ep,6 首切りの兎4
5/連合国軍大佐
北区、ヴァレンダントの一角。豪勢な住居が佇み、その豪勢さに反して周囲には何ひとつとして何もない、だだっ広い荒野地。常日頃モノ静けさが漂うその場所に、騒がしさが満ち満ちていた。
積み荷を積んだ大きな馬車数台。付近に佇む人間の数、数十。場には緊張の二文字が奔走し、焦燥とも言える焦りが滲み見えていた。
彼らはいわゆる軍人。連合国軍、その人たち。この世界の大半を支配領域とする、この世界最大の勢力。この場に存在する彼らその全てが、例外なく武装していた。
否。それは誤り。一人だけ、異様な雰囲気を放ちながら荷台に腰を下ろす男。彼だけは、勝手を異なった。巨漢――そう形容するのが妥当な、とても図体のでかい男。黄金色の頭、両サイドを刈り上げ剃り込みを入れた男。口元には無精ひげ、あまりと言っていいほど、身を包んだ軍服にはそぐわない面構えであった。
「――はぁ~あ。めんどくせえなぁ。めんどくせえ、めんどおくせいよ、ホント」
空を見上げ、月を眺めながら、唾でも吐き捨てるかのように呟く。その表情には、傍から見ても容易に理解出来る程の煩わしさを帯びていた。本当に、心の底から、セカイの全てに関心が無く、本当に、どうでもよさそうだった。
「めんどくさいから帰りてえ。――なぁ、帰っていいかな」
「ダメです」
「ですよねーーー」
観念した――ような素振りで、天蓋に両手を振り上げる。
「ああクソ。シット。ガッデム。コサァカ!」
「大佐。コサァカは古代メゾモロク語です。モロク語での罵倒において、それは適切な言語選択とは言えません」
「知ってるし。ガッコで習ったわ。とりあえず世界は絶望しろってコトだよバーカ」
言って、たばこに火をつける。
咥え、目一杯肺に煙を入れ込んで、吐き捨てる。
「――ははぁ。やっこさん、来たみたいだぜ」
「ようやく、ですか……総員戦闘態勢!」
中佐と呼ばれた髭の男の隣に立つ、眼鏡をかけた細めの男が、叫ぶ。
「来たぞ、クビキリ兎だ」
男の声を合図に、一同銃を構える。
「さぁて。さっさと終わらせて、帰ってシコって寝るわ」
紅蓮の疫病。――ペストと呼ばれる男、ここに、罷り通る。
◇
「――もう少し手強いと思ってたのだけど」
群れる人間の数々、その尽くを切り裂きながら、ルサは呟く。まるで拍子抜け。まるで期待外れ。――いや、期待外れと言うのは、少し誤った解釈だろう。もとより期待などしていないのだから、期待外れと言うよりは期待通りの方がフレーズ的に正しい。だから、内心ホッと安心した反面、ルサは決して、警戒を解いても居なかった。
「ま、ありがたいコトなんだけどさ」
吐き捨てて、人気の無くなった広場を歩き往く。
やはりおかしい――そう感じて仕方がなかった。昨日の襲撃があって尚、それでも警戒しないというほど、あのバカも底抜けではなかろう。昨日と今日だ、だから、きっと警戒の具合は上げていると見た。アタシの使力を間近に見て、それでも尚この程度の警戒、この程度の配備、……やはり不可解だ。
ハッキリ言って、この程度の練度の兵士なら十、二十、もっと言えば三十と束にかかろうと、全然関係なく対処できる自信はある。文字通り、赤子の手を捻るが如く、だ。これでは昨日の数人のボディガードのそれと何ら大差ない。あの薄らバカは底無しの愚か者だったか。
「――なんにせよ、時間が無い」
言って、再び地面を蹴る。路傍の木々に紛れ、コソコソと、標的の住まう館へと向かう。もうすぐ、もうすぐに到達する。殺さねば、殺してやらねばならぬ相手。その場所に――
跳び、月光に照らされ、目的地に着いた。
「――ま、そうだよね」
――が、それを待ち構えてたかの如く、門の手前、大量の衛兵が鎮座していた。――しかも、文字通りの待ち構え。彼ら一人残らず銃を所持しており、こちらへと照準を向けていた。
「確認するが……」内の一人、軍服にコートを羽織った、メガネの指揮官らしき男が声をかける。「念の為に確認するが、貴様、クビキリ兎で間違いはないな?」
「ええ」
「そうか……」
数にして凡そ三十人近い重装備隊。先程の有象無象とは違う、完全に、罠に嵌められたのは私だった。
一同が一斉に、引き金に力を込める。
「――殺せ」
中央の男の声を引き金に、総勢三十の銃のトリガーが引かれる。
一斉掃射。まさに、赤子の手を捻るが如く、殺人鬼ルサの息の根を、完膚なきまでに完璧に、圧倒的なまでの武力戦力をもってして、消失させた。
「な――」
――筈だった
「に――」
踊る、踊る踊る、虚空を舞う白い影。銃弾にてたち込めた砂塵を薙ぎ払いながら、殺人鬼の影は踊り舞う。
「バカな……!総員、次弾装填を――」
「悪いけど――」
着地し、
「急いでるから、相手できない」
地を蹴り、
「じゃっ」
連中の頭上を飛び越え先へ進む。
門を抜け、後方の連中に構わず突き進む。全力疾走。足音を殺すのをやめ、構わず、全速力で目標へと突き進む。
「やっぱりね。来るって分かってるんだから、罠くらい貼るのは当然か」
しかし、厄介なことになってきた。門前であの警備の数だ。本邸、ヤツの首に辿り着くまでに、一体何人の相手をすることになるのやら。
「いや、考えても嫌になるだけね」
この先なんて、考えても仕方ない。今は、目の前にだけ集中しろ。
もう後戻りは出来ないんだ。――だから後は、進み続けるだけ。消して、止まらない。
噴水のある広場を抜け、本邸を目前にしたところで、ソイツは現れた。
否。ソイツは、そこに立っていた。仁王立つ、とは違う。しかし、畏怖を与える双眸を翳し、私を迎え撃つその男は、気持ち的に仁王立ちして、私を待っていた。
「……よぉ」
待ってたぜ、と付け足して、口に咥えていた煙草を吹き捨て、視線を合わせる。
「アンタ、誰」
「オイオイ。人の名前を聞く時は、まず自分の名前を名乗るもんだって、ちゃんとガッコで習わなかったのか?」
「あいにく、学校なんて大層な場所に通えるお金、アタシには無かったんでね」
ありゃ、と申し訳なさそうに呟いて、あまり整えられていない頭をボサボサと掻く。
「そりゃ配慮の足りない返しだった。謝る」
「……いいよ、別に」
見た目によらず、なんだか良い奴に思えた。その配慮には、素直に好感が持てた。
「や、謝るのめんどくせえわ。今のナシで」
前言撤回。コイツ、変な野郎だった。――そもそも、一度誤ったのなら撤回する方が手間ではなかろうか。
「あ、そうだ。お前侵入者だったんだ。謝る必要無かったんだ」
わかってなかったのか!
先程の思わせぶりな待ってたぜは何だったんだよっ!
「最初から――」
男の空気が、――
「殺しときゃ正解じゃねえか」
変わる。
殺気。殺す――という明確な意識。肌を刺すような、または、身体をプレスされるかの如く重い威圧。今までに、これまでに、ここまでの殺気を向けられたことは、一度もない。
「お前ってばアレだろ? ――えーと、何だっけ、アレアレ、あ――そうそう、殺人鬼ってやつ。ここの屋敷の旦那を殺すとか殺さないとか、とにかくそう言うやつ」
心底面倒くさそうに、男は続けて言う。
「それに関して言えば、俺にとっちゃどうでもいい話なんだけどよ。誰が死んで誰が殺そうが、俺にとっ ちゃそんなこと道端でクソガキがスっ転んで大泣きするくらいにどうでもいい――けど、よ。これがまたどうにもならねえらしいんだ、俺の上司がこの屋敷と屋敷の主を護れって言いやがるからよ、心底めんどくせえけど、俺は守らなきゃダメらしい」
言って、それだけ言って、男は手を振りかざす。まるで、視界に映るアタシを、手でゴミでも拭うように。
「殺すのもめんどくせえけど、とりあえず死んでくれや」
瞬間。朱い一閃が横靡く。
視て、反応。後退したのがあとコンマ一秒と遅ければ無事では済まなかっただろう。
先程までアタシが立っていた地面――否、ともすれば空間とも呼べるそこが、灰燼に帰した。舞い上がる火炎。噴煙。爆炎。熱風にあてられ火傷になってしまいそう。とにかく、一切合切が燃え失せた。酸素は然り。地表のそれすらも、黒く焦げるを通り越して消失していた。
「オイオイオイ。避けたのかよ」
「いきなりだったから驚いた。――今の、アンタの使力ね」
ああ、と首肯し、手のひらでもう一度、軽い爆発を起こす。
「コイツが俺の使力。めんどくせえから詳しくは説明しねえが……初見でコイツを躱したのはアンタが初めてだ。御褒美に、少しだけレクチャーしてやるよ。俺の体内及び体外には不思議微粒生命体、なんつーかウィルスみたいなもんが漂っててよ。そいつらは俺の意思に呼応して爆発する性質を持ってんだよ。爆発――つか炎上だな。その小さなウィルスが集合して、爆発的な火力を引き起こすってだけだ。……ま、炎上は俺の性分だし、めんどくせえから他人頼りってのも、俺に相応しい能力だわな」
あっそ、と吐き捨てて、身構える。さっきのあれ、あの手の動作が能力発動のキーモーションなら二発目以降避けるのは簡単なのだが、多分違う。二回目の発動時、ヤツは手のひらをなんてこと無く爆発してやがった。――と、言うことは、ノーモーションでの発動を可能とする、だろう。……やっかいなこと、この上ない。あの爆発範囲、気を抜けば丸焦げになってしまうであろう火力。終始気を巡らせて、緊張して、警戒して、それでいていつでも反応できるように身構えていないと、躱すことは叶わないだろう。――視ることはともかく、避けるのはなかなかに難儀だ。
「――クソ」
唾を吐くように、卑しく呟く。
「俺の教えたんだからお前のも教えろよ」
「やだね。知りたきゃ、自分で探ってみな」
挑発するように、言う。
「――そうすっか」
声と同時に弾け飛ぶ地面。無論、男の使力だ。今度はノーモーション。しかも、声と同時。一言の半分以上が、爆音で掻き消される要領だ。
だが、警戒していただけあって、一発目に比べて比較的簡単に避けることが出来た。
「これも躱す――てことは、さっきのはまぐれじゃないってことだ」
「とーぜん」
「お前さんの使力、なんとなく見えてきたぜ」
「そりゃ重畳なことで」
「おう、重畳だとも」
言って、軍服の胸ポケットから一本の煙草を取り出し、咥える。何をすることもなく独りでに、勝手に煙草に火が灯される。
「お前の使力は、『眼』だな」
「へぇ」
なかなかどうして、勘が良い。
「お前のあの回避力は運動神経――ってのも少しはあるんだろうが、単純な肉体強化系の使力ではねえ。仮にそうだとしたら、動きが早くなるような能力でないと道理が合わねえ。爆発に反応してから回避するほどの高速度だ、ソレが可能なら、この程度の距離を一瞬で詰め寄って、俺の首を落とすのも容易いだろうからな」
「――……」
ニヤけながら、男は続ける。
「と、いうわけで、残された選択肢は『眼』だ。その視界は俺の使力の発動を、事前に捉えれる。爆発して避けるでは無く、爆発する以前にそこから避けてるんだ」
圧巻――とはこのコト。全てをひっくるめて、この男の言うソレは、異常に、非常なまでに的を得ていた。
そう。アタシの使力は、文字通り『眼』だ。
『真眼』。
簡単に言えばそれは視力がいい、だが、詳細に説明するとなると、何でも視える――だ。
何でも見える。これは誇張でも、冗談でもない。事実、アタシの眼には何でも視える。アタシが捉える限り、それは確実に形をもってアタシの視界に写し込まれる。アタシの眼が捉えるモノは、例え実体がなくとも、アタシの視界の内では実態を有する。――だから、アタシの眼に視えないものは無い。アタシが獲物を殺す際、抵抗するソイツの隙、死角をカタチとして視認して、それに刃を穿つ。そうしてこれまで、何人もの人間を殺してきた。さっきの爆炎も、アタシの眼には見えた攻撃だ。急な攻撃ではあるが、それが生ずる以上、そこには何かしらの力が働き、熱力へと変換されるのだ。だから、出現した力の形を収め、それから逃げただけだ。至極簡単。単純明快。それ故に、この男の言うことは核心を得ていた。……度胸がどうのも、然り。
「アタシの使力を見抜いたところで、アンタの攻撃は当たんないよ。――大人しくそこ、通してくれたら助かるんだけど」
「ははは」
笑って、煙草を吸う。吸って、目一杯煙を吐く。
「そりゃ無理な相談だぜ。心底めんどくせえけど、一応仕事なんでな」
だと思った。
本当に、心底めんどくさそうに言って、前髪を掻き上げる。
「それにな、お前のその自信は一体どこから来るんだ? 俺の使力がお前の眼に劣るなんて、一体何を根拠に宣いやがる」
もう一度大きく煙を吐いて、ギラギラとした瞳で、言う。
「お前がいくら俺の爆発を見抜けたところで、対処できなきゃ意味はねえ」
――瞬間、目の前、周囲のその全てが、紅に染められた。刹那の後、それらの全てが華と散る。
大爆発。一切包み込み、合切を砕き潰す。真っ赤な花を咲かせた、一瞬の芸術。
なるほど。こうして逃げ場など作らない程に周囲を炎で包み込めば、いくらソレが見えていたところで、避ける事など不可能に等しい。
躊躇など有り得ない。周囲一面が火炎に包まれると知って尚、逃げない人間は居ない。道理、アタシは虚空に身を投げた。逃げ場など周囲に見当たらない。一面が真っ赤。だが、空は常々真っ黒だ。然り、安全地帯。地を蹴り、爆風に身を任せ高く跳ぶ。――が、一瞬にして、それが罠であったことを理解する。
「かかったなアホが!」
アタシの眼前、つまり目前。距離にして凡そ十センチにも満たない至近で華が散る。逃げ場を、わざと作りやがった。
周囲を囲んで空へと誘き出す。一発目は囮、餌だ。獲物が罠に喰いつくための、仕掛けに過ぎなかった。見事に引っかかったアタシの身体は、見事に弾け飛ぶ――筈だったが、身体を捻り、肩部を盾にすることで顔面への被害を防いだ。
「おお、ナイスガッツ」
「――どうも」
舌打ちまじりに言う。おかげで腕はもう死んだよ。酷い火傷。これじゃあ刀を持てやしない。
「さて、投降すれば爆死じゃなくて絞首刑だ。綺麗な身体のまま死ねるぞ」
……野郎、完全に勝った気でいやがる。――が、それも事実。現実。さっきの駆け引きで、完全に、完膚なきまでに、それこそ完璧に、勝敗はついた。今のアタシに、この男は倒せない。恐ろしい能力に恐ろしくキレる頭。全てにおいて、アタシはこの男に負けている。勝てる要因が、見当たらない。ましてやこの腕だ。致命傷――とまでは言わないまでも、少なくとも刀を振るという行為その一点においては致命的だろ。
「だけど――」
だけど、心までは、負けちゃいない。
「せっかくだけど、負けを認めるのは、アタシの性分じゃないんだ」
「へぇ」
勝負には負けた。この男に負けた。勝てなかった。だけど、心までは、志だけは、負けるわけにはいかない。――だから、アタシはコイツに屈したりしない。受け入れよう。アイツの言う通りだ。アタシは、死を受け入れる。
「そうか……なら、――弾けろや」
言って、真白な閃光を、視た。
6/よくないことだから。
さて、少しばかり時間を遡り、ルサとの散歩へと戻ろう。
「あのクソ野郎をぶっ殺す手伝いを――ね」
真顔で、真剣な表情でそう言った。それは、決して冗談などではないぞ、という圧を含んでいた。
「ぶっ殺すって――そんな野蛮な」
「野蛮にならなきゃ、非情にならなきゃ、いけないんだよ」
さぁ、と返答をせかす。
「さぁ、返事は」
「僕は――」
僕は、
「――僕は、人殺しは、……しない」
「人殺しをしない……?」
彼女の顔は、まさに不可解という感じだった。
「人殺しって、そんなにいけないこと……?」
それは、心底不思議そうな表情で、本当に理解のない面持ちだった。
「当然だろ。――人は、人を殺してはいけない。もし君が誰かに殺されるとして、それを受け入れることが出来るか? 出来ないのなら君は人を殺してはいけない。有名な作家の受け売りだけど、これは案外、的確に的を得ていると、僕は思うんだ」
もし人を殺してもいい人間が居るとしたら、それは次の瞬間、例え自分の生命が停止しても構わない、微塵も関係ないと言う人間だけだ。殺し殺され、誰かに殺されるのもまた仕方がないと、死を容認できる者だけだ。だから――
「だから、他人の生命を無造作に奪うなんて、絶対に駄目だ」
「――……なるほどね」
「気に障ったなら、ゴメン。謝るよ」
「いや、いい。アンタの言う事も、理解出来るからさ」
ただ――と、彼女は言う。
「ただ、アタシは殺しも、正しい行為だと思ってる。アタシたち人間が呼吸するのと同様に、アタシにとって殺しは、常識と言うモノなんだよ」
そういう風に生きて来たんだよ、と噎び取れよう喘ぎで言う。嘆息。
――嗚呼、成程。彼女ハ、彼女ニトッテハ、コレガ常識ナンダ。
――ソウイウ環境デ育ッタノダ。
だから、彼女には、殺しと言う行為において、そこに善悪の概念を持ち込むことが、出来ないのだ。
「OK。アンタの言う事は正しい。けど、アタシも間違ってはいない。――だから、まぁ、とりあえずは平衡状態。とりあえずは交渉決裂ね」
悪い――とは思ってないけど、一応、罪悪感らしきものはある。僕と彼女の価値観の違いが生んでしまったのだから、僕にも非が無いと言うわけではない。
「御使いの協力が借りられないのは残念だけど、それも、もともとはないモノだと考えれば、得してはないけど損してもいないしね」
観念観念。言って、諦めた――と言わんばかりに両手を上げる。その姿は、本当に清々しく、快く、心地よかった。
「だけどまぁ、今度は邪魔だけでもしないでいてくれたら、助かるかな」
そう言って、手を振りながら、僕を背に場を後にする。
「邪魔、ねぇ……」
するつもりはないけど、こうやって釘を刺された以上、もう邪魔をするわけにもいかなくなった。――ましてや、あんな事情を聞かされた後なら、尚の事だ。ことさら、彼女の邪魔など、するわけにはいかなくなった。
◇
ともかく、何はともあれ宿へと戻った。
帰ってきた。ベッドに身を投げ、俯いたまま唸るように声を上げる。
「ううーん」
珍しく、物思いにふけてみる。今日は色々あったから、それらを想起する。
「ヴァリアント……殺人鬼……ルサ……か」
ヴァリアントの街を、思い出す。――廃れ果てた、廃荒の街。所々がスラム同様の荒れっぷり廃れっぷり。建物の所々が老朽しており、人々もまた、疲弊していた。顔が、全く生きていなかった。――同時に、この街の様子も思い出した。皆笑い、皆人生を謳歌している。少なくとも、誰ひとりあの街の人間のような表情はしていない。
「なんて……平和」
ボソッと、呟くように言う。
続けて、殺人鬼――ルサについて想起する。「――人殺しって、そんなにいけないこと……?」いけないことだとも。絶対に、いけないことだ。奪う――という行為は、そも絶対的に悪だ。生まれながらに持つ当たり前な権利を剥奪する行為は、絶対的に悪である。ましてやそれが命となれば尚のコト。――それは絶対に、人として犯してはならない罪だ。
だが同時に、彼女にはそれしかない。それが倫理とか道徳とか関係なしに、真実本当に、それしかないのだとしたら――それ以外、知らないのだとしたら、それは、はたして罪足り得るのだろうか。善悪を知らない猛獣が草食動物を捕食するのに罪科が生じないのと同様に、彼女にはたして、罰を受けるべき人間だろうか。
「何が善くて、何が悪いのか……」
もう、わかんねえよ。
わからない。――本当に。何が正しくて、何が間違っているのか、わからない。
「あの子は、僕の言う事も理解出来ると言っていたな」
その上で、自分もまた正しいと。――それは、確かに、そうなんだろうね。
「本当、―― ……」
嘆息するように、吐き捨てる。
瞬間――
ドカッ―――!
爆発音にも近い強烈な物音が、部屋中に響いた。
「は――?」
続いて、ズカズカ、と地面を蹴る音。この部屋の床は木質のフローリングであるため、そういった乱暴な足音は良く響き、言わずとも理解出来る。――フェルト、じゃないよな。絶対。
さもありなん。現れた男――いや、男たちは、全く知らない人たちだった。
まったく知らない。これに、嘘偽りの類はない。――が、僕はこの人たちの素性を、知っているかもしれない。汚れた衣服、疲れ切った顔、今にも消え入りそうな雰囲気は、明らかにこの街の人間とは違った。否、というより、ヴァリアントの人間だ。
「突然押しかけて悪いね、少年」
老若男女の中心、眉間に斜め傷を負った強面の男が話しかけてきた。僕は、月光仮面みたいだと、思った。
「君が昼、ヴァリアントに来ていたのは知っている。ルサと話をしたのも知っている。――そして、この宿屋まで尾行した。この意味が、わかるかね?」
「全然まったく。ちっともわかりませんよ」
「早い話、君が心配だったのだよ、少年」
「はぁ……」
心配――ねぇ。そう言えば聞こえはいが、その男は、手に木刀を所持していた。いや、武装程度ならまだいい。それが、部屋まで強制的に押しかけると言う行為が、決して、僕の身を案じての行為でないことくらい、容易に想像がつく。
「君がルサの邪魔をしないかどうか、心配だった。彼女の邪魔は、しないでくれ」
「するつもりなんて、……ありませんよ」
「どうだか」
男は半信半疑に言う。
「確かに君は、ルサの眼前でそう言った。昼の会話も、我々はこっそりと聞いていたからな。ただ、それが本心だと何故言い切れよう。どこに証拠がある? なかろう。そういうことだ、少年。人間、腹の中は何を飼っているか、わかったもんじゃない」
なるほど。確かに、それはそうだろうな。
「じゃあ、逆に聞くけど」
返す刀で、逆に問う。
「ルサの邪魔をすることが、アンタらにとって不都合になるの?」
「……」
沈黙。そして「ああ……」と、短く頷く。その表情は、あまりに暗く、とても快くは思えない、そんな首肯であった。
「我々ヴァリアントの人間にとって、彼女の強盗活動こそが、唯一の収入なのだから」
「――は?」
は?
は?いや、
今、この男ハ、なんて――。
なんて、言ったのだ?
「それ、どういう、意味で……」
「どういう意味も、こういう意味もない。そのままの意味だ。あの子が役人や貴族を殺して奪ってくるやつらの財産が、我々が生きて行く上で、彼女の殺人は必要不可欠なのだと」
そう言っている。吐き捨てて、木刀を構えた。――僕は、
「――……ねえよ」
「なに?」
「わかんねえよ……」
僕は、皆無に分からなかった。まったく、微塵も、これっぽっちも。一寸たりとも、わからない。
わかりたくもない。理解したくない。理解はできるがしたくない。理解出来るからこそ、本当に嫌なんだ。
「嫌いなんだよ……アンタらみたいなヤツは」
続けるように、腹の内の嫌悪を言い散らす。
「嫌いだ。アンタらのようなやからは、大嫌いだ。そんな理屈、理解なんざしたくねえんだよ。したくないのに、どうしても、心の内じゃ≪しょうがない≫って思ってる自分がいる。だから、本当に嫌いなんだよ。僕も、アンタらも……」
これは、同族嫌悪。否、自己嫌悪。
「人に縋って、自分に責任を負いやしない。アンタらを見てるとな、昔の僕を見ているようで、吐き気がする」
自分のために、隣人を犠牲にする自分。自分が助かって、それでも隣人を酷使し続ける。助けようとはしない。助けたいとわかっていても、助ける勇気がない。そして、彼女を使い続ける。――ハヤトを見殺しにした、僕そっくりだ。
「――このクソガキ。……言わせておけば」
男の一人が、刃物を持って走り出す。無論、僕へと向かって。
やばい――とは思ったが、案外達観していた。途中で≪そうだ、僕は不死身なんだよ。大丈夫じゃないか≫とも思った。――が、それより早く、事は起きていた。
部屋の中心。向かってくる男と僕との間、それを隔てるように黒い影が踊る。
「私の居ない間に、随分と賑やかになっているようだね」
リョウ、と、黒い影から現れた白い男が言う。弁解――というより、ことのあらましを説明しようと口を開く、が――
「いや、いいよ。言いたい事は分かるし、彼らの素性も把握している」
言って、ナイフを持った男を一瞥する。
「乱暴なのは趣味じゃないからね。ここは、スマートに話し合いをしよう」
言って、笑う。ニコリ、と。幾何かの殺気を孕んだ純真無垢な笑顔に、たまらず、男はナイフを落とした。足元、危ない。
「さて、どこから話を始めようか。――とりあえず、ヴァリアントの諸君、君たちの言い分は至極当然だ。何も間違ってはいないよ」
フェルトの一言に、連中は安堵する。
バカな! 部屋へ押しかけ、健気な一人の女の子を殺人鬼に仕立て上げ、それを食い物にするような連中だぞ!?
「おいフェルト!?」
「なんだいリョウ。何か不満かい? それとも君は、彼らが間違ってるとでもいいたいのか?」
「当たり前だろ。殺しはいけないことだし、それを強要する連中はだめだ。ましてやそれを食い物にして、責任を押し付けるような奴らは最低だろう」
ふむ、と首肯するフェルト。
「……君の言う事もまた、間違ってはいないよ。――ただ、それが善意による行為だとしたら?」
「は――?」
善意? 何を言ってるんだ、コイツ?
「殺しに善意にクソもあるかよ」
「だろうね」
クスっと笑って、続ける。
「殺す相手への善意では無く、殺して、与える方への善意だとしたら?」
「……だから、お前さっきから何を言って――」
そこまで言って、ようやく気付いた。
「まさか、ルサは、そのために――」
「そうさ。彼女は、ヴァリアントの人間のために、自ら殺しをしている。ヴァリアントを貶めた裕福層の貴族や悪徳役人を殺して、そのお金を、働く事の出来ない連中へと配っているらしい。そう、自ら進んで、誰の強制も受けずにね」
「――……」
僕は、沈黙した。バカヤロウか、僕は。そんなこと、そんな、ヴァリアントの実体を、今朝僕は見て来たばかりじゃないか。
ヴァリアントは納税を満足に払えない連中が送られる廃荒の街。その理由のほとんどは、病気や体に障害を負って万足に働くことが出来ない人達だからだ。
「そういった人たちの中で。そんな環境で育った彼女の人格形成は、倫理観は、まぁ、想像に難くないだろう」
虐げられ、苛められ、疎まれ、蔑まれ、殺された彼ら。――だから、弱いモノが死に、強いモノは奪う。そんな風に、彼女は生きてきた。
――それでも、それでも尚、彼女は弱いモノの見方になろうとしている。正義であろうと、正しくあろうと、人々を苦しめる自身にとっての悪と、戦おうとしている。それは、それはすごく、すごく険しい在り方ではなかろうか。
「ここに来ている我々は――」
傷の男が口を開く。
「我々は、満足に仕事ができる者達だ。――それでも、収入なんてものは、雀の涙程度だがな。だがそうでない、そうでない連中。脚が無い者、腕が無い者、不治の病にかかってる者、――たくさんいるが、そう言った彼らを生かしているのが、彼女だ」
「……」
「今晩彼女が狙う男は、この街の市長だ。ヤツが消えれば、この馬鹿げた納税もなくなる。――だから、働けない連中を養えるだけのお金も、我々家族が用意できる。――だから、頼む」
頼む――と。縋るように、囁くように、言う。
「頼むから、彼女の邪魔はしないでくれ」
それは、切な叫び。吹けば刹那に消え入るほどに、弱弱しい願い。
――それでも、それでも、強い眼で、眼差しで、声で、僕にそう告げた。
「――嬉しくないよな……そんなの」
独りでに、そう囁く自分。
「は――?」
「いや、なんでもない。独り言。――でも、本当に僕は、彼女の邪魔をするつもりはないですよ。彼女と、そういう風に約束しましたから」
「邪魔をするつもりはない、ねぇ――」
今度はフェルトが突っかかって来た。どうも、含みのある言い方で。
「なんだよ」
「いいや。邪魔をしない、それは結構。――ただそれだけじゃあ、彼らの運命は救われないままだからね」
「――どういうコトだ?」
そのままの意味さ、と嘲る。
「今晩、かの豪邸を警護するのは紅蓮の疫病と名高いペスト・エクスフレイムだ。彼女、このままでは死ぬぞ」
フェルトの言い放った人命を聞くや否や、ヴァリアントの連中の表情が一変した。顔面蒼白。まるで、絶望に打ちひしがれた人間のソレ。ペスト――知らない人だった。
「誰? ソイツ」
「連合国軍大佐。『奇王』のお気に入り。近年では内乱の鎮静に駆り出され、戦果三百という数字をあげている」
「三百って、それ多いのか?」
「うん。全体三百/三百だからね」
バケモノじゃねえか。
そんなヤツ相手に、ルサは一人で立ち向かおうってのか。
それは、いくらあんなに強い彼女でも、不可能なんじゃ――
「不可能だろうね。それに、相手はペストだけではない。数百の憲兵や衛兵、そして彼の部隊とてんこ盛りだ」
「――じゃあ、ルサは……」
「死ぬだろうね、確実に」
フェルトの慈悲の無い言葉が、胸に刺さった。
何も自分のコトではない――にも拘らず、僕は胸に、釘を刺された気分だった。
きっと、今の言葉は、僕にとっての致命傷足り得た。
「――……くそっ」
僕は、気付いたら窓を蹴り破っていた。
「な、何をするんだアンタ!?」
十字傷の男が、驚愕と言った表情で、問う。
「……決まってる」
決まってる。最初から、決まってる。そう仕向けたんだろ、神様。
「ルサを、――助けに行く」
7/Rise of Angel world.
――白い、純白の刀身が、アタシの視界に映る。酷く見覚えがあって、どうじにうんざりするほど忌々しく、同時に、枯れる程待っていたそれを、視た。
「そんなこんなで――」
来ちゃったんだぜ。
「アンタ――」
尻餅をついたまま、僕の方を見て、言う。
「何で――」
「その話はあと。とりあえず、その、なんていうか、遅れてゴメン」
遅れるもなにも、断ったんだからそれは適切な謝罪ではないだろうが、如何せん、僕がもう少し早く門前の敵を無力化出来ていれば、彼女の肩がそんな風になる事はなかったかもしれない。そう思うと、やはり罪悪感に苛まれた。
「いや、」
それでも、彼女は――
「来てくれるとは思ってなかった。それに、命拾いしたよ。ありがとう」
無垢な笑顔で、僕にそう告げた。
少し動揺。――が、そんな暇は、決してなかった事に気付く。
「えーと、」
無精ひげの、刈り上げの、どこからどうみてもやからな兄ちゃんが、言う。
「お前、ソイツの仲間って事でいいの」
「いいよ。そういうアンタは、えーと、なんだっけ、ペスト? でいいのかな」
「ああ」と短い首肯。なるほど、確かに、怖い男だ。そういう雰囲気が、プンプンする。
「はああああああ。だりぃいいいい。さっさと帰りてえのに面倒なことになったぜどうも。よくもまぁ、神様ってのは俺の思い通りにことを進めてくれないね、ほんと」
言って、ボサボサと頭を掻く。「めんどくせえけど」と、呟いた瞬間――
「ムカつくから念入りに殺してやんよ」
刹那、視界が紅蓮に包まれた。
ボウ、と周囲に爆炎が舞う。熱い。熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い。厚い炎の壁。それの中心。自身の身が悉く焼き焦げるのが、分かる。鼻孔を刺激する、人が燃える際の臭い。不快だ。ただただ不快だ。痛いわけじゃない。不快なんだよ、本当に。
「熱い!」
携えた剣を振り上げる。すると、同様に炎もまた、天へと舞い上がった。
「はぁああ?」
意味不明。理解不能。思考不全――といった表情。わかる、僕も、この世界に来てからずっとそうなのだから。
「何で死んでねえの。――驚いた、御使いかよオマエ」
「らしいね」
「らしいってなんだよ。手前のことだろうが、手前でしっかり理解しとけ」
そう言われると何も言い返せないよな……。ともかく、邂逅早々攻撃とか、どんだけ血の気が多いんだ。しかもあんな爆炎、僕じゃなかったら確実に死んでるぞ。本当にシャレにならねえ……。
「ふぅ……。御使い相手かよ、殺せない相手ってどうやって倒すんだ?」
「さあね。とりあえず、僕が疲れるまで頑張れば?」
「――……ムカつくね、お前」
「同級生にもよく、そう言われてたよ」
言って、走る。瞬間、爆発、爆発。
有り得ない威力の爆風。死なないだけあって、これでなかなか体力を削られる。
そう。死なない――とは言っても、別に無敵ってわけではない。爆発すれば当然、その威力は殺せないし、身体は吹っ飛んでいく。そうして、何度も何度もブッ飛ばされ、一向に男へ近づくことが出来ずにいた。
「クソ、どうすりゃいいんだ」
「無駄だぜ。お前がいくら頑張ったところで、俺が爆破してブッ飛ばす。いい加減この無限ループやめにしねえか?」
全く持って同感だ。だから大人しく負けてくれよ。
しかし、それにしても突破口が思いつかない。何かないのか。何もないのか。この男を一発、ぶん殴れるだけの突破口が。
何かないかと作戦を練っていたその時「ねぇ」と、背後から声がかかった。
「アンタ、私の指示通りに動けない?」
「は?」
「アタシの使力は『真眼』、『万物を視る眼』なの。だから、アイツの爆発も事前に見抜けるのよ。アンタがアタシの指示通りに動ければ、爆発を避けながらアイツを倒すことが出来るかもしれない」
「おお、なるほど」
良い案だ。たしかに、これなら野郎の攻撃をかわせるかもしれない。――が、
「無理だね」
と、何もない虚空から、声が上がった。例のごとく黒いワープゲートから顔だけを覗かせる、フェルトであった。――なんだかそれは、とてもシュールに思えた。
「人間という生き物は、そう瞬時に指示を理解出来る生物ではない。そう言うのは、何度も何度もシュミレーションして、状況のすり合わせを行ってきた人間だけだ。『右』と言われても、ついつい『左』を向いてしまうのが、人間だ。君の場合、瞬発力と動体視力は使力によって底上げされてるから出来ない事はないが、もうひと押し、必要かな」
「具体的には――」と呟いて、ルサへと視線を向ける。
「君の視界を、彼の視界とリンクさせる、だね」
「リンク?」
ルサの問いに「そ、リンク」と呟いて、軽く微笑んでから続ける。
「接続って意味だね。感覚――この場合視覚をリンクさせることだ」
――そんなこと、はたして出来るのだろうか。他人の感覚を自身に接続して共有するなんて、可能なのだろうか。通常ならそんなこと、当然のように不可能だ。だが、それが使力によるものだとしたら、はたして――
「時間が無い。説明はなしだ。とりあえず、視覚のみの共有なら、僕でもさほど時間を要する事はないだろう」
言って、右腕の人差し指で僕の眼を、左手の人差し指で彼女の眼を指す。
「レンタル・アーク……『リンク』」
呟いて、フェルトの頬の蜘蛛模様が、光る。黒いタトゥーが、白く輝く。
数秒ほど輝いて、再び元に戻る。
「さぁ、ルサ。使力の発動を」
「あ――う、うん」
半ば半信半疑。そりゃそうだろう。実際ぼくもそうだ。――が、刹那の後、自身の視界に起こった事態に、驚くことになる。
「なんだこれ!?」
驚愕。視界が、なんだこれ。視覚情報の量が、異常に、異様に、恐ろしい程に、脳に押し寄せてきた。あまりの情報量に酔いに似た感覚を味わう。自然、口元に手を覆う。
「どうやら、成功だね」
「え、成功、なの?」
そうか。共有――ということは、彼女の視界は以前のままなのだ。僕のと入れ替わるわけじゃない。彼女は、はなっからこの景色なのだ。
「――ああ。すごいモン見てるな、君」
「はぁ、」
よくわからない、といった面持ち。わからないならスルーしてくれ。
生まれつきこの景色を見ている彼女にとって、これは、異常では無く通常なのだ。
常人なら噎せ返る程の膨大な視覚情報。漂う空気の性質から、地面を構成する物質。直接見えるわけではないにせよ、『視る』だけでそうだと理解出来ちまう。――たしかにこれは、恐ろしい力だ。
「いや、そんなことより――」
そんなことより、今は敵前。そのことを、すっかり忘れていた。
「話し合いは終わったか?」
律儀に待っていてくれた。
「て言うか、すげー顔してんぞ。大丈夫か?」
心配までしてくれた。いいヤツかよ、コイツ。
「今、アンタを倒す準備が整った」
「そりゃ重畳。まぁ、そんな死にそうな顔で言われても、全く怖かねえけど」
言って、再び爆炎。今度はさきほどよりも威力が数段高かった。
――が、今の僕には、視える攻撃だ。
「あ?」
避けた。躱した。それこそ、少し移動するだけの運動工程に他ならないが、それを、とても有り得ないと言わんばかりの表情で、男は見る。
「ふん」
またも爆発。前方三面。連続敵に、間髪入れず。――が、これも躱す。前方にしか攻撃が来ないのだから、少しだけ右横へと移動する。それだけ。しかし、ほんとうにそれだけ。それだけ故に、解せない、といった面持ちだった。
「何だよ急に。お前さんもあれか? 『眼』がいいのか?」
「さっきよくなった」
「なんだよそれ」呟いて、今度は、避けれない爆撃を仕掛けた。前も後も横も、どこもかしこも縦横無尽。周囲を紅い閃光が囲み、数秒後に爆発すると理解出来た。――出来たから必然、僕は正面に突っ込んだ。
「なっ!?」
埒が明かない。多分、そう思ったアイツは地面に穴を開けて、僕を落とそうとでも考えたのだろう。だから必然、地面より少し高い位置に爆発ポイントを設けた。――だったら、これなら、いける。
爆発のコンマ数秒前、正面のポイントを過ぎたところでソレを背に、跳び、携えた剣を踏んだ。それこそ、スキーのボードの如き要領で。
数瞬の後、爆発は起きた。物凄い爆風。足場にした剣と共に爆風に乗って、物凄い勢いで正面へと吹っ飛ばされる。男との距離をゼロにするまで、およそ一瞬にも満たない刹那。僕は、拳を握りしめた。
バカな!? 爆発の後、男は信じられない光景を目にした。正気かこのガキ!?
剣を足場に――いや、盾に、俺の爆風を利用して吹っ飛んできやがった!? イカれてるとしか思えねえ!!
どうする。迎え撃つか? いや、それしかねえだろう。
ダメだ。野郎は爆風の威力に乗せてくる拳だ。多分、野郎の拳のが当たるのは早え。
だったら避けるか? アホう。早えつってんだろ。これ避けれたらオレぁ弾丸だって避けれるぜ。
じゃあどうする。どうするもこうするも、どうにもなんねえだろ、コレ。
ふざけんなやってみなくちゃわかんねえ!! ――いや、わかるんだよ。俺の在り方はひどく単純。めんどくせえのが嫌い、ただそれだけだ。俺の能力だって、俺が直接手を下すことなく敵を焼殺する、そんな能力だ。こればっかりは、どうしようもねえよ。
なにより――もう、考えるのが、めんどくせえ。
――瞬間、頭蓋が粉砕するかの如き轟きが、脳に響いた。
◇
ことの全てが終了してから、その朝、僕達はヴァリアントを訪れた。
街の様子は、まぁ当然廃れたまま。これは、一日やそこらでどうこうなる問題では無かろう。――が、しかし、肝心要の人々には、幾分か活気が戻っていた。
「やった! 市長がいなくなった!」
「これで、あのバカげた納税も終わりだ!」
「よかったな、お前!」
「ああ!」
街はすっかりお祭りムード。そりゃそうだろ。あの悪徳市長の支配から解放されたのだ。皆歓喜喝采だ。
余談だが、市長はと言うと逃げた。フェルトの計らいで、屋敷に火がついたのだ。なるほど、ゲート越しにそんなことをしてたのか、お前。全く、抜け目のない奴だ。――まぁ、逃げたのら、どこかで生きてるだろうし、死ななかっただけいいことだ。やっぱり、殺しはいけないことだからね。
「にしても……」
それにしても、なんだ、この接待は。
僕たち三人。具体的には僕とフェルトとルサ。三人は、まるで英雄か何かのように群衆の喝采を浴びながら、料理と酒でもてなしを受けていた。
「いいじゃんいいじゃん。アンタはこの街の人間のために頑張ったんだから、当然だよ」
と、料理を頬張りながらなだめるルサ。
そうは言うが、別に僕はヴァリアントのために戦ったわけではない。
とは、まぁ口が裂けても言うべきではないことくらい、僕でも理解出来る。
「――というか、ずっと気になってたんだけど」
食い入るような目で、コチラを除くルサ。
「ん、何?」
「アンタ、なんで助けに来てくれたのさ」
あー、と一拍置いて、言うべきか言うべきでないか思案した後、やっぱり言うことにした。
「なんか、まぁ、その――僕はただ、僕が許せなかっただけだよ」
「と言うと?」
「君が進んで、誰の強制も受けずに殺しをしていたのは、聞いた。けど、それを誰も助けようとせず、眼を逸らしていただけの彼らが、昔の僕にそっくりなんだ。……僕はさ、親友を助けれずに見殺しにした経験があるんだ。――だから、ここでまた君を見殺しにしたら、昔の僕のままだと思って。そう考えると、君を親友に重ねていたのかもしれない」
ゴメン、と――僕は無意識に謝っていた。彼女は「ふぅん」と呟いて、
「謝る必要なんてないよ。――あとさ、アンタ達これからどうするの?」
「え?」
「これからの予定、まだ決まってないの?」
なんて、そんなことを藪から棒に聞いてくる彼女。なんだ、それが何か問題でもあるのかと尋ねようとしたが、
「私たちはこれから隣街のクロムノで海を渡ってコウポホルンを抜けて連合国自治区に入る予定だよ」
――と、フェルトが先に言っていた。
「そうなのか?」
「そうだよ。あれ、言ってなかったかい?」
言ってない。今初めて聞いたよ。
「そっか」
呟いて、ドン、と胸を叩くルサ。その表情はどこか得意げだった。
「じゃあ、アタシもついて行こうかな」
「は?」
「いいのかい?」
「いいよ、今やアタシは殺人鬼。この街はともかく、ヴァレンダントやバレルハントじゃお尋ね者だからね。この街に居ても、迷惑になるだけだから。ていうか、最初っからここは出るつもりだったんだ」
「そうか」と納得するフェルト。いやいやいやいや、そう言う問題ではないだろう。
「君はそれでいいのかよ?」
「いいよー」と短く言って欠伸をするルサ。いや、軽いな、おい。
「君は、この街に思い入れがあるだろうに。いいのかよ、そんな……」
「いいんだよ。さっきも言ったけど、アタシはもう不必要だし、反ってみんなの邪魔になっちゃう」
表情こそは笑っていたが、おれは、本心からの笑いであろうか。周囲のみんなも俯いて、どこか悲しげな面持ちだ。――それは、本心からの答えだろうか。
「それに――」
言って、僕と視線を合わす。
「それにね、アタシにも、アンタ達について行きたい理由が、あるんだよね」
ついて行きたい、理由――?
一拍置いて、彼女は口を開く。
「昔ね、弟がいたんだ。名前はユウゴって言って、なんていうか、アンタにそっくりなんだよね」
「僕に?」
「そ、アンタに。そんでさ、ユウゴはアタシと違って要領がよくて、なんでも出来たの。それで、街を出て出稼ぎするって言って、飛び出してきり五年未だ音信不通で、多分もう、死んでるんだと思う」
――それは、……それは、思い出したくない過去だったろうに。
「ゴメン。思い出したくないこと思い出させちゃったみたいで」
「いやいや。弟の事だよ? 思い出したくないわけないじゃん」
あっはっはっは、と笑いながら言う。それは、無理して笑うようなそれでなく、本当に、心から。
「だからまぁ、悪く言えばアンタが死にそうで心配だから、ついて行きたくなったのよ。」
「死にそうだなんて、そんな縁起でもない……」
「ごめんごめん。――それにさ、もしかしたらユウゴだって生きてるかもしれないじゃん」
「だな」
僕達はそう言って笑った。笑いあった。呵呵大笑。食べて飲んで笑って、その日の晩に、この街を出た。
最後に少し、寂しそうに笑った殺人鬼。月夜、月の兎に微笑んで、彼方を歩く。
8/後日談
「ははーん。何や、えらい派手にやられてもうてるやん(」
ははは、と嘲る少年。――いや、少女? どちらとも見て取れて見て取れない、金髪の子供。背はあまり高くなく、声変わりしていないソレは、間違いなく子供だろう。
金髪のボブカットにゴーグルを首にかけた軍服の子供。いや、軍服は上だけで、下には白い素肌が顕わになったホットパンツをはいていた。ポケットに手を突っ込んで、焼け焦げた邸宅の周囲をステップする。
「なぁなぁペスト? なんでこないなったん?(」
言って、噴水の近くの死体に声をかける。――否、死体、ではない。死体では、なくなった。死体だと思っていたそれは、生きていた。
「――気付いてたのかよアンタ……」
ペスト――昨晩の戦闘で御使いの少年に敗れた、連合国軍中佐の男。なんとこの男、生きていた。
「まーな」と言って得意げに胸を張る。
「それよか、ほんまになんで、こない燃えとんの?」
「火をつけられたんすよ」
「それは分かってんで」言って、頭を掻く。「なんだかなぁ。君も負けてるみたいやし(」
「あ、バレてた?」
「とーぜんや。右頬、痛々しゅうなってんで(」
「げ、」言って、右頬に触れる。「ヤロウ、本気で殴りやがって……」
「ま、過ぎたことぁええねん。――それよか、なぁなぁ! ペストくんやった相手ってどないなヤツ?(」
ワクワク、というオノマトペを背後に出しながら興味津々といった目で見ゆる子供。本当に、楽しそうだった。
「御使いでした」
「――……ほぉーん」
静かな呟き。ゾワゾワと殺気を顕わにする、そんな声。
――まったく。この人は、オンとオフの使い分けがせわし過ぎんだろ……。
「御使いねえ……どこのドイツが邪魔しに来たんやら」
言って、タブレット端末を取り出す。
「特徴教えてや。指名手配しとくで」
「うっす。帰ったら報告しとくっす」
「あ、あと君始末書やぞ(」
「うせやん……」