戦地ブラッカート
肌を刺すような緊張感と、血が沸くような高揚感をヴェグネスは感じていた。街中は活気やら怒気やらわからないものに包まれている。
「ここがブラッカートか」
「独特の空気になってるだろ?スタンピード終盤特有の空気ってヤツでな。殲滅作戦の成功は栄誉と発展のプロローグ。失敗は戦線崩壊と市街滅亡の序章。戦士は興奮し、街は緊張するってわけよ」
御者の人ブルーノはそう語る。
インパクトウルフの後はといえば魔獣化した鷹が突っ込んできた位で大よそ平和なものだった。
ちなみ、魔獣というのは魔物を倒した動物のことで、魔物の魔素を受けて強靭で狂暴な獣になった個体だ。面倒な点は繁殖することだろう。大抵はさほど脅威でもない。勿論、例外はあるが。
そして、今しがたスタンピードの戦場になっているブラッカートに到着し、門をくぐったところだった。
「さて、どうにか街に着く事が出来たわけだが、どうする?折角だしうちのギルドに顔を出していかないか?」
「なんだ?護衛代でも出してくれるのか?」
「たいした額ではないがな。クラッシュウルフ10頭の群れを一人で捌いたんだ。実力は確か。ここに腰を据えて活動するならお得意様候補だろ?」
「まあ、貰えるものは貰っておくが、いいのか?減給にならないのか?」
「アレは横領対策だからな」
スクロールを不当に着服しないため、か。なら最初から護衛を雇えばいいだろうに。と思ったが、いちいち言う必要はないとヴェグネスは考えた。少なくとも、自分なら最初からスクロールを売って護衛を雇う。
ごとごと揺れる馬車は、やがて大きなレンガ造りの建物の中へと入っていく。
「よし、付いたぜ。降りてくれ」
「ん?どうしたブルーノ、中に誰か居るのか?」
馬車から降りれてみれば、大男が数人と、スーツを着た身なりのいい男が一人居た。恐らく、中の荷物を運び出す男とその確認に来た商会の人間だろう。
「ああ、ベンノさん。ご無沙汰してます。実は妖精の森から北にかけて乗せてくれという男が居たんですが、彼がそこから護衛代わりに戦ってくれまして。お陰でスクロールを無駄に打つ事も無くなり、馬も馬車も商品も無事。せめて自費で護衛代をと思いまして」
「はあ、御者に護衛費用を負担させる商会などという噂が立ったらダメージでしょうが、うちで払いますよ」
ヴェグネスに向き直ったスーツの男は腰を曲げて礼を取る。
「はじめまして。当商会、ブルクハルトにて仕入主任を担当しているベンノと言います」
「こちらこそはじめまして。ブルーノさんには徒歩の道行きを同乗させてもらい、感謝しています。無事にお守りすることが出来てよかった」
感謝の意を表しつつ、仕事しましたよとアピールする。こういうのは自分を過度に小さく見せるのは損だとヴェグネスは経験則で知っている。
「妖精の森より北というと、クラッシュウルフが厄介でしたね。どうです、魔石があるなら買い取りますよ?」
「ああ、はい。これです」
「・・・ほう、10個」
魔物を倒したときにでる魔石は高密度の魔素に魔力が宿ったものだ。およそ水晶と同じほどの重さがあり、主に魔力を蓄えるパーツとして使用される。ヴェグネスの装備にも戦闘中に魔力を装備に使わなくてすむよう小さく良質な魔石が埋め込まれている。当然、宝石のような見た目を活かしたデザインになっており、それがまた・・・いや、これはもういい。
「質も悪くない、10個なら銀貨15枚。護衛費用合わせて金貨2枚で如何でしょう?」
「是非おねがいします」
ヴェグネスは相場がわからなかったが、ブルーノの表情がいい意味での驚きを示していたので即決した。
ベンノの先導で荷卸し場のカウンターのような場所に向かい、袋に入った金貨2枚を受け取った。
手持ちの所持金に金貨が無く、もしかすると金貨そのものが必要になる場面があるかもしれないと考えれば、丁度良かったのかも知れない。
ベンノとブルーノに礼と別れを告げて商会を出た。ちなみにここは日用雑貨を主に扱っている老舗らしい。
別れの際に冒険者ギルドと宿の場所を聞き、ひとまず冒険者ギルドに向かうことにした。
「これが、街か・・・」
ヴェグネスは妙な感慨を抱いていた。人の街を見るのは初めてではない。だが道行く人々と一緒になって街道を歩いているのが不思議だった。剣闘士だったころは、当然街に出ることは無かった故に。
「自由、か・・・」
今や、ヴェグネスを縛るものは何も無い。拠り所も無い。森に帰れば家はあるが、それは流石に情けないと思う。もう、ヴェグネスは独り立ち、自立したのだ。これからの行動は全て、自分の判断に委ねられている。普通の大人にとっては当然のことでも、ヴェグネスにとってはある種の恐怖だった。命令に唯々諾々と従って居ればよかった時代とは、違う。ヒナタの言うことを素直に聞いていれば良かった時代とも、違う。
冒険者ギルドの門前に立ったとき、ヴェグネスはブルッと震えた。
「ま、武者震いってヤツだよ」
ヴェグネスは樫で出来た重い扉を開けた。
「・・・ああん?何だこのひょろいの?」
「おい馬鹿ロンド、脅すんじゃねえよ。大方依頼受付と間違えちまったんだろ」
冒険者ギルドの中は木の内壁と暖色系の明かりによって暖かみのある内装になっていた。広さの割りに人が少ないのは今が丁度昼過ぎで、冒険者の殆どは仕事に出かけているのだろう。
さて、扉を開いてすぐのベンチで寛いでいた冒険者がヴェグネスを見てなにか話している。
やがて、細身で長身の男がヴェグネスの前にやってきた。態々視線を合わせるため中腰になって話しかける。
「やあ僕、冒険者ギルドに依頼かい?だったらこっちの扉じゃなくて、東側の白い扉が依頼受付だよ」
「ああ、丁寧にどうも。だが、私は冒険者に成りに来たんだ。こちらで合っている」
ヴェグネスがそう応えれば、細身の男はもう一人の隻眼の男と視線を合わせた。
「・・・ククク、いや、失礼ふくく。なる程確かに、よく見れば身なりだけならいっぱしの物を身に着けている。きっと将来有望なブフッ、んんっ、将来有望な冒険者だな。くふふ」
「悪いことは言わねえから、んなご立派な服はさっさと売り払って別の仕事に付きな。でないとこんなことになっちまう」
歩み寄ってきた隻眼の男はヴェグネスの前でしゃがみこむと、その眼帯を外した。なる程それは、悲鳴をあげたくなるような酷い傷跡。恐らく石化系の呪いを受けたのだろうと思われる。
だが、別段ヴェグネスはどうとも思わない。剣闘士の時代、手傷を負った獣や人間を処刑紛いにヴェグネスの前に放り込まれたこともある。その頃のヴェグネスは死神として恐れられると同時、人気を博していた。ヴェグネスも人々の要望に答え、自分に届く牙を持たないそれらを嬲り殺しにした。
そんなヴェグネスにとって、別段片目がグロテスクになっている程度、恐れるものでもない。
むしろ、気になるのが・・・
「忠告痛み入るが、さっきから何を警戒しているんだ?俺をあざけっているようで視線の配り方が戦闘準備だ。間合いを計って、武装を確かめてな。俺が入ってきた瞬間にギルドの奥と視線を交わしていただろう?何か隠しているのか?」
男二人は固まった。
やがて、隻眼の男は頭を掻きながらギルドの奥を指差す。
「ばれちまったもんは仕方ない、登録は左端のカウンターだ。歓迎するぜ?新人」
「よく分からんが、ありがとう?」
剣闘士の時代にも新入りを脅して上下関係を作るのは良くある話だ。もちろんヴェグネスはそのトップ、ボスのような立ち居地だったが。今のやり取りは上下関係を作るためでなく・・・
「俺を試してたのか?」
「はい、正解です」
思考に耽りながら歩いているといつの間にかカウンターの目の前まで来ていた。そして、正面には桃色の髪を結ってハーフアップにした女性がいた。柔らかい笑顔を向けているが、その視線は真っ直ぐヴェグネスの目を見ている。
「ギルド、ヴォルフガングへようこそ。用件は冒険者登録とお聞きしましたが?」
「ええ、そうです」
「・・・生憎と、今ブラッカートはスタンピードの魔物に対し殲滅作戦を準備中です。おいしいところだけ参加する。というのは不可能ですよ?」
「それは勿論理解しています。でも、それはつまり大しておいしくない仕事は残っているということではと思いまして」
「・・・そうですか、かしこまりました。すでに当ギルドの登録試験はクリアされています。こちらの用紙に記入をお願いします」
「あ~、つまりさっきの二人は試験官?」
「はい、当ギルドの職員になります。試験内容は「難癖をつけてきた暴漢を平和的に無力化、ないしそれに順ずる状態にする」となっています。喧嘩を売られたら買ってくる馬鹿は当ギルドには要りませんから。その点あなたは完璧です。難癖をつけてきた相手を観察し、何故?と考えられる人間は稀有ですから」
ペンを走らせつつ、ヴェグネスはなる程と思う。基本的に喧嘩は両成敗、原因が相手にあっても喧嘩に応じてしまえば応じた側も裁かれる。ギルドはその飛び火を受けたくないのだろう。
「因みに、売られた喧嘩は必ず買うのが傭兵ギルドです。まさしく野蛮で粗暴な連中のたまり場ですので気をつけてください」
「嫌いなんですか?」
「私の愚弟がそこで働いてまして。調子乗っているんですよ」
「ぐ、ぐてい・・・」
どうやら本気で傭兵ギルドを嫌っているらしく、歪められた顔は歴戦のヴェグネスを戦慄させるものだった。尤も、単に機嫌を損ねた女性というものに耐性が無いだけでもあるのだが。
「さて、うちの愚弟の話はいつかの雑談のネタにでも置いておいてですね。当ギルドの説明をしておきます。なるほど、討伐部門希望ですか。では説明を始めさせていただきますね?」




