魔王の夢
エサには2種類ある。
自分たちを見ると逃げ出すエサと、襲ってくるエサだ。
美味いのは襲ってくる方だった。骨を割って中にある肉が特に美味い。メスだと2つの脂の塊があるが、その真ん中にある肉だ。それだけだと足りないから少し下にある大きな肉も好きだった。
だが、襲ってくるエサは数が少なく、滅多に会えない。
仕方なく逃げ出す方を襲っていたが、それを繰り返すと襲ってくるエサが寄って来ることに気付いた。
自分と同じ角が生えている生き物で、逃げ出す方でも喜んで食いたがる奴等が居た。ソイツ等は、襲ってくるエサに殺される軟弱な奴等だった。居ても邪魔だから相手にしていなかったが、連れて歩くようになると襲ってくるエサが頻繁に現れるようになった。
自分にとっては、襲ってくる方も簡単に狩れるから、美味い肉にありつける。
軟弱な奴等は、襲ってくるエサに殺されることなく腹を満たせる。
共に行動するようになって、どれくらいだったか。大量の襲ってくるエサが現れた。
とても食いきれない量だ。いや、いくら何でも多すぎた。
一緒に行動していた軟弱な奴等は、直ぐに1人残らず殺された。
だが、自分は死なない。エサの攻撃など当たりはしない。当たっても少し痛いだけだ。
しかし、食う暇がない。エサが次から次へと攻撃してくる。こちらが、攻撃すると逃げる。エサはエサではない生き物に乗っている。その生き物は足が速いので追い付けない。
追い払って、仕留めたエサを食おうとしても、追い払っている間に奪われる。
それをずっと繰り返した。やがて、腹が減るより眠気の方が気になった。
腹が減るのは我慢するから眠りたいと思った。
今回はエサを諦めて山に戻ろう。そう思って戻ろうとしたら、エサが攻撃をしてくる。
少し痛いだけだが、ずっと続くと流石に我慢できないから反撃する。すると逃げ出す。
山に戻ろうとすると攻撃してくる。反撃すると逃げ出す。
それをずっと繰り返した。
もう眠い。我慢できないので、ここで寝ようとしたら、やはり攻撃してきて眠れない。
どうすればいい? どうすれば解放される? やがて、何も考えられなくなった。
力が入らない。少し痛いだけの攻撃がずっと続いた。
どれくらい続いたのだろう。何度か暗くなり、同じだけ明るくなった。エサの方は交代で休んでいるらしい。
突然、攻撃が無くなった。エサが逃げ始めたのだ。
見ていると、エサが自分と同じ、角がある集団に襲われていた。自分に付いて来ていた軟弱な奴らよりは強いらしい。
何人かが近づいてきた。やはり角がある。しかし、口からエサと同じような音を出した。
変な生き物だ。そう思いながら眠った。ようやく眠れた。
目が覚めた時、眠った時とは違う場所だった。
起きようとしたが、力が入らない。腹が減りすぎた。
音がした。すぐ側に角が生えたメスがいた。そのメスも口から音を出すと慌てて離れていった。
どうでも良かった。それよりも腹が減った。狩りに行こう。
だが、力が入らない。
どうするか考えていると、違う奴が入ってきた。
一番前に居るのは、眠る前に会った奴だった。顔が皺だらけだ。
それが、また口から音を出した。多分だが、エサと同じ音だ。
少し、驚いた顔をして楽しそうな顔をした。そして後ろを向いて音を出す。
直ぐにエサを持ってきた。しかも襲ってくるエサだ。まだ生きている。
食いたい。じっと見つめた。縛られたエサは怯えている。
角が生えたメスが、頭を割った。そして、そこから肉を取り出した。
頭の骨の中に肉があるとは知らなかった。だが、美味そうではない。
「「「------------------」」」
何人かが口から音を出す。肉を取り出したメスが、その肉を自分の口に運ぶ。
食わせようとしているらしい。こんなものより、真ん中の肉が良い。
だが、腹が減っている。仕方がなく食った。
美味くない。柔らかすぎる。
だが、自身に変化が訪れた。色んな事が分かるのだ。
自分が今食った人間の事。名前、国、騎士、隊長、知らなかった事だ。
エサは人間。自分たちは魔族。
「私の名前はバーゼルと言います。私の言っている事が分かりますか?」
頷いた。人間やコイツ等が口から出している音は“言葉”というやつだ。
「それは、よう御座いました。名前をお教え願いますか?」
名前など無かった。さっき食った奴の名前で良い。
それを口にしたが、上手く喋れなかった。舌が上手く回らないらしい。
「了解しました。それでは、これより貴方様をヘルヴィス様と呼ばせていただきます」
少し違うと思ったが、それでも良いと思った。好きに呼べば良いのだ。
それよりも、食い足りなかった。好きな肉、美味い部位が食いたい。
「心臓と肝臓。食わせろ」
今度は上手く喋れた。バーゼルが嬉しそうにメスに指示を出した。
食いながらバーゼルから話を聞いた。魔族と人間の関係は、既に知っている。脳を食った瞬間に分かった。
自分が凶悪な魔族として認知され、討伐隊が組織されたのだと知っていた。
バーゼル達は、その動きを察して、救出に来たらしい。それは知らない事だった。
「何故、俺を助けようと思った?」
「私たちもヘルヴィス様の情報を手にしておりました」
バーゼルは人間に対抗するための力を手にする。そのために長い間、地道な行動を続けてきたらしい。
仲間を集め、装備を揃え、軍と言う組織を整えた。情報収集もその一環で、人間の脳を食する集団を作っていた。出来るだけ身分が高い人間の方が役に立つ情報が多いが、そのような人間は中々手に入らない。捕まるのは、主に商人が多いらしい。
また、注意すべき点に、人間の脳を食うことで知性が増すが、腹が減りやすくなる欠点があるそうだ。だから、末端の兵士には全部は食べさせないようにしている。
更に食いすぎると、人間の感性に近付きすぎると言われた。その、脳を食べる集団は人間に情が移り、殺す事が出来なくなった者も多くいた。
「で、その、人間に対抗するために、俺も仲間に入れと?」
「いいえ、滅相も御座いません」
予想が外れた。強い力を持つ自分を戦力とするために救出したと思ったのだ。
では、何のために、わざわざ組織中の軍を動かしてまで来たのか予想が付かない。
「我々は貴方様を救出に行ったのではありません。お迎えに上がったのです」
「迎え?」
「どうか、我々を率いて下さい。ヘルヴィス様。貴方様こそが新たな魔王となるお方に違いありません」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夢を見ていた。懐かしい、始まりの記憶。
魔族の国を作ることに興味は無かったが、一人で戦っても同じような目に合うだけだろう。
いくら強くても、あのような戦いをされては、やがて滅びる。
それなら率いるのも悪くはない。
それに軍と言う組織は好きになった。戦うのも好きだ。強い奴は好きだ。それが敵でも味方でも。
味方の兵を鍛え、強くする。軍馬に負けない動きをする騎竜を調教し、それに乗って駆けるのも好きだ。
500騎の騎竜隊は自分の手足のように動く。まるで、自分が巨大な怪物になった気がする。
巨大な身体を手に入れた。それを持って、人間の国に攻め込んだ。先ずはエサが多い南だ。
最初は退屈な戦いだったが、やがて強い奴が出てきた。南を取り終わると、兵を広く分散させる必要が出てきて苦労することも出てきたが、それも面白いと思えた。
敵も対抗手段を考えてきて、それを突破するのが好きだし、何より強い相手が出てきた。剣で強い奴。戦い方が上手い奴。
そんな奴らは全てを食うことにしている。考えも記憶も全てを知りたくなるのだ。
そして、今まで会ってきた敵の中で、一番食いたい奴が現れた。
奴が近くに居る。奴も寝ているのか? それとも眠れずにいるのか?
奴は剣技より、戦い方が上手い。何をしてくるか分からない。
今度は何をしてくるか。どう楽しませてくれるのか。
「!」
目が覚めた。殺気を感じたのだ。誰かが自分を殺そうとした。
あの時の経験が役に立った。自分を殺そうとする意志が雨のように浴びせられた経験。
自分を退治するために、3000の騎士が集められ、休ませることなく攻撃を続けられた。
繰り返し浴びる攻撃と意思。眠気で朦朧とする意識の中で、痛みと共に何度も経験した殺気。
あれ以来、殺気を感じると気づくようになった。眠れなくなるのだ。
「お休みのところ申し訳ありません。ヘルヴィス様」
だが、もう殺気は無くなっていた。
代わりに、声をかけてきたのは、配下のザルティムだった。その隣では、同じく配下のピラーニャがザルティムを睨みつけていた。
それで、状況は分かった。ザルティムが、自分を起こすために殺気を浴びせた。ピラーニャはそれが不満なのだ。
急ぎの用があれば構わない。その方が早く起きれる。ザルティムも効率を優先しているし、気も合うから好きだった。人間の思う友情とは、こんな感情かもしれない。
そう考えているが、ピラーニャは不服なようだ。元からなのか、女とはそんなものなのか、それとも食った人間の影響なのか、王への礼儀と言うものを重視している。面倒な女だ。
「それで、何があった?」
起こしたからには、急ぎの用があるのだろう。
横にしていた身体を起こしながら問いただす。岩山と違い、草原は柔らかで眠りが深くなる。
そこで、ピラーニャに外で寝ずに王らしい部屋で寝るよう懇願された事を思い出した。やはり面倒な女だった。寝るのなんか、雨を凌げれば十分なのに、寝床を用意する意味が分からない。
「それが、食糧が焼かれたと……」
ピラーニャの発言に首を傾げる。何を言ってるんだ?
だが、ピラーニャは動揺しているらしく、続きを話さない。
視線をザルティムに移すと、肩をすくめながら状況を話し出した。
「我々の食糧、つまり捕らえていた人間が、焼かれてしまいました。数は調査中ですが、少なくとも、半数以上はやられています。もう炭ですな。とても食えません。
まったく、正直言って意外でした。これまでの実績からしても、捕らえている人間が逃げようとしたり、食糧を救おうとする作戦は見たことがありますが、まさか焼いてしまうとは……非常識な男ですな」
人間の考え方、感情は理解していた。人間の考え方では、魔族の食糧を焼くと言うことは同族を殺害するということだ。人間の常識では、到底、受け入れられる事ではないだろう。
そんな非常識な行いをする者。ザルティムが呆れている男。
「やはり、奴かな?」
「普通なら受け入れがたい作戦でしょう。相応の地位と実績がある者の作戦かと」
共に視線を同じ方向へと向ける。
そこには敵の軍勢が野営をしている。夜風にはためく旗が、グロース王国の陣だと表明している。
あの中に居るのだろう。あの男、グロース王国の王太子、アルスフォルト・グロースが。
「アルスフォルトの奴が食糧を焼いて満足するとは思えんな。どうするか……」
「残った食糧次第ですが、ヴァルデン様は、おそらく撤退を進言してくるでしょう。完全に食糧が無くなった状態で戦えば、末端の兵は、戦争ではなく、目の前の人間を食うことに意識が持って行かれるでしょう。
そうなっては、ヘルヴィス様の“加護”から外れてしまう危険があります。」
末端の兵士には、食糧の消費を抑えるため、脳は食わせていない。命令は理解できるが、本能を優先してしまう。脳を食わせるのは100人の兵士を抱える隊長クラスからだ。
その100人で、少なくとも1日に1人の人間を消費する。
全軍で1万、食糧も同じく1万。単純に100日戦える計算だが、激しい戦闘があると消費は増える。
「半数でも残っていれば戦えるが?」
「いえ、俺は撤退すべきと思いますがね。今になって考えると、最初からこれを狙っていたのかと」
今回の進軍は、真っ直ぐ西へ向かってグロース王国へて向かう進路ではなく、途中で北へと進路を変えて、エルザス王国へと向かう進軍だった。
そして、エルザスがグロース王国へ援軍を依頼したのだが、道中の村に人が1人も居ない状態だった。
「こちらの進路を読んでいた?」
「そこまでは。ただ、進路と予想される地域の住民を避難させることくらいは可能でしょう」
「そして、俺たちを飢えさせてから戦うと」
「おそらくですが、奴は戦争でなく、狩りにしてしまいたいのでしょう」
「だとしたら、他にも罠がありそうだな」
「そうですな、考えられそうな……おや、ヴァルデン様が」
こちらに向かっているのは、東部の軍団を統括している将軍、ヴァルデンだった。
魔族の組織でヘルヴィスが合流する前から、バーゼルを支え続けた片腕ともいえる男だった。
そんな彼がヘルヴィスの前で膝まづく。
「申し訳ありません。既に聞いてると思いますが、食糧を焼かれました。残りは1000に届きません。どのような罰でもお受けします」
「下らんことを言うな。誰にとっても予想外だ。バーゼルでも予想しなかったろうさ。
それにしても想像以上にやられたな……どうする? それを言いに来たんだろ?」
「ハッ、先ずは全軍の撤退を進言します」
「良いだろう。撤退する。他には?」
「ヘルヴィス様に殿をお願いしたく」
その発言にピラーニャが顔色を変える。全滅覚悟で撤退を援護するのが殿の役目。
普通なら、全軍の安全より、王の安全を優先すると考えるだろう。
だが、ヘルヴィスは普通ではないし、ザルティムも普通では無かった。早くもヴァルデンの意図を察したらしい。
「なるほど、奴の狙いはそれですか?」
「奴の狙いがそれかは分からん。だが、やられると最も困るのがそれだ」
「2人で通じてないで、俺にも分かるように言え」
「いえいえ、俺たちはヘルヴィス様の苦い思い出を刺激しないよう、気を使ってるのです」
「お前の何処にそんな殊勝な態度が見える?……だが、今ので分かった。要は撤退中に嫌がらせをされるのが困るって話か」
かつて、言葉も喋れなかった頃、3000の軍勢に翻弄された。
あの時は、倒そうとして攻撃してくるのではなく、休ませないよう攻撃してきたのだ。
そして、今回は撤退をさせない。撤退を妨害しつつ、空腹の軍隊の目の前を人間がうろついて、追ってくれば逃げる。人間の軍の利点は軍馬の存在だ。あの移動力があれば、そう容易くは魔族に捕まらず逃げ回れるだろう。
それを続ければ、軍勢は崩壊して各個に狩られていくだろう。
「ですから、全軍を騎竜で構成しているヘルヴィス様の隊が最適なのです」
「おまけに、ヘルヴィス様を無視して撤退中の軍に嫌がらせは出来ないでしょうな」
「そういうことか、分かった。ヴァルデン、撤退は何時開始できる?」
「直ぐにでも」
その返答に機嫌が良くなる。引くも進むも、即座に出来る。軍とはこうでなくてはならない。
「よし、撤退するぞ。残った食糧は全軍で分けろ。距離が開いたら食ってよし。ザルティム、俺の兵を集結させろ」
「承知。集結位置は撤退中の軍の最後方で待機。で、良いでしょうか?」
「バカ言え。誰が大人しく待つか」
視線の先はグロースの旗。それを見ながら嬉しくなって笑みが零れる。
「ヴァルデンの撤退と同時に夜襲をかけるぞ。それで奴を討てるわけは無いだろうが、挨拶くらいはして帰るぞ。それが、礼儀だろ?」




