7
冒頭の歌に戻ろう。「にほてるや」の歌は、仏教思想と、西行の自我意識と、彼が見た自然とが一つに融合された透明な、あくまでも青い風景だった。そんな気がする。もう一度、あげさせてもらう。
にほてるやなぎたる朝に見わたせばこぎゆく跡の波だにもなし
西行の代表的な歌は「心なき身にもあはれは知られけり」のように、世界を離れた自我と自然とが歌という容器で一つに統合されたものだった。その統合は今ではなくなっている。いや、それは違う形になっている。
「こぎゆく跡の波だにもなし」というのは、死を前にした老詩人自身の人生が詠み込まれているのがよくわかる。彼の人生そのものが自然を傷つけた一つの跡だった。歌もその一つに入るだろう。「たはぶれ歌」で、幼童の頃から老人になるまでの一生涯が、おそらくは一刹那の夢に見えた感傷と同じ感傷がここにはある。しかしその感傷はただの感傷ではない。あらゆる感傷を見つめるもう一つの感傷であろう。
当時としては異例の長命だった西行は73才まで生きた。今言った感傷を見つめる感傷、その長い生涯そのものを更に俯瞰する視点は、この長い道のりをふと振り返る瞬間にのみ現れる。歌を捨てた男に、再び歌が蘇る瞬間にのみ現れる。
例えば、詩人のアルチュール・ランボーは22才の若さで詩を捨て37才で死んだが、もし彼が長生きをして、老年になりふとかつての詩に対する想いが蘇ったとしたら、どうだろう。私はそんな想像をしてみる。その時、彼は若き頃への詩の傾倒を完全に客体化し、また違う音色で歌っただろう。そこで見える景色はかつての景色と少しだけ異なっただろう。
西行の背後に大きな仏教思想があったとは既に述べた。やがては、我を捨て去らねばならないとは最初から見えていた運命だった。今、彼の目には、かつてのように自己と自然が分離していない。それが歌によって統合されていたのは過去であって、今の彼には自然と我が一つに統合されて、消えていくのが見えている。それが「こぎゆく跡の波だにもなし」であって、「こぎゆく跡の波」は彼であり、世界そのものであり、自然でもあるだろう。ここではかつての区分は消えている。全ては静寂の中に消えていこうとしている。
彼は消えていく様々なものを見送っている。船は去っていき、彼一人が波止場に残っているようだ。ところが消えていくのは彼自身であり、彼にはそれがよくわかっている。自分の人生が終わりになるのを知っても、悲しみも喜びも湧いてはこない。それらは全て、去っていく自分の中にあるものだ。去っていく自分が本当の我であって、それを見つめている我はそれとは違う我だ。仏道の我が、歌い手としての我を見送っていく。しかし、その姿もまた彼独特の「歌」によって歌われた。
私はこの歌が西行の最後の歌だと思いたい。彼はそれ以降、歌を作らなかった。後、残された道は尋常に死ぬだけである。
蟷螂の尋常に死ぬ枯野かな
其角の句が思い出される。西行はその後に生涯を終えた。しかし彼の認識の目は、既に彼自身を死後の、向こうへと送り出していた。そこには桜の花びらが舞う極楽浄土があったのかもしれない。ところで、彼の透徹とした認識は自己の無常というものを最後の最後まで見続けた。この世界も同じく、無常の中の一つの相に違いない。消えていくものを強く思ったものが、歴史の中で消えずに残っている。ここには少しも矛盾もない。しかしそんな事ももうどうでもいい。我々にとって西行は一人の通行者だった。ランボーが通行者だったように。そして多分、誰もその旅路を真似る事はできない。もしできるとしたら、同じ型の魂を持つ者に限られるだろう。
今の我々には仏道も、歩いていく道も途絶えている。そこで、西行はドロップアウトした見事な歌詠みとしか見えない。我々には、西行という一個人を見送る視点が欠けている。それでも彼が世界を見送った認識の支点は、未だにこの世界を包んで離さないだろう。全ては多分、同じように、全く同じように去っていくだろう。彼が彼を見送った時と全く同じように。とにかくも、彼はそんな旅路を歩んだのだ。彼は彼を波の向こうに送り去った。残ったのは極楽浄土なのか。だがそんな事を卑賤なこの身が問うてどうなると言うのか。ただ西行という個性的な天才がいる。それだけだ。世界が彼を見ているのではない。彼が世界を見ているのだ。歴史の中に彼がいるのではなく、彼が歴史を眺めている。見ているのは彼という視点だ。
彼は一つの視点となった。彼の消滅をも彼は確認した。残されたのは美しい朝の湖面だけである。そこには何の跡もない。それは西行という人間が見たものというより、もっと大きな、巨大な視点が見た、最後に残ったなにものかであるように思われる。