第128話 オペレーション『鳥籠』(5)
シャルハットは廊下を駆け抜けた。油断はなく、『届き得ぬ向こう』を全身に張り巡らせたままだ。
廊下の先には上階へ続く階段を発見。階段の踊り場には、小さな血痕があった。
――さっきの物音から察するに、奴が瞬間移動して逃げて来たのはここですね。
幽嶋は瞬間移動をすれば上下階や距離など無視できるわけだが、一度こんなところへ飛んだということは、怪我によって能力のコントロールが効かないのかもしれない。魔術でも、集中力が途切れればパフォーマンスは大幅に低下する。
階段の上の方から物音がした。
瞬間移動できる間隔が狭まっているのだろうか。
「『届き得ぬ向こう』ッ!」
上階へ向かい、壁を出現させる。瞬間移動が機能していないなら、今追い立てるべきだ。
――こういうのですねぇ、楽しいのは……!
階段を2段飛ばしで駆け上がり、上のフロアへ到達。通路の先に、座り込むような人影が見えた。
既に瞬間移動したようだが、当たらなくても構わない。『届き得ぬ向こう』を放ち、心理的なプレッシャーをかける。
廊下を一度曲がる。突き当たりには、『指令本部室』と書かれた部屋があった。部屋の入口は頑丈そうな造りの自動ドアで、開かれっぱなしになっている。
部屋の中に人影が見える。
シャルハットは、部屋に飛び込む。
――追い詰めましたよ……。これで。
部屋は広かった。モニターやコンピュータが何台も置かれ、一言で言うなら秘密結社の指令室。そんな感じだ。
気になるのは床や壁がなぜか青色をしていること。
部屋の最奥で幽嶋は座り込んでいる。
「――残念ながらあなたの負けデス」
幽嶋は静かにそう言った。床には血がほとんど落ちていなかった。
◆
幽嶋の怪我はフェイクである。串を回収するタイミングを奴が狙ってくることは分かっていた。故に、シャルハットから見えない角度に瞬間移動して、あえてダメージを受けたフリをしたのだ。
血痕は、串を使って自傷したものだ。
敵をこの部屋に連れてくることが、この作戦――オペレーション『鳥籠』の肝。
すなわち、『オリハルコン』が壁と床に張られた指令本部室に奴を招き入れることが幽嶋の役目である。
シャルハットは、『オリハルコン』の床を踏んでいる。よって、魔術を使えない。そして、それに気づいた様子もない。
幽嶋は床に座り込んでいたが、地面との間に薄い金属を挟んでいた。幽嶋の能力は依然健在だ。
瞬間移動。
シャルハットの背後に移動し、問答無用で串を投げつけた。額と心臓の二か所に向かって。
1秒と経たず、シャルハットに串は直撃した。そして――
「――やっぱり誘導でしたね」
串はシャルハットに刺さることなく落ちた。
◆
シャルハットは、端からこの一連の追いかけっこについてフェイクである可能性を頭に入れていた。ゆえに、一度も全身を守る『届き得ぬ向こう』は解除しなかった。
無論、弱者をこちらが一方的に追い回すことは非常に愉快であるため、全てが演技ではないが。
『指令本部室』というに入った瞬間、出血量の少ない幽嶋を見たことで確信を得た。
そして、部屋に足を踏み入れた瞬間、全身を覆う『届き得ぬ向こう』が自動で解除されたことも見逃さなかった。
ここで、もし気づく素振りをしていたら幽嶋によって文字通り串刺しにされていたところだろう。
『黄昏の2』。『黄昏部隊』において、シャルハットは2番目の実力者である。
シャルハットは、脅威の対応力を見せた。
魔術が消えるイレギュラー。その原因は、このおかしな色をした壁や床と断定。
部屋に駆けこんだというシチュエーションが幸いした。シャルハットは走る動作の中で、一瞬両足を浮かせた。間髪を入れずに、足元に『届き得ぬ向こう』を展開。足は地面から0.1mmだけ浮いている形だ。
全ては部屋に入ってから1秒立たずの出来事である。
――私はね、愚策を上から叩き潰すのが好きなんですよ……。
シャルハットの能力は、防御力に関しては無敵だ。ヴォルフと戦ったとしても、敗因は魔力切れでしかありえない。
敵は、この無敵をどうにか攻略しようとする。忍者もそうだった。
そうした、小さな小さな希望を踏んで砕くのが、シャルハットは好きだった。
シャルハットは、地面から足を浮かしたまま、床の仕組みに気づかないフリをした。
そして、幽嶋はシャルハットが、自分の策にハマったと勘違いして動いた。
――……まあ、解除された瞬間は焦りましたよ。ですが……。
幽嶋の放った串は、見えぬ壁に弾かれる。
――これで終わりです……!
シャルハットは知っている。「うまくいっている」と思い込んでいる人間は、隙が生じるものだと。
「『届き得ぬ向こう』!」
背後に向かって、壁を出現させる。
しかし、『届き得ぬ向こう』は空を切った。
「――なるほど……、『オリハルコン』に気づいていマシタか」
幽嶋は、前方へ姿を現わした。無傷である。
「……あれ、外しました?」
シャルハットは、一度後ろを振り返る。
――……なるほど。
ドアが閉まっていた。
恐らく、幽嶋はドアの向こう側から、閉まる直前に串を投げた。奴を狙った『届き得ぬ向こう』は、この魔術を無効化する青色のドアに阻まれたのだ。
「振り出しですねぇ。またいたちごっこですかァ」
幽嶋の策は破った。ここからは幽嶋を撃ち落とすゲームが再開する。奴の集中力が途切れるまで、『届き得ぬ向こう』で執拗に狙い続ける。魔力はまだまだ残っている。こちらの優勢は――
「――いえ」
幽嶋は、口を開いた。
「言っているでショウ? あなたの負けだと」
「……何?」
まだ何かあるのか?
「私は、仲間の作戦を信じていマス。故に、あなたはここへ入り込んだ時点で詰んでいる」
「ほう?」
面白いことを言う。
この青色の――幽嶋が『オリハルコン』と呼んだ――素材。これで作った串を投げてこないところを見ると、恐らくこれは超常の能力を無効化するのだろう。魔術だけでなく、『魔術内包者』も無力するのだ。
いうなれば、この素材は諸刃の剣。
よくみれば、奴が立っている地面に何かアルミホイルのようなものが敷かれている。奴も自由に立てないという枷があるとみた。
つまり、奴らは『オリハルコン』を完璧に使いこなしているわけではない。
ブラフだ。これ以上、奴に策はない。
「……ただ、一点言うとすれば、今からするコトは非常に惨い。だから、貴方のような相手で良かった。とても、とても」
「能書きばかりですねぇ? いいんですか? ペラペラと喋って」
「えぇ、もうお別れデスから。
――では、左空クンによろしく」
幽嶋が瞬間移動した。
「?」
幽嶋はいない。逃げたの――
次の瞬間、電気が全て消えた。
「なんだ」
――そして、なぜか『皆既食』が解除された。
シャルハットは魔力を使い、光を生み出した。これは魔力を光らせる技術で詠唱の必要はなく、厳密には魔術ではない。
辺りが照らされる。
――何が起きている……?
幽嶋が襲ってくる様子はない。
シャルハットは、ひとまずこの『指令本部室』から出ることにした。
「おっと……」
扉は自動ドアだが開かない。電気が切れているためか。かなり頑丈な造りだ。
ドアの表面が『オリハルコン』である以上、『届き得ぬ向こう』で切り裂くことはできない。
「まさか閉じ込めた……なんて、しょうもないことじゃないでしょうね」
脱出など簡単にできる。
『届き得ぬ向こう』を扉の向こう側から発動させた。入り口側は青色でなかったのだから、『オリハルコン』がある手前側の部分までは切り裂ける。
「なんだ、扉の内側表面にしか『オリハルコン』は塗装されてないじゃないですか」
いとも簡単に扉を破壊することができた。
廊下に出ると、やはり電気は消えている。
――それにしても『皆既食』が解除されたのが妙ですね。
『皆既食』が自動解除されるとすれば、結界の札に大きな損害が生じた時や、効果時間の超過。
あるいは、この結界内で人間が一人になったときだ。
シャルハットは状況を掴めずにいた。
シャルハットは気づかない。
既にシャルハットは敗北しているのだと。
――脱出不可能な隔絶された空間にただ一人取り残されていることに。
~おまけ~
Q.『オリハルコン』で出来た分厚い扉だったら、シャルハットは詰みでは?
A. シャルハットは詠唱次第でいろんな魔術を使えます。例えば、爆発系です。爆発自体は自然現象なので『オリハルコン』の扉も吹っ飛ばせます。まあ、それをやると『届き得ぬ向こう』を一度解除しなくてはいけないので、奥の手ですが。
Q.指令本部室が『オリハルコン』で加工されてるのは……?
A.99話で明言されています。……正直、壁床に隙間なく『オリハルコン』塗装をするにしては、恐ろしい仕事の早さです。ジェバンニが一晩で……みたいなあれでしょうね。塗装を凄い早さでする『超現象保持者』が『黒葬』にいたということで……。
p.s. 次回オペレーション『鳥籠』の全貌が明らかになります。お楽しみに!