ここに来るまで
主人公の狩り仲間、ヤニスがメイン
「お前は良い時代に生まれたのだぞ」
それが、幼い頃の祖父の口癖だった。祖父の事は好きだが、その口癖は嫌いだった。
祖父の弟は、祖父より才能があったが、騎士にはなれなかったそうだ。
幼い頃は意味が分からなかったが、5歳年上の下の兄が騎士になっるために王都へ旅立った。上の兄が王都へ旅立って、3年後である。
その下の兄から聞かされた。下級貴族で、しかもクレト家のような小さな家では、長男以外は家を継げないから不要になる。自分たちは上の兄に万が一が起きた場合の控えでしかないと。
祖父の弟は、祖父が無事に家を継ぎ、子供が産まれたことで不要になった。
だが、今は違う。魔族と戦争をしているから、多くの騎士が必要になっていた。
だから、王都へ向かう兄は、騎士になって活躍すれば、自分が家を立ち上げることが出来る。そう言って笑いながら旅立った。
ヤニスは騎士にも家を立ち上げる事にも興味は無かった。この頃は、自分の家が所属している大貴族の家名も知らない。凄く立派な家だと聞いていただけだ。
祖父は何時もの口癖を言い、騎士になる訓練に励むよう言ってくるが、勉強には身が入らなかった。
自分には2人の兄より才能があるらしいが、訓練をさせるために言っていると思えた。
それよりも、山に入って狩りをするのが好きだった。
最初は鳥が獲物だった。獲って帰ると夕食が少しだけ豪勢になった。
やがて、騎士になるための訓練で使用する弓を使って、シカを狩るようになった。
夕食が豪勢になるだけでは無い。人に配ると喜ばれた。
シカだけではない。イノシシを狩るともっと喜ばれた。食べると美味しい上に、作物を荒らすからイノシシは嫌われていた。食べられないオオカミやトラを狩っても喜ばれた。
知っている人に喜ばれる。それがヤニスにとっての喜びになった。
この頃には、将来は騎士ではなく、猟師になろうと考えていた。
祖父は呆れながらも、それでも良いかと、笑っていた。
10歳になった年、山奥へ行くと何時も以上に強いトラが現れた。大きくは無いが速い。明らかに強い。これが聞いていた魔物だと思った。
だが、怖いとは思わなかった。何時も通りだ。何時も通りに狙いを付ける。
狩った魔物を持って帰ると驚かれ、みんなに喜ばれた。
何時も通り……では、無かった。
「ヤニスが居ればクレト家は安泰だ」
ヤニスが狩りに行っている間に連絡が来ていた。父と2人の兄が戦死したと。
そして、騎士になるため王都へ行くことが決定した。
これまでは10歳になると騎士見習いの訓練所へ通うが、ヤニスは既に10歳になっている。
しかも、来年からは年齢が引き下げられ、騎士を目指すには9歳から訓練所に通う事になった。
クレト家はヤニスを騎士にするため、何としても11歳の春から通えるように、基礎勉強が始まった。
騎士の技能となる剣技は悪くはなかった。狩りの最中に獲物に接近されると弓は使えない。その為に剣は真面目に取り組んだ。
だが、騎士と言うより、貴族としての学問は避けていた。今から詰め込んでも、元から苦手なものが大して伸びるわけがなかった。
特に言葉使いが苦手だ。家族より、付近の農民と会話する機会の方が多かったため、その口調が移っていた。
それに、周辺の貴族の名前を覚えるのも無理だった。多すぎるのだ。
だが、流石に主筋の大貴族とその中で下級貴族をまとめる貴族の名前は覚えた。
大貴族はザフィールという家名だった。
そのザフィール家の当主が、軍を統括する役職である元帥に就任したらしい。
そして、一人娘で、この地方の姫様と言われている方が、王子様の妃になったそうだ。
家中の者も農民も誇らしい事だと喜んでいる。
だが、祖母と祖母の友人たちは違った。姫様が可哀想だと言っていた。あんなにお慕いしていたのに、と、涙ぐんでいた。どうやら、姫様は誰か好きな人が居たらしい。
祖父に、その事を聞くと、忘れろ、絶対に誰にも言うなと、命じられた。
あれ程、怒った祖父を見るのは初めてだったので、素直に従った。
「お前は、辛い時代に生まれてしまったな」
王都へ出発する日、見送りに出た祖父から零れた言葉だった。悲しそうな顔をしていた。
騎士になるのは嫌だったが、そんな祖父の顔を見る方が嫌だった。だから笑って旅立った。
初めて見る王都は、小さな村で過ごしたヤニスにとって新鮮だった。何もかもが珍しい。
訓練所の生活は悪くなかった。これは運が良かったのだろう。
訓練所では2人部屋だが、相部屋となる者と気が合った。同じザフィール家の下級騎士でリヴルスと言う名前だった。ヤニスと同年で去年から訓練所に在籍していた。
リヴルスは、同年とは思えないほど強くて、それでいながら良い奴だった。荒々しくはあるが、理想の勇敢な騎士と言った感じだ。
それに同年の者が多かった。リヴルスのように去年から在籍していた者とヤニスのように今年から入った者もいる。同じ歳で入った中ではイグニスという少年と仲が良くなった。
イグニスはリヴルスと似た性格でありながら、より激しい気性だった。俺が上品な貴族になれる訳が無いと言っていた。
イグニスは相部屋の人間には恵まれなかった。イグニスと一緒でライヒシュタイン家の下級貴族だが、14歳でイグニスの事を扱き使っていた。
そんなイグニスを助けてくれたのが、ライヒシュタイン家の次期当主というアハロン・ライヒシュタインだった。イグニスと相部屋の者に軽く注意しただけだが、将来仕える予定の人物に言われて逆らえるわけがない。
同じ11歳だったが、上級貴族という身分と、見るからに貴公子のような端正な外見。しかも、騎士としての技量はリヴルスを凌駕し、座学においても完璧なのだ。根が田舎者のヤニスは別世界の人と言う認識を持っていた。
だが、それを切っ掛けに話し始めると、意外なまでの気さくさを発揮した。
しかも、何をやっても完璧な貴公子は、平民出の神官の少女に真剣に想いを寄せていた。
3人で見に行ったことがあるが、確かに可愛い子だった。ただ、身分差に恐縮しているようで、アハロンの事は嫌っていないが、前途は多難だと思えた。
アハロンと仲良くなり始めたが、すでに訓練所に来て一年が経過しようとしていた。
優秀なアハロンは、来年からは正規に騎士になる事が決まった。
本人は、もう一年は残ると思っていたようだが、先の敗戦で騎士が少なくなっているらしい。何時もより選定が甘いと言っていた。
アハロンは、自分以上に未熟な者が騎士になる事に危惧を抱いていた。
「せめて、あと一年残っていれば、あの者たちの自惚れがなくなるのだがな」
アハロンが言う、あの者たちとは、繰上りで見習を卒業する先輩たちだった。
トウルグのような、面倒見のいい先輩もいるが、多くがイグニスを扱き使ったり、ヤニスの訛りを笑ったりで、好きではなかった。彼らは、アハロンに言わせれば予想より早く騎士になれたので増長しているらしい。
だが、一年間残ったところで変わるとも思えなかった。
「大丈夫だよ。来年からは弟が来るから。私が見てやらないとアイツも心配なんだが、イオネラが居るから大丈夫だろう。困った性格だが、嫌わないでいてやって欲しい……それと、折れるなよ」
その言葉の意味が分かるまで、そう時間はかからなかった。
新たに訓練所にやってきた見習の中に彼はいた。兄のアハロン同様に端正な顔をしながら、兄と違い不愛想で、周囲を寄せ付けない子供だった。
孤高のようでいながら、イオネラと言う少女は平気で連れまわすので、人間嫌いというわけではなさそうだ。
ゲオルゲ・ライヒシュタイン。それが彼の名前だった。
アハロンに頼まれていたこともあり、話かけようと思ったが、何処となく気圧されてしまう。
不機嫌そうだから話しかけ難い。最初はそう思っていた。その不機嫌さも、訓練所に慣れれば、良くなるだろうとも思っていた。
だが、そうでは無い事が分かった。いや、本当は分かっていたのに、誰も認めたくなかったのだ。
ゲオルゲが訓練所に入って3日目、訓練所での生活など新入りの基礎教育が終わり、本格的な訓練が始まった。
そして気付いた。彼に話しかけられなかった理由を。
ただ、この9歳の子供が恐ろしかったのだ。
彼と対峙して、まともに勝負になる者は居なかった。中には向き合っただけで、怯えて泣き出す者も居た。
武器を持ったゲオルゲは、絶対に自分たちを殺そうとしていると思えた。
訓練所の中を、魔物でも逃げ出すような怪物が闊歩している。ヤニスには、そうとしか思えなかった。
ヤニスだけではない。気の強いイグニスも怯えていた。
従妹のイオネラは、ゲオルゲは怖い子ではないと言うが、信じられなかった。
訓練所には暗黙の決まりが出来ていた。怪物を刺激しない様に生活すること。
部屋から出る時は、怪物が近くに居ないか確認する。大声を出さない。怪物と会話できるイオネラが何処にいるか確認する。
そんな緊張感が訓練所を包んでいる中、愚かにも怪物を刺激した少女がいた。いや、愚かなのは教官かもしれない。その少女の馬の扱いがゲオルゲより上手いと褒めたのだ。
イオネラと仲が良い、アリエラという子だった。確かに上手いが、何処が上か、ヤニス達には分からない差だ。
そして、怪物の気分を害した。そう思った。アリエラという馬の扱い以外は、取り柄らしいものが無い少女が心配だった。
だが、怪物は気分を害さなかった。逆に、今まで見せたことが無い明るい表情で、アリエラに馬の扱いを習い始めた。
周囲を威圧する不機嫌だった怪物は、楽しそうに馬糞にまみれる子供になった。
そして、馬の世話を続ける内に、周囲の馬が嬉しそうに彼へ懐くようになった。
怪物は、また成長した。いや、最初から怪物なんかではなかった。
ただ、強くなりたいだけの子供。
だが、この訓練所はゲオルゲという少年にとって、強くなるのに不足なものだらけだったのだ。
唯一、アリエラだけがゲオルゲの成長の糧になれた。
それに気づくと悔しくなった。あれだけの才と強さを持ちながら、なお成長を願っている年下の子供に比べて、自分の行動が恥ずかしくなった。
そして、ゲオルゲに認めて欲しいと思う者が出始めた。
例え弱くても、少しは価値を認められる存在になりたい。その想いは、ヤニスより、リヴルスとイグニスの方が強かったみたいだ。
結局、ゲオルゲはたった一年で訓練所を出た。残った者に、自分は弱者という認識と、それでも何かの役に立つと言う意地のような物を植え付けていた。
一緒に、リヴルスも騎士になった。次の年にはイグニスも。
ヤニスは取り残されたが、昔のように訓練をサボりたいとは思わなくなっていた。
弱くてもアリエラのように認められるものがあるかもしれない。そう思いながら訓練を続けた。
そして、次の年に15歳で騎士になった。訓練所に在籍できるのは15歳までだから、ギリギリだった。
その年に魔王ヘルヴィスが自ら軍を率いて侵攻してきた。
配属された先の上官に訛りをバカにされた。何となくゲオルゲが来る前の訓練所の空気を思い出した。
それでも戦える。そう思っていたが、剣を抜くことさえなかった。
配置されていたのが後方だったとは言え、何もすることが無いまま本陣が壊滅し、気付いた時には敗走する軍勢に流されていた。
そして、何もすることがないまま、アハロンとゲオルゲが戦死したと聞かされた。
王太子と元帥の戦死も聞かされたが、それはどうでも良かった。
それより、あのアハロンとゲオルゲが死んだと言うことが信じられなかった。
そんな中、リヴルスとイグニスが生きていたのが救いだった。
二人に会って、少しだけ安心したが、これから、どうすれば良いか分からなかった。
あんなに強かったゲオルゲでさえ戦死したのだ。弱い自分たちに何が出来るか分からなかった。
そんな混乱も冷めない内に、防波堤だったヴァラディヌスが陥落したため、周辺の複数の郷や荘(町や村)から住民を避難させる任務に従事した。
だが、行った時には手遅れで、魔族に連れ去られた後の廃墟となった所をいくつか見た。
大敗により、騎士が少なくなったのだ。人手が足りない。
その補充のため、見習の中から急遽、正規な騎士に任命された者が合流してきた。半年前まで共に学びんでいた仲間だった。
再会を懐かしむ気にはなれなかったが、不安そうな顔を見ると、黙っていられず、昔のように笑って話しかけるようにした。
それを続けている内に、前のような陽気な田舎者に見られるようになった。ある意味では、助けられたのかもしれない。
その任務も落ち着いた頃、軍の再編が本格的に始まり、新たな部隊に配属されることになった。
隊長は勇者だと言う。勇者が召喚されたことは聞いていたが、期待できないという悪い噂の方が多く、気にもしていなかった。
まさか、そんな部隊に配属されるとは思わなかった。だが、考えようによっては、自分が選ばれるのだから、勇者は期待されていないで合ってるようだ。
リヴルスとイグニスは、僅かでも可能性があるなら賭けろと言ってきた。少なくともアハロンは勇者に期待していたらしい。
そう言われて、ヤニスは前向きに考えて集合場所へ向かった。
そして、その日から一か月間、頭を抱えたくなるような、同時に腹を抱えたくなるような怒涛の時間を過ごすことになった。




