特訓開始
「それでは、訓練を始めようと思いますが……何か嫌な事でも?」
「気にしないでくれ」
エリーザを前にして、俺は溜息を吐きたいのを我慢する。
何故か、騎士見習いとのキャッキャウフフの学園生活は無く、エリーザによる個人レッスンになった。
どうやら、この世界に神は居ないらしい。
「それでは、最初に魔力を掌から出す感覚を知ってもらいたいので、これに明かりを灯してもらいます」
「ん? 弓では無いのか?」
弓を渡されると思っていたのに、手渡されたのは水晶の様な物体だった。訓練の基礎は弓だと聞いていたが、違うのか?
そう思って聞くと、弓は武術の基礎で、先ずは魔力を扱えなければ話にならないそうだ。
確かに、魔力と言われても、使い方なんか知らない。呪文を唱えれば勝手に出るとかじゃなければ、使うのなんか無理だな。
「先ずは、魔力を練って掌から出すようにします」
「魔力を練る?」
魔力なんか知らないんだから、練りようがないと思うのだが?
「あの、タケル様は最初に現れた時に、魔力を練っておられましたが?」
「俺がやっていた? 済まないが、俺の世界に魔力なんてものは無かったんだ。やり方を教えてくれると助かる」
「え~と、臍の下に意識を集中して、魔力を感じ取ってください」
「……へその下、練る、感じる……丹田で気を練るってことか」
思い返せば、召喚された時も息吹をしながら、条件反射で気も練っていたかもしれない。
そんな訳で、魔力と言う不明な力ではなく“気”という馴染みのある能力を試してみる。
祖父に習い覚えるときも苦労したが、それ以上に教えるのに苦労するのが気の練り方。
気と言うと、胡散臭いと思うのが大半で、指導しても真面目に取り組む子は少なかったな。
第一、実感できるのが本人しかいないので、気を練って威力が上がっているのを見せても、練ってない時は全力じゃないと思われるだけだった。
信じて貰えない、辛い思い出を振り切り、呼吸を整え気を練り始める。
「お?」
何時もの気に交じって何だか妙な感覚がある。
内側から生み出す気と異なり、外から丹田に集まってくる気と似た感触がある。
それを気と一緒に、三戦の型の要領で掌に持ってく…!
「眩しっ!」
直ぐに収まったが、手に持った石が激しい光を出して目がチカチカする。
一応、成功で良いのかとエリーザを見るが、エリーザも目を抑えていた。
「失敗か?」
「い、いえ。大丈夫です。光が強かったのは、おそらく流した魔力が大きすぎた影響でしょう。
……想像以上に簡単に、扱うことが出来ましたね」
そう言いながら、俺から水晶を受け取り、これなら弓も扱えるだろうと、弓を渡される。
「先程の光を灯すのは、魔石に術式を組んでいたので、魔力を通すだけで良かったのですが、弓の場合は2種類の魔術を使用するので、自身で魔力を込めた術として使用する必要があります」
術式という短い呪文のようなものを習い、矢を番えずに、それを唱えて引くと昨日と違い弓道で使用するくらいの弓の硬さになり、簡単に引けた。
弦を軽く摘まんだまま、次に別の術式を唱えると、強い張力が戻り指で摘まみ続けることが出来ずに元に戻る。
「なるほど、術自体は難しくないようだが、合わせるとなると大変だろうな」
「その通りです。元に戻す術をかけ、上手く弦を放さないと、指が矢に引っかかるので……」
指を早く放しすぎると張力の弱い弓で放たれる。放すのが遅いと強引に弦から指が離れるため、矢が引っ掛かり狙いが外れやすくなると。面白いな。
だが、こんなもんは反復練習で体を慣らすしかない。
「あれが的で良いんだな?」
結構近く、20メートル程先に、昨日アリエラ達が使用していた的が設置されている。
そこに狙いを定め、矢を番える。番え方は、この世界で普通に使われているらしい地中海式。
人差し指と中指の間に矢を挟み、第1関節と第2関節の間で弦を引く。
また、矢を弓の左側、手の甲側に置くので、弓返しをしなくても、結構真っ直ぐに飛ぶらしい……らしいと言うのは、俺はやった事が無いのだ。
まあ、魔術の練習でやるんだから、この世界に合わせたほうが良いだろう。
矢を番え、魔術を流しながら引き、魔術を変更すると同時に矢を放つ。
矢が良いのか、非常に真っ直ぐに飛んでくれて、何とか的の端に当たり……突き抜けていった。
「……突き抜けていったんだが?」
「大丈夫です。矢止めの本命は後ろの壁ですから」
なるほど、的に当たらない事もあるだろうし、当たって減速出来れば上等って考えか。
では、遠慮なく続けさせてもらう。
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「あの……何時までお続けになります?」
「ん? 何か問題が?」
「も、問題と言う訳ではないのですが、随分と長く続けていますので、疲労の方は?」
随分と長いと言うが、太陽は真上。朝から始めたので、3時間くらいだろう。疲労するには早すぎる。
「いや、全く問題ない。この程度では疲労しないな」
「こ、困りましたね」
「何がだ?」
「いえ、次の段階で疲労を取る術を覚えて貰うつもりだったのですが、このままでは魔力の枯渇が先に来そうで」
何でも、武神の力とは、強化と回復の繰り返しであるため、回復から覚えるのが普通らしい。
そして、筋肉の強化なのだが、反動として極端に悪い症状に骨折があり、次いで肉離れ、軽い症状が極度の疲労となる。
肉離れくらいなら、回復の術も使えなくはないが、流石に骨折となると普通は使えないので他の人にかけて貰うそうだ。
だが、本命は重度の疲労の回復。これを覚えるには疲労してからでないとならないのだが、生憎と俺は簡単には疲労しない。
なんてこった! これは急いで疲れなくては! だが、せっかく弓で術式の切り替えの練習をやってるのに、走ったり筋トレで疲れるのは、違う気がする。
ここは、疲れるくらい射るペースを上げよう。
「どうだ! ちゃんと疲れたぞ!」
更に1時間くらいして、エリーザに声をかける。
何故か不思議なものを見る目になっていたが、気を取り直したのか、新しい術式を教えてくれる。
少し長いと思ったが、何でも体に直接かける術式は、当然短い方が良いので慣れてきたら段々と短く、最終的に術式なしで出来るらしい。
さっそく試してみると、瞬時に疲労が取れる。
これって、便利だけど少し怖いな。疲れや痛みを感じない怪物にでもなった気分……いや、良いんじゃないか? そんな怪物だったら、逆になってみたい。
「では、弓での訓練を続けま…」
「随分と悠長なことをやっとるのぉ」
エリーザが訓練の続きを言うのを、しわがれた老人特有の声が遮った。
少し前から、こちらを窺っていたのは気付いていたが、何か言いたいことがあるんだろうか、段々と近付いてくる。
「バルトーク殿、何用でしょうか?」
エリーザを無視して、俺の前に立つ老人。目の前に立つと随分と背が低くエリーザよりも小さいのだが、妙な威圧感がある。
「はじめましてじゃ。名をバルトーク・ヴァイアと言う」
「はじめまして。菊池武尊と言います」
俺の返答につまらない人間を見るように鼻を鳴らす。
な、なんだかムカつく……いや、相手は年寄りだ冷静になれ。
「さて、元帥より貴様を一端の兵士に育てる手伝いをしろと言われてきたが……初めに言っておく。
辛かったら言え。何しろ大切な勇者様を壊すわけにはいかんからな。何時でも優しいエリーザ嬢ちゃんに代わってやる」
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ごめんね。また、待たせることになると、早くアナタの名前を呼んであげたいけど。軍馬の鼻に手を置き、心の中で語り掛ける。
白い毛並みは美しく、心も優しいが、足は速く持久力もあり、そして力強い優れた軍馬だった。そんな素晴らしい軍馬が自分を半身と認めてくれる。
“人馬一体”騎士の強さの象徴とされる言葉。どれほど剣技に優れようと、優れた軍馬に巡り合わなければ、その力を発揮できない。
そして、優れた軍馬は人を選ぶ。強引に従わせても、その力を発揮することは叶わない。
だから、騎士を目指すものは、己の半身となる軍馬を探すことが、最初の仕事だと言われている。
こうして、アリエラ達が半身の決まっていない軍馬の世話をするのも、自らの半身を探すためでもあるのだ。
だが、例え見つけたとしても、騎士としての能力を認められない者は、軍馬を与えられることは無く、己の半身たる軍馬に名を付けることも許されない。
アリエラは、幼い頃から馬が好きだったし、同時に馬に愛された。
騎士の見習いになってから、己の才の無さに泣きそうになりながらも、馬の世話の時だけは辛い事も忘れて、没頭することが出来た。
そんな自分の前に、この馬は現れた。オマエはワタシのものだと。ワタシはオマエのものだと。
確かに、そう言われた気がした。それ以来、この馬は自分以外の者が近づくのを好まない。態度でワタシ達は一体だと周囲に伝えた。
それが、本当に人馬一体になれる騎士と軍馬の関係だと教えられてきたが、アリエラは己が、この名馬の半身に相応しいと胸を張ることが出来ずにいた。
アナタに相応しい騎士になりたい。そう心の中で伝えると慰めるように身体を摺り寄せてくる。
「ありがとう」
思わず声に出す。声に出さずとも伝わるが、それでも声に出てしまった。
そして、首に抱き着き、その温もりを感じていると、後ろから突かれた。
アナタも来たんだ。後ろからアリエラを突いてきた深紅の馬の鼻を撫でる。
自分の半身と分かった馬より、一回り大きい深紅の馬。いや、これまで見てきた中でも一番大きく、速く、強く、気難しい性格だった。
そんな気難しい軍馬が、自分に懐いてくる理由は分かっていた。
「アリエラちゃん、相変わらず人気者だねぇ」
イオネラが近づいてくる。彼女の視線は赤い軍馬に釘付けだった。いや、おそらく騎士見習いだけでなく、多くの騎士の視線を集めている。
殆どの者は願うのだろう。この軍馬を半身としたいと。
イオネラも、その一人だった。むしろ彼女のように才能がある者ほど、この軍馬に惹かれるのだ。
そう言えば、ゲオルゲだけは違った。あのアリエラから見れば、怪物めいた実力を持った少年は、一目見るなり俺のでは無いと、違う軍馬を探していた。
「ん~、良い子だねぇ…ひゃうっ!」
撫でようとして威嚇される。何時もの光景だった。諦めることが出来ないのかと、溜息を吐く。
決して、この深紅の馬はイオネラの半身では無いと、何故か分かっている。何故、そんなことが分かるかは説明できないし、イオネラ自身は気付いていないが、彼女には別の優秀な軍馬が居ると気づいている。
今もイオネラの事を自分の半身と決めている軍馬が見ている。
あの子がイオネラの半身で間違いないと気づいているが、それは伝えていないし、伝える事は禁じられている。
アリエラの能力を知って、頼ってくる人は少なくないが、父親によって許可がない限り、教えることは禁じられていた。
半身は己で見つけなければ、その力を発揮できないと、父は信じているようだった。
実際は、そんな事はない。半身とは、その程度で力が弱まるほど薄い繋がりでは無いと感じていた。
その事をイオネラに相談したら、紹介されたお見合い結婚より、偶然に巡り合えた相手との熱愛結婚の方が燃える。でも、お見合いだって相性が良ければ幸せになれる。という、訳の分からない例えで納得していた。
「う~、アリエラちゃんは背中に乗せることだってするのに」
「前にも言ったはずです。私を乗せるのは、私が決して半身では無いと自覚しているからです」
この軍馬は、自分を半身にと願う身の程知らずを嫌っているのだ。だから、そんな事を思っていないアリエラを受け入れてるのだ。いや、むしろ人に世話をされるのは好きなようだ。体を洗えとせがんだりしてくる。
イオネラが近づくのを諦めて安心したのか、深紅の馬は別の方向を見つめだした。
その方向を見て、馬が気にしているモノを察する。
「うん。そうだよ」
アナタは分かってるんだね。自分の半身が、その方向に居ることを。
この軍馬を知った時、半身になれる人がいるとは思えなかった。それほど気位が高く、それと同じくらい能力も高かった。何故、こんな名馬が産まれたのだろうと疑問にも思った。
だが、彼を見た時、もしかしたらと感じた。そして昨日、馬に乗ったあの人を見て確信した。
この馬は、あの人を待っていたんだと。
昨日、城に戻った後、直ぐに馬のもとに駆け付け、彼の事を話した。ジッと耳を傾ける馬に、彼の事を話した。信じられない長さの武器を作らせていたが、アナタなら大丈夫だよねと。
「もう少しだけ、待ってようね」




