ep,5 首切りの兎3
4/ルサ
翌日。僕は安宿のボロいベッドの上で目を覚ました。
ギシギシと軋む音。ホコリっぽさを拭えない、ボロいベッドだ。
いや、僕が普段使っていたのだってそんなに大したものではないけれど、流石にコレに比べると幾分かマシだと言わざるを得ないだろう。
昨日も使用したこれだが、やはりオンボロに過ぎる。寝心地なんてもう、そりゃあ疲れを取るより不快感が先に来るよう。天秤にかけてみても、最終的には五分といった感じだ。これなら、軋み音がしない分床に布団を敷いて寝た方がマシだろう。今ではあまり聞かないが、その昔日本はそっちのが主流だったぽいし。僕にも同じ血が流れているのだから、明日は床で寝る。
「いや、そういうわけではなく」
そういうわけではなく、フェルトだ。
アイツ、なんで断ったんだろう――と、そう思ってしかたなかった。
昨晩。僕たち二人はこの街の市長と名乗る男の家に招待され、晩飯をごちそうになった。――いや、これがまた本当に「ご馳走」で、素晴らしい料理の品々は見事僕たちの舌をうならせた。フェルトはどうだったにせよ、少なくとも僕の方は大絶賛だ。あんなに美味い料理は生まれて初めて食べた。
「いやいや、そうでもない」
そういう話じゃなくて、僕たち二人は昨晩、晩飯をごちそうになったおじさんから「家に泊まっていきませんか?」という提案を受けたのだ。あんなでかい豪邸に住む主人。そして、その部屋部屋に配置されたフカフカのベッドは、さぞ眠り心地がいいに違いない。少なくとも、こんな安宿のボロボロのベッドよか十二分にいい。そうに違いなかった。――が、
「いや、遠慮しよう」
フェルトは、あのおじさんの提案を断ったのだ。拒否、否定したのだ。
何故――と、当然思う。
だって、昨日の晩、食事の誘いを最初に受けたのはフェルトの方だったから。食事にはOKを出して、宿泊は即答で断ったのだから、何かしらの理由でもあったのだろうか。そう考えるのが妥当だろう。
「にしても何で断ったのだろうか……」
呟き、欠伸をする最中、テーブルの上に置かれた何かに気付く。
「――ああ、これが原因か?」
置かれていたそれは手紙であった。
手紙。何の変哲もない、真っ白で綺麗なレター用紙のような紙。紙には僕宛に、こう書かれていた。
――リョウへ。
私は野暮用で、早朝から街より外へと出る。君はまだこの世界に不慣れだろうから置いて行きます。昨日のこともあるし、この街なら多少は君の顔も利くだろう。困ったコトがあれば、市長に力を借りると良い。
一応、情報収集も残っているからね。そっちがしたいのなら、街の南側に位置した地区『ヴァリアント』に行くと良い。夕方から夜にかけて、その時間帯には戻ろう。早ければ、もう少し早くに。
――とても優秀な旅の相棒お兄さんより。
――とのことだった。
「野暮用、ねぇ……」
野暮用――だと言うのだから、まぁそうなんだろう。
あまりそういうコトに深く踏み込むのはよろしくなかろう。それこそ野暮ってもんだ。
そうだな。フェルトも居ない事だし、今日は宿でゆっくり――しようと考えはしたが、まさかそういうわけにもいくまい。僕だってこの世界について知る必要がある。目的がある。成さねばならぬことがある、のだから。僕が怠惰を決め込むわけにはいかないのだ。
「それじゃあ、街に出るか」
フェルトの残した置手紙の記す通り、街に出て情報収集をすることにした。
◇
僕が宿泊している安宿は街の中にあるため、街に出るという行為自体に手間と労力は必要としない。
街に出ること自体には手間と労力を必要としないが、置手紙に書かれた『ヴァリアント』に向かうためには、それなりに労力を必要とする。
この街は大きく分けて四つの地区に分類されている。東西南北で区分され、『ヴァリアント』はその内の南区に位置する地区だ。
僕が現在宿泊する宿は街の東地区『バレルハント』の北寄りに位置している。だから、ここから『ヴァリアント』に向かおうものなら徒歩でだいたい四,五十分程時間を要する。
これは余談ではあるが、昨日遭遇した事件のあったあの廃墟群は西地区。昔は『バリアガント』と呼ばれていた地区らしい。そしてあの市長が家を構えるは北区の『ヴァレンダント』。この街は北に行くほど街の造りが豪奢で市民層も裕福になっていくようだ。
さて、何故フェルトが『ヴァリアント』での情報収集を指示したのかと問われれば、未だ立ち入っていない地区が『ヴァリアント』のみ故だろう。
端的に言って、『ヴァリアント』の街は質素だった。
いや、質素――というフレーズは、この際場違いに過ぎよう。正確には多分、廃れているとか、そんな感じの言葉が正しい。
実際、『ヴァリアント』の街は廃れていた。否、それはあの廃墟ほど廃れているわけでも、それこそスラムのように荒れているわけでも無い。ただ『バレルハント』の街や『ヴァレンダント』のような華やかは皆無なだけ。それこそ、質素という言葉は実に正確を射ている。
「なんて言うか、静かだよな」
そう。静か――だった。
活気がない、とも言えよう静けさ。
別に人気がないというわけでもない。街を歩けばそこかしろに人間は居る。
人間は居るが、彼らの眼はどうしようもなく曇っていた。それこそ、生きる事に絶望したような――そんな眼差し。視線。気勢。どうしようもなく、沈んでいた。
「――……」
これは僕個人の性格の問題ではあるが、とてもではないが、話しかけるのは困難であった。
重い――というより気まずい。彼らがここまで暗く沈んでいる理由は全くもって不明ではあるが、それをもってしても、このまま彼らに対して安易に陽気に事情聴取並びに情報収集するのは、あまりに不謹慎だと思えたからだ。
「なんだかなぁ……」
そんなわけで、まぁ安直だけど、とりあえず街を歩いてみる。
誰かに事情を聞くのは不可能でも、僕個人が見て調べる分には大丈夫だろう。あんまりジロジロと見られるのも不愉快に思うかもしれないが、そこはもう我慢してもらうしかないだろう。
――というわけで、街を散策することとなった。
散策。街の中を歩いて、ひたすらに歩いて、色々と観察し調査する。少し探偵っぽくもあるが、別段そんなに立派でも大変な仕事でもない。だから、そんなに気張る必要などないのだ。気楽に気楽に。
「――……」
十数分歩いて、ちょっとした丘? のような少し高所、つまるところ街を一望できるような、展望台らしき場所に辿り着いた。
手すりに手を置き、体重を乗せて、一息つく。――疲れた。
なに、やることはほとんど昨日と同じことなのだから、特に緊張する必要などあるまい。
あるまいて。緊張する必要ないのだが――……いかんせん、得体のしれぬ怖気が、背筋の裏を走るのだ。
「こころなしか、どこか誰かの視線のようなものも感じるんだよな……」
「ああ、それね。正解」
正解。何を意味するかなど、確認するのはもはや野暮だ。タイミング的に、今の声が意味するは僕の呟きに対してだと見て取れる。一目瞭然――いや、一聞瞭然だった。だとしたら、その「正解」が何を意味するかなど自明の理だ。
咄嗟に、無意識的に振り返る。
「や」
振り返ったのを後悔した。
ポニーテイルよろしく後ろで結われた長い黒い髪。白く透き通るように綺麗な肌。長い睫毛と鋭い眼差し。兎耳のフードが無いにしろ、その姿はまるで昨晩の殺人鬼のそれであった。
――いや、むしろ殺人鬼そのものであった。
「昨晩ぶりだね。――えと、御使いのお兄さん?」
「……どうも」
僕は、相手に悟られぬよう警戒する。
「そんなに警戒しないでいいよ」
……悟られていた。
だがしかし、警戒するなと言う方が無理だろう。だって僕は昨日の夜、彼女に殺されているのだから。――まぁ、実際には殺されていないしせいぜい殺されかけた程度なのだろうけど、それでも一度剣を交えた相手だ、警戒は当然だろう。
「言っておくけどさ、アタシは別にアンタのことを狙うつもりも殺す気もないからさ。アンタがそう警戒する必要もないんだけどね」
展望台の手すりに腰を置きながら言う。
堂々とした態度。まるで昨日の事など意識の外にあるかのごとく平静。視線は逸らさず、しかして手すりに預けた身体は極めて気楽に。素晴らしいまでのシャフ度で僕を見下ろす彼女。
彼女。僕を殺すつもりなどないと、そう言った。だが、こちらにはそれを判断でき得るだけの材料が無い。
警戒を怠らず、彼女に問う。
「――君は、何なんだ?」
「アタシはルサ」
ルサ。彼女の名前はルサというらしい。
「巷を騒がす殺人鬼。クビキリ兎のルサ」
昨晩僕たちを襲った、殺人鬼クビキリ兎。
「その殺人鬼が、僕に一体何の用なの」
ゴクリ。生唾を呑み込む。動揺を悟られないよう、あくまで冷静沈着を意識しつつ。
「そう警戒しないで。それに、そんなにビビる必要もないでしょ」
動揺も悟られていた。
「言ったでしょ? アタシは、アンタを殺すつもりはないんだって」
「でも、昨日は僕のこと狙った……ですよね?」
「うん、まぁね」
まぁねって、やっぱり殺すつもりだったんじゃないか。だったら今の言葉だって、そう簡単に信用できる筈がない。
「あの時は時間もなかったからさー。邪魔だったし止む無しだよ」
「止む無し――ねぇ」
嘘は言ってない。それは分かる。
説明していなかったが、僕は生まれつき嘘と本当を見抜く能力を有している。だから使力の話を聞いた時、一瞬だけこの能力を思い浮かべもした。だけど、それは多分ない。これはなんというか超能力的なそういった類の大層な能力ではなく、単なる第六感のようなもの。確かな証拠なんてないから大っぴらに断言はできないが、少なくとも僕は、この第六感を頼りに生きてきた。
だから、少なくとも僕は、今の彼女の話を信じている。彼女自身を信じるのは別の話として、彼女の言葉は信じている。
「だったら、やっぱり何の用で――」
言いかけて、中途彼女は手すりから飛び降り、
「街、一緒に歩かない?」
◇
という彼女の誘いだが当然断った。
断るに決まっている。だって怖いし、何より不安だ。殺人鬼の彼女と一緒に街を歩いていては僕までその仲間だと思われてしまう可能性だってある。そういった諸々の要因を含め、彼女の申し出は謹んで断らせていただいた。――が、物事と言うのは、本人の意思に関係なく上手く進まない。
僕の拒否は却下された。『ダメ。嫌って言っても来るの。いいから来て。来なさい』そう言い腕を掴まれ凄まじい力で引っ張られてはついて行かないわけにもいかないだろう。僕だって五体満足のままでいたい。
彼女に連れられ、街の色んなところを回った。
色んなところ。いたるところを、だ。知らない場所知らない場所。知れる筈のない場所。沢山だ。それこそ、僕のようなよそ者よりも彼女のような現地の人間に案内してもらった方が確実に情報を得やすいのだろう。
そう言った意味合いで言えば、彼女についてきたのは正解だったのかもしれない。僕が一人で散策するより遥かに情報をたくさん仕入れる事に成功した。
特に変わったのは、彼女の印象だ。
聞けば彼女は殺人鬼。当然、街の人間からも恐れられているものだとばかりに思っていた。だが実際、彼女の場合そうではなかった。それまでか、彼女は街の人間に大変好かれていた。好まれていた、愛されていた。
街を歩けば老若男女が彼女に声をかける。あいさつから始まり他愛のない世間話まで、幅広い人間が幅広い接し方をする。
「おはようルサちゃん」
「よっルサ!」
「ルサ姉ちゃん!」
「ルサさんおはようございます」
彼らは皆一様に彼女を慕っていた。殺人鬼の彼女を、だ。ありえない話――とまではいかないが、かといってよくある話でもなかろう。
「あ、ちょっと待ってて」
言い残して広場へとかけていく彼女。視線の先にはひざを擦り剥いて泣きじゃくる子供の姿があった。
かけよった彼女は膝をつき、子供と目線を合わせてから頭をなでる。そうしていくうちに子供の方も泣くのをやめ、徐々に落ち着きを取り戻していた。その姿は慈愛に満ちており、微笑ましく美しかった。
昨晩の血に塗れた、殺人鬼としての彼女とは似ても似つかない姿。――だからこそ、やはり分からない。
殺人鬼とは普通、人々から恐れられて然るべき存在だ。倫敦を騒がせた昔の殺人鬼のように、群衆は彼らを一様に忌み嫌うのが常と言える。――が、彼女の場合は、本当に、心の底から街に愛されていた。人々に慕われていた。何故、彼女はこうまで――
「お待たせ」
「ああ……」
気を取り直して再び散策。小さな歩幅で、街をゆく。
「……キミ、街の皆に好かれてるんだな」
「うん? あー、えと。……まぁね」
照れくさそうに頬を染め、顔を逸らす。こうした仕草だけを見れば、本当に年相応の女の子だ。だからこそ引っかかるのだ。――何故、この少女は殺人鬼なんかに?
「アンタ、この街初めてでしょ?」
「え? ああ、うん。。そうだよ」
だよねー、と呟き空を見る少女。初めてもなにも、この世界自体つい先日訪れたばかりなのだから――などと説明できる筈もなく、ただそれらしく頷く他ない。
「この街の市長とは話した?」
「ああ。昨日君が殺そうとしていたおじさんだろ?」
うん、と素直に首肯。
「まぁ、お礼だとかなんとかで晩飯をごちそうになったよ。なんか、普通に気さくなおじさんだったけ」
「アイツはクソ野郎だよ」
話を遮るように、殺人鬼の少女は言う。言って、足元の小石を思い切り蹴り飛ばす。
有無を言わせぬ迫力が、そこにはあった。
「何故この街が四つの地区に分かれていて、各地区で貧富の格差が著しいか――アンタに分かる?」
「――……」
「分からないだろうね。そういう顔してるよ」
……彼女の言う通り、僕にはわからない。不思議には思っていたが、その理由までは分からない。
四つ御地区。各地区民の貧富の格差。そして、キーワードが市長。
「この街は圏外区に属してる――これは知ってる?」
「圏外区……?」
「え、なに? 圏外区も知らないの?」
「うん。知らないの圏外区」
物珍しい目で僕を見つめる少女。――圏外区。だがしかしそれは初めて聞く言葉であった。
「えっとね。この世界における最大の勢力ってのは、言うまでもなく連合国軍なのよ。だから、この地上を最も支配している勢力も、もちろん同様なの」
ふむふむ。聞いていた話ではあるが、改めて聞くと本当にすごい連中なんだな。
「ちなみに、連中は具体的にどのくらいの支配力をもっているんだ?」
「支配している領域は、この星の七割程度だよ」
とんでもない連中だった。
四つの国家。それもそれぞれが強力で、それぞれが協力し合ってるときた。そりゃあ、そんな馬鹿げた支配力も肯けるか。
「そして、圏外区っていうのが、連合軍の支配領域にない場所を言うの。支配区域外ね。彼らの顔は一応なら効くけど、そんな大した権限はここでは持たないの。その代わりに海賊や山賊等の問題も対処してはくれない。そんな不干渉状態を保てるのが、この街のような圏外区なの」
「へぇ、その圏外区が今の話と何の関係が?」
「まぁ、待って。――……ここ『ヴァリアント』に身を置く全ての人間は、あのクソ野郎に献上する税金が満足に払えない人たちなの。――重い病気を持った家族のいる人間、生まれつきハンディキャップを負った人間、その他諸々。理由は様々だけど、ただひとつ共通するのは、お金が無いってこと」
「なるほど」
確かに、それなら街の華やかさ、そして人々の活気の格差にも肯ける。しかしそうなると――
「今の話の流れだと、まるでこの街だけ差別――ないし区別されているように聞こえる」
「実際そうなのよ」
そうなのか。
「そう、区別。税金を払えない貧民層の人間は、須く『ヴァリアント』へと放り込まれる。――市長はね、納税を果たせない市民には容赦はしないの。昨日路上で痛めつけられていた子供だってそう。あの子は親がいない孤児らしくてね、そんな子にまで納税を強制するクソ野郎なんだよ」
「――……」
「払えない、そうでなければ生きていけない程貧困に苛まれた人間からだって、容赦なく奪う。強者を気取るアイツらは、弱者から根こそぎ奪う。権利も、財産も、心さえも」
だから――。呟いて、一拍沈黙を置く。
「だからアタシは、殺す者になるんだ」
奪われない。奪わせない。誰かを守って、誰かを殺す。アタシは、そんな生き方でいい。そういう人間でいいんだ。
「市民から集めた納税を、アイツは何に使っていると思う?」
「いや、普通に街の事業とか?」
「バカだね。全然違うよ」
バカだねと来たか。意外と口が悪いお嬢さんだ。
「ワイロだよ」
ワイロ――。いわゆる弱い立場の人間が強い立場の者に献上品、一般的に金銭であるがそれを差し上げ、非合法的な所業を容認または実行を依頼する闇取引だ。そんなことを、何故市長が――?
「圏外区に位置するこの街は、山賊や海賊の被害を防ぐ術がほとんどない。自力でどうにかするしかないからね。――だけど、アイツ個人に関してはそれが適応されないんだ。市長は莫大な金銭と引き換えに自身の身の安全を軍との取引で保障されている。現にあいつの周りには常に人がいるでしょ? アイツらはボディガード、もとい雇われた軍の連中」
「山賊や海賊の被害が怖いから、市民たちの金を食い物に自分だけ安全を成立させてるってことか?」
「そのとおりね。それにアイツを支持する一部貴族や豪族も居てね。同様に金にモノを言わせて身を守ってもらってるってわけ。ほんと、腹立つったらありゃしない」
――なるほど。そういう事情だったのか。
それにしても聞いた話だとあの市長、とんでもない悪人だな。そりゃ恨まれるのも当然だろう。
「だから君は、殺人鬼なんかやってるのか?」
「まぁね。市長や馬鹿な貴族を殺せば、『ヴァリアント』の連中だって救われると思うしね。――……あーあ、昨日は千載一遇のチャンスだったのになぁ。基本的にガードの固いアイツが、昨日だけは簡単に狙えてたんだけどなぁ。どっかの誰かさんが邪魔なんかしなけりゃなー」
「うっ……」
そう言われると心が苦しくなる。
「悪いと思ってる?」
「まぁ、一応……」
なら――、と呟く少女。
「――なら、手伝って」
「は――?」
一瞬、少女の言葉が理解出来なかった。
手伝う――? なにを?
「あのクソ野郎をぶっ殺す手伝いを――」