表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リセエンヌ  作者: 松本龍介
36/62

ファン

ファン


 翌朝、二人が教室に入って席に着いた直後、前の扉が開いた。

 そちらを見ると、井川が入ってくるところであった。

 「おはようございます…」挨拶して立ち上がった後、順序が逆だったと藍は恥ずかしくなった。

 「おはようございます!」碧は藍よりほんの少しだけ遅れて立ち上がり、挨拶した。

 「おはようございます」井川も礼儀正しく挨拶を返し、こちらに向かって歩いてきた。碧の前を通り過ぎ藍の前まで来て、

「この人が昨日言ってた友達?」

 「あ、はい…」藍は碧を紹介しかけたが、

 「相生碧です!」碧が元気よく名乗った。

 「3-A(さんエー)の井川紫です。え? 相生さん? あの相生さん?」

 「はあ」不思議そうに碧が答える。もちろん、あの、の部分に引っ掛かったのであろうが、藍には察しがついた。

 「めっちゃカワイイじゃん! もっとキツそうな子だと思ってた!」この言い方からして間違い有るまい。

 「あ、ありがとう…ゴザイマス…」藍は、碧が照れているのを初めて見た。

「えーと、何でわたしのこと知ってるんですか?」

 「そりゃ知ってるよ。入学式の日に校長に説教したツワモノだもん、みんな知ってる」やはりそうか。

 「え…」二、三秒の絶句の後、

「説教じゃなくて意見だったんですけど…しかも言えって言われたから…しかも名前まで…しかもみんなって…」確か校長は御指導という言葉を使ったが、いつの間にか説教ということになっているらしい。

 「うちの担任がホームルームで言ってたからねー」

 「ぐはーっ!」碧には気の毒だが、かなりの人数が誤解していることは確定的だ。

 「悪い意味にはとられてないよ。それはそれとして、本日伺いましたのは」

 「あ、藍ちゃんから聞いてます! ちょっと待って下さいね!」碧は今までの話を全て忘れてしまったかのようにケロリとした表情でポケットに右手を入れ、携帯電話を取り出した。

 「あるの!? 梨乃センパイの写真!」

 「五枚だけですけど」

 「~~~~!」声にならない叫びをあげ、井川は両手を合わせた。

 数秒後、

 「どうぞ!」碧が携帯電話を井川の前に差し出すと、

 「おお~~!!」井川が携帯電話に顔を近づける。

「梨乃センパイ、犬飼ってるの?」今、画面に映っているのは山と自然博物館前の写真である。

 「はい! 柴がお姉さんでシェパードが弟です。どっちもカワイイんですよ~!」

 「あ、柴も梨乃センパイちの子なんだね。うん、どっちもカワイいね! 梨乃センパイ相変わらずキレイだし♡」

 「プロポーションも抜群ですよねー」

 「ねー」会って二分程度で、すっかり意気投合している。

 「次行っていいですか? 立ち位置違いですけど」

 「うん」

 碧は携帯電話に触れ、次の写真を表示した。

「おおー、微妙に別角度! やっぱりキレイ♡」

 「ですよねー。次は梨乃さんの位置変わらないですけど」

 「うん」

 また次の写真を表示する。

 「うわー、梨乃センパイマジ女神♡」

 「ですねー」二人の言う通り、梨乃の美しさは写真でも際立っている。

「次はこの次の日で」

 写真を切り替える。

 「ひゃー、これも女神!! え!? これもしかして梨乃センパイの部屋!?」

 「あ、そうです」

 「~~~~!」井川は目を閉じ合掌する。これは、本当に拝んでいるのだろう。

「ウラヤマシい…!」目を開けた井川はそう感想を述べた。

 「これで最後なんですけど」碧は次の写真を表示させた。

 「え、これどういう状況?」

 「梨乃さんの誕生日ケーキを持ってった時に記念撮影したんです!」二人で左右から梨乃の頬に唇を当てている写真だ。

 「ウラヤマシすぎる…! え!? 梨乃センパイ誕生日いつ!?」

 「あ、えっと、勝手に教えるわけには…梨乃さんに聞いてみますね」

 「そうだね、よろしく! あ、ついでに写真貰っていいかもきいて! ちょっと待って、私のアドレス出すから!」

 「はい」

 「はいこれ!」

 「あ、はい」その画面に自分の携帯電話を近づけた後、何やら操作し、

「…っと、送りました!」

 「届きました!」

 「梨乃さんに先輩のアドレス教えていいですよね?」

 「モチロン!」

 「先輩の名前の漢字教えて下さい!」

 「そか、言ってなかったね。井川城の井川に(むらさき)」井川城は、中世信濃国の国衙であったとされる(たち)で、その遺構と目される場所付近に井川城という地名が残っている。

 「紫、ですか?」碧は不思議そうに訊き返す。ゆかりと読めることを知らないのであろう。

 「うん。紫と書いてゆかり。ゆかりごはんのゆかり」

 「へー、紫でゆかり…ステキですね! かっこカワイイです!」

 「ありがとう」『と』を強調して言う。

 「わたし達、藍と碧なので、色仲間ですね!」碧は嬉しそうだ。それを見て井川も笑う。

 「そうだね! じゃ、よろしくお願いします!」井川が敬礼し、

 「お任せを!」碧も返す。以前、碧と梨乃が同じようにしていたことを藍は思い出した。

 井川が教室を去ると、

 「やっぱりいたね! 梨乃さんファン」

 「うん…」

 「ぱっと見、話しにくい人だったけど、話し出したらそうでもないね!」

 「うん…多分、私達が梨乃さんの知り合いだからだと思うよ…」梨乃の名が出なければ、ずっと会釈だけの関係だっただろう。

 「あー、そうかも! そして絶対ほかにも潜伏してるな!」

 その時、河内が教室の扉を開け、何となくその話題はそこで終わった。


 放課後、スキー部の部室へ向かう碧を見送ってから、藍は図書室へ向かった。無論本を借りるのだが、それ以上に井川のことが気になっている。

 扉を開け中に入ると、期待通り右側の受付に彼女は座っていた。

 「お、青井さん。今朝はありがとねー」藍を見て、にこやかに手を振る。昨日の途中までとは別人のようだ。

 恐らく彼女は元々こういう朗らかな人柄で、ただ、打ち解けるまでの壁が分厚いだけなのだろう。藍はそう思った。

 「いえ…碧ちゃんが写真持っててよかったです…」

 「その相生さんからさっき写真送られてきたの!」ということは、梨乃が許可したということだ。

 「あ、そうなんですか…! よかったです…」

 「うん、ホントありがとう! 御尽力賜りましたお陰でございます」

 「え…いえ、私は全然…」謙遜ではない。実際、藍は碧に話しただけで、後の事は全て碧が善きに計らったのである。

 「んーん! とにかく私はモーレツにカンシャしています」

 「……」何と言えばよいか分からず言葉を探している間に、

 「名前で呼んでもいいかな?」井川が続けた。が、何のことか分からず、

 「え…?」と返してしまい、上級生に対して無作法だったと後悔した。

 「青井さんのこと」

 「あ…! はい…」

 「藍ちゃん、藍しゃん、藍たん、藍にゃん、藍ぽん…うーん、藍さん。藍さんが一番しっくりくるな」

 「え…」二学年も上の井川からさん付けで呼ばれることには大きな抵抗を感じるが、

 「決定!」もちろんそれを覆すことは藍には不可能である。ここは諦める他無い。

 何にしても、井川が自分のことを好意的に見てくれているのは間違い有るまい。それを藍は有り難く思った。

「私も名前で呼んでね! ユカリでもユカでもムラでも」

 「あの…むらっていうのは…?」

 「紫のムラ」

 「あ…!」

 「中学の時はそう呼ばれてたのよん。最早名前ではなくて渾名だけど」

 「あ、そうですね…」

 「で? 何て呼んでくれるのかしら? 藍さんは」

 「あ…紫さん、で…」

 「はーい」

 「あの…それじゃ失礼します…」

 「あれ? 借りてかないの? いい本あるよー」水商売の呼び込みのような口調で言う。尤も、藍はそんな呼び込みを聞いたことが無いので、そうとは分かっていない。それでもその口調を可笑しく感じて笑いながら、

 「あ…! あ、まず返却します…」昨日借りた本を鞄から出して、紫に手渡した。借りるのと返すのを同時にした方が紫にとって楽であろうとは思うが、借りた本をきっちり返却してから次の本を借りるべきという行動規範の方が優先なのである。

 「はい、返却、っと」紫は裏表紙のバーコードを機械で読み取り、脇に置いた。返却後の本を元に戻すのは図書委員の役目なのである。しかし藍は、その規則は破ることにした。

 「あの…、棚に戻して来ます…」

 「いいの? じゃ、よろしくー」藍の気持ちを汲んだのか、紫は本を差し戻した。藍がきちんと元の位置に戻すと信用してくれているのであろう。それを嬉しく思いながら、

 「はい…」受け取った本を手に西洋文学の棚に向かった。

 「ごゆっくりー」

 本を棚に戻して、今日はどれにしようと見渡す。そう言えば微妙に気になっていたと思って『カフカ短編集』を手に取った。全く知らない名だが、一目見た時「カフカ」という音に何となく不穏な気配を感じたのである。

 そっと棚から抜き取り、受付に持って行くと、

 「あー、面白いよ、これ」受け取りながら紫がそう評した。

 「そうですか…楽しみです…」

 紫はまたバーコードを読み取り、

「じゃあまたー」カフカ短編集を藍に差し出した。

 「はい…!」藍は本を鞄に仕舞い、お辞儀をして図書室から出た。

 そして、廊下を歩きながら、やっぱり紫は碧や梨乃と似た者同士だと思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ