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リセエンヌ  作者: 松本龍介
57/62

連休明け

 碧と藍はいつも通り一番に教室へ入った。

 「何か埃っぽい(にお)いするね」自席に向かいながら碧が言う。

 「うん…」見たところ積もってはいないが、藍にも埃っぽいと感じられる。

 「窓開けよっか」

 「うん…」

 藍は教室前方の窓に、碧は後方の窓に行き、順に窓を開けていった。いつものように碧の方が手際が良く、八枚の窓のうち藍が開けたのは三枚だった。

 「あ、後ろの扉も開けとこ」碧が教室後方の扉へ向かった。前方の扉は既に開け放してある。これは(にお)いのためではなく、小さな親切だ。(じゅつ)(ぷん)もすれば次々と同級生が教室に入ってくるので、開け放してある方が親切なのである。冬期は都度閉めようという気になるかも知れないが…。

 「あ、そうだね…」

 「連休、あっと言う間だったね」扉を開けた碧がそう言った。

 「うん…」ものすごくたくさんの事があったのだが、終わってみるとそう感じる。

 二人は自分達の席へと向かった。

 「過去最高のゴールデンウィークだったよ~」

 「え…! 私も…!」碧にとってもそうだったのなら、とても嬉しい。

 「藍ちゃんも? わたし初めてのことがいっぱいあったー」

 「私も…碧ちゃんも初めてサッカー見たの…?」

 「うん! テレビとネットでしか見たことなかった! 応援があんなにスゴい声だって知らなかったよー」

 「うん…」無論、藍もである。テレビですら見たことが無かった。

 「みんなで応援するのって楽しいね!」

 「うん…」碧と一緒なら何でもいいと思って参加したのだが、期待を遙かに上回る楽しさだった。

 「つばさちゃんとじゅんちゃんと知り合いになれたのもよかったー」

 「うん…」ほとんど話をしていないが、藍は二人に好意を感じている。

 「じゅんちゃん、鈴木君とうまくいったのかな?」

 「うん…」碧に言われてみて、自分も二人のその後が少し気になっていることに気づいた。恋愛ごとが気になるなど、初めてのことだ。

 藍が自分に驚き、秘かに動揺しているその時。

 「おっはよー!」陽気な挨拶と共にその鈴木が教室に入ってきた。今日は随分と早い登校だ。

「二人ともサンキューな! おかげでいっぱい来てくれたぜ」後方扉付近から、大きな声で二人に話しかけてくる。

 「おはよう。すごい楽しかったから、企画してくれてよかったよ。ね!」

 「うん…」

 「そうかそうか」満足げに鈴木が頷く。

「よかったらまた応援来てくれよ。あ、それとホームルームん時ちょっと時間くれ」

 「うん、分かった」企画者として参加者に礼を、ということであろう。

 「さんきゅー」鈴木は自席に鞄を置き、中から小さな袋を取り出すと、それを持ってまたすぐ教室を出た。

 「うーん、全然分からないね」

 「え……?」何の話かが藍には分からない。

 「じゅんちゃん」

 「あ……うん…」今の鈴木の態度はいつもと変わらず飄々としていたので、藍には全く測れない。

 「緑子ちゃんから仕入れるか…」情報を、であろう。碧はかなり気になっているようだ。

「それはそれとして」

 「うん…」

 「図書室行くよね? 放課後」

 「うん…」

 「わたしも一緒に行くね! 部活の前に」

 「うん…!」梨乃に関することであるから、碧も一緒の方が望ましい。

 「ばらの湯楽しみ!」

 「うん…」藍も楽しみにしているが、恥ずかしさもある。

 「バラ風呂企画がどうなったかも気になるー!」

 「あ、うん…」藍も気になる。実現したら是非入ってみたい。

 「おはよー! お、まだ二人しか来てないじゃーん」後ろの扉から緑子の声がした。

 「おはよう!」「おはよう…!」二人はそちらに顔を向けて挨拶する。

「さっき鈴木君が来てすぐ出てったよ。緑子ちゃん、早いね!」

 「今日は何かやる気でさー。家から自転車で来たら意外と早く着いちゃったんだよねー」緑子は窓際の自席に向かう。

 「おお~、いいね!」

 「相生ちゃんも自転車だよな」

 「うん! 松本駅で藍ちゃんと合流して一緒にね!」

 「え! 藍さん駅から自転車なの?」鞄を机の上に置いて、緑子は二人の方へやって来る。

 「あ、ううん…碧ちゃんに乗せてきてもらうの…」

 「あー。毎日デートじゃん」

 「ブフフフフ♡ あ、デートと言えばちょっと気になってるんだけど」

 「淳?」

 「緑子ちゃん鋭い!」

 「それが今回は全然何も言ってこないんだよなー。聞くのも何だし」今回は、ということは今までは話していたのだろう。しかし、それが何を意味するのか緑子も掴みかねているようだ。無論、藍には推測も出来ない。

 「そっかー。鈴木君もいつも通りだったしなー。あ、そうそう、もう一つ気になってるんだけどね」

 「芋?」

 「緑子ちゃんエスパー!?」

 「メンゴ。発売来週の月曜だったわ」

 「あ、やっぱり?」

 「うん。言い忘れてたけど、肥料使ったらダメだからな」

 「そうなの?」

 「葉っぱばっかり茂って芋が大きくならんのよ」

 「おお~、さすが経験者! あ! サッカーの時席取りありがとう!」

 「どすこい」緑子は重々しく頷きながらそう言った。『せきとり』、だからであろう。

 「じゅんちゃんとつばさちゃんも!」

 「どすこい言っとくわ。相生ちゃんが今度体で払うって」

 「イヤーン♡ 優シくシてね♡」碧が身をくねらせる。

 「払う気満々だな」緑子は呆れ顔だ。学校では碧は堅物な委員長という感じだから、今の反応が意外だったのだろう。

 「体は許しても心は許さないから」

 「いや体も許すなよ」

 「うわ怒られた! 藍ちゃーん」碧が抱きついてきた。

 「え……」予期せぬ行動に狼狽しつつも、両腕をそっと碧の背に回す。

 「おー朝からイチャイチャしてんなー。わたしも混ざるか」また後ろの扉の辺りから声がして、見てみると美奈子だった。

 「おー来い来い。私も、と」緑子が藍の右側に立ち、左腕を藍の背に、右腕を碧の背に回す。

 美奈子は足早に歩いてきて、自席に鞄を置くと、藍の左側に立ち緑子と同じようにした。藍はどうしていいのか分からず心中でおろおろするが、

 「おお~、この前の試合みたい」碧は全くそんなことはないようだった。

 「あーそだな」美奈子も冷静に返し、

 「あれはよかった」緑子は寧ろ普段より抑揚を抑えた調子だ。三人とも呟き程度の大きさの声なのだが、耳のすぐ傍で発せられるので、細かい声の調子まではっきりと聞こえる。こんな距離で声を聞くのは藍にとって初めてのことだ。

 「私に黙ってイチャイチャしてるとはけしからんな」また扉の方で声がして、目を遣ると今度は鈴音だった。

 鈴音も鞄を置いて藍達の方へやって来て、緑子と美奈子の間に下から潜り込んできた。結果、抱き合った藍と碧を三人が囲む形だ。

 「鈴音早いじゃん」と緑子。かわらず呟くような調子だ。

 「何か今日は早く来たくなってな」雰囲気を察したのか、鈴音も静かに話す。

 「わたしと(おんな)じだ」

 「私もー」

 「みんなそんなにわたし達に会いたかったとは…!」

 「んー、どっちかって言うと藍さん?」腕を離しながらすかさず、しかし静かに鈴音が返し、緑子と美奈子も無言で頷く。

 「ぎゃー。思ってても言ってはいけないことを」ぎゃーの部分が棒読みで藍には可笑しく感じられたが、吹き出すのは堪えた。

 「スズネ、球技大会の時また弁当やってくれよ」

 「そうそう! スンゴいおいしかったよー!」

 「ほかのみんな次第だな。今度は人数多いし」今回は有志参加だったが、球技大会は授業の一環なので全員参加だ。

 「あ、そっか。全員出席で四十人…盗賊団だね!」

 「贄さんがサイババか」美奈子が応えるが、

 「アリババだ」鈴音に訂正された。

 「そうだっけ? どっちも漢字で書くとヤな感じだな」

 「塞ぐ(ババア)と有る婆か。わざわざ漢字にすんなよ。本当にそういう名前の人いんだろ」

 「そうだな。こりゃ失敬。てーか、ほかのクラスも40人だろ。盗賊団だらけだぞ」

 「おぉ、そうだね!」

 「おーっと大事なこと忘れてた。誰だよババアとか言い出したの」

 「自分自分」三人が同時に発した。藍はそれを聞いて、四人はすっかり気の置けない仲になっているなと感心し、それを嬉しく思っている自分に気づいて少し驚いた。

 「で何だよ、大事なこと」

 「料理部も作ってくれよ」美奈子の言葉を聞いて、碧が「よし!」という表情になる。

 「それそれ」と緑子。

 「冗談かと思ってた」

 「大マジメ」美奈子が重々しく言う。

 「掛け持ちでよかったらわたしも入るよ!」碧がすかさず援護する。

 「部活入るのはいいんだが、作るとなるとな…」鈴音は渋るが、

 「とりあえず調査は任せろ」構わず美奈子が話を進める。

 「言っとくけど、部長とかやらないからな」

 「大丈夫。わたしが部長でミドリが副部長だ」

 「アレを毎日食えるならそれぐらい軽いな」緑子も調子を合わせる。

 「そんなにお金ないぞ」毎日料理するとなれば食材費はそれなりに嵩むだろう、と藍も思う。

 「部活には学校から予算が付くだろ」と美奈子。

 「マジか!」

 「多分」

 「多分かよ」

 「その辺はこれから調査だ」

 「まずは創部の条件からだな」緑子の言葉は尤もだ。

 「とにかく今日の放課後職員室に討ち入りだ」美奈子のやる気に藍は感心する。が、

 「いやオンビンにやれよ。誰を討ち取るつもりなんだ」緑子は呆れた様子だ。

 「顧問」

 「じゃ生け捕りだろ」

 「そうだな」

 「いや調略だろ」鈴音の横槍に、

 「そうだな」美奈子と緑子が声を合わせた。

 「誰生け捕るか目星つけてんの?」

 「いやまだだけど、最悪贄さん()いてるし」

 「じゃあとりあえずは調査待ちだね」と碧。

 「キッポーを待てい」美奈子

 「うん! ポッキー待ってる!」碧が元気よく言うが、

 「それは待っても来ねえ。むしろそっちがポッキーを持てい!」と美奈子に返された。

 「おお! また怒られた! 藍ちゃーん」碧がまた抱きついてきて、藍は両手をそっと碧の背に回す。

 「相生ちゃんはすぐ藍さんに甘えるな」先ほど同様緑子が二人まとめて抱き、

 「全くだ」美奈子も同じようにする。

 「なるほど、こういう流れだったのか」鈴音が加わったところで、

 「え、なになに!? 朝っぱらから霊とか呼んでる!?」後ろの扉の方から()明後日(あさって)なことを言う声が響いた。下島の声だろうか、と藍は推測する。

 「だとすると、霊が降りてくるのは相生ちゃんの位置だな」美奈子がからかうように言うが、

 「降霊術は全員で輪になるんじゃないの?」碧は真面目な顔でそう返した。

 「そうなの?」

 「映画で見たのは全部そうやってたよ」

 「じゃあ霊は誰に降りるのよ?」

 「誰ってわけじゃなくて、多分輪の中」

 「取り憑くんじゃないのか」

 「うん、そんな感じだったよ。で、一旦霊が来たら絶対輪を切っちゃダメなの」

 「切るとどうなる?」

 「制御できなくなって、映画だと大体暴れだすね」

 「暴れる? どうやって?」藍も美奈子と同じ疑問を感じている。実体が無いのだから暴れようが無いのではないか。

 「ポルターガイスト? 掛け時計落としたりカップ落としたり」

 「うちの三郎と変わらねえ!」

 「さぶろうなかなかの(ワル)だね! うち、時計は落とさないよ」

 「最近多少落ち着いてきたけどな。じゃねえ! 幽霊ってサイコキネシス使うのかよ」

 「みたいだよ。て言うか実体ないし」

 「強力だな。なのに呼ばれないと来れないのか」

 「そう言われればそうだね」

 「で、暴れた挙句どうなんの?」

 「パターンいろいろだけど、降霊会メンバーが殺されたり、何とかうまいこと輪の中に戻したり」

 「メンドくさいな、降霊!」

 「あの世から戻すんだからねー」

 「て言うか、そもそも呼ぶなよ」

 「うをっ、それ言ったら映画が!」

 「いや、理由なかったら呼ばねえだろ」

 「そうだね。理由はいろいろだけど、死んだ旦那さんに会いたいーとか、興味本位ーとか」

 「興味本位はB級ホラーにありそうだな」

 「わたし達がこっくりさんやるようなもんだね」

 「あれはマジ勝手に動くからスゴい」黙って聞いていた緑子が話に入った。

 「やったことあんの?」

 「ないの?」

 「ねえ」

 「え? みんなは?」

 「ない」「ないよ」鈴音と碧が同時に発し、少し遅れて藍は頭を振った。

 「マジで? 小学校の時めっちゃはやらんかった?」

 「いやそんなに」間を空けず美奈子が応え、

 「うちも」すぐ鈴音も続き、

 藍はまた頭を振った。

 「ウチだけ!?」

 「っぽいね」

 「うちも流行ったよー」この話題の出元である下島が話に戻ってきた。さらに、

 「うちもー」いつの間にか教室に入っていた遠藤も加わる。遠藤は藍のすぐ後ろの座席だ。

 「ほら! 全国的大ブーム!」

 「いや全国って…」

 「どこブームかは置いといて。勝手には動かねえだろ」美奈子の意見に鈴音と碧も頷く。無論藍もそう思っている。

 「いやホントに動くんだって」

 「えー」

 「やってみれば分かる!」

 「いや、やらねえけどな」

 「えー!? 一回やってみって!」

 「大体ロクな結果にならねえだろ、話に出てくるの」

 「作り話だろそんなの。私コワい目にあったことないし」

 「低確率でもムダにコワい目に会いたくねえ。大体何聞くんだよコックリさん」

 「そりゃあ誰々君が自分のこと好きかー?とか」

 「それ意味あんの? NOって出たらダメージしか残らねえだろ」

 「いやいや。つばさが彼氏と付き合い始めたの、コックリさんで『彼もつばさのことが好き』って出たのがきっかけだからな」

 「なにっ!?」

 「フフフ、興味が出てきたようだね?」

 「ちょっとな」

 「よし! 今日の放課後やってみるか!」

 「いや、やらねえけどな」

 「なんで!?」

 「今好きなヤツいねえし。て言うかいても恥ずかしくて言えんわ」

 「だな。つばさちゃん勇者」

 「わたしも淳もつばさがその子好きなの知ってたからな」

 「そういうことか」

 「その子がつばさ好きなのも知ってたし」

 「そういうことか! ヤベえ、急にミドリが天使に見えてきた」

 「出来レースも演出次第ってことよ」

 「悪者だった!」

 「いや、ワルモノ風天使だな」

 「そうだね!」藍も鈴音と碧の意見に賛成だ。

 「出来レース演出してほしい時はわたしに連絡!」緑子は少しふんぞり返った。

 「需要なさそう!」碧が実に正直な意見を言う。

 「くら! ホントのこと言うな!」

 「つばさちゃんの件はいい仕事したね!」

 「そりゃもうラブコメマンガばりのもどかしさだったからな! つばさ今よりさらに押しが弱かったし、彼氏もそういうタイプだし」

 「早よくっつけや!みたいな?」

 「みたいって言うかまさにそれ」

 「ほっとくと一生くっつかない?」

 「そうそう。いやーがんばったわ、わたしら」

 「ミドリは?」

 「『わたしは?』?」

 「彼氏」

 「ほしい」

 「なんだ、いねえのか」

 「いたら一緒に試合行ってるって」

 「そりゃそうか」

 「みんなの前で超イチャイチャしちゃう♡」

 「うわ見たくねー」

 「見たくなくても見せつけちゃうね」緑子は得意気に胸を張る。

 「ミドリに彼氏ができたらメンドくさいことになるな」

 「慣れだよ慣れ」

 「慣れたくねー」

 「もー、ワガママだな!」

 「いやそっちが自重すんのがフツーだろ」

 「愛し合う二人の間に常識が入る余地なんかないね」

 「自重すんのが常識だっていう意識はあんだな」

 「まあねー」

 「実在しない彼氏のことでよくそんなに盛り上がれるな」鈴音が呆れ顔で口を挟んだ。

 「む! わたしとしたことが、ミドリの誘いにのってしまった!」

 「フフフ」

 「ミドリに彼氏ができたら遭遇しちゃいけねえ」

 「いやいや、めっちゃツンツン彼氏だったり」鈴音がからかうように言う。

 「わたしの彼氏に限ってそれはないね」

 「甘やかし系?」と美奈子。

 「そうそう」緑子が頷く。が、

 「そんな男はこの世に存在しねえ。当社調べ」すかさず鈴音が否定した。

 「そんな悲惨なのか、高木家…」

 「うむ。兄ちゃんは私を甘やかしたことないし、弟はすぐ甘えてくるし」

 「甘えてくるの可愛くない?」緑子が意外そうに訊く。

 「昔は可愛かったんだが、最近は態度がデカくなってきてなあ」

 「中学生?」

 「うん」

 「何年?」

 「2年」

 「あー」

 「ごはんつくれだの風呂沸かせだの、私はお前の召し使いじゃねえ!て感じ」

 「風呂は自分で沸かせるな」と美奈子。

 「だろ?」

 「うちはお兄ちゃんがお風呂沸かす係だよ!」暫く黙って聞いていた碧が話に入った。

 「なんて出来た兄ちゃんだ…!」鈴音が目頭を右手の親指と人差し指で押さえる。無論、格好だけであろう。

 「それ以外は何もしないけどね!」

 「なんてフツーの兄ちゃんだ…!」

 「『普通』の基準ユルいな」緑子の指摘に、

 「そうか? うちの兄ちゃんに比べたら神だよ神」鈴音は真面目な顔で応える。

 「そんな残念なのか。カッコいいのにな」美奈子の言葉に、

 「鈴音の兄ちゃん見たい!」緑子が反応する。

 「美奈子が言うほどかっこよくねえぞ」

 「いやいや、背高くてスタイルいいだよ」

 「何年?」

 「3年」

 「うちのお兄ちゃんと一緒だ」碧が呟いた。

 「受験?」

 「さあ。進路の話しねえから」

 「相生ちゃんとこは?」

 「受験」

 「よし。じゃあ早いうちに両方見に行こう」

 「うちも?」碧は少し驚いた様子だ。話の流れからすれば無理も無い。

 「妹がこれだから期待できる」

 「イヤん♡ 緑子ちゃんがワタシをそんな目で見てたなんて…!! でもワタシもう妻も夫もある身なのでぇ♡」両手で頬を挟み、頭を小さく左右に振る。

 「どこからツッコめばいいんだ」と言う緑子も、

 「てゆーかどこツッコんでほしいんだ」美奈子も、碧の言葉をどう受け取るべきか迷っているようだ。

 「一番違和感があるところだな。夫があるって何」

 「妻じゃなくて?」緑子が訊き返すが、

 「妻は藍さんだろ」鈴音は間髪入れずに応えた。

 「あ、そか」

 「鈴音ちゃん分かってるぅ!」

 「で夫って誰」

 「いやー、それは三人だけの秘密なのでぇ♡」

 「三人…てことは藍さんも噛んでる…」

 「緑子ちゃんやっぱりエスパー!?」いや今の話の流れならば誰にでも分かる、と藍は思うが、もちろん声には出さない。

 「この前言ってたユカリセンパイか…?」

 「残念! 多分みんな知らない人だよ。ね」

 「うん…」高校の先輩とは言え四学年上だ。接点は無いだろう。

 「藍さんが言うなら間違いないか」

 「だな」美奈子と鈴音の声が重なった。

 「わたしの信用!?」

 「絶好調暴落中」

 「なぜブラックマンデイ!?」

 「胸に手を当ててよく考えてみるんだな」

 碧は無言で両掌を美奈子の胸に置いた。

 「そうじゃねえ」

 「いかんな相生ちゃん」緑子が碧の背に覆い被さるようにして立ち、碧の外側から腕を回して美奈子の胸に両手を当てる。

 「ますますそうじゃねえ」

 「そうだぞ。自分だけっていうのは頂けんな」美奈子の背後から鈴音が両胸を掌で持ち上げた。

 「聞いちゃいねえ。リョーシキあんのは藍さんだけか」普段ならばこのような言葉には恐縮してしまうところだが、今回はその通りだと藍も思う。

 「よく考えたけど分からないよ!」胸から掌を外さずに碧が言った。

 「何が?」三人に両胸を触らせたまま美奈子が訊く。

 「何がって…ブラックマンデイの理由。胸に手を当ててよく考えろって」言いながら両手の指を少し動かす。

 「私分かるぞ」鈴音も、

 「わたしもー」そして緑子も同じようにするが、美奈子は動じない。

 「ええ!?」と碧は大袈裟に驚く。無論演技だろう。藍にすら分かっているのだ。

 「まさに今暴落させてるもんな」

 「な」

 「どさくさにまぎれてるおまえらもな」美奈子が尤もなことを言うが、

 「何のこと?」

 「さあ?」二人はとぼける。

 「それちょっと私もまじっていい?」遠藤が席を立ちながら声を掛けてきた。それ、とは美奈子の胸に掌を当てる、ということだろうか。

 「うむ」美奈子が重々しく答える。

 「やったね!」四歩の距離を遠藤は急ぎ足で歩き、碧の右側から左手を伸ばして美奈子の左胸を押した。

()らかっ!」

 「だろ?」「だよな」「だよねー」三人が同時に発する。

 「これはヤバい。これはクセになる」

 「だろ?」「だよな」「だよねー」

 「あーヤバ。美奈子ちゃんと結婚したい」

 「いやいやこれは私のだからな」

 「いやいや独り占めはいかんよ鈴音」

 「いやーモテる女はツラいなあ。みんなのダンナになってやるから、しっかりわたしを養うんだじ?」

 「ヒモ宣言!」碧が驚いた声を出すが、藍には言葉の意味が分からない。

 「中年がなりたい職業ランキング第1位のやつか」訳知り顔で緑子が言う。

 「そうなの!?」

 「メンゴ、テキトー()った」

 「ホントだったら日本ヤバいな」鈴音の意見に、美奈子と碧が頷く。

 「私この感触のためなら貢げる」

 「ライバル登場だよ!」碧が煽るが、

 「私は飯提供だし」鈴音も、

 「わたしは無料コンテンツだけでいいわ」緑子も、焦った様子は無い。

 「何!? 無料コンテンツって」遠藤がすかさず反応した。

 「ブラつけた状態は無料だって本人が」緑子の言葉を、

 「うん、言ってたよ!」碧が継いだ。

 「マジか…美奈子ちゃん太っ腹すぎる…」

 「女子に太いとか!」

 「あ、ごめん」

 「まあ事実だけどな。そろそろ贄さん来るんじゃね?」

 「む、そうだね」碧は両手を美奈子の胸から離す。

 時計を見ると、八時三十四分。ホームルーム開始時刻まで一分を切っている。学級の全員が揃い、半数ほどは既に席に着いている。

 碧がちらりとこちらを見たので藍は一つ頷く。意を察した碧が席に戻らず教壇へ向かうと、立っていた生徒も席に着いた。藍も碧の後に続く。

 河内も席を立ち、前に歩いてきた。

 待つこと数秒で教室前方の扉が開き、贄教諭が入ってきた。一月(ひとつき)の間にコツを掴んだらしく、初日に比べればずっと滑らかに扉を開けるようになった。

 「起立」「礼」「着席」贄教諭がいつもの位置に着き、碧が号令をかける。

「先生、今日(きよう)は」

 「個人的な連絡だが、サッカーの時の弁当代を払えてないので担当は後で請求してくれ」

 「だそうです」と碧が言い、鈴音が黙って頷いた。

「では鈴木君」名を呼ばれた鈴木が即座に立ち上がった。待ち構えていたのだろう。

 「応援に来てくれた人、ありがとうございました。すごくいい応援ができました。みんなが来てくれなかったら勝てなかったかも知れません。これからも厳しい試合が続くので、できればまた来て下さい。それと、女子チーム、お弁当ご苦労様でした。おいしかったです」言い終わると鈴木は席に座った。

 その直後、鈴音が手を挙げた。

 「はい、高木さん」少しだけ間を置いて碧が促す。

 「お弁当代ですが、一人800円でお願いします。10円未満は切り上げさせてもらいました。私まで持ってきて下さい」

 「参加した人、高木さんにお金渡して下さい。他には、なさそうですね。起立」「礼」「着席」


 放課後。図書室へ向かおうと碧と藍が席を立つと、

 「じゃ職員室行ってくるだよ」美奈子に声を掛けられた。振り向くと、緑子と二人、鞄を持って教室後方の扉へ向かおうとしている。

 「ポッキーよろしくお願いします!!」碧は敬礼した。

 「うむ」

 「ホントに作るつもりか」二人の姿が廊下に消えると、鈴音が呟いた。声から察するに、驚き六割呆れ四割というところか。

 「できてほしいなあ。美奈ちゃんがんばって!」碧が廊下に向かって呟いた。

「鈴音ちゃん、美奈ちゃんと緑子ちゃん戻るの待ってる?」

 「うん」

 「よろしくお願いします!」

 鈴音は頷いた。

 「じゃ行こっか」

 「うん…」

 二人は教室を後にした。

 「片倉さん、部活入ってないよね?」

 「え…さあ…?」藍は、同級生のことをほぼ知らない。

 「和田さんが水泳部、原さんがバレー部で、大村さんもどっか文化部って言ってたから」

 「あ、そうなんだ…」山雅応援の時に各献立を担当した者の中で部活無所属の可能性が残るのは片倉だけということだ。

 「10人集めるのはムリっぽいけど、5人だったらあと1人だから」

 「うん…」美奈子、緑子、鈴音と自分で四人だ。

 「わたしでもいいんだけど、もう掛け持ちしてるから人数に数えてくれるかどうか分からないなーって」

 「あ、そうだね…」

 「片倉さんだったら鈴音ちゃんも喜びそうだし」

 「うん…」研鑽しあえる相手が居るのは鈴音の望む所であろう。片倉の作ったメンチカツもコロッケも、冷えていたのにとても美味しかった。

 「まあ、創部の条件が分かってからだけど」

 「うん…」入部してくれと頼んでおいて、やっぱり創れませんでしたでは申し訳無い。

 「気になるけど、美奈ちゃんと緑子ちゃんを待つしかないね」

 「うん…」

 「今は紫センパイの方に集中だね!」

 「うん…」

 「絶対来てくれるけど!」

 「うん…」そうに違い無いと藍も予想する。

 「ではいざ!」二人はちょうど図書室の前に着き、碧が右腕を広げて扉を指した。藍が開けろ、というのであろう。

 図書室の扉は一年F 組教室と違い、滑りがいい。藍でも、軽い力で楽に開くことが出来る。

 「こんにちは…」敷居を跨ぎ、受付に向かって二歩歩いてから藍は挨拶した。

 「こんにちは!」藍の後から碧も図書室に入る。

 「いらっしゃい! 梨乃センパイから連絡来たよー!」紫は席から立ち上がり、二人に両手を振った。

 「紫先輩も参加ですよね?」

 「当たり前田のセサミハイチ」言葉の意味は藍には分からないが、言いたいことは分かる。

 「ですよねー!」

 「ええと、集合のことも聞いてます?」

 「碧ちゃんに訊いてくれって」

 「あ、そうですか。紫センパイ、家どこですか?」

 「そんなこと聞いて、さては夜這いに来るつもりだね? ああん、ユカリ貞操の危機ー♡」

 「そんなに期待されちゃ行くしかないね!」自分に向けられた言葉に藍は困る。

 「え…と…『よばい』って何ですか…?」藍が初めて聞く単語だ。どのような漢字が当てられるのか見当がつかない。

 「…」「…」僅かな間を置き、

「性交を目的に男が女の家に夜忍び込むことだよ」実に直截な説明が紫の口から出た。

 「あ、そうですか…」なるほど、いつもの冗談だったということか。そして、漢字は夜に這う、だろうか。

 「わたしが知ってて藍ちゃんが知らない単語、初めてだ…!」

 「え、そんなことないよ…『もえ』とか…」

 「え! そうなの!?」

 「うん…」

 「意味調べたの?」紫の質問はなかなか鋭い、と藍は思った。言葉にするのが難しい感情だ。調べられたとしても、文字による説明では理解は出来ないだろう。

 「いえ、碧ちゃんを見てて…」

 「なるほどね」言わずとも分かっている、と紫の目が語っている。

 「わたしよく使うもんね」碧は全く分かっていないようだ。

 「うん…」大きなユニフォームを着た碧を見て『もえ』の意味を理解したのだ、とは口に出しづらい。

 そんな藍に向かって紫は小さく頷いた。どうやら紫は本当に察してくれているらしい。

 「で、家どこでしたっけ?」

 「(おお)(むら)ー」

 「大村…」

 「浅間温泉の南だよ」

 「じゃあ当日梨乃さんの車で迎えに行きます!」

 「マジで!? ああん、もうどこでも連れてってー!」

 「や、紫先輩は受験勉強あるから長時間はダメです」

 「碧ちゃんキビシい!」

 「梨乃さんから言いつかってますから。ね」

 「うん…」

 「梨乃センパイ菩薩♡」

 「ですねー。あ、わたしも信州受ける予定です!」

 「おお、じゃ同級生にならないようがんばらないと」

 「ですよ!」

 「藍さんは?」

 「え…と、まだ全然考えてなくて…」碧が受けると言っているから自分も信州、学部は何となく理系、みたいな気持ちはあるが、『志望』と言うには我ながらいい加減過ぎる。

 「まだ一年の五月だもんね」

 「はい…」この時点で志望校がはっきりしている生徒は少ないだろう。焦る気持ちは全く無い。

 「土曜日4時でいいですか?」

 「もっちろん! もっと早くてもいいよ!」

 「早く行ったら早く帰っちゃいますよ」

 「ああん、碧ちゃんイジワルー!」

 「言いつかってますから。住所送って下さい」

 「うん、ちょっと待って」紫は足元に置いた学生鞄から携帯電話を取り出し、数十秒操作した。

「送りました!」

 「届きました! じゃあ土曜日4時に行きますね。近くまで行って分からなかったら連絡します」

 「楽しみにしてるー!」

 「わたし達もです! あ、エロかわいい下着持ってきて下さいね!」

 「ああん、らくだ色の下着しかないー」

 「らくだ色! 初めて聞きました」

 「え、そうなの?」

 「はい。藍ちゃんは?」

 「私も…」藍にとっても初耳なのだが、最近は使われなくなった表現なので無理も無い。

 「そうなの? うち普通に使ってるからてっきり」

 「そうなんですね。まあらくだ色はおいといて、紫の下着とか持ってますよね?」

 「ドキ。なななぜそれをごご御存知なのかしら?」

 「紫の下着ってちょっとエロい感じですよね!」

 「そうかな? だったらエロかわいいはクリアだねん」

 「楽しみですー。ちなみに藍ちゃんは白、わたしは水色、梨乃さんは青ですね、多分」

 「青なの!?」

 「青好きだって言ってたんで、多分」

 「そうかあ。畏れ多いけど、でも見たい!」

 「そうでしょうともそうでしょうとも。でも鼻血注意ですよ!」

 「それで出血多量になっても本望♡」

 「さすが!」

 「藍さんの白はイメージ通りだね」との評に藍は恐縮する。

 「ですよねー」

 「碧ちゃんの水色はちょっと意外」

 「え、そうですか? 昔から水色好きなんですよー」

 「二人の下着も楽しみー!」

 「もう、紫センパイエロいんだからぁ♡ あ、わたし部活あるんでそろそろ行きますね」

 「また来てねん!」

 「はい!」

 碧は少し急いだ様子で図書室を出た。

 「藍さんは本借りてくよね」

 「はい…」借りていた本を鞄から取り出そうとしたその時。

 勢いよく扉が開き、藍を驚かせた。

 敷居の向こうに居るのは美奈子と緑子だ。

 「お、いたいた」と言って美奈子は図書室に入ってきた。緑子が後に続き、扉を閉める。

「そこで相生ちゃんとすれ違ってな」

 藍は黙って頷いた。碧が廊下に出るとほぼ同時に、二人も職員室から出てきたのであろう。そして、自分がまだ図書室に残っていることを察したに違い無い。

「部活は発起人10人必要だけど、同好会は5人でいいんだと」

 「よかったね…」ということは、自分も発起人になるよう依頼されるのだろう。

 「てワケで、藍さんも発起人になってほしいだよ」やはり。

 「うん…一応、親にも相談するね…」部活をやるとなれば、夕食の準備を手伝うことは難しくなると予想される。尤も、回答は予測されるが。

 「よろしく! スズネにも言っとくから」

 「うん…」

 「オジャマしました」二人は紫に向かってペコリと頭を下げた。

 「はいはーい。今度は本も見に来てねん」

 右手をひらひらさせる紫にもう一度会釈して、二人は図書室を後にした。

 「(なに)部作るの?」

 「名前は決まってませんけど…料理の部活です…」

 「へー。さっきの子達も料理するんだ」

 「いえ…料理できるのは一人だけで…」

 「え? じゃ、藍さんが入らなかったら成り立たないね?」

 「え…いえ、料理できるのは別の子です…」自分は、料理出来ると言える腕前には程遠い。

 「? 毎日お弁当つくってるんでしょ?」

 「はい…でも出来る種類が少なくて…」

 「そうなの? もう一人の子はもっと作れるってこと?」

 「はい…晩御飯作ってるそうです…」

 「すごいね。私手伝ったこともないよん」

 「……」何と言えばいいのか藍には分からない。それを察したか、

 「人数揃ってるの?」紫は話題を少し変えた。

 「いえ…私を入れてもあと一人…」

 「そっか。当てあるの?」

 「はい…一人だけですけど…」

 「そっか。…どうしても見つからなかったら言ってねん」

 「え……?」知り合いに声を掛けてくれるのだろうか。

 「どおーしても見つからなかったら私が入る」

 「え……!」全くの想定外であったので、藍は驚く。

 「藍さんが入るならーだけど」

 「…ありがとうございます…」受験生の身で部活動というのはかなり無理があるだろうし、部活動の間は図書室を離れることになる。恐らく並々ならぬ愛着を持っているであろうこの部屋を措いてまで参加してくれようというのはとても有り難いが、その言葉に甘える訳にはいかない。両親が入部に賛成してくれたら、全力で部員候補を探さねばならない。

 「藍さんのごはん食べたいし」

 「え…と……お弁当でよければ持ってきます…」連休前に一度食べてもらい、好評であった。

 「え!? いやいやそれは悪いよ」紫が胸の前で両手を振る。その様子を見るに、藍の申し出は想定外だったようだ。

 「一人分増えてもあまり変わりませんから…」これには多少の誇張がある。少なくとも玉子焼は一本余分に焼くことになるからだ。

 「何人分作ってるの?」

 「三人分です…」

 「あと一人誰の分?」

 「お父さんです…」

 「何その親孝行娘!? ここにも天使いたー!」

 「え……」誉められて藍は困るが、

 「ちなみにお母さんの分は?」紫はお構い無しに次の質問を繰り出す。

 「いえ…母は自分で…」

 「もしかしてお母さん専業主婦?」

 「あ、はい…」

 「いつからお父さんのお弁当作ってるの?」

 「高校に入ってからです…」

 「それまではお母さんが作ってたの?」

 「はい…」

 「政権交代!」

 「え……!? …いえ、私はまだ全然…」漸く母親の足元に及んだかどうかという辺りだ。

 「お母さんに教えてもらってるの?」

 「はい…」

 「晩ごはんは?」

 「え…と、手伝いだけです…」

 「何てできた娘だ…私将来藍さん家の子になる!」

 「え……」

 「旦那さんが決まったら教えてねん。挨拶するから」

 「え……」無論冗談なのだろうが、あまりにさらりと言うのでもしやと思ってしまう。

 「本借りてくよね?」

 「あ、はい…」

 先ほど開けかけてやめた学生鞄の口に、藍は改めて手を掛けた。

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