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 世界を捨てた男にも「あはれ」はあろう。その身にも風は吹こう。

 

 世界を離れた一人の人間に、自然は鮮やかに、美しく見えた。今や彼が一人の人間だからである。一つの共同体の中から、その窓から覗く自然ではない。裸で荒野に立つような経験があって人ははじめて「風」を体験できる。何事も余白を残して、趣味的にしか世界を眺められない人は、趣味的な認識しか持てず、そういう世界しか生きられない。

 

 しかし、自然もまた彼を見るだろう。この裸形の僧を見るだろう。西行の最も美しい歌は、この自己と自然との相互交感にあるように思われる。

 

 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

 

 年たけて又こゆべしと思ひきや命なりけりさ夜の中山

 

 こうした歌は、前述の「心なき」の歌と合わせて、西行の代表作と思われる。それは彼の煩悶する主体的自我と、同時に立ち上がってくる自然の風景が一つの歌の中で見事に融合されているからだ。彼は自己と自然との分離を歌という作用で包んだのだが、その先には仏道があった。いずれ、歌は消えなければならない運命にあった。この点は、芸術はそもそも宗教を母胎としているという事と関わりがあるように思う。芸術は、天から降りてきた肉体ある個人によって生み出され奏でられるが、やがてそれは天(か地)に帰らなければならない。

 

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