ディアヴィナ王国の勇者(後編)
「ヴィオレッタ・アタナスと言います。ロムニア王国から参りました」
「結城鮮花です」
鮮花がディアヴィナ王国以外の人物と会うのは初めてだった。
ディアヴィナの人々は、牧歌的と言えばいいのか、他人を蹴落とそうとするような者がいない。
どこか、田舎の人々を思わせる人ばかりだった。
それが、この世界特有のものか、それともディアヴィナ独自の風潮なのか不明だったが、目の前の女性の印象は、ディアヴィナの人より鋭いが、現代世界では通じない甘さがある気がした。
「それで、貴国の勇者は、何と言われたのかな?」
国王のアクセルソンが、最初に口を開く。
この部屋には、ディアヴィナ側は国王以外は軍事と政治のトップに立つ2名と鮮花のみ。ロムニア側はヴィオレッタ以外は護衛の騎士だけだった。
「はい。我が国の勇者は、こう言いました……彼らの世界に魔王など、存在したことがない。架空の存在だと。
それを討伐しようと動いている各国の勇者の行動が理解できないと」
少し間をおいて、勇者の発言をリピートする。そして、如何にも重要な事を言ったという表情をしている。
確かに、他の国で言ったら驚かれるだろう。鮮花が言った時のように。
「ふむ、なるほど」
情報を引き出すなら、少しは驚いてみせた方が良いのでは? そう思ったが、この部屋の顔ぶれを見れば、腹を割って話すつもりなのだろうと察した。
「……驚かれないのですね」
「そうだな。正直に言うが、アザカから、この秘密を聞かされた時は、どう反応すれば分からなかった。貴国が勇者を召喚する前に伝えるべきとも思ったが……アザカ、其方からヴィオレッタ殿に、伝えてもらえるかな?」
「承知しました」
鮮花はゆっくりと説明していく。元の世界にあるゲームと呼ばれる娯楽作品、異世界転移ものと言われるジャンル、それらを含めたサブカルチャーの数々。
「普通なら、そう言った創作作品と現実を混同しないのですが……」
召喚された勇者は普通ではない。異なる世界に本気で行きたいと願っているような連中だ。
要するに現実から逃げ出したい者たち。勇者という呼び名が皮肉にしか思えない。
最初は単なる予想だった。だが、実際に2人だけだが他国の勇者と顔を合わせる機会があったのだ。
彼等の目的は女性勇者の鮮花を立ち直らせて……と、言っていたが、ハーレム要員として目を付けられたらしい。
元の世界では、サブカルチャーに夢中だったのだろう。その予想通りの人物像に苦笑した。
だが、それを説明するのは難しい。それぞれ事情があるだろうし、少なくともロムニアで召喚された勇者がどのような人物かは知りたかった。
非があるのはお互い様だと思う。一方的に間違った行動をする勇者を責める気は無い。
「なるほど、他国の勇者は、そう言った理由で動いているのですね。
あいにくと、その“さぶかるちゃあ”というものが詳しく分からないので、共感はし難いですね。
少なくともタケル殿の口から、さぶかるちゃあ、なる言葉は聞いたことがありません」
「ほう、随分と冷静なのですな」
この部屋にいる武官のトップ、セーデルハムが呟く。それには鮮花も同感だった。
だが、彼女の言葉を信じるならロムニアの勇者はサブカルチャーに興味を持っていない人間に思える。
しかし、それは無いと思う。条件が合わないのだ。
「そうですね、我が国の勇者が、パーティを組んで出て行った後でしたら、もう少し動揺したでしょうが」
「ん? それでは貴国の勇者は?」
「はい、軍に志願すると言い出して、武神の力を習得していました。私が出国する前には、訓練から5日が経っていまし…」
「勇者が武神の力を! 正気か!」
セーデルハムが叫び、鮮花も耳を疑った。王も驚きの表情を隠せない。
同時にロムニアと言う国へ、強い嫌悪の感情を抱いた。
「な、何か問題でも?」
「確かに、呼び出された勇者の行動には問題がある。期待に応えることなど出来んだろうさ!
だがな、それでも彼らを勝手に呼び出した我々に非があるのだ。それを強制して戦わせるなど恥を知れ!」
武神の力とは一種のドーピングである。それも極めて強力な。
脳内麻薬を作成し分泌させ、同時に制御のリミッターを外す。
本来なら、一度使用したら身体がボロボロになるが、それを回復魔術で修復しながら行うのだ。
そのドーピングの量は魔力の大きさに比例している。
武家の子供が、幼少の頃から訓練に励む伝統があるのも、魔力が低い内に身体に慣れさせるためだろう。
車の運転に例えれば、ゴーカートで練習して、大人になってからF-1に乗るようなもの。
この世界の騎士たちが武神の力を行使する行為は、公道でF-1を乗り回すようなものなのだ。
繊細な制御を行って、強力なパワーを制御している。
そして、勇者の魔力は非常に大きい。唯一の勇者特典と言える。
鮮花は魔術の研究で役に立てているが、武神の力をそうではない。
成人した勇者が武神の力を使う行為とは、運転免許も持っていないような素人が、F-1を遥かに凌駕するパワーを持った車に乗って公道へと踏み出すのに等しい行為だ。直ぐに事故を起こす。
当然、そんな馬鹿な真似を望んでする人間は居ないだろう。
鮮花も身体が強くなるならと考え、試してみたが速攻で倒れてしまった。
それで、この国の騎士も武神の力の難しさを再認識したわけだが、例えロムニアの騎士がそれを知らなくても、少し訓練させて見れば分かるというものだ。
事実、前に会った他国の勇者は武神の力を習得していない。いざとなれば使うと言っていたが、力は使いこなさなければ振り回されるだけだ。
それが、5日も訓練を続けていると言うことは、強制以外は考えられない。
「落ち着かれよ、セーデルハム」
「で、ですが」
今まで口を閉ざしていた文官のトップであるノルテリエが口を開いた。
鮮花にとっては普段は優しいお爺さんでしかないが、この様な場では流石に貫禄がある。
「まず、貴国の勇者の人なりを教えてはもらえないだろうか」
「は、はい。身の丈は6尺(約180㎝)を超え、非常に鍛え上げられた肉体は、余分な肉が無く引き締まっており…あっ、違いますよ。裸体を見たのは上半身だけです。変な関係とかではなく、タケル殿が訓練と称して、半身と力比べをしているのを見かけまして。その時に上着を脱いでおられたのです」
「半身? 軍馬を得られたのですか?」
「はい。我が国で一番の名馬が彼を選びました。通常の軍馬より1周りか2周りは大きな巨馬です」
「……その、軍馬と力比べとは?」
「こう、軍馬が咥えた綱を互いに引っ張り合っていまして……ええ。分かります。私だって正気を疑いましたから」
唖然とした表情を浮かべるセーデルハムとノルテリエを見て、同感だと言う表情で頷く。
鮮花も軍馬に触れることは無いが、見たことはある。鮮花の知る馬より、強力な力を持っていそうだ。
それ以前に馬と力比べという発想が正気では無い。
「その、説明を続けていただいても?」
「はい。その、外見は終わりにして、性格ですが、勉学は苦手だと言っておりますが、非常に礼節を重んじており、他国の勇者の話を聞いた時は、日本人では無いと思ったようで…」
「ウチのアザカだって礼儀正しい娘じゃぞ。一緒にしないでもらえるか」
「落ち着かれい、ノルテリエ殿」
孫を自慢し合うお爺ちゃんみたいな反応は止めて欲しい。
だが、少しだけ嬉しくも思う。
「それで、外見は恐ろしいのですが、基本的に人当たりも良いので、王宮内での評判も良く、特に年配の方に人気があります」
「ウチのアザカだって…」
「静かにせよノルテリエ」
今度は王様に怒られていた。後で慰めてあげよう。
「それと実力の方ですが、私には分からないので、元帥の言葉を引用します。
すでに私では勝てない。魔族と言えど、容易くは破れぬと」
「……し、信じられんな。元帥とは音に聞くアーヴァング・テオフィル殿であろうに」
セーデルハムが呟く。確かに信じられない話だが、それが本当なら強制ということもなさそうだ。望んで訓練して強くなっているのだ。
だが、それだと疑問が残る。それだけ鍛えていて努力も続けるタイプなら、恐らくは何らかのアスリートであろう。それも格闘技系だ。
そうであるなら大会などを目指していたのではないか? 向こうの世界に強い想いがある筈だ。
そして、そんな人物は勇者として召喚されることはない。
「アザカ」
国王が名前だけを呼ぶ。それだけで、その意思が伝わった。最後のカードを切る。
「正直、話を聞く限り立派な方が召喚されたように思えます。
ですが、それだと不自然な事があります」
「不自然ですか?」
「はい。私は勇者召喚の儀式を調べました。そこで召喚される勇者の条件を発見しました」
「条件?」
「はい。その条件とは、今いる世界から逃げ出したい。別の世界へと行きたいと強く願っている者です。
勇者とは勇気がある者ではありません。勇気が無くて逃げ出したいと思っている臆病者の集まりなのです。別の世界へ行きたいと願っていなければ召喚されない筈なのです。つまり異なる世界の存在を認識する必要があります」
「臆病者? タケル殿には似つかわしくない言葉ですね。それに初代の勇者は?」
「この世界が何と呼称されているか、正確には1000年前の勇者が付けた呼び名を御存知ですよね」
「ネノカタス大陸……ですよね?」
「はい。ですが正確にはネノカタスの国。それが最初の呼び名です。
この大陸で勇者の子孫が各地に国家を立ち上げたために国ではなく大陸と称するようになりましたが、本来は根之堅洲國。私達の世界で根の国とも呼ばれている異界をさす言葉です。
海の底にあるとも海の彼方にあるとも伝わる世界。最初の勇者でさえ異界を認識していたのです」
最初の勇者とは武士の事だ。おそらく戦に敗れて、行き場を失っていたのだろう。
そして、願っていた。異なる世界を。
「根の国は、現在ではあまり知られていない言葉です。海の彼方も、海の底にも異なる世界など無いと、私たちの世界の者は認識しています。先程も申し上げた他国の勇者が思っている異世界への憧れ。サブカルチャーの知識が無いのに、異世界を望むのは矛盾があります」
そこが不自然なのだ。彼女から聞くロムニアの勇者の姿からは、現実から逃げ出したいと考えるような弱さが感じられない。
だが、その時、ヴィオレッタの表情に陰りがある事に気付いた。
もしかすると、今までの話は偽りだったのだろうか。そう考えていると、絞り出すように声を紡ぎ始めた。
「私は、出発の前に、我が国の勇者であるタケル殿と少しですが会話をしました。
楽しそうに訓練をしているのを邪魔するようで、気が引けたのですが、自分の目で確認しておきたかったのです。
彼との会話は他愛もないものでした。彼は笑顔で話していましたし、私に対しても礼儀正しく、遠出することを気遣って頂きました。私の目では、間違いなく彼は好人物です」
彼女の語るロムニアの勇者の話は、これまでの人物像と一致している。
だが、「私の目では」その単語が引っ掛かった。
「アザカ殿、一つ聞きたいのですが、異世界に行きたいと願う気持ち。それは、どのような世界かという条件はあるのでしょうか?」
「あると言って良いか分かりませんが、漠然とながらも、イメージする必要があります。
例えば、我々は嗜んだサブカルチャーでは剣と魔法の世界が定番ですから、この世界は一致します。
それに、最初の勇者ですが、恐らくは広い土地を欲していました」
「……では、戦乱の世。異世界と思わなくても、激しい争いが行われている世界を望んだものが居たとしたら?」
条件に一致する。
サブカルチャーでの、もう1つの定番。過去への逆行。その中でも戦国時代などへ行きたいと願う人間。
だが、あれは、もっと怠惰な者が望むものだろう。過去の世界で未来の知識を使って楽をしたい者だ。少なくとも武神の力を習得しようなどと思う筈が無い。
「先程までの説明は、私の見立てであり、彼と出会った多くの者の見立てと一致するものです。
ですが、我が王フェインは、別の見解を示しました」
少し言い辛そうに間を置き、息を吸って一息に言い切った。
「かの者、その本性は争いを好む戦闘狂である。平和な暮らしを疎ましく思っておったのだろう。
この争いが起きている世界は、正に彼が望んでいた世界であろうよ」
その言葉に衝撃を受け、更に王の見立てを聞かされた。
「王は、彼を鎖で縛られた猟犬だと例えました。狩っていい獲物は、善良な人間に害をなす存在。しかし、そのような獲物に出会える可能性は稀な世界で生きていたと。どうでしょうか?」
「……合っています。私達の世界では、そのような事件に遭遇する可能性は非常に低いです」
彼女から聞かされる、ロムニア王による評価。これまで語られた彼女自身の評価。相反する性質。
それは、彼女にある言葉を連想させた。
攻撃的で、残酷で、柔軟性があり、同時に優しく、頼りにされる。
「清平の姦賊、乱世の英雄」
「それは?」
「私たちの世界に伝わる、ある人物を評して言われた言葉です」
魏の武帝曹操。三国時代の最大の英雄。治世の能臣、乱世の奸雄と称されたとも伝わるが、これでは単に優秀な人でしかないと思う。
言葉にした、もう一つの方は、曹操だけでなく数多くの英雄の特徴に一致する。
平和な時代では、その力を持て余す狂人。英雄の故事を紐解けば大なり小なり、その狂気を覗かせる。
いそうにもない人間。召喚されるはずが無いと思っていた者が召喚された。
よくよく考えてみれば、魔王ヘルヴィスは間違いなく魔族にとっての英雄であろう。
一方の人間の勢力はグロース王国の王太子アルスフォルト・グロースが英雄である。
しかし、アルスフォルトの力が届いていないのは確かだ。現状では間違いなくヘルヴィスが優位。
その優位性を、新たな英雄の登場が戦局を変えるのではないか、そんな気がしていた。




