凱旋を見つめながら
「清平の姦賊、乱世の英雄。か、なるほど、タケル殿に相応しい評価かもしれんな。
危険な人物かもしれんが、そうでなくては今を変えることは出来ん」
苦笑しながら呟く、国王フェインの表情は穏やかだった。嬉しそうですらある。
往復で1か月かかるディアヴィナから帰国し、フェインに報告する間、終始機嫌が良かった。
全ての報告を終えた後に呟いたのが、先の言葉である。
「ディアヴィナ国王アクセルソン陛下は、勇者の条件を他国に伝えて、妙な軋轢を起こすような真似は避けたいとの、お考えでした。私としても同意します」
「そうだな。それが良いだろう。まあ、これも我が国が良き勇者を引いたが故の傲慢かもしれんがな。
それで、其方から見たディアヴィナの勇者は?」
「聡明。その言葉で言い表せます。非常に高い知識を持っていました。
武神の力は扱えませんが、魔術師としては既に一流と言えるでしょう。現在は魔族を討つ研究をしています。ただ、魔族の情報が少なすぎると嘆いておいででした」
「情報か……耳が痛い話だな。あれを」
そう言って、後ろに控えていた従者に命じると、1枚の布がヴィオレッタの座る机の上に置かれた。
そこには、不気味な絵が描かれている。
「これは?」
「情報の重要性。我らは、それを痛感しているところだ。
それはな、魔族の体内を切り開いた姿よ。更に肉の付き方や可動範囲が描かれたものもある」
「ど、どうして、この様なものが?」
「少し前にタケル殿が率いる部隊が、脱走者を追いかける魔族と遭遇した。そこで戦闘となり、討った魔族を解体したそうだ。タケル殿に言わせれば、我々は情報を軽視しすぎだそうだ。
我々は魔族の事を唯大きい人間だと思っていたな。だが、違いところは違う。僅かな差異でも命のやり取りでは重要な差になりかねないとアーヴァングは言っている。軍部の連中は、これを食い入るように見ておるわ」
勇者が戦闘? 魔族を解体? 何を言っている? 情報を整理しきれない。
「ああ、情報を軽視と言うのはタケル殿が直接言った訳では無いぞ。言うたのはヴィクトルだ」
「え? ヴィクトル殿?」
「ああ、バルトークは昔のようにしたいと言っておったが、当てが外れたようだな。昔に戻るどころか、見事に化けおったぞ。其方が留守の間の廷臣どもを説き伏せ、凱旋の簡略化を認めさせただけでなく、追加の騎士を60騎も認めさせたな」
「あ、あの……話が見えないのですが?」
「おお、伝えるのを忘れておった。明日の正午にタケル殿の隊が戻ってくる。
今は廷臣たちも忙しかろう。モルゲンスの姫の救出と20体の魔族を50騎で1騎の犠牲もなく全滅させた祝いをやるのだ。手伝ってやれ」
嬉しそうな表情で、訳の分からない事を言ってきた。未だに良く分からない。どうして滅んだはずのモルゲンスの姫が出てくる? 20体の魔族を50騎で? しかも無傷? 1か月の留守の間に何が起きたか全く分からない。
ただ、王は絶対に伝えるのを忘れていた訳ではない。驚かせたかっただけだ。それだけは分かった。
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兄弟は居なかった。
だが、寂しいとは思わなかった。同じ年のイトコが2人いたからだ。
3人で一緒に会うことは無かった。従兄と従姉はイトコじゃ無かった。イオネラだけが同じ歳のイトコを2人も持っている。
シュミット家は、北東部に領地を持つ中貴族で、ライヒシュタイン家との繋がりが深い家柄だった。
小さい頃は、領地に行ったことあるが、そこでは姫様扱いになるので窮屈な思い出しかない。
やはり王都での暮らしの方が良かった。
母は優しい人だった。良く笑っていた。イオネラは母親に似ていると言われた。
その母の兄の屋敷はシュミット家の屋敷の直ぐ近くにあったので、子供の頃の遊び場だった。
その遊び場はテオフィル家と言って、シュミット家と同じくらいの大きさの屋敷だった。
そこに、アリエラという従姉がいた。真面目で几帳面。からかうと楽しい。
父は大きい人だった。豪放で堅苦しいのは苦手。イオネラは父親に似たと言われていた。
その父の姉がライヒシュタイン家に居る。子供をたくさん産んでいた。
ライヒシュタインの屋敷は大きかった。そこにイトコがたくさん居た。
同じ歳の従兄はゲオルゲと言った。あまり笑わない。訓練ばかりやっている。
その2人のイトコに弟が出来た。両方とも5歳年下で同じ歳だ。
イオネラには居なかった。羨ましいと思った。イオネラも弟が欲しくなった。
母に頼んだ。父にも頼んだ。2人は困った顔をしながら、頑張ると約束してくれた。
2人が約束してくれた。何だか頑張る必要があるらしいので、イオネラも頑張ることにした。
ゲオルゲを見習って訓練をした。あまり楽しくは無い。でも武家の嗜みだと言われた。
従妹よりは強かったが、そんなに差は無いと思う。
従兄より弱かったが、凄く差がある。従兄は強すぎる。話しに聞く魔族よりも強いと思った。
ゲオルゲから見れば、アリエラもイオネラも大して変わらないだろう。
それでも頑張った。そうすれば弟が出来ると信じていた。家族が増えると思っていた。
しかし、約束は守られなかった。逆に家族が減った。
イトコに弟が出来て2年後だった。アリエラの母が死んだ。ゲオルゲの父と兄が死んだ。
そして、父が死んだ。約束を破られたが、そんな事を言えないような雰囲気になっていた。
寂しかった。父が居ない屋敷が広く感じた。その内、母の実家、アリエラの家で暮らすようになった。
アリエラと一緒に生活できるのは嬉しかった。アリエラも母親が死んだので寂しかったみたいだ。喜んでくれた。
アリエラの弟のファルモスとも一緒に暮らせる。ファルモスに“ねえさま”と呼ばせるようにした。
このままでは、シュミット家が無くなるかもしれないと聞いた。
ただ、直ぐにではないし、イオネラが大きくなれば大丈夫だとも言われた。
最初は分からなかったが、少しずつ分かるようになって来た。
その頃に、騎士になるため、屋敷を出て城内の訓練所で暮らすようになった。
父が死んで2年が経っていた。母と離れるのは辛かったが、ゲオルゲとアリエラが一緒だったから我慢できた。
そこで、少し驚いたことがあった。自分は弱いと思っていたが、強いと言われだしたのだ。
一緒に訓練所に入った新しく知り合った子で、イオネラに勝てる者は居なかったのだ。
前に入っていた子は、年上だったが、そのほとんどがイオネラより弱いのだ。
教官は強いと言っているが、それは違うと思った。
イオネラだけでは無い。訓練所にいる誰もが思っている事だ。
“自分は弱い。本当に強いのはアイツだけだ”と。
ゲオルゲ・ライヒシュタインは本物の天才だった。
9歳で訓練所に入って、当時在籍していた訓練兵を圧倒した。
半年も経たないうちに教官も超えた。
剣術、薙刀術、弓術、馬術、騎士に必要とされる技能で、全てが超越した完璧な存在だった。
いや、正確に言えば、あと少しで完璧になれた。
唯一、馬術においてだけ、アリエラに後れを取った。
それさえも、馬の僅かな異常を感じたり、半身で無いが故の意思疎通が弱いだけで、騎乗での動きで劣る者では無かった。
半身さえ得れば、その遅れは無くなるようなものでしかない。
しかし、ゲオルゲにとっては、その敗北は軽く享受できるものでは無かったようだ。大したことでは無いと目を逸らすことは無かった。
ここからの行動が、ゲオルゲが並の天才では無いことの証明だろう。
自尊心を傷つけたことに怒り、彼女を害するのではなく、自分に敗北を与えた少女に感銘を受け、教えを請いだした。
思えば昔からそうだった。何でも優れたものを見つけると、普段の不愛想を捨て去り、興奮気味に食らいつく。アリエラの父が、自身の父であるヴァルターを超えた王国最強と言われるようになると、嫉妬ではなく教えを受けたいと願う。
そうやって、貪欲に吸収していくからこそ、優れていたのだろう。
アリエラの教えは、厳しいわけでは無いが、普通なら嫌がるものだった。
馬糞の処理を始めたのだ。アリエラに言わせれば、馬糞の状態を確認するのが一番らしい。それに馬は綺麗好きだから、馬糞を片付けることは大事な事だと教えた。
イトコが2人して、楽しそうに馬糞まみれになっている姿を見ると、少し寂しかったが、混ざりたいとは思わなかった。
それにゲオルゲがアリエラと話していると嬉しそうだと思った。見習いの先輩が言うには、ゲオルゲはアリエラが好きになったらしい。私も好きだと言うと、そういう好きではないようだ。
やがて、ゲオルゲが騎士になった。わずか10歳で騎士になった。
驚異的な事だが、誰もが納得していた。逆にゲオルゲが騎士になれないなら、誰もなれないと思った。
そして、ゲオルゲなら魔族を倒すと思っていた。
でも、時々見かける騎士になったゲオルゲは辛そうだった。
その頃から少しずつ分かってきた。魔族は自分が思っている以上に強いらしい。
屋敷に戻ると、伯父も母も、直ぐに魔族を倒してみせると笑顔で言うが、実は無理なのでは無いかと思い始めた。
見習いの中からゲオルゲが居なくなって、少し寂しくなった。
仲が良くなった訓練生が正式に騎士になり、そして死んでいく者が増えてきた。大切なものが消えていく。
幼かったころ、大切なものがたくさんあった。それは増えていくものだと思っていた。
でも、増えない。増えたと思ったら消えていく。消えていく方が多かった。
切っ掛けは、父の死だったと思う。弟が増えると信じていたのに、逆に父が死んだ。
あの時、父が死なずに帰ってきて、弟が出来ていたら、こんな悲しい想いをしなくても済んだかもしれない。そんな事を考えることが増えてきた。
訓練相手が減ってきた。見習いの数が減ったわけではない。イオネラが全力を出す前に勝ってしまう。
教官は強くなったからだと言うが、それは嘘だ。強いのはゲオルゲみたいな人の事だ。
ゲオルゲが騎士になって2年が経った。イオネラは未だに見習いだった。
実力的には騎士になっても不思議では無いが、イオネラが死ぬとシュミット家が無くなるから、見送られたらしい。
不満があったが、家を残すのは大事な事だと教えられた。
そして、その年、ある変化が起こった。母と伯父とゲオルゲたちが戦場に向かった。
それは毎年の事だが、みんなが出て行った後、お腹が痛くなった。
痛くて辛いのに、何故か喜ばれた。不思議に思っていると子供が産める身体になったそうだ。
どうすれば子供が出来るかは何となく知っていた。
興味はあったが、それ以上に子供が産めるというのは喜ばしい事だと思った。
弟は出来なくなったが、子供なら出来る。家族が増える。大切なものが増える。
そう考えると、嬉しくなった。母が帰ってきたら教えよう。きっと喜んでくれる。シュミット家も安泰だ。
ついでにゲオルゲにも自慢しよう。最近は不愛想さが増している。アリエラとの仲を取り持ってあげても良いかもしれない。アリエラはまだ子供が産めないらしいが、その内に産めるようになるだろう。2人の子供ならイオネラにとっても大切なものになる。やはり大切なものが増える。
しかし、母は帰ってこなかった。ゲオルゲも帰ってこなかった。伯父から2人の戦死が伝えられた。
また、大切なものが無くなった。増えると思ったら減るのだ。もう嫌だった。
落ち込んで、誰とも話をしたくない。そう思っていたが、アリエラだけは側に居続けた。
どれだけ邪険に扱っても居続けてくれた。アリエラは何処か鈍い性格で、ゲオルゲの想いにも気付いていなかったが、自分が辛い事は分かっていた。だから居続けてくれた。
そして、大切なものが残っていると気付かせてくれた。
母はイオネラの笑顔が好きだと言ってくれた。だから笑おう。辛い時でも笑おうと思った。
居なくなっても思い出は残っているのだ。これ以上は無くさないよう努力だって出来る。今はアリエラが一番大切だ。産まれた時からずっと一緒だったのだ。
立ち直って、暫くたったころ、ある噂を耳にした。
ロムニアでも勇者が召喚される。
勇者と言えば、凄い人のはずだ。会えば緊張する。とても話なんて出来ないだろう。
でも、伯父のアーヴァングは勇者に期待していないようだ。でも仕事だから召喚させるそうだ。
ゲオルゲの姉のエリーザは勇者を嫌っていた。別の国だが嫌な人だったらしい。
みんなの話をまとめると勇者は役に立たないらしい。
何だか雲の上の人が地の底まで落ちてきた。ある意味では気楽だった。
そして、あの人は現れた。大きかった。子供の頃に見ていた父を思い出させた。
勇者を嫌っていたはずのエリーザが、つき従っていた。
しかし、思っていた通り、雲の上の人ではなかった。大きい手で、手を握られた。あくしゅと言った。
別に期待する必要はない。気楽な人だ。話しやすい。それが大事だ。
勇者が訓練を始めた。凄かった。空気を切る音が鳴り響いていた。
途中でエリーザが勇者の事が好きになっていると気付いた。
そこで、イオネラは、どんな人の子供を産みたいか考えていなかった事に気付いた。
ゲオルゲがアリエラに向けていたような、今エリーザが勇者に向けているような好きの感情を誰にも向けていなかった。
一番好きな相手は、現時点ではアリエラだった。だが、アリエラとでは子供は出来ない。
シュミット家の安泰を託された身としては、強い子供を残す義務があるのだ。
そう考えると、目の前の勇者は完璧だ。どう考えても頑丈な子供が出来る。
それをエリーザに伝えると慌てだした。反応が面白かったので、暫くは、この話で揶揄うと決めた。
そして、次の日も勇者は現れた。やはり気楽な人だ。
昨日の鎧に続き、この日は弓を壊していた。面白い人だ。
会うと楽しかった。次の日も会えるかなと楽しみにしていたが、次の日は来なかった。その次の日も。
その次の日は、アリエラだけが会ったそうだ。しかも、目を付けていた軍馬を取られた。文句を言ってやろう。困った顔をしそうだ。また、直ぐに会えるだろう。そう思っていた。
「来ました!」
誰かの声が、イオネラを現実に引き戻した。
城内の中道を挟んで、下級騎士と見習い騎士が並んでいる。
その中道を近衛騎士が先導していた。勇者の凱旋を祝うために。
「ダニエラさん?」
アリエラの驚く声。近衛騎士の後方、先頭を行くのは最近まで見習いに居たダニエラだった。アリエラと仲が良かった優しい人だ。
その馬に着飾った少女が同乗している。今回の主役の1人、モルゲンスの姫だろう。
しかし、イオネラは、その直ぐ後ろに目が釘付けになった。
イオネラが乗りたいと願った深紅の軍馬に堂々と跨った姿。
その視線は、真っ直ぐに前方を睨み、辺りを圧する空気を漂わせていた。
「タケル様?」
周囲が大声で、彼の名を呼んでいるが、イオネラは小さい声しか出なかった。
気楽に話せる人だった。直ぐに会えると思えるような人だった。
彼の周囲には、見知った人が多くいた。最近まで見習いに在籍していた人達だ。
イオネラと変らない弱い人達。そんな人たちを率いて、信じられない戦果を上げて帰ってきた。
「立派な姿に……」
アリエラの呟きが聞こえた。
そうだ。アリエラもタケルが召喚された日から、会っているのだ。彼の気楽さを知っている。
それが今は雲の上の存在に見える彼をどう思っているのだろう。
少し涙ぐんだ目。寂しいのかもしれない。
「アリエラちゃん、もっと、大声出そう。名前を呼ぼうよ」
今は声が届かなくてもいい。雲の上に行ったのなら、自分が雲の上に行けば良いのだ。
アリエラも同じ気持ちなら、それはそれで構わない。死んだゲオルゲが悪いのだ。
「そうですね……今は名前があります」
そうだ。今は彼の名前を叫んで、少しでも想いを届け……何か違和感がある。従姉の言葉がおかしい。
何処か致命的なズレを感じた。
「安綱ぁ! 立派な姿ですよぉ!」
「馬かい!」
イオネラは全力で突っ込んだ。同時に従姉の将来が心配になった。




