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根之堅洲戦記  作者: 征止長
幕間 西部戦線
19/112

理想と現実

「懐かしいですな。アレ」


ザルティムの呆れた様な呟きに、ヘルヴィスも同意する。

夜襲をかけるべく敵陣に近付いたのだが、そこには、大きな天幕が張られていた。

戦争が始まった当初は多く見かけた物だった。どうも、人間は身分が高くなるに連れ虚弱になるようで、外で寝ずに、あのような物の中で寝るという呆れた習性を持っていた。


つまり、あの中に居る者を仕留めれば、敵の指揮系統を乱せる。ヘルヴィスとしては当然見逃す理由が無かった。

あの目立つ目標に、喜んで夜襲をかけては、中に居る者を優先して殺していく。

その内、ヘルヴィス以外も同様に天幕を狙って攻撃するようになったため、次第に天幕を張る親切な人間は減っていき、全く見なくなっていった。


そして、見なくなってから随分と経ったが、数年前、久しぶりに天幕を張る親切な敵が現れたのだ。

グロース王国のアルスフォルトである。


「やはり、罠ですかな?」


あの時、攻撃しようとしたが、何か妙な感じがした。何がかは説明できないが、理屈など後で考えればいい。

突撃中止の命令を出したが、久しぶりの天幕に興奮した部隊が、止まらずに勢いよく天幕を破り中に入り……そして、全滅した。

天幕の中は落とし穴が掘られいた。天幕は落とし穴を隠すために用意されたもので、ヘルヴィスとしては、初めての敗北と言える経験だった。


今回も相手はアルスフォルト。更にこちらの食糧を焼いた直後だ。

ザルティムが罠だと考えるのは正しいだろう。だが……


「罠って感じはしない……いくぞ」







◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





「アルスフォルト殿下、貴殿には人の心が無いのか!」


目の前の男性から伝えられた言葉に、ラファフェアは最初耳を疑い、それが事実だと知ると、大声を上げた。家臣に押さえられなかったら、殴りかかっていただろう。

敵の食糧を焼いた。それを自らの手で行ったと平然と言い放った男は、敵軍は次第に飢えていくので、直接攻撃せずに、距離を置いてエサとして振舞い、引き付けるよう要請してきた。


「敵の食糧だと。それは人間の事でしょうに。我らが助けるべき者です。それを殺すなど」


「さて、人の心が有る無しは、私自身には分かりかねます。

 ですが、姫殿下とて、奴らに兵糧として連れてこられた者が、どうなっているか御存知かと?」


そんなことは知っていた。魔族は人間を食糧とするが、死んで時間が経ったものは食わない。

だから戦場に生きたまま連れてくるが、逃げられないよう片足首の腱を切り、叫ばれないように、喉を潰してから連れてくるのだ。


そんな彼らを救い出したところで、正直に言えば手に余る。

農作業をはじめとする肉体労働は不可能。何らかの専門知識の持ち主でなくては、生きていくのは難しい。

しかし……


「だからと言って、彼らを殺していい理由にはならないでしょう!」


「ラファフェア姫殿下。それは誤解です」


アルスフォルトの隣に居た隻腕の女性が、ゆっくりと口を挿む。王族同士の会話に割り込むなと叱責しようとしたが、先にアルスフォルトが口を開く。


「確かに誤解があるようで。殺した理由は飢えさせるためです」


「話にならない」


全く話がかみ合わない。本当に、この男は人間かと思う。


「そんな事より、要請した件、お忘れなきように。間違っても血気に逸って、攻撃を仕掛けない様に注意して頂きたい。敵に食料を送る行為になりますから」


そう言い放つと、アルスフォルトは隻腕の女性の従者を連れて天幕を出ていく。

その後ろ姿を暫く睨んでいたが、胸の怒りは一向に収まらない。将軍たちが宥めにかかるが、それも鬱陶しい。


「姫殿下、どうか怒りをお静め下さい」


「黙れ。卿は何とも思わないのか?」


「正直に言って、良い気はしません。ですが、アルスフォルト殿下は魔族との戦いに最も長けた御仁。

 あの方を無下にするのはお勧めできません」


南方を制圧した魔族が西方へと進出を始め、対峙した国が力を落とす中、魔族の軍勢を初めて破り、それ以来、幾度か魔族を退けてきたアルスフォルト・グロース。

その名は、大陸の希望だと言える。特にグロース王国が盾となっている国や援軍を受け助けられる国にとっては、正に英雄。絶対的な存在となっていた。


そして、エルザス王国は援軍を受けられる国になった。2年前に魔族との壁となっていたバルララが滅んだのだ。

魔族の制圧する領土と接してしまったが、これまでは魔族もグロース王国に戦力を集中しており、バルララの時と同様、少数の援軍を送るだけで済んでいた。


しかし、今回の進軍では、急に矛先を変えてエルザスへと向かってきて、宮中は大騒ぎを始める。

グロース王国に援軍を頼み、これまでの様な援軍規模では済まないと、国を挙げての大動員となった。


「だから、こうして私が出て来たのではないか」


更に数だけでは足りないと、名目だけでもと王族を総大将に掲げた。

王太子を戦場に出して失ったロムニア王国の記憶は新しい。王太子を送りたくないという考えもあり、代わりとして長女である第一王女が総大将に選ばれた。それがラファフェアである。


ラファフェアが選ばれた理由は、単なる消去法ではない。

まず、彼女が剣技に優れた騎士である事。そして容姿に恵まれていることだった。

王族というのは、普通は美貌が多い。容姿に優れた女性を妻にすることが多いので、その血を引く子供が美しくなる可能性は当然高いのだが、その中でもラファフェアは特に優れていた。


更に年齢が16歳というのも良かった。アルスフォルトは23歳だが、正室を迎えていなかった。

そこへ、美しい隣国の姫と戦場で共に戦い、親密になれば……


そのようなエルザスの廷臣の考えの元、ラファフェアは戦場へと送り出された。

ラファフェアにとって、道具にされているようで不快ではあったが、悪い気がしなかったのも事実だ。

何と言っても、アルスフォルトは全人類の英雄である。魔族を討ち果たし、平和になった世界で彼の妻になるという妄想は、純粋な乙女心を刺激した。


だが、実際に会ってみれば、容姿は悪くないが、愛想が無く、常にイラついているようで不機嫌さを隠さない。

一緒に居る従者が穏やかな笑みを浮かべているのと対照的だ。

我慢して、何度か食事やお茶に誘ったが、全て断られた。とても、一緒に居たいと思わせる男では無かった。


今になると、その従者も気に食わない。

穏やかな笑みを浮かべているが、主が人間を焼き殺したと話した時も、その表情は変わらない。むしろ逆におぞましいと思えてくる。


そもそも、何故、片腕を失っている女性を従者にしているのだ。

最初に会ったときは、アルスフォルトと結ばれる未来を想像していたので、そちらの面で警戒して観察した。

隻腕では護衛として心許ない。女として扱うにも、特に容姿は優れていない。年齢も30前後だろう。

全てにおいて自分が勝っている自信がある。


「姫殿下、これからの事ですが」


「あ、ああ」


下らない事を考えていた。

自分を戒めて、将軍たちの話を聞くが、気に食わない事に、アルスフォルトの言に従うという物だった。


「情けない話だな」


「止むを得ないでしょう。相手は魔族。正面から立ち向かうは得策ではありません」


「もう良い。下がれ」


将軍達を下がらせ、周囲には、自身の親衛隊である女性の騎士だけとなると、大きくため息を吐く。

救うべく民を犠牲にし、敵を弱らせてから叩く。そんな気概で勝てるのか。


「こんな事では勝てる戦も勝てん」


「姫殿下?」


「いや、喉が渇いた。茶を準備してくれ」


従者に命じると、椅子に座って思案に入る。

考えようによっては、今回の戦場に出てきて良かったと言える。

今までは、他国に援軍を出すだけだったので、将軍に任せていた。


将軍では、大国の王太子であるアルスフォルトの言いなりになるのも仕方が無かったと言えるだろう。

それが、この様である。魔族に怯えて卑劣な策に頼る。

このままでは、魔族を勢いづかせるだけだ。人類には新しい希望が必要では無いか。


誰もがそれを知っていたから、新しい希望を求めた。その希望が勇者だったのだろう。

しかし、勇者は期待していた戦果を挙げていない。


そうだ。他者に頼っていたのが間違いなのだ。

アルスフォルトでも勇者でもない新たな希望に自分がなる。

そうしなければ人類は勝てない。


「姫様、湯浴みの支度が出来ました」


「ああ」


大きな桶にお湯が入っており、服を脱いで、その中に入る。

広さはあっても、腰までしかお湯は入っていない。戦場では、このような粗末な風呂にしか入れないが、その苦難にも耐えよう。


後方でお飾りとなるのも今日で終わりだ。

従者に体を洗わせながら、決意する。


これまで、将軍たちの顔を立てていたが、明日からは黙るのを止めよう。

もっと我を通す。アルスフォルトの消極策ではなく、毅然とした力で魔族を討ち果たせば良いのだ。

そうして、自身が人類の希望となり、この戦いを勝利へと導く。


「……何やら外が騒がしいようですが?」


「まったく、弛んでるようだな」


それも、あんな下種な作戦を受け入れるから士気も下がるのだ。

誇り無くては、騎士も戦えない。

士気の低下は、誇りを取り戻した時に、過去のものとなるだろう。


「いくら何でも騒々しすぎないか?」


「何事だ?」


近衛騎士の動揺を捨て置けない確認をさせよう。

そう指示を出そうとした瞬間、天幕が切り裂かれた。


「なっ!」


切り裂かれた天幕の先に居るのは、騎竜に乗った魔族の男。

その男を見た途端に声が出なくなる。魔族を見るのは初めてだった。

だが、その者から発せられる覇気、鬼気、闘気、どれも普通ではない。あんな者が居ていいはずが無い。

近くに居るだけで息が詰まる。


「ほら、大丈夫だったろ」


そう隣の男に言いながら、男は近付いてくる。


「あの、少しは警戒しませんか?」


「だから、危険は感じないって言ってるだろ」


「まあ、この周囲の敵の惰弱さには呆れましたが……やはりグロース軍では無いのでは?」


「だろうな。すると、奴は?」


「この辺りには居ないでしょう」


「……とりあえず、食糧の確保だ。その辺の奴等を(さら)え」


助けを求める者。悲鳴を上げる者。恐怖に声が出なくなる者。過程に違いはあれど、ラファフェアの近衛騎士は全員が捕まっていく。

そして、自分も指示を出していた魔族に頭を掴まれ、騎竜の首元に荷物のように乗せられる。視界には地面しか映らなくなっていた。

その間、声を出せない。それだけの異常な威圧感を漂わせていた。


「奴は多分……あっちだ」


そんな声が聞こえたかと思うと、一斉に騎竜が駆けだす。

腹が鱗にこすられ痛むが、その痛みより恐怖が勝る。辺りに血を撒き散らしながら、異常な速さで地面が動いている。その血が配下の騎士のものだと気付いたが、どうなるものでもない。

どれくらい駆けただろう。先程までの悲鳴や雑然とした声は遠退き、統率された軍が発する軍令が耳に入った。


「どうやら、ここからが本命だ」


「完全に戦闘態勢を取っていますな……おそらく、本体の撤退がバレています。追撃の備えが見えます」


呆然としながら分かってしまう。グロースとエルザスとの違い。

エルザスは奇襲に混乱し、グロースは戦闘態勢にあった。


「追撃などさせるか。奴は?」


「いました。あそこです」


「突撃」


地面が動く速さが増す。何とか顔を上げた。騎乗しているグロースの騎士と目が合った気がしたが、助けを求めたくても声も出ない。


「相変わらず柔らかいな。ここの騎士」


「上手くいなされています。下手をすれば、また変な場所に誘導されますが?」


「大丈夫だ。危険は感じん。奴の顔は拝んだ。このまま突っ切る」


「本当に挨拶のために来たんですね」


そんな会話が耳に入り、動く地面だけを見ていた。

どれくらい経ったのだろう。長かった気がする。短かった気もする。


「追ってはこないか……失敗したか」


「何がです?」


「ああ、俺たちが殿をするって、奴には分かったかなって」


「……ありえますな。普通なら王が自ら殿など有り得ないと考えるでしょうが、ヘルヴィス様ならやりかねないと、奴なら察するでしょう」


「だろ、そうなると追撃は危険だって思わないか?」


「まあ、俺だったら諦めますな。……え? 何処も失敗していませんが?」


「退屈だろう?」


分かった。分かってしまった。最初に見た魔族。今、自分を運ぶ騎竜に乗った男が誰なのか。

無理だ。人類に希望など無かったのだ。こんな奴が相手では勝てるわけが無い。

生物としての格が違いすぎる。


「追撃が無いなら、メシにするか。何人か食うにしても、帰るだけなら、こんなに兵糧はいらないな」


「一度には食えない量ですからね。何人か置いていきますか」


「そうだな、100もあれば足りる」


親衛隊は300人、もしかして、助かるのか。


「ところで気になっていたのですが、ヘルヴィス様のそれ、何故、服を着ていないので?」


「そりゃあ……食いやすくするためじゃないか?」


「無いとは思いますが、まあ、取りあえず、ソイツから食いますか」


「ああ、そうしよう」


それが、耳に入った最後の会話だった。







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