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サヤマ家のゆうごはん  作者: キクラゲ
1/3

四月三〇日 春の天ぷら

よろしくお願いします。

「ふう、戸籍の取得って結構大変やったんやねえ」

「ご迷惑をおかけしてばかりで申し訳ない、ユウコさん」


 ユウの言葉に、皺だらけの顔をクシャリと丸める。申し訳なさそうなユウを先へ促し、優子(ゆうこ)は改札をくぐる。ここ数日毎日使っていただけあって、ユウもすんなりと改札を通り抜けた。初日に改札や電車に及び腰になっていた様子を思い出し、ユウの顔を見て笑ってしまった。

 ユウはきょとんとした顔で優子の顔を見返す。優子は何でもないという風に笑みを返すと、ユウの手を取った。電車がホームへとやってくる。


「さあ、帰りましょか」


 ユウは不器用に、優子の手を握り返す。その弱々しさに、優子は強く彼の手を握りしめた。前を歩く優子の節くれだった手が意外に力強く、ユウはその後頭部を見つめる。電車の扉が閉まり、やがてゆっくりと最寄り駅へ向けて発車した。



 優子が家の鍵を開け、家の中へと入る。その後ろをゆっくりと、ユウがついて入る。優子が振り返っておかえりというと、ユウがぎこちなくただいまと返す。ここ数日でようやく習慣づいたそれに、ユウはいまだに照れる気持ちが抜けない。

 優子が居間に荷物を置くと、ユウは先に手を洗いに行く。優子も台所で手を洗い、冷蔵庫から野菜やお肉を少しずつ取り出した。


「今日はお祝いの日やから、天ぷらにしよか」

「テンプラ?」


 ユウが手洗い場からやってきて、優子の手元をのぞき込む。優子がユウに皮むきと野菜を渡すと、ぎこちない手で始めた。


「サツマイモは縞々になるように……アスパラは根元だけ剥くんよ、柔らかくなるように」


 優子の声に従い、ユウはゆっくりと皮をむいていく。優子は手際よく衣を作り終え、ユウから受け取った野菜を切り分ける。ユウがすべての皮むきを終えると、次は小玉ねぎを手渡した。ユウは小玉ねぎをにらみつけると、隅のごみ箱で皮をむき始める。ユウの大きな背中が丸まり、玉ねぎを慎重に向いている。初めて皮むきを任せたときに傷をつけてしまい、涙が止まらなくなったのを覚えているらしい。大きな体を小さく丸めてゆっくりと玉ねぎの皮をむく姿は、もうすっかりこちらでの生活になじんできている。

 サクラエビはざっと水洗い。みょうがは半分に切り分ける。ユウに春キャベツをちぎるように言うと、一枚をこぶし大にちぎった。優子はカラカラと笑う。


「そうやねえ、オババの口に入るくらいで頼むわね」


 ユウはもう少し小さめにちぎりなおしている。一つ一つ丁寧に行っていく様は、すべてが手探りでぎこちない。それでも、投げ出したりせず、少しずつ前進している。優子はユウが再び見せてきた春キャベツに指で丸を作って返した。ユウがまた作業を再開したのを見て、優子もゆっくりと味噌を溶かし始めた。



 ユウは物覚えもよく、箸の使い方も様になってきていた。彼用に用意した青色のお箸と茶碗は使われる時を今か今かと待ち望んでいる。

 ユウが茶碗を優子に渡すと、これでもかと言わんばかりの白米がよそわれた。ユウがうれしそうに受け取る。優子が手を合わせると、ユウも同じように手を合わせた。


「あら、お祈りはいいの?」

「住みゆく場所に敬意を払えというのが古くからの習わしです。ここでお世話になる以上、ここの文化に合わせるべきでしょう」

「ユウくんのやりたい方法でいいんよ」

「なら、手を合わせます」


 ユウの言葉は力強かった。優子とユウは目を見合わせる。そして二人そろえて口を開いた。


「いただきます」


 ユウは口元をむずむずと動かした。深く息を吸い込むと、揚げたての天ぷらの香りに包まれる。さっそく目の前のかき揚げを取ると、油でテカテカと輝いた。口に含むと、ニンジンの甘味が桜エビの味を引き立てる。一緒に入っているグリーンピースは彩りよく、口当たりを優しくしている。

 優子は味噌汁を手にとる。春キャベツが熱でしんなりとしており、食むと甘味が口いっぱいに広がる。優子が一息つく間に、ユウは三つ目のてんぷらに手を伸ばしていた。

 大葉でまいたササミはあっさりとした味わいで、鼻孔に爽やかなにおいを残していく。さつまいもは縞模様が鮮やかに浮かび上がっており、塩を少しつけると甘味が引き立った。蓮根を口に含むと、シャギッシャギッと子気味のいい音を立てる。浅漬けで一息つくと、口の中がさっぱりした。


「アスパラガスも旬のものやからね。ぜひ食べてほしいわあ」


 優子の言葉を受け、アスパラに箸を伸ばす。ホクホクとしつつも繊維質な食感に、たまらず白米をかき込んだ。優子はみょうがに舌鼓を打つ。


「あの、お代わりをもらっても、いいですか」


 差し出されたお茶碗に、こぼれんばかりの白米を追加する。アスパラを気に入ったのか次々と消費していくユウに、次は天つゆで食べてみてはどうかと提案すると、目をキラキラして受け取った。


「おいしい?」

「とても!」



 食後のサクランボも食べ終わり、ユウは自室へと向かう。春が終わりを迎えるころだが、夜になると少し肌寒い。ベッドに腰掛けると、ユウは部屋の隅に置かれたものに目を向けた。

 今は布をかけてあるそれは、ユウがこの世界に来た時に着ていた鎧だ。装飾の一つも施されていない、無骨な銀鎧。ユウがまだ勇者でしかなかったころの名残。


「サヤマ ユウ、か……」


 今日から名実ともに自分の名前となったもの。ユウと呼ばれるたびに、未だにむず痒いものが走る。今までは仮の名前だったものが、本当に自分の名前になった。これでよかったのか、鎧を見るたびに迷いが生じる。いまだに信じられないような、夢を見ているような気持ち。それでも、不思議と後悔はなかった。

 この世界にわたってきて十日。文字どり新たな時代が始まろうとする、古い時代の最後の日。勇者だった異世界からの住人は、サヤマ ユウとなった。

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