第142話 詰みセーブ(2)
玄間天海は心臓に爆弾を抱えていた。
比喩ではなく、実際の爆弾。超小型爆弾である。これが爆破すると、玄間天海の心臓は破裂し、数秒もしないうちに『黒葬』最強の男は死に至る。
スイッチは指令本部が握っている――無論、ハッキングなどで簡単に押せるような管理方法ではなく、非常に厳重な管理がなされている。もし、何らかの事態で指令本部が壊滅すれば、その主導権は無条件で日本国政府へと譲渡される。
――これが玄間天海の覚悟だった。
無論、これは玄間が望んでやったことだ。決して、生殺与奪の権を奪われたため玄間が正義を完遂しているのではない。
これは、もし自分が、平穏を乱すものとなれば自決するという意思そのものである。更には、もし自分が必要でなくなれば、すぐに屍になるという決意でもある。
この星で一番強力な男の命は、ボタン一つで奪うことができる。自身の命に対してもあまりに無頓着。それでいて、安寧に対しては酷く執着的。
それが玄間の核であり、ちっぽけな人間でありながら強大な武器をその身に宿す男の覚悟だった。
平時、玄間の命は、数万人という犠牲覚悟の大規模破壊攻撃でしか奪うことはできないだろう。そして、玄間がその気になれば数万人という犠牲を産むことはいともたやすくできる。その余りに無秩序で身に余る武力は、玄間の酷く雁字搦めな核を産んだ原因に他ならない。
『能力』を自覚してすぐに気づいた。
これを我儘に振るえば、なんだってできると。なんだって奪えるし、なんだって壊せるし、誰だって言うことを聞く。
玄間はそれをしなかった。彼が「清き心」を持っていたからだ。絶対的な力を持っていながら、それを私欲のために使ったことは人生に一度としてない。
そんな正義漢は黒葬という組織に身を置いて、正義の執行者となった。その結果、玄間は悪なる者達と深く関わることになる。私欲や地位のため、一時の快楽のため、他人をゴミと言わんばかりの「邪悪」が跋扈するの裏の世界。
彼の「清き心」は、黒葬で仕事をこなす度、つまり世界のあらゆる「悪」を見る度に。
――逆に清まっていった。
なんとしててでもこの邪悪から無辜の民を守らねばならぬと思った。肉体も精神も更に清く、鋭く研ぎ澄まされていく。それが玄間天海だ。
猛毒に至るほどの純たる正義感。
それが彼の精神性であり、黒葬を執行部という前線から支えてきた大いなる力の源であった。
黒葬、執行部対人課長 玄間天海。
その男より放たれた亜音速に達する一撃は、坂巻燈太を瞬時に絶命させた。痛みを感じる間もなく『処理』する。彼が燈太という少年に対して唯一できる同情であった。
◆ 2週目
燈太は、目を開け壁に掛けられた時計に目をやる。
針は正午を指していた。
――戻ってる……。
つまり。
――玄間さんに殺されたのか……?!
殺害された。
燈太は命を奪われた。
もしあの時、わずかな違和感を抱かなければ。脳が壊れるまであの場で『時間跳躍』をし続けるだろう。もしくは、燈太が諦めることで能力の自動発動が消え、確実な死が燈太にもたらされた。
数秒前まで笑みを浮かべて冗談を言っていた人間が、全く無駄のない手順で命を狙いに来た。
燈太は部屋を飛び出した。
ドアをバンと開けて、外へ。直後前方から破壊音。壁が壊れる。
何かが、いる。
「――2週目ってところか?」
「っ!」
そこには、玄間が立っていた。
「図星か?」
背筋が凍る。記憶があるのは自分だけのはず。
そもそもなぜ、燈太が飛び出してきたこともわかるのだ。
困惑、怯え、そういった感情が精神を支配しようとする。
「俺はしくじったらしいな」
――玄間の雰囲気が一変する。
「いや……君の勘が冴えていたのか……」
燈太は戦闘員ではない。
「しかし、燈太君」
ゆえに、強さというものを測ったり、敵の雰囲気を機微に感じ取ることはできない。
「――君は『詰み』だ」
そんな燈太ですらはっきりと感じ取れるほど、圧倒的な「殺意」。それが玄間より放たれた。燈太は口を開く事すらできなかった。
もう燈太は動けない。
否。
「悪いが諦めてくれ」
動いたところで何もできない。
玄間が消え――
『時間跳躍』自動発動。
回帰地点正午ジャスト。
◆ 3週目
2度目の死。
時計は正午を指している。
燈太はベッドに横たわる。
そして、深く息を吸って、吐いた。
――落ち着け。
玄間はなぜ、自分を殺そうとしたのか。
――これは多分、……単純だ。
危険だから。
『時間跳躍』が危険だから。
時に関わる『UE』が危険だから。
その根拠は、『アトランティス』であり、最後の『お導き』である。
自分の危うさには気づかないフリをしていたものの、分かっていた。
そして、燈太は分かっていた。
玄間天海がそういう冷血な選択を取れる人間であることも。
――君は執行部だが、対人課じゃない。……はっきり言って、ここから殺し合い、戦場へ足を運ぶのも同然だ。そのうえで頼む。同行してくれないだろうか。
これは玄間が、魔術団の潜むビルへ突入する前に言った言葉だ。必要であれば武力を持たない燈太を、魔術団との戦場の中へ駆り出すようなことをできる人間。
あの時は、燈太の合意があった。今回はない。それだけのことだ。
ただ、それはきっと利益のためじゃない。合理的なのは、自身の得のためじゃない。きっと多くの、世界の平和のためだ。玄間という男はくだらない人間ではない。悪側に傾く人間ではない。
そういう意味では、玄間は完璧にも近い人間だ。肉体ともに精神も強い。
現実。そんな男に、燈太は命を狙われている。
――落ち着け。
再び、燈太は息を吸って、吐いた。
なんとかしなくてはならない。なんとか。なんとかして危機を脱さねばならない。そう念じて、頭を冷やす。目的を定めることで、余計な考えを捨てる。ぐちゃぐちゃになった思考を一つの方向へ向けるのだ。
燈太は能力が覚醒するまで、武器は一つだけだった。
頭を回すこと。それだけだった。
――……玄間さんから電話が来るまで、あと5分程度。考える時間は少ないが、ないわけじゃない。
なぜ、玄間は「2週目」だとわかったのか。どうして、あんなすぐに燈太の前に現れることができたのか。深呼吸をしながら、天井をただみつめ――
――監視カメラか……!
天井には一台監視カメラがついていた。
恐らく、正午ジャストのセーブも見られていた。
――セーブ直後、いきなり慌ててドアから飛び出した俺をカメラ越しでみて、『時間跳躍』してきたと判断したのか。
燈太の視点からだと、玄間に殺されたのだから、全く不思議でない慌てっぷり。しかし、2週目世界の玄間からすれば、セーブしたと思ったら突然大慌てで飛び出す燈太。『時間跳躍』と結びつけるのは、酷く容易い。
とそこまで考えると、あることがわかる。玄間は、すぐに部屋の近くに現れた。破壊音があったことから、恐らく壁を破壊してショートカットをしているとは思う。
だが、それにしたって玄間はこの部屋から離れた場所にいるわけじゃない。恐らくこの階のどこかでこちらを監視し、待機している。逃げるのは絶望的だ。
――……待てよ。
そうなると、なぜ今来ないのか。カメラ越しにセーブを確認したはずだ。今ここで部屋に乗りこめば良いのではないか。なぜ、会話をしたりする猶予を与えて殺したのか。温情?
その理由に気づいた時、燈太は再び背筋を凍らせた。先ほどよりも冷たく、突き刺すような恐怖感。
――絶対に、俺を殺しきるためだ……。
◆
玄間天海は、燈太をカメラで観察していた。
セーブ直後からベッドに寝転がったままだ。流石にカメラ越しでは、燈太の細やかな癖、心理状況を見抜くのは難しい。
玄間天海は坂巻燈太を確実に殺す作戦を考えた。
そう確実でなければならない。
ここまでの玄間の行動を整理すると、昨日、燈太から能力のレポートを受け取った。そして、今朝獅子沢へ報告すると共に『処理』の許可を取り、対人課へ任務内容を通達。
その流れで現在の時刻、正午。
ここで、殺しきれないと、獅子沢が燈太の能力を上層部に伝え議論が始まる。そうなれば燈太を『処理』する計画は頓挫する。
そして、もう一つ。燈太に『時間跳躍』で逃げられるともう手が打てない。
例えば、昨日に時を戻したとする。燈太はある一手で玄間の暗殺を止められるのだ。
――そう、能力を先に上層部へ自己申告すること。
この場合、玄間が『処理』の許可を取る前に「議論」開始だ。暗殺は回避。
とはいえ燈太視点からすれば玄間は黒葬の意思で動いているのか、玄間単独の意思かは判断が付かない。しかし、燈太側にはいくらでもリセットする能力がある。この考えにはいずれ行きつくだろう。
過去に戻られればこちらの敗北。
すなわち、確実にセーブさせて殺さねばならない。
そこで考えた玄間の策。
自発セーブと、誘発セーブの二段構えで詰みを狙う。
自発セーブ。それはすなわち燈太がレポートに書いていた、ルーティーンとして正午に行うセーブのことだ。先ほどカメラでも確認できた。
だが、これは自己申告。ブラフという可能性。自身の生命線なのだからなくもない。他にも、「あ、そういえば今朝間違えてセーブしたんだった。今すんのやめておこう」なんて発想の元、両の指を付けて終わりという可能性もある。
だから、ここではまだ動かない。
確実な詰みをもたらすのが誘発セーブだ。この後、燈太を呼び出し、会話の中で自然に能力を使わせる。
呼び出すため、電話を掛けるのはあと数分後の予定だ。正午のセーブ直後に電話を掛けず、ある程度猶予を持たせているのは、出来る限り違和感を消すため。セーブとの関係をできるだけ隠すため。
猶予を持たせすぎてもマズイ。猶予を持たせすぎると、1週目の燈太の行動であるのか、能力を使用して「戻ってきた」燈太の行動かの判断がつかない。
例えば、トイレ。正午から電話を掛けるまでの数分間で、燈太がトイレに立つとするとかなり怪しい。『時間跳躍』を使用した可能性が高い。
しかし、正午から電話をかけるまでの時間を1時間程度に猶予を持たせると話は変わる。トイレに立つ、電話を掛ける、外出許可を取る、何か飲み物を欲しがる。こういった行為は自然に変わる。判断不能。
正午セーブがブラフで、セーブ地点が昨日になっている1週目燈太を、n週目燈太と勘違いして襲い掛かりでもすれば目も当てらない。
坂巻燈太は切れる。時間や猶予を持たせれば何をするかわからない。殺しきれる自信はあるが、油断をせず確実を取るのが玄間だ。
セーブ時に『UE』が発生するのではないかという疑問。『演算装置』を利用するば、セーブしたタイミングを確実に把握できるのではないかとも考えた。しかし、それは不可能。
数日前に判明したことだが、確かに燈太は極々僅かだが微少『UE』を発している。だが、発するのはセーブ時だけではない。
常時だったのだ。
『拡張公式』を用いて検出できる本当にわずかな『UE』。それを燈太は常に放出していた。しかし、それはセーブ時に大きくなるようなこともない。セーブとは、本当に回帰地点を決めるだけ。
この放出され続ける『UE』が、死亡時の自動『時間跳躍』を実現しているのだと思われる。
結果、セーブという行為をデータで裏付けるのは不可能。
だからこその「自発」と「誘発」の二段構え。
――確実に『処理』をするための非情なる策である。
◆
「……」
玄間から電話がかかるまで、あと1分。
恐らく、玄間は自発的なセーブと誘発的なセーブという2段構えの策を取っている。
燈太は、違和感に気づき誘発セーブは防いだ。だから今がある。
――首皮一枚……としか言いようがない。
無論、自発的なセーブはしてしまっている。片方でも殺しきれるから二段構えというのだ。
玄間の思う壺。
もう、「詰みセーブ」をしている状態。
「考えろ……」
応戦。
腰を見ると、ハンドガンが吊ってある。
以前、木原を破った武器。人間社会においてこれほど心強い武器はないだろう。
しかし、『黒葬』の最大戦力である対人課長、玄間天海を相手取るにはあまりにか弱い。
逃亡。
その目はない。既に玄間は近くで息をひそめている。再び、すっ飛んできて数秒で殺される。
説得。
あり得ない。対人課長が、泣き落としで揺るぐわけがない。
――詰み。
玄間からとうとう電話がかかってきた。
「ッ……!」
――その2文字が脳裏に焼き付いて離れない。
『時間跳躍』発動。
回帰地点正午ジャスト。
補足
・玄間の作戦がややこしくて申し訳ないです。
・セーブをしても発生する『UE』に変化がない理由なのですが、時計をイメージしていただけると幸いです。時計は時間を確認している時だけ動くのではなく、常時動いていますよね?
同様にセーブとは時計の針を確認する行為で、燈太の意識に関わらずバッググラウンドでセーブに用いる環境はずっと取得され続けています。
だから、ずっと『UE』が出ているんですね。
本編で玄間が推察していますが、その常に出ている『UE』はもう一つの役割として、死亡時、自動タイムリープをさせる機能を持っています。
p.s. 評価ありがとうございます!