第112話 とある臆病者(2)
遅くなりましたが投稿です。
「死」が怖い
人は、信用できない。
どんな人間だって何をするかはわからない。
これが木原の抱える、大きく、そして漠然とした恐怖だ。
「――考えすぎだよ、春樹」
両親はそう言った。顔に笑みを浮かべながら。
木原は、自分の仮説、恐怖の根源に対して、嫌々ではあるものの疑問を持つことにした。つまるところ、客観的な証拠を得たいと思ったのだ。
――木原は自身でそれを証明しようと決めた。
木原は、通信制高校へ入学した。
中学生の不登校時代は、話を聞いたり、病院やカウンセリングに連れて行ったりと、様々なことをした両親であったが、高校へ入学してからは、木原に対しあまり干渉をしなくなった。
というのも、木原は自主学習を非常に積極的に行っていたし、スクーリングと呼ばれる月に数回の登校にもサボることなく出席、教員曰くコミュニケーション能力に大きな問題はないという報告受けていたからだ。
依然、他人を避けるような行動をしているものの、息子はあくまで「内気な性格」の延長線にいるだけであり、大きなアクションを必要とするほどの問題ではないと考えたのだ。
高校2年生になる頃には、とても良い成績であり、偏差値的に有名な大学をも狙えるのではないかという話を学校側から聞き、「無理に春樹の性格や行動を変える必要はない」という両親の教育方針は更に不動のものとなった。
それに加え、中学時代に聞いた「他人が自分に何をするかはわからない」という人を強く疑っている様子はあまり見受けられなくなった。やはりあれは思春期特有の情緒の乱れだったのだろうと、両親は思った。
高3の秋、木原春樹18歳。
「母さん」
木原春樹は、
「父さん」
母を絞め殺し、父を包丁で刺し殺した。
「やっぱりいるじゃないか。狂ってる人間は」
木原は、高校からコミュニケーション能力が破綻していないという客観的な判断を下されていた。
木原のIQは高校の成績からわかるよう平均を超えている事実がある。
木原は18歳であり、少年法が適応されない大人、つまり善悪の判断が付く年齢だった。
この殺人は、木原が世界に対して抱いた恐怖心の「証明」である。
そういう人間がいるという「証明」だ。世界に対して、そして自分に対しての。
中学3年生のとき、両親は「考えすぎだ」と言った。
恐るべき死、そしてそこへ突き落す人間。そんな恐ろしい人間はいないと木原をなだめた。その猜疑心は行き過ぎているし、その恐怖は幻想であるとそう諭した。
その時、木原はそうであった欲しいと願った。だが、それを無条件に信じることはできない。だから、木原は妥協し通信制の高校へ入学した。そこで、自身の正常さ――いや、正しくは「正常にみえる人間」であること――を客観的に証明し、少年法が適応されぬ一般的に精神が成熟したと言われる年齢まで待った。
このタイミングで、両親を殺そうと計画した。
もし、自分が両親を殺めることに失敗、踏みとどまることができれば、死は依然怖いままだが、人間に対して抱いた恐れは思い込みであったと認めただろう。木原は来年から一生懸命勉強して名門大学に合格し、普通に人生を歩むのだ。
――だが、殺せてしまった。
つまり、自身の抱いている恐怖は正しいものだったのだ。そういう見ただけではわからない破綻を抱えた人間は存在している。他人は絶対に信用してはならないのだ。死を避けるためには。
「あぁ、怖い……。やっぱり人間なんてロクなものじゃない……」
木原はすぐに刑務所に入ることだろう。
「怖い……」
刑務所には、暴力的な人間が溢れているのだろう。それがこの証明計画の懸念点だった。だが、この証明をしないまま生きるのは中途半端になる。中途半端に人を信じ、中途半端に人を疑う。それが一番危ないことだ。
……でも怖いものは怖い。いや、刑務所であれば知らない人間と接触する回数は減るだろうか。
と、昨日までは刑務所で会う囚人たちを思い描き、悩んでいた。
「まぁ」
手に握ったナイフへ目を落とす。
「……殺せるか」
この証明は、木原を大きく変えてしまった。
木原の生まれつき持つ、常軌を逸した仮説をより強く補強し、彼の内に秘めた暴力性を呼び起こしてしまったのだから。
Q.なぜ木原は全日制高校へ通わなかったの?
A.自身の「説」を証明するため高校へ通い、ある程度のコミュ力を証明したかったわけですが、人を恐れる気持ちがなくなったわけではないので、人と会う回数を極力抑えたいという考えから通信制を選択しました。つまり、この頃から木原は妥協を覚えたわけです。この妥協は、白金遊戯の会への参加へもつながります。「白金と関わるのは危ないけど、白金の提案を断ったら口封じに殺されるかも…、仕方ないから人殺しするか……」という感じに、妥協して白金たちとつるんでいました。