ep,1 開幕
示された未来は、かくも絶望に満ちていた。
全てが遠く、全てが希薄。
誰もかれも笑っていられる世界を、この手に夢見た。
淡い幻想に囚われた過去。希望をかざし、未来を信じ、己を捧げた昨日。
行き着く先は断絶と知っていても、決して振り返る事は許さなかった。
なおも進み続ける君を、私は憧れ、焦がれた。
――だから。
私は、後悔などしていない。決してしない。
これまでも、……――――これからも。
1/開幕
鳴り響くクラクション。聴き親しんだ信号機の音色。ビル群で反響し合い、奏でられたソレはもはや不協和音。――都会の喧騒が、耳を打つ。
炎天の眼下。今日も街は騒がしい。
同時に、身を焼く劫火のごとし項垂れる暑気は、我々の不快指数をグンと上昇させる。ここまで来ると、もはや精神の凌辱。肉体的にもそうだが、心の方はどうしようもなく重体だ。致命的と言ってもいい。連日連夜続く地獄のような猛暑は、人々の脆弱な心を容易に熔解せしめる。
――騒がしい、夏の始まり。
蝉の音色でも響けば風情があると言うものだが、いかんせん、蝉などきょうび、この都市のどこにも存在しまい。
地球温暖化。気温上昇による生態系、環境の変化。都市部の開発と、必要最低限への緑の削除。色々な要因が重なって、今や東京で蝉を見る機会など一度もない。
2056年、七月二十日。――東京。
俗に言う、今日は終業式というやつだ。高校の行事、一学期の全過程を終了し、これから学生はつかの間の休息に身を置く。
高校生活二年目にして、二度目の夏休みが始まろうとしているのだ。
遊び盛りの高校生なら、この夏休みと言う長期休暇に歓喜し、友人などと夏を謳歌する――そういうものだ。
健全な子供たるもの、休める時くらい思い切り羽を伸ばすのも大事なこと。
そのため終業式の放課後は、生徒が教室に残り友人同士で予定を立てあうのが常だったりする。
「夏と言ったらやっぱ海っしょ!」
「いやいや、キャンプも捨てがたいよ」
「どうせならどっちも行けば?」
こうして、ワイワイ集まって計画という名目のもと馬鹿騒ぎを繰り広げては、特に決まりもしない予定というモノについて審議をするのだ。
「なぁ、お前はどう思う? 宮井ィ」
「え――?」
唐突な問いに驚きを隠せない様子で、宮井リョウは応じる。
「ああ、ごめん。よく聞いてなかったから、もう一度たのむよ」
「だからー。海か山かって話。おめーはどっちがいいと思うのよ?」
「ああ、うん。いいと思うよ、海も山も」
満面の笑み。曖昧な返事。腑抜けた声音は、周囲までも腑抜けさせてしまうほどに軟弱しい。そして同時に、心からわかる心のこもってない声。
「――あ、そう」
適当な応答に、問うた方もまた困惑げに、返しがぎこちなくなる。
「――なんだよ。せっかく声かけて誘ってやったのに。愛想悪い」
――とは間違っても絶対口にしないが、彼の顔は笑ってはいなかった。これは、宮井リョウがクラスで浮いた存在として扱われている一つの理由でもある。
宮井リョウには友達がいない。正確にはいなくなった――だが、結果的に変わらないのでこの際どうでもいい。学校では終始無言。喋る友達もおらず、常に独り。暗い性格とか、メンドクサイやつとか、そんな理由でではなく、もっと単純に、彼は人間として不出来なのだ。たまに、今のような物好きがリョウに話題を振っては話しかけるが、その度に彼らは諦める。呆れる。――宮井リョウの、分かりきった愛想笑いに。
機械のような冷徹さだ。その笑みには一切の熱すら感じられない。およそ人間らしくないそんな笑顔と対応に、誰が好感など抱こうものか。必然、彼の周りから人は消える。――否。元より誰も近寄らない。その末が、彼の現在だ。
「それじゃあ、僕は帰るから」
愛想笑いを向け、そそくさと席を立つ。
「――あいつ。愛想悪過ぎねえ? せっかく俺ら気ぃ遣って話してやってんのに、なんだよアレ」
小声で愚痴っているつもりなのだろうが、聞こえてるよ。聞きたくもない陰口にため息をつくが、実際その通りなので反論の余地はない。
「まぁ、しょうがないか。アイツの親友、例のアレだろ?」
「ああ、『人間消失事件』の――」
「ばか、声がでかいって」
「あ、――」
ようやくこちらにも聞こえていることに気付いてか、連中、申し訳なさそうに苦く笑う。
――ああ。本当に、メンドクサイ。
「いいよ、僕のことは気にしないで」
めいっぱいニッコリと微笑んでから、足早に教室を後にする。まだ自分でも踏ん切りがついていないのだ、仕方ないだろう。内心悪態をついてから、吐き捨てるように外を眺める。
――ちょうど、二年前だ。
人間消失事件。全世界で突発的に相次いで発生した、不規則的神隠し現象。被害者は総勢二万名。消えた彼らは一切の痕跡と手がかりを遺す事無く、文字通りこの世界から消失した。当時は月単位で報道や特番が続き、超大規模的にメディアが取り上げていたりもした。専門家や著名な先生が様々な見解を述べ物議をかもしてはいたが、現時点においてもまったく解明がなされておらず、この先一生、消えた彼らが戻ってくることはないとも言われている。そんなあまりに手前勝手な、理不尽極まりない現象に、僕の親友は巻き込まれた。
親友の名前はハヤトという。ハヤトとは小学校の頃からの付き合いで、当時から僕はアイツのことを親友と呼べる存在として接していた。ハヤトの方も同様に、僕達は青春を共に過ごした。あの頃はとにかくなにもかもが輝いていた。毎日がキラキラ光っていて、それはもう希望に満ち溢れた日々だったと言える。中学も同じ学校へ通ったため三年間退屈せずに済んだんだ。高校だって、そのはずだった。――が、共に進学先が決定してから一週間後、なんの前触れも予兆すらもなく、唐突にソレは起きた。
2054年、八月三十一日。夏の終わりに到来した、青春の終わり。
『人間消失事件』が、全世界で発生したその日だ。
同時多発的に発生し、そこがどこであろうと関係なく。被害者には国、人種、果ては宗教などといった共通点は見受けられず。全くもって無差別的に、それは起きたのだ。
親友、高坂ハヤトもその被害者の一人だ。アイツは僕と一緒に夏休み最後の日を過ごしていた。ちょうどその日はアイツの妹の誕生日だったんで、お祝いのため一緒にプレゼントを買いに出かけていた。その最中、ソイツは起きた。
前触れなく表れる黒い渦。球体のような形状の、よく分からないモノ。大型ショッピングモールの中心。道行く人々の目にそれは映らず、僕達二人にしか認識できないようだった。球体はなにかを探るように、ズルリズルリと体躯をねじる。
声が出なかった。ひたすらに、声が出てこなかった。喉を通るのは声などではなく、それは喘ぎにも似た枯れ枯れしい吐息ばかりで、嗚咽のような情けなさも孕んでいた。だって、瞬時理解した。それは明らかに、ヤバイやつだったから。
逃げようと思った。逃げて、ここから離れようと思った。――が、逃げようにも足が震えて動けなかった。わけがわからず状況がつかめないまま、ソイツは独りでに動き出した。――いや。実際にソイツはそこから動くことはなく、内側から触手のような黒い影が伸びてきたのだ。
僕の隣、同じくして震えていたハヤトに、ソレは触れた。
次第、触れられた箇所からハヤトは壊れた。
横目に眺めつつ、それでもなお動くことが出来なかった。全てが遠くなった。周囲の声も、音も、視界すらも、全てが遠のく。
隣で必死に何かを叫び訴える親友。その顔は悲痛と涙で染まっていた。
何かを叫んでいるのは明白だったが、聞こえる事はついになかった。何も聞こえない。僕はただひたすらに、親友がソイツに食べられる姿を眺めているだけだった。
――『後悔』と云う字を、帰って辞書で調べた。同時に、『愚か』と言う言葉が連結した。過去を恨んで自分を恨んで。ひたすら愚かを晒した。あれほど自分の無力を恨んだことはない。
無力と言えば聞こえはいいが、本当は違う。
僕はただ、自分の命可愛さに親友を売ったんだ。親友が消えると同時にソイツが消える様を見て、ホッとしたんだ。安堵したんだ。――ああ、僕は無事に済む。助かったんだ、と。
僕には無力なんて言葉は適していない。無力と言うのは戦う人間が、それでも足りない力に嘆く言葉だ。――だが、僕は戦ってすらいない。それは無力ではなく臆病だ。そして、どうしようもなく卑怯だ。
僕はその日から、友達と言うモノを作ることを恐れた。親友を見殺しにした自分が、気持ち悪かったからだ。あの時なにもせずただ眺めていただけの自分が、本当に気持ち悪かった。だから、友達を作ることを避けた。自分への戒めのつもりではあったが、今から思えばコレは、これ以上自分を嫌いにならないよう、そのための自己防衛だったのではないのか。これ以上同じことを繰り返せば、ついに僕は僕でなくなるような、そんな気がしたから。
――本当に、救いようがなく卑怯で醜い。
俯きながら道を歩いていると懐より甲高い通知音が鳴った。
携帯の画面を覗き見る。――ああ。こっちの方が、現実なんか見ているよりよっぽど落ち付く。
画面に表示されていたのは、僕がいつも利用しているSNSの通知であった。
SNS――ソーシャルネットワーキングサービス。1990年代後半より一般化し始めた、ネット世界での友人、また個人間のコミニュケーションをを主目的とした広域ネットワークサービス。2000年代には様々なSNSが登場し、人々の繋がり、異文化同士の交流や、情報の拡散などに大きく貢献した。例として『Twitter』、『LINE』、『Facebook』など、その他様々。それぞれが独自のシステムを構築し、独自の管理体制を置き、独自に世界を運営する、いわば小さな異世界だ。――特に、これ。今僕が利用しているSNS、『RAW』なんかはその中でも更に異質で異常だ。
SNSの醍醐味とは、誰彼かまわずどんな人間でも簡単に利用できる自由性にある。――が、この『RAW』はあまりにもその理念に反していると言えよう。
まず、このSNSはあまりにも人々に認知されていない。知名度など本当に微々たるもので、掲示板やスレなんかでも『RAW』についての情報は一切載っていない。それは『RAW』の運営が独自に敷いた、情報規制規約に準じているためだ。『RAW』に関しての情報は、一切の他言を禁止されている。また、完全会員招待制度。『RAW』を利用するためには、既利用者による招待メールが必要不可欠。既利用者による招待のみで、利用者登録が成されるのだ。
以上の理由から、このSNSはごく一部の人間のみしか知らない、通のSNSとして人々の認知の外にある。――だから、僕はこのSNSに没頭しているのだろう。
だって、誰も知らない何かを自分が知っているなんて、特別な感じがして気持ちいいから。それに『RAW』で出会ったユーザー、みんなとのやりとりが、本当に楽しいから。
――だから、僕はコイツに溺れているのだろう。
◇
帰宅。
もっとも、僕の住む家は分譲の高層マンションになるため、エレベーターを上がって通路を進み玄関に入るまでは帰宅とは言わないのだが。
「あー、疲れた」
疲れた。とにかくもう、早くベッドに入って『RAW』の世界に浸りたい。
そんなことを考えながら携帯を覗き込む。TLには既にいつものメンバーが揃っていた。
『RAW』にログインすると、まず初めに開かれるのはTLという独自のホームが開かれる。TLには自身のソレと自身が繋がっているユーザーの投稿を見ることが出来る。その投稿が、これまた面白いのだ。
Rusa_bunny:次は殺す 16:32
OooOright:モコたんのライブ楽しみだね 16:32
aki_teru:モコたんさんの今度は行きたい 16:31
SenGoo:やばいやばい。早く帰らないと 16:30
7se:腹減った 16:25
_izza_:もっと燃やしがいのあるものないの 16:24
Pokky1410:うんち 16:05
↻ASKW23:黙れ 16:09
↻Pokky1410:うひー(;∀; ) 16:21
――と言うふうに、個性的な人間ばかりで、毎日こんな投稿ややりとりを見ていると、自然に笑みもこぼれるというもの。
こんなどうしよもない僕にも、平然と接してくれる人たち。失くしたくはない居場所だ。
そうこうしてる内にエレベーターが八階に到着した。チーンというお決まりの音を鳴らして横開きにドアが開く。僕の部屋がある、八階だ。
僕の住む部屋は八階の通路の端。エレベーターを降りて部屋を五つ過ぎた先にある。いつものように、エレベータを降り自身の部屋へと向かう。
徐に空を見るが、まだ太陽は高い。
憂いを払いのけ、鍵を差し込む。ガチャリと左に回して解錠する。ようやく、帰宅だ。
2/邂逅
ドアを開くと、そこは知らない世界だった。
「――は?」
人間、急な展開に驚くと本当に、そんな声が出てしまうのだ。
ドアを開き入った先は真っ暗であった。――いや、電気はついている。それに、部屋の全貌もはっきりと見て取れる。だから、本当に真っ暗というわけでも、完全な闇というわけでもない。
だが、部屋の中はひたすらに暗かった。それは、光と共存する暗闇。まるで部屋の中を黒い膜で覆われたかのような感覚であった。
「こ、ここ、僕の部屋であってるよね……?」
内装や玄関口に配置された靴さえ、なにからなにまで僕の家に相違ない。
だが、こんなのは知らない。なんだ、この怖気のような感覚は。悪寒にも似た生暖かさは。知らない。――知らない。けど、僕の家だった。どうしようもなく、僕の家に間違いなかった。
足が竦んで動けない。自然と、後ずさりしているのがわかる。
――馬鹿か、僕は。僕はまたこんな状況から逃げるのか。それにどこに逃げると言うのだ、ここが僕の家
なんだぞ。逃げる場所なんてどこにもないんだ。だから、どこにも逃げられないなら、もうどこにも逃げるな。こんどこそ、逃げるのはやめよう。
逃げないなら、次はどうする。――決まっている。
「――僕の部屋なんだ、入ってみるしかないだろ」
恐る恐る、震える足で中へと進む。こころなしか、この先はこことは違うどこかへと続いてるように思えた。――いや、もう既にそうなのかもしれない。僕は既に、この世ではないどこかに、足を踏み入れてしまっているのかもだ。
リビングの扉を開ける。すると――
「おや。帰って来たか」
男が立っていた。扉を開けてすぐそこにあるテーブルの傍に、ソイツは立っていた。
見知らぬ男だった。白いシルクハットに白いスーツ。そして、青白い頭髪。なにからなにまで白一色で統一された姿。頬には蜘蛛のシルエットのようなタトゥーを施されており、その表情は見るからに怪しく胡散臭そうだった。
「おかえり。君の帰りを待っていたよ、宮井リョウくん」
名前を呼ばれ、身体が強張った。警戒するように、少し後ずさる。
コイツ、なんで僕の名前を――?
「まぁまぁそう警戒しないで。私は実に怪しいけど、君に危害を加えたりはしないから」
そんな口だけの言葉なんかとても信用できないけど、この状況では仕方ない。一応、受け入れるしかないだろう。
「……アンタは?」
「ああ、紹介がまだだったね。私の名前はフェルト。まぁなんと言うか、神様のようなものだよ」
「――は?」
いや、今コイツ、なんて言った?
「おや、何か言いたげな顔だね。もう一度名乗ろうか。私の名前はフェルト、まぁなんと言うか、神様のようなものだよ」
「――……聞き違いじゃないんだね」
聞き違いなわけがない。至近距離、しかもほんの二メートルくらいの間隔で喋る人間の言葉を聞き違えるほど、僕の耳は悪くない。
この男の名前はフェルトというらしい。それはわかった。
だが、神。ヤツは自分の事を、さも当然のようにそう言った。宣った。堂々と宣言したのだ。自分を、神様のようなものだよ――と。
僕は半信半疑――というか、訝しげな表情で、この胡散臭い男の顔を見つめた。だって、常識的にそんなことを本気で言うヤツ、薬物中毒者かイタいヤツとしか思えないだろう?
「ん? 私の顔に、なにかついているのか?」
「いや、アンタの自己紹介が馬鹿げてただけ。警察呼んでいいかな?」
「アハハ。構わないが、まぁ、それは私の話を最後まで聞いてからにしてもらいたい」
ため息をつく。早々におかえり願いたいところではあるが、この不審者、言うことを聞かなければ暴れ出すなんてことが万が一にもあるかもしれない。――だから、まぁ可能な限りこの男の話というヤツを聞いてみようと思った。
それに、この男は僕を待っていたと、そう言ったのだ。そして、僕の名前も知っていた。――つまり、この男は少なくとも空き巣や泥棒の類ではなく、僕個人を目的としてここに侵入した――僕に何らかの用があってここに来たってことだ。だから、その話って言うのも、心の中では少しだけ気になっていたりもするのだ。
「――わかったよ。話なら聞くよ。……それで、僕に一体何の用かな? 悪いけど、ウチには対してお金なんかないし、大富豪の親族なんかも居ないから、身代金なんかでないと思うよ」
「酷い偏見だなぁ。私がそんな人間に見えるかい?」
「どんな人間かは見てもよくわかんないけど、少なくとも他人の家に無断で上がり込むなんて、常識的じゃないよ」
「うむ。それについては返す言葉もない。だからまぁ、一つだけ訂正させてもらうと、私は泥棒でも誘拐犯でもない。至極まっとうな人間だよ」
変態だけどね、と最後にそう付け足して、不法侵入者フェルトは、弁解の言葉を述べた。
「――人間って、アンタ神じゃないのか?」
ここで僕は、ひとつ上げ足をとってやろうと考えた。――が、予想していたとは裏腹に、思いもよらぬ言葉が、男の口より語られた。
「――うん。まぁそうなんだけど、私は神みたいなものだけど、人間だよ」
「――は?」
本日三度目。二度ある事は以下略、あれは本当だったらしい。
「神だけど人間って、矛盾じゃないか」
そもそも神様なんてモノ、僕は信じてないけど。人間が平和で平等でない限り、神様なんて存在するはずがないし、そんな勝手な存在を、僕は神様だなんて認めない。
「そうだね。――まぁ、端的に言えば、私は人間だ。人間ではあるが、神様と同じようなことが出来るというだけだよ」
「神様と同じことが出来る……?」
うん、と軽やかに首肯した。
神様と同じこと。意味が解らなかった。神様なんてどうせいないのに、そんなヤツと同じことが出来ても、一体どういうことがそうなのか分からないのだから、意味が無い。
「――じゃあ。アンタは、僕を救ってくれるのか?」
救ってくれるのか。――僕を、救ってくれるのか? こんなどうしようもない僕を、アンタは救ってくれるのかよ、神様。
神様だなんて、そんな簡単に。僕はこんなに苦しいのに、アンタが神様だと言うなら、僕を救ってくれよ。この苦しみから解放してくれよ。僕を、僕達を――
「アンタが僕を救って……それで、それで、アイツを――」
「救おう」
強い声音で、言った。言い放った。高らかに言ってのけた男の眼は、黄金に輝いていた。
窓から差し込む夕焼けを背景に、男は輝いて見えた。――それは本当に、神様のように煌びやかな。
「救おう。君も、高坂ハヤトも。まとめて君たちを救おう。だから、私の話を聞いてほしい」
ハヤトの名前が出た瞬間。何故だか僕は、この男への不信感を捨てた。消え去ってしまった。この男の言っていることが本当なら、この男は真実、神様足り得る存在だろう。――本当だと、そう信じたい。
「――わかった。フェルト、アンタの話を聞きたい」
僕の返事が嬉しかったのか、フェルトは嬉しそうに微笑み、口端を吊り上げた。
「ありがたい。――早速だが、話と言うのは他でもない、君に頼みたいことがある」
「ん? 僕に頼みたいこと? それって一体――」
「ああ。そのことなんだが、詳しい話はまだ出来ない。追々説明していくつもりだが、まずは君にしてもらうことだけ伝えたい」
いいかな? と尋ねるフェルト。無論、首を縦に振った。
「君には私と一緒にこことは違う世界――つまるところ、異世界に転生してもらう事になる」
「―――――――は?」
いや、ダメだ。三回目で歯切れよく終わらせたかったが、不可能だった。
異世界に転生――? だってそんな、ラノベのような展開を、現実で口にされても、そんな――
「――いや、そもそも神様って時点で、十分ラノベじみてるわな」
一瞬耳を疑ったが、この男は確かに僕の素性や事情も理解していた。そして、ハヤトの件のことも動揺に。――それだけで、コイツを信じるに十分だった。だから、異世界なんてとんでもワードが飛び出したとして、すぐには無理でも、受け入れることは出来た。
「異世界に転生ねぇ……。そんなラノベ展開は予想してなかったよ」
「おや、君は異世界転生物のラノベを愛読しているから、すぐに順応するものだと予想していたのだが」
「しないでしょ、普通。――ていうか、なんで僕の読書趣味まで理解してるんだ」
「そりゃ神様だからね」
「人間じゃなかったのかよ」
「まぁまぁ、些末な問題は置いといて。それより話の続きだけど、異世界転生――というより転移だね。君には私と共に異世界へ飛んでもらい、そこであることを成し遂げて貰う」
「あること?」
「それは向こうに行ってから、ということで」
この男の胡散臭さはどうしても拭えないが、それでもこの男は本物だと思えた。この男なら本当に、僕達を救ってくれるかもしれない。
「――それが達成できたら、僕達を救ってくれるんだな?」
問う。男の真意を、本気で問う。
「ああ。約束しよう。君が私の望みを達成できたなら、高坂ハヤトを蘇らせよう。――そして、そうすれば君は救われる。これでいいかな?」
「――ああ。約束だ」
よかった、と呟き、背中を向ける。
振り返りざま、先程まで空だったフェルトの右手には、なにやら杖のような棒が握られていた。
「それでは、お連れしよう」
フェルトの呟きと共に、先程まで部屋を覆っていた黒い膜が剥がれていく。剥がれて、一ヶ所へと収束した。
収束した黒い膜は、ひとつの巨大な球体と化した。
――それはまるで、あの時の。
「怖いのかい?」
おちょくるような――挑発するようなフェルトの声が、やけに腹だたしかった。
「……怖い? そんなわけないだろ――」
怖いのは本当だ。空元気だ。進む足も、恐怖で竦んで震えている。
だけど、僕は決めたんだ。僕は僕のため、ハヤトのために進むと。
この先にどんなことが待っていようと、進み続けると誓ったんだ。
だから――
「――僕は、変わるんだ!」
宣言と共に、黒い球体の中へと飛び込んだ。
意識が遠のくと共に、小さな呟きを聞いた。
――よろこべ、…………。君は必ず、私が救う。
0/幕間
真っ白な微睡の中に居た。
とても、とても心地いい夢の中。
とたも静かな筈なのに、その実妙に騒がしかった。
それは自分の心音だと気付いた。
『――ここは?』
――ここは君の心だよ。
声が聞こえた。初めて聞くようで、でも、聞き覚えのあるような懐かしい声。
――君は、後悔をするだろうか。
後悔して、やり直しを願うだろうか。
選択を誤ったと、過去を羨望するだろうか?
声の問いに、少しだけムッとなった。つまり、鼻についた。
『当たり前だろ。後悔なんて、そんなの』
山ほど後悔して、山ほどやり直しを願った。その都度、変えられない現実に嘆いた。
――本当に君は、自身の行いが間違いだったと……そう断言できるであろうか。
声は、続けるように語った。
拾うモノも、捨てるモノも、選んだモノも、選ばなかったモノも――それら全てを、悔やむのか。
君は、あの日の選択を、やり直したいと願うかい?
所詮願ったところでどうこうなる訳ではないたられば。
だから、君がどう思っていようと、これらの問いは全てが無駄なんだ。
過去は永遠に振り向かぬ望郷。未来は一生涯追いつけぬ彼方。
現在を生きる我々に、干渉する事は叶わぬ未踏の秘地。
――だから、あえて聞きたい。
君はそれでも、自身の全てを否定するのか。
不可能と知り、それでもなお抗うのか。
これから先へのきっとを、君は信じるのか。
『――僕は……』
僕は――僕は、これまでの全部をやり直したい。だけど、それは不可能だと知っている。
だから――
『――僕は、これから先を、僕やハヤトが救われる未来を作るために、進むと決めたんだ』
――ああ、安心した。
それでこそ。それだからこそ、私は君を選んだんだ。
『選んだ――?』
どういうことだ?
――近い将来、再び君に同じ問いをする。
その時君が、今とは違った答えが出せていたなら、その時は―――
『待って、ちょっと待って。まだ聞きたいことが。アンタは――』
その時は、万難を排して、君の願いを聞き入れよう。
それでは、祝福ある新たな人生を――
3/参着
目を覚ますとそこは、広大な草原の上だった。
「ここは――?」
一面の緑。風にたなびく草々。ひたすら広大な緑の丘は、どこまでも続いていそうに思えた。
「ここが、異世界――」
「そうだ」
背後からの唐突の声に驚き、即座に声のした方へと振り向く。――すると、
「あれ?」
そこには誰も居なかった。
誰も、人などどこにも立っていなかった。
「おかしいな。たしかにこっちから声がしたのに」
独り言のように呟いて、首を傾げる。たしかに、声はこっちから聞こえたはずだ。だけど、ここには人っ子一人存在しない。どうしても符合しなかった。
「何を言っているんだ? こっちだよ、こっち」
今度こそ間違いない。聞き違いでもない。本当に声が聞こえたのだ。
声のした方向は下だった。
正面方向の、やや下方向。白い犬が、尻尾を振って座っていた。座って、僕の顔を見上げていた。
「犬が喋った!?」
そうとしか思えなかった。だって、ここには俺以外この犬しか存在していないのだから。――が、
「私だよ。フェルトだよ、リョウ」
白い犬は舌を出してハッハッと息を吐きながら、実に簡単な声音でそう言った。
「――フェルト? フェルトって本当は犬だったの?」
「人間と言っているだろう。それに私は神と同じく万能だ。犬に変身するくらい朝飯前だ」
なるほど。たしかに、神様なら万能だから何でもできちゃうのか。
――……いや、でもそれって、少しおかしくないか?
「ここはエルバといって、広大な草原を生かした農牧などに使用される土地でね。ここら一帯はあまり人も来ないし、安心していい」
「――いや。それはいい。それよりここ、本当に異世界だよな?」
「うん? そうだけど、何故?」
「いや、ここ少し見覚えがあって――気のせいかな」
「気のせいだろう」
そうか。と頷き、改めて周りを見渡す。
一面の緑。一見すればどこにでもありそうな放牧地帯。――だが、それでもここは、見覚えのある景色であった。
そう。あれはたしか、『RAW』の投稿で――
「改めて歓迎しよう、宮井リョウ。この世界は、『RAW』は、君を歓迎する」
――――――は?
は? つまり、どういうコトだってばよ?
「いや、おい待て。お前今『RAW』って――?」
「うん。そうだよ」
と、簡単に頷くフェルト。続けるように、口を開く。
「――ここは『RAW』。約五百年前に制定された、この世界の名前だ」
今ここに、停滞していた僕の人生が、――走り出した。