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「銀座で買った蜂蜜を夜のうちに木に塗っておくとな、銀座ブランドにつられて野生のお金持ちが集まってくるんだ」
銀座の大通りから少し離れた場所にある公園の木に、一瓶二千円もする「銀座のはちみつ」を塗りながらお父さんは言った。僕もお父さんを真似して木に蜂蜜を塗る。隙間ができないように丁寧に。深夜ということもあり、周囲は暗い。公園の電灯と懐中電灯の光を頼りに銀座で買った刷毛を瓶に浸し、塗り続けた。
「明日が楽しみだな」
お父さんの言葉に僕は元気いっぱいに頷く。
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明朝五時。僕とお父さんは罠をしかけた公園へと出発した。眠たい目をこすりながら通りを歩き、公園の中へと入っていく。遠目からでも、奥にある目的の木の周りをすでに数人のお金持ちが取り囲んでいるのが見えた。お父さんは指先を唇に当て、「しー」と僕にジェスチャーを送ってくる。僕は息を押し殺し、銀座で買った虫取り網を握る力を強めた。そろりそろりと忍び足で彼らに近づいていく。お金持ちたちはまだ僕たちの存在に気が付かない。警戒心が強く、自意識過剰という習性があるお金持ちを捕まえるためには、慎重に慎重に近づかなければならない。
抱きしめるようにして蜂蜜を塗った木に張り付いている一人のお金持ちに目的を絞る。年齢は四十代前半ほどの男性で、髪はさっぱりと短く刈り込まれている。アルマーニのチェック柄のジャケットを羽織り、左手にはカルティエの腕時計をはめている。まさに図鑑に載っているような典型的なお金持ちだった。
お父さんが目で合図を送る。僕は呼吸を整え、お金持ちの頭めがけて虫取り網を振り下ろす。木に集まっていた他のお金持ちたちが危険を察知して逃げていく中、網に捕まったお金持ちだけはその場で膝から崩れ落ちる。
お父さんが後ろから近づき、お金持ちの襟元を掴んだ。僕は虫取り網の棒の部分を伝いながら、お金持ちのもとへと近づく。網を外してやった後で、お金持ちの肩を触り、首を触り、産毛の生えた耳たぶをつまんでみる。肌の生暖かさに僕は生命の息吹を感じた。僕はお金持ちの両頬を手で掴みながら、お父さんに尋ねた。
「お父さん、うちで飼っても良いんだよね?」
「もちろんだ。だけど、世話はきちんと祐介が責任持ってやるんだぞ」
「うん!」
お父さんは僕の返事に気を良くしたのか、目を細め、満足げに微笑んだ。僕は笑顔を浮かべながらお金持ちの両頬を掴んで顔を自分の方へと向けさせた。お金持ちはきょとんとした表情を浮かべたまま、僕の目を見つめていた。
「今日から、お前はうちの家族だぞ」
こうして僕とお金持ちの、短くも充実した毎日が始まった。