邪道的に扱われる。結果が同じなら良いような気もするが、俺は弓道家では無いので詳細は分からない。
まあ、逆に言えば、弓返り、若しくは弓返しが出来ないなら、放った矢は、基本的に右に逸れてしまうと考えて良い。アーチェリーや弓道といった競技のように決まった射程であれば、逸れるのを計算して最初から狙いをずらせば良いが、戦争では、的は左右だけでなく距離も変わる。
弓騎兵の運用予定では5メートル程の超短距離から、数百メートルの射撃まで考えられている。
長距離では、そこまでの正確さは求めていないが、だからと言って手を抜く気は無い。
戦争での正義は、自分は傷つかずに相手を一方的に傷つける事だ。
戦において、討たれる覚悟をするのは素人だけ。少しでも慣れれば覚悟なんて消えて油断する。
だからこそ、完全な勝利を目指し続けることで、油断とは無縁の境地に至るのが正しいと思う。
これで良いと満足した瞬間から衰退は始まる。まして、これから始める弓騎兵で最初から妥協するなど有り得ない。
そこで、新しい弓として、アーチェリーの弓を模して、細めのハンドルと言われるグリップに、リムと呼ばれる弾力のある素材の細長い板を付ける。
リムをハンドルより、かなり太くして、片方に寄せて取り付けることで、リムの中心は、ハンドルの中心ではなく端になる。つまり、Tの字がLの字を反対から見た形になり、スライスを避けることが出来る。
この辺りが、アーチェリーが弓道より正確な狙撃を実現できる大きな要因だろう。
「まず、この10本の弓はお借りします。隊員に使い勝手を聞いてみます」
「分かった。ところで、こいつの生産性はどうだ?」
アルツール将軍は、流石に現役のトップに居る軍人。優秀な兵器の必須条件の生産性、つまり加工に必要な労力を含めたコストや納期が気になるようだ。
「それが、結論から言いますと、今まで使っていた奴より、格段に優れています。
まず、このハンドルという部品は、魔力さえ通れば頑丈に作れば良いだけですからね。多少、未熟な技術者でも問題なく出来ます。
それで、このリムという上下に付ける板。こっちも形は今までより単純な作りです。上下の長さを一緒にしたので、同じもので作れますから調整が楽です。
おまけに分割できるってことは、それぞれ違う作業者で当たれる。これは大きいですね」
「なるほどな、ちなみに片方のリム、もしくはハンドルのみ壊れた場合は?」
「予備さえあれば、直ぐに交換できます。ここに持ってこなくても現地で付け替えて、各自で調整すれば問題ありません」
「それは良いな。あとは、このリムの長さを今まで使っていた弓のように長さを変えることは可能か?」
「やってみない事には何とも言えませんが、違う長さで作ることは可能です。ただ、同じ効果が出るかは約束できません」
「そうか、では、そちらは時間がかかっても良いから、試してくれ。まあ言われんでもやるだろうがな」
「そりゃあ、やりますよ。良い道具を作るのは我々の趣味でもありますから」
職人っぽくは無いと思っていたが、案外と職人気質だった。
それに良かった場合は生産も上手くいくらしい。俺の世界での和弓と洋弓はどっちが生産性に優れているかは分からないが、この世界の技術者には合ってるようだ。
まあ、弓騎兵は、上下の長さを変えることは無い。何故なら左でも射れる様になってもらうつもりだからだ。
これまでの弓だったら、弓をそのまま右で持てば、左で矢を射れるが、新しい弓だと上下を逆にしないと、スライス問題が解決しない。
この左右で、どちらの方向にも射るのは、三国志の董卓が出来ることを記録に残されているくらいで、かなりハードルが高いと思っていたのだが、意外な事に、この世界の騎士は普通にやれるのだ。
何故なら、弓の訓練は弓の上達のためではなく、武神の力の制御の訓練で使用するので、左右バランスよくやらせるのが普通だった。
まあ、命中率に関しては、左右どっちも良くは無いと言うのが現状で、逆にヤニスのように弓達者な奴は左で射るのは苦手だったりする。
「では、使ってみてからの情報は、密にくれ。そちらに優先して回すが、歩兵用でも試したいんだ。
大きな問題が無ければ、必要分は量産するし、ダメなら、こちらで試していく」
「分かりました。俺が動けなくてもエリーザかクソジジィを行かせます」
「クソジジィって、バルトークは私達の師匠なんだがな」
「あんなサボり魔は尊敬する必要ありません」
あのジジィ、最近はマジでサボってばかりだ。
まあ、年寄りにはキツいスケジュールだったかもしれんが。
だが、サボりは許さん。ちょうど良い。別に訓練には参加しなくていいから、使いっパシリでもさせよう。
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「なんか、あっちの方が格好良いッス」
「いや、あれは弓返りが出来ないから。おまけに上下均一だし、今使ってる奴の方が性能は上だから。
お前は、その性能を十分に使いこなせる男なんだぞ」
俺が持ってきた新しい弓を、10人ずつで使い勝手のテストを始めた。ちなみにテストから除外されたヤニスは、新しい弓の見た目に心を惹かれている。
まあ、15歳の少年に、和弓とアーチェリーの弓を見せたら、十中八九は後者を選ぶだろう。
だが、弓返りが出来るヤニスにとっては、今まで使っていた奴の方が、威力も飛距離も上なのだ。
だが、可愛そうな気もするな。腕が良いからと、好きじゃない武器を持たされる少年の気持ち。テンションが下がりそうだ。
かと言って、見た目が良いからと性能が劣る弓を持たせるのもな……実際に、新しい弓の射程は2割減ってところか。
この世界の弓が、単に力で引く武器であれば、長さと性能は別問題なんだが、ここの弓は、魔力を通せば柔らかくなるため、長さによる弾力の影響が大きい。
……長さ?
「そう言えば、この弓って硬いんだよな。ヤニス、弓貸して」
ヤニスが持っていた弓を持って、弾力を調べ、軽く振り回してみる。
うん。普通の棒みたいだな。筈槍にすれば、面白いような。最初から振り回すと、曲がったりして射撃の性能に影響が出そうだが、いざと言う時のためと言って、先端に刃物付ければ喜びそうな気がする。
そう言えば、太刀だと緊急時に抜刀ってやりにくくないかな。
「お前、左手に弓持ったまま、片手で剣を抜けるか?」
「え? 無理っすよ。片手だとこんな感じ」
太刀は2本の紐でベルトに吊るしているので、鯉口を切らないと、かなり抜きにくい。
おまけに、武器は長い方が有利とされているが、長すぎると抜刀がしにくいので、左手で鞘を反対に引いて抜ける長さが基本となる。そのため、片手だと強引に抜刀したところで、剣先が鞘から抜けきらないようだ。まあ、太刀を前後に揺らしている内に、鞘が下がって抜けたが、戦場でそんな悠長なマネは出来ない。
うん。全員分の片手剣も頼んでみよう。太刀は西洋で言うバスタードソード(片手両手兼用)に分類されるが、弓騎兵は片手でしか使えないから、片手剣の方が良いだろう。
同時に和弓も筈槍付けて、特別仕様っぽくしてやろうか。今のところヤニスは確定として、他にいるかな。
「もう少し、このハンドルって部分を細くしてくれると使いやすいです」
「俺は、逆に太い方が」
「持ち手と弦の位置がずれているので、弦を引くと右に回ります。抑えがあると良い気がします」
結論。和弓はヤニス専用の武器になった。
まさか、全員がアーチェリーの弓を選択するとは予想外だ。って、お前等も見た目で選んだだろ?
「ヤニス、お前の好きな色は?」
「え? 黒ッス。あと金色も好きっス」
15歳、数え年だから14歳か……お年頃って奴だな。
「ちょっとアルツール将軍のとこに行ってくる」
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実に誇らしい。我が隊員たちの成長の早い事。弓騎兵の訓練を開始して一週間。最悪、年内はダメかとも思っていたが、まだ、12月になっていない。
俺は眼前に並ぶ隊員たちに最大限の賛辞を贈る。
「諸君。君たちの成長速度は実に素晴らしい。君たちに隊長と呼ばれる事を光栄に思う」
「何か嫌な予感がする」
「予感も何も後ろに積んでいるモノ見れば、これから言う事は分かるよね」
「懐かしいなぁ~毛皮の毛布だ」
おまけに察しも良い。本当に素晴らしい部下だ。
「この日を迎えることが出来たのも、君たちの頑張りがあればこそだ」
「いえ、まだ、何とか馬に乗ったまま射ることが出来るようになっただけです」
「駆けながらだと、狙いが全然です」
「あ、私、マイヤのとこに行かなきゃ」
甘いなダニエラ。既にエリーザから密告があったのだよ。
「かつて、我々が助け出した少女も、新しい家に馴染んだようだ。エリーザの弟を兄と慕っているそうでは無いか。我々も新たなステージへと踏み出す」
「エ、エリーザさん」
「すまない。明るくなったマイヤを見て、つい嬉しくてな」
「って、すてえじ、って何?」
「異世界語だろ」
それに、俺が驚いたのは、この世界の武器製造の速さだ。新型の弓は簡単に量産された。
作りやすいと喜んでいたが、三日で40本は異常だろう。
おまけに、ヤニス専用の弓も出来上がった。黒をベースに握りと両端に金を配色した中学生が好きそうな色合いだ。更に長い方には鋭い刃を付け、名槍日本号と同じく、刃には倶利伽羅龍の模様を入れた。
つまり、あまり斬り合いは考えてないが、ヤニスも大満足の出来上がりだ。
「それに全員分の弓も出来上がった。急いでくれた鍛冶屋の皆様にも感謝だ」
「余計なマネを……」
「いい出来ッス。俺の倶利伽羅龍…」
「アンタ五月蠅い」
片手剣は遅れているが、これから始める訓練では使用しないので問題ないだろう。
「では、お前らが楽しみにしている訓練内容だが、そう難しい事じゃない」
「楽しそうなの隊長だけですが」
「全く安心できる要素がない笑顔だよね」
五月蠅いなコイツ等。俺を酷い奴みたいに言いやがって。
「場所は近場だ。王都から10郷(約10km)くらい離れた場所にある森。そこで食糧になる獲物を、弓で射て捕まえる。それだけだ」
「は?」
「本当にそれだけですか?」
俺が、相当酷い事をすっると思ってたみたいだ。
心外だな。俺はコイツ等の事を大事にしているというのに。
「疑い深い奴らだな。本当にそれだけだぞ。一応は班編成をする。6人で1班な。協力して狩りをしろ」
「編成は、こちらで決めますか?」
「いや、俺が指示する。日替わりで変わると思え。雪は大して積もっていないが、獲物になる動物も大人しくしているだろうから、追い立てる役割とか仕留める役割とか上手く考えるんだぞ。
それと、間違っても味方に当てるな。言われんでも分かるだろうが、射る時は注意な。それにボーっとして射られん様にも注意しろ」
森の中で獲物を狙うってことは、木々の間を狙って射ることが多くなる。獲物だけを注視していると思わぬ事故を招く。その辺の感性を磨く訓練でもある。
「よし、じゃあ出発するぞ。各自で毛布は取りに来い。矢の予備もな。鍋とか調理器具も各自で手分けして持って行く。
補給は来ないから忘れ物が無い様にしろよ」
「了解で……は?」
「補給が来ないって、兵糧はどうするんです?」
「兵糧って可笑しなことを言う奴だな。俺達が行くのは森だぞ。軍馬が食う草はいくらでもあるだろ。
お前等だって、自分で獲物を狩るんだし、補給なんて要らないだろ」
「いや……そう簡単に獲れるわけが」
「手持ちの分は持って行っていいから、獲れない時は、それで空腹を繋げ。何日かは持つ。
だが、あまり空振りが続くと餓死するから頑張れよ」
獲れなければ空腹が待っている。食糧を得るために動くのが生物としての正しい道だ。これで気合を入れて狩りに励むだろう。
お前等の成長を願って考えた効率的な訓練だ。感謝してほしい。
「わ、私、ヤニスと組む。隊長、ヤニスと一緒の班で!」
「ルウル抜け駆け! 私も!」
「いや、一班6名って言ったろ? で、お前らは全員で49人。一人余るよな?」
「ま、まさか……」
「最初からヤニスは除外だ。コイツは俺と一緒に干し肉作り。
半月ほどで、ヴィクトル達が合流するから、その後は別の訓練だ。そん時は狩りなんてしないから、それに合わせて食い物を準備する。良いなヤニス」
「了解ッス。干し肉ならシカが良いですね」
「そうだな。上手く仕留めろよ。頭は吹き飛ばしていい」
「分かってるッス。下手すると臭い肉になりますからね」
「よし、それじゃあ行くぞ。後から合流してくる奴らに餓死した姿を見せないよう頑張ってくれ」
やたらと叫んでるバカが何人か居るが、我慢してやろう。
その元気を訓練に向けてくれ。




