第141話 詰みセーブ(1)
対人課オフィス。紅蓮、空、鑑心が詰めるそこへ、突如現れた玄間はこう言い放った。
「――今から、坂巻燈太を『処理』する」
紅蓮と空は目を見開き、冷静沈着な鑑心でさえもその眉をひそめた。
「課長、何を――」
「燈太の能力が判明した」
紅蓮の言葉をかき消すようにして玄間は淡々と話を続ける。
「彼の能力は時間を回帰させること」
「時間を……? いや、んなことどうでもいいんスよ」
紅蓮以外の二人は能力について初耳である。空が食ってかかろうとするが、玄間は一度空を見ただけで取り合う様子を見せない。
「時間の回帰。この能力は、非常に危険であり、早急に『処理』すべきだと判断した」
「ちょっと待てよ、課長」
紅蓮は、玄間の胸ぐらを掴む。
「いきなりンなこと言われて、どうしろってんだ。そもそも燈太の能力が今日判明したような――」
紅蓮の言葉は途中で途切れた。理由は簡単で、玄間に投げ飛ばされたからである。紅蓮は、壁に叩きつけられ苦しそうに呻いた。
「話を遮るな。時に関する能力が危険なことは『アトランティス』に行ったお前らがよく知っているはずだろう。加えて、指令部から通達があった『お導き』を思い出せ。先日息を引き取った社長の遺言だ」
紅蓮は、立ち上がる。
「だからって……、燈太を殺すのか?」
紅蓮はすぐにでも飛び掛かってきそうな勢いだ。玄間は、紅蓮はみてただ一言こう言い放った。
「指令本部からの許可が下りた。いいか紅蓮。
――これは命令だ。黒葬の責務だ。黙って聞いてろ」
玄間は知っていた。その言葉の重さを。
紅蓮は、目を一度見開いてから何か言いたそうにしてからそして顔を歪めた。
しばしの沈黙が流れる。
「……何ィ、すりゃいいンだ?」
沈黙を破るようにして、鑑心が口を開いた。その鑑心の言葉に紅蓮は何か言いたそうにするも、その口からは何も発されない。
「いえ、鑑心さん。特に何もしなくて結構です」
玄間がここのオフィスに来た理由は、彼らの助けを求めようとしたわけではなかった。
「お前らもだ。何もしなくて良い」
紅蓮は、顔に絶望を浮かべていた。
空は、ただうつむくだけで何も言おうとはしなかった。
「俺がことを成す。ここに来たのは、対人課各員へこの任務を伝えることが義務だからだ」
対人課長権限の行使において、指令本部長の許可に加え、対人課各員へ任務内容を伝えることも義務とされていたのだ。ただ、前者とは違い伝えるだけで良い。課員へ許可をもらうわけではない。
緊急事態において課長単独で動き、万が一敗北を喫したとき、課員がその任務を全く知らないというのは大問題だ。そのための通達義務。
玄間はただ手順を踏むためにここへ来たのだ。
◆
「よしっと」
坂巻燈太は指を合わせて、現在の状況を把握した。正確には、記憶した。
記憶といっても燈太が意識的に覚えるのではなく、能力が記憶する。これで、次の『環境把握』をするまでは、この時間まで能力で巻き戻せる。
現在、正午。
燈太は、正午きっかりにセーブをするようにしていた。
一見、頻繁にセーブすることはあまり得でないように思える。いわゆる詰みセーブになりかねないからだ。しかし、能力のある特性上、セーブを使い渋ることはできない。
『時間跳躍』は脳を酷使する。
過去へ戻り、その時点から先の記憶がいきなり脳へ詰め込まれるのだ。人間は睡眠をとることで脳の記憶を整理する。それをせず記憶が大量に増えるのだから、あまりに長い期間の回帰は一発で脳がぶっ壊れる。もちろん、連発もマズイ。1時間の回帰であったとしてもそれを何度も繰り返せばいずれ脳が壊れる。ゼフィラルテの時、燈太は数分のリープを数千回行ったが、この時はいくつかのリープで仮眠を取った。これによって、記憶がある程度整理された状態で回帰するため、多少はマシになる。
脳の破壊は死だ。例え不慮の事故で頭部が破壊されても能力は発動するが、能力によってが脳が壊れた場合は間違いなく死ぬ。
一日程度のセーブ間隔が恐らく一番効率が良い。
結局のところ、完全無欠ではないということだ。
――それにしても暇だなぁ。
燈太はベッドに寝転んだ。寝心地があまりよくない。それもそのはず、ここは自室ではなかった。
玄間へ能力に関するレポートを提出してすぐ身体検査を行うと玄間から連絡があった。そして、提出翌日の早朝から本社へ呼び出され、休憩室のようなとこに軟禁されている。
スマホを弄り、はや3時間。いつ呼び出されるのだろう。そこから数分間は、ベッドで何をするわけでもなく天井を眺めていた。監視カメラとスプリンクラーくらいしかないが。
と、ようやくスマホが鳴った。
「坂巻です」
『玄間だ。検査の準備が整った。廊下に出て右だ。すぐに来てくれるか?』
「あ、わかりました!」
部屋を出て、突き当りを右に曲がるとそこには玄間が立っていた。
いつもと変わった様子はないが、その巨体と身に纏った覇気には威圧感がある。ただ、とても誠実で頼りがいのある人だ。紅蓮には厳しいようだが。
「待たせて申し訳ない」
「いえいえ」
玄間が歩き出すので、それにつられて燈太も歩く。
「検査室へ行こうか。まあざっと3時間……、いや2時間半程度で終わるようなものだ」
「そうですか。やっぱ脳の検査とかです?」
「あぁ、MRI、他にも身体検査がある。大量の『UE』が放出された以上その影響が肉体にも出ているかもしれないからな」
「なるほど」
「緊張するようなものじゃない。あぁ、採血は苦手か?」
玄間は笑みを浮かべながら、そう言った。燈太は、「少し」と返す。その後もいくつかの雑談を重ねた。
「……おっと」
玄間は、足を止めた。
「腕時計を忘れちまった」
玄間はスーツの左袖をまくり、肩をすくめた。
「燈太君を検査室まで送ったら会議なんだが……。申し訳ないが、今、何分かな」
燈太は、スマホを取り出そうとポケットへ手を――
「あぁ。秒単位、いやコンマ単位は結構だぞ。何分かだけで良い」
玄間は口の端を少しをあげて言った。
「えーとですね」
燈太はポケットの方へ手を向かわすのをやめて、両の指を前へ出した。そして、指と指を――
――誘導された……?
ポケットに手を伸ばしたのは一瞬だった。それと重なるようにして玄間は、「コンマ単位は結構だ」というジョークを口にした。偶然だろうか。
このジョークは、「能力で時間を取得すればコンマ単位でも時間を取れるがそこまでは必要ない」という意味だ。つまり燈太が能力を行使して時間を調べるという前提の話。
――考えすぎ。
しかし、思考は止まらない。
燈太の勘は何か、不吉な物を感じていた。対人課長のふるまいにはなんの違和感もない。ただ、何かを感じ取った。違和感。
――……なんで今なんだ?
恐らく、現在12時5分。そもそも何か検査があるなら普通12時からというのが妥当じゃないだろうか。12時を少し過ぎる訳――
正午に燈太はセーブを行う。
これは提出したレポートにも書いたことだ。玄間は知っている。
――これじゃまるで……。この人を疑っているみたいじゃないか。
あまりにツギハギの理由達。しかし、燈太はそういった勘や想像を鼻で笑い、捨てきることができない人間である。「あり得ない」という言葉は『未知』に対する冒涜である。
もし、勘違いならばあとでもう一度能力を使えば良い。別に大きな決断をするってわけじゃない。小さな嘘を一度つくだけだ。
燈太は、両の指を付けた。能力は発動させなかった。とりあえず、燈太はあてずっぽうで現在時刻を口にする。
「12時5――」
『時間跳躍』自動発動。
回帰地点、正午ジャスト。
玄間戦開始です。