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にほてるやなぎたる朝に見わたせばこぎゆく跡の波だにもなし
これは西行の晩年の歌となる。「にほ」というのは琵琶湖を「鳰の海」と言うから、西行はこの語を用いたらしい。この歌は琵琶湖の風景を見て歌ったものだ。
私は日本の古典に大した知識もないので、饗庭孝男の「西行」を下敷きにして考えていくが、詞書には「今は歌と申すことは思ひ絶えたれど」とある。これを饗庭は「起請文をたてて歌を詠むことをやめた筈の西行が、最後の歌はこういうところで詠みたいと言ったというのである」と書いている。
またネットで見かけた論文(金任仲「西行の晩年」)にも次のように書いてあった。
「西行のこの一首は、詞書に「今は歌と申すことは思ひ絶えたれど、結句をばこれにてこそつかうまつるべかりけれ」と言ったとあるように、生涯和歌に執した西行がすでに「和歌起請」という形で、歌を断っていた驚くべき事実と、その歌断ちをみずから破ってあえて生涯の結句という意識で「にほてるや」の歌を詠んだことを何気なく提示しているわけである。」
西行は最晩年、歌を断っていた時期があったにも関わらず、その禁を破って歌った。私にとっては実際にそうであるかよりも、詩から逆算されるイメージの方が大切なので…しかし、確かに、「にほてるや」のこの歌はそうした西行の立ち位置を見事に物語っているように思われる。というのは、「こぎゆく跡の波だにもなし」という部分は、船が去っていく時には、漕いでいった跡、要するに航跡が残るはずだが、西行の視線はその跡すらない、という点に注がれているからだ。
ここで私は、西行は、普通の感慨を越えたもう一つの感慨に独特の到達をしたように思われる。というのは普通は人間が自然につけた傷跡が思われるのであって、それは例えば荒れ果てた建物、遺跡、あるいは死体や傷ついた鎧が転がっている戦場が風の中でただ放逐されている図など、そうしたものへの哀切を込めた思いが、通常の感慨であろう。
西行の歌は、彼がどういう道程を辿ったか、はっきりわかっていないが、最晩年には更にその先、真空地帯のような、独特の無風状態に到達した。私にはそんな風に感じられる。
西行が見ているのは「こぎゆく跡」でも「こぎゆく跡の波」でもなく、その後の「なし」についてである。彼は、若き日を老いた人が感慨を込めてみているのではない。もう都を捨てて放浪に旅立った過去は遠く離れている。彼はそのような昔に感慨を込めているのではない。あえて言えば、彼は感慨に対して感慨を抱いている。世界に対する、歌という鎮魂作用、自分と世界との割り切れぬ関係を歌で割り切ろうとしたあの若き日、歌によって生きた日、それすらを彼は過去に見て、その跡すらもないという過去を振り返っている。
ここに立っているのは普通の詩人ではなく、詩人を感慨する詩人、即ち真空の、空白地帯にいる詩人に私には思われる。ナーガールジュナは彼の「空」思想を完成させる為に、「空もまた空である」とはっきり言い切ったが、同じような世界の果ての視点を、西行は人生の終わりに、また人生が終わる間際であるという事が作用して獲得したのだろう。