ep20 放火魔の孤独10
アエーシュマから少し離れた北の大陸リビには、孤児を引き取って面倒を見る教会があるとされる。
グロス・マリア教会。リビの最北端、北極点に位置するそれより少し手前の街。カウロ・ストロークにそれは存在する。
この世界に五つしかない十字をシンボルとした某一大宗教が教会。管理者は御使い。百年ほど前にふとその地に現れ、カウロの街に洗礼を施したという。
「荒ぶる神体よ鎮まりたまえ。今暫し、暫しのまにまに」
彼(彼女?)が洗礼を施して以来、極寒でろくに作物も育てられなかったその地に一対の大木が二本生え揃った。大木の加護かカウロの地は作物が盛んとなり、以来この地では十字の教えと彼の御使いを敬う風習が出来た。子供を大切にしなさい……という御使いの言葉から、孤児を引き取る風習が始まったらしい。教会の名前すらも、その御使いの名前を用いたものだという。
小さな田舎街ではあったが、大木の噂と極寒の作物の話題、また教会の孤児引取りの件でカウロの街はリビの大陸全土に知れ渡っていた。
それ故か、その噂も数日にしてリビ大陸全土に知れ渡った。
極めて破格な使力を持った姉弟がいると……。
◆
姉の名前はユニ。この地が産んだ神体の申し子、極寒の使力を持って生まれた氷結の子供。弟の方はそれに対なる熱の使力。二人は孤児の中でも特別とされ、教会の中ではそれなりの位置に身を置いていた。修道女達も、彼女らを特別視していたのは確かだ。その二人はどうしても重なってしまう。御使い様が遺した一対の大木に。
それ故、グロスマリア教会では二人を「特別な存在」として扱うようになった。だから、二人にとって教会での暮らしは大変裕福で、孤児だった頃の事など忘れてしまう程に心地よいものであった――はずだった。
ある日の晩、二人の子供は教会を抜け出した。
姉の方が弟を連れ、夜の街へ逃げ出したのだ。孤児の逃亡はよくあることらしい。おかしな話だが、そうらしい。
以来、二人の行方を知る者はいなくなった。リビの街から特別な姉弟は姿を消した。
◆
それから姉弟は地方を転々とした。教会に身を置いていた当時、こつこつ貯めていたお金を使ったり、馬車の荷台に忍び込んだりして、色んな場所を渡り歩いた。
弟の方は半ば強引、姉の言われるがままについて来たと言わんばかりだった。
それでも、姉はいつもごめんねと謝るから、弟も満更でなくついてきていた。
姉はどこか、誰かから逃げるような面持ちだったから。
(0)
「いつもごめんね」
浮かない面持ちで、目の前で焚き火に手をあてがい俯く弟に謝罪する。
「私が逃げ出したばかりに、イー君にまで大変な思いさせて」
「もう聞き飽きたよ」
「ごめんね」
終始このくだり。でも、私が原因を作ったわけだし、しょうがない。
教会にいた頃の裕福な生活を、この子は忘れられないでいる。忘れられないというよりはむしろ、今の生活があの頃を思い出してしまうという理由の方が大きいのかもしれない。
……時折思うことがある。教会で暮らしていた方が、この子にとって幸せだったのではないかと。
――いや、それだけはない。絶対に有り得ない。
あんな場所、居ちゃいけないに決まってる。
ユニがそんな考えを持ち始めたのは、教会が彼女ら姉弟を特別な存在として扱い始めてすぐのことだった。
ある晩、修道女と神父が会話していた内容によるもの。
「今回の収穫もいい出来だね」
「特にあの二人がよろしくいですわ」
「ああ。アレならきっとキル・キース様もお喜びになる」
この会話の内容から始まり、彼らへの不信感を覚えた。その日からユニは密かに教会を探るようになった。正しくは、教会の裏の顔を、である。
調べていくうちに色んなことが分かってきた。
まず、教会が力を入れている孤児を引き取って育てるという話だが、真の目的は別にあるという。それは拾った孤児を一定年齢まで育て、見込みのある者を何らかに利用するためであった。
何に利用するのかは正直分からない。でも、キル・キースという人物の名前や、組織という単語が連発される会話の内容に、いい印象を持てるわけがない。
その他姉妹院とされる五つの教会でも、収穫と呼ばれるこれを行っているらしい。
とにかくその組織はとんでもなく大きいというだけで詳細まではよく分からなかった。ただ、子供たちの使力を利用する何かを企んでいるのは確か。
だから、そんな得体の知れない何かから逃げ出そうと考えた。さらに特別とされた私たちを何にどう使うのかなど想像もつかないが、弟をろくでもない事に利用させるつもりなど毛頭ないのだから。
この子だけは守ってみせる。そう決めていた。
「……お姉ちゃん、寒い」
「……ごめん」
私の使力は氷結と寒さを支配する自然支配系統の最上位種とのことらしい……なので、私は私という存在の限りそれらを従えることが出来る。しかし、著しく体が弱っている場合、特に飢えなんかの状態の時はそうはいかない。
自然支配系統の使力は言わばストッパーと言える。従える自然系統の力量やバランスを制御するのが使力の本質で、使力の宿った魂の基本性質として、私の周囲には常に冷気が漂っているのだ。
だから、それらをバランスよく制御して周囲に悪影響を及ばさないのが、自然支配系統の使力における最初に習得する技能であり、基本プロセスでもある。
こんな生活が続いてから、私の使力はやや制御機能を失いつつある。リビから出ないことには早いうちに凍え死ぬことになるだろう。自身の使力といえど自身を殺すことになる。そういう人達を、孤児だった頃にいくつか見てきた。……いわゆる、暴走というやつだ。
使力というのは心そのものだとという。簡単な話、その出力や性質は、精神状態に大きく左右される。こんな追われ身の状況で、こんな過酷な条件下で、まともに使力を制御しようとなると、それこそ限りなく万全な状態でないとならない。リビの大陸は年中激しい寒波に見舞われる極寒の地であるため、私の使力は一様に制御が難しい。だから、早いところリビから出ないことには、私の使力でこの子を殺してしまうかもしれない。……その前に、私が暴走してしまう可能性も否めないが。
(1)
教会から逃げ出して、およそ三ヶ月が経過した。
追っ手は未だ無い。私たちはヤツらにとって重要な存在だと思ってはいたけど、案外そう言うわけでもなかったのかもしれない。
時刻は深夜。多分0時を回ったあたりだと思う。近頃、特に冷え込む夜なんかは弟から離れるようにしている。
私の使力の制御が効かなくなってから、この地域の冷気は容赦なく私の周囲に居座るようになった。私は多少の耐性があるものの、弟は昔から寒がりだったから。私が近くに居ては、寝れるものも寝れなくなってしまうだろうから。これ以上不自由な想いはさせたくないから。
ごお、と冷たい風が力強く靡く。
氷の塊が肌を打ち付けるようなそれは、油断していた私の体力と集中力を根こそぎ奪うように吹き去った。……だいぶ限界が近くなってきた、かもしれない。
でも、ようやくして、ここまでやってきた。海沿いの街まで、やってきたのだ。
リビの大陸を出れば、少なくともここほどの寒さはないはず。私の制御が悪くても、今ほどの辛さはないはずだから。
だから、あと少しの辛抱なんだ。明日にでも、どこかの船に密航して……それで―――
『おお、おお! 寒い、寒イ』
ふと、背後の方から甲高いハスキーを帯びた男のものと思われる声音が、響き渡った。
『こォーーーーんな夜更けになァにやってンのかなあ? お嬢ちゃンン』
黒いローブに身を包み、フードを深々と頭にかぶった色白で背の高い男が、そこには立っていた。
『ダメだよォ。女のコがこんな遅くに一人で、こんなトコにいちゃア』
「……あなたには関係ない」
『アラ冷たイ! チミの心そのもノだ!』
「………?」
この男、なんなんだ?
一体さっきから何を言っているんだ?
そもそも、この男こそなんだってこんなだだっ広い草原なんかに一人で?
『まア、そう構えず。安心してイい、別にオイちゃんはチミを連れ戻そウなんて考えちゃいないンだわ』
「連れ戻す……?」
瞬間。この男の正体を悟った。
「教会の――っ!」
距離をとるように、後方へ飛んで後退する。
そりゃいつかは追っ手が来るだろうとは思ってはいたけど。
『だから警戒しなイ。オイちゃんはチミを連れ戻すつもリはないンだってば』
というこの発言。教会の人間が、特別視していた私たちを連れ戻す以外の目的で、接触してくるとは到底思えない。
嘘か、本当に別の目的か……。
あるとしたらなんだ。私たちの使力を何かに利用する以外の目的…………考えてもわかるわけがない。
「……あなたは何者?」
『チミが考えていル教会の人間ーーではないノで安心して欲しイ。だが、チミを追っ手いる教会の裏の顔、『組織』の人間でハある』
『組織』の人間。どちらにせよ油断はできないか。
「……あなたの目的はなに?」
『少なくともチミ達を教会へ連レ戻そうッてことじゃあなイさ。オイちゃんは別の目的で動いてル』
別の目的……教会の言う『収穫』ではない何か。
「その目的ってなに?」
『ところでチミは自分の使力ニついてどれほど理解しているかナ?』
「は……?」
唐突に、会話を脱線するローブ男。
「そんなこと、今は関係ない」
『まァ聞け、とても重要ダ。自然支配系統の使力っテのは全てノ使力の中から見ても稀少デ強力だ。自然界かラのリソースをその身ひとつデ抱え込むってンだから、そりゃ魂の方の疲労はトンデモナイ』
「…………」
何が言いたいんだ。話のオチが全く見えてこない。
「何が目的なのか……はやく言って。……今は私にも余裕がないんだ……」
数秒の沈黙。の後――
『チミたちを計画に利用すル』
満面の笑みでヘラヘラと、そう答えた。
「……そう」
なら、遠慮する必要はない。
瞬間、身を包む冷気を服従させる。外気は瞬く間に凍りつき、空気中の水分は瞬く間に私の言いなり。鋭利な氷結の突き槍が、地面なぞりながら男の腹部の真ん中を抉る。
『が―――っ』
大量の吐血。当然だ、あの位置ならおよそ色んな臓器がズタズタにされている。間違いなく致命傷だ。
『……痛っエエエ――――――なァアア?』
ぞわり、身体が震えた。男は笑っていた。血を吐き出しながら、汚らしく満面の笑みで笑ってみせた。
『やっぱり逸材だァ。弱った身体でその支配力たアね……』
懐から取り出した小さな刃物で、自身の腹部に突き刺さった氷を抉り取る。
ボタボタとこぼれ落ちる五臓六腑。吹き出す鮮血。とても正気の沙汰とは思えない。
それでなお、平気な面でピンピンしている姿。ズブズブと傷口から煙が上がっては空いた穴が塞がってゆく。とても、同じ人間とは思えなかった。
パチン、と指を鳴らす。
「……っ!?」
黒ローブの男の影から現れる弟。いつの間に弟を――そう考えるのは野暮だったか、私が自ら弟から離れていたのだ、弟に接触しようなど容易い話だ。誤算でもなんでもない、私が甘く考えすぎていただけ。
「あなた達は、一体……何が目的なの……!?」
『プロジェクトコード《F》。――我らが王ハ、怪物を欲していル』
王……? 組織のトップのコト……?
『チミにはこれから―――』
間を置くように、勿体ぶるように間隔を開けて、黒ローブの男はゆっくりと口を開く。
『弟を殺しテ貰ウ』
「……」
何を言い出すかと思えば、私に、この子を殺せだって……?
「……ふざけないで」
『ふざけてなンかいなイ、必要なことダ』
続けるように、黒ローブは語る。
『人為的に《F》を●●するためには強力な使力ト強烈な精神汚染を必要とする。トりわけ重要とされルのは後者でネ、精神の暴走を伴っテこその《F》なのサ。感情の浮き沈ミ、激昴や哀愁は魂ノ構造に大きく作用すルからニィ。ようするに、ショックやトラウマ、強力ナ罪悪感なんカは特に極上なンだよネ』
「プロトコル」
唐突に、背後から声が聞こえた。
「喋りすぎだぞ、弁えろ」
『おっとっと……これハ失敬アマルハルト』
プロトコル、そしてアマルハルトと呼ばれる二人組に、私たちは前後を挟まれる形になっていた。
「…………」
プロトコルと呼ばれる男に私の攻撃は通じなかった。そして、そいつの手には弟が握られている。私の背後にはアマルハルトという男。空気から伝わる殺気のような威圧感。恐らく、こちらも相当の手練。だとしたら闘うのは得策じゃない。弟を人質に取られている以上、馬鹿な真似は出来ない。
「用件を言って……目的はなんなの?」
『弟を殺しテ……』
「ふざけないで! そんなこと出来るわけないでしょ!?」
「しかし、我々の目的は君たちのいずれかを●●することだ。故に、君が弟を殺害するのが最も合理的だ」
そんなの、合理だの不合理だの関係ない。無理なものは無理だ。
私は弟を守るためだけにここにいる、こうして来た。だから、世界で唯一の家族である弟を殺すなんて、絶対に認められない。
そもそも、ヤツらの目的のために弟を殺害する必要があるというのは何故だ。何の理由がある。理屈が、結び付きが理解できない。
どちらかが死なないといけないなんて――。
「私たちのいずれか……」
いずれかを●●する……?
二人のうちの……。
「いずれか……?」
瞬間、私は使力を行使していた。
敵への攻撃? 否。私は、私を殺すことにした。
自身の腹部を穿つ氷結の槍。暴走する使力に、溢れ出る血液すら凍りついてしまいそう。
……ああ。でも、これで弟は助かる。
ヤツらが言っていた、私たちのいずれか。
弟が死んだ後の私が目的だとするならば、その逆もまた然りだろう。
私が死んだ後の弟ならば。
それ故のいずれか、ということではないのか。
私は死ぬ。でも、弟が助かるならそれでいい。
弟が何か訳の分からないコトに利用されるのは心苦しいしとても嫌だけど、それでも死んでしまうよりは全然マシだ。
もし、どこかの誰かに託したい。私の代わりに、弟を救って欲しい。
だから、それまでは苦しい思いをさせるけど、ごめん。許して欲しい。
「じゃあね、…………イッザ」
薄れゆく意識の中で、会話が聞こえた。
『あーァ。やっぱりこウなっちゃっタか』
「無理もない。あの娘ならああ判断するのが合理的だった、それだけだ」
『しっかし、センスだけで見たラ姉の方がよかったかナ』
「それは否めないが、計画は計画だ。そのためのお前の精神操作だろう。彼らのいずれかに強いショック、トラウマを焼き付けることこそが、本来の目的であり任務だ」
『わかってル。弟が姉貴を焼き殺した、って設定ナ』
「βかγか……。さて、どちらに成るか」
気色悪いニヤけ顔を睨みながら、僕の意識は暗いところへ落ちてった。
6/
目が覚めると、知らない天井が僕を見下ろしていた。
身体を起こして周囲を見渡す。知らない人間が二人――いや、一人はどこか見覚えがあった。けど、とても思い出せるとは思えない。とにかく、その部屋には二人の人間が居た。一人は僕のベッドに顎をついて眠る少し見覚えのある男で、もう一人は壁に寄り掛かって眠る赤髪の男。
「…………ここは?」
「目が覚めたかい?」
途端、声がした方を振り向くと、これまた知らない人間が扉を開けながら入ってきた。
「うん、元気そうだね。自分が誰だかハッキリしてるかい?」
「…………」
少し、頭が痛んだ。でも、意識はハッキリしてるし、自分が誰かだなんてそんなことはとうに知っている。
「……ぼくは、イッザ」
「うん、大丈夫だね。……彼ら、昨日からずっとここに居るんだよ。暇なんだろうね、きっと」
寝てる二人を指で示す。
「ほら、君たち。彼が目を覚ましたぞ」
言って、手元の小物を二人に投げつける。
「痛っ。なにしやがるフェルト!? ……って、目覚めたのか」
「気分はどう?」
そう言って、こちらを覗くように伺う二人。
「…………どうもこうも、よくわからない」
「まあ……そっか。そうだよな」
少し、変な空気になる。
「何はともあれ、無事目を覚ましてくれてよかった。これまで君は――」
「知ってる」
遮るように、口を挟むように呟く。
「………知ってる、全部思い出した。僕の過去のことも、僕がこれまでやってきたことも」
「………そうかぃ」
言って、再び扉が開く。壮年のおっさんと、顔色の悪い女の子の二人が入ってきた。
「これからお前の処分についての話をするつもりだった。あれこれ自覚してるようなら、話が早くて済むってわけだわ」
壮年のおっさんは軍服を着こなしており、人目で軍の人間だとわかった。……別に驚きはしない。ここはコウポホルン、連合国支配領域に隣接する街なのだ。僕がやってきたことを思えば、圏外区といえど軍絡みになるのは当然と言える。
「ノアさん、ルサのやつは大丈夫なんですか!?」
「……まあ命に別状はないわ。施術は昨日のうちに終わってたけど、目を覚ますかどうかはわからなかったの。さっき意識を取り戻したわ。今はうちのノブナガが様子を見てる」
やつれた、顔色の悪い小さな女の子。彼女がそう言うと、赤髪の男はふっと安堵の表情を漏らした。
「悪い、リョウ。俺ルサんとこ行ってくる。ここ任せてもいいか?」
「いいよ」
そんなやり取りを終え、足早に部屋から出ていった。
「……ぶっちゃけ」
赤髪が部屋を出て数秒の後、再び小さな女の子が口を開いた。
「ぶっちゃけ、洒落にならない容態だったよ。火傷に凍傷、腹部は貫通してて内蔵もズタズタ。私の使力じゃなかったら間違いなく死んでたわよ、あの子」
……その容態には、身に覚えがあった。
「その辺の話も、聞かせてもらえるんでしょう?」
言って、こちらを見やる女の子。ルサというのは、あの人のことだったのか。
「処分って言っても、ここは圏外区だし。たいした罪状もつかないでしょ」
「そうもいかねえ」
壮年の軍服のおっさんが口を挟む。
「処分としてはハッキリとしたものは決まってねえんだがな。F:β以上の強力な使力を行使した犯罪ってなあ取り締まり、四王判決に掛ける決まりになってんだ。四王領域に連行した後、然るべき処罰を受ける。最悪死刑もありえる」
死刑、という言葉には少しだけ怯んだ。
「厄介な種が芽を生やす前に摘んでおくのが世の習いだからな」
「…………」
仕方がない、そう思いかけた矢先。
「オールライトさん」
隣に座る、見覚えのあるあの男が、口を開いた。
「取り引き、しませんか?」
「あ?」
取り引き? と怖い顔で応答した。
「この子――イッザの処分は僕に任せてくれませんか?」
「…………」
深い沈黙と、重圧めいた視線。ひといき吐いて、ゆっくりと口を開く。
「……あのなあ、リョウよ。ソイツはこの俺に、軍を裏切れって意味で言ってんのか?」
「そうだよ。そしてこれは取引だと言ったんだ。第一、あなたは既に軍を裏切ってる」
「…………」
リョウの言い分は正しい。オールライト国軍准将は既に、目下指名手配中の重要罪人である彼らと取引をしているのだから。
「僕はイッザを救いたいと思ったから、闘おうと決めたんだ。だから、彼がこの先救われないのならそんなの意味がない。だから、彼を見逃してほしい」
だからこれ、取引だ。なんて、そんな馬鹿げたわがままをまるで当然のように言ってのけるこの男。
僕には、この男がまるでわからなかった。
「…………」
しばらくの沈黙。重たい空気の濃度にあてられて、項垂れるような空気が周囲に漂う。
「…………いいだろう。ただし、リョウ。お前は俺の命令に対して一度だけ絶対的に服従してもらう。それでいいな?」
オールライトの問いに一拍の間を置いてから、自信に満ち溢れた表情で応答した。
「お安い御用」
◆
「や」
一連の話し合いもとい取り引きを終え無人になった病室に、唐突にそいつは現れた。
「…………」
「なにー、その無粋な顔は?」
「……アンタこそ、何しに来たんだよ……ルサさん」
ルサと呼ばれるその人が、現れた。
「え、なんで名前知ってるの?」
「他のヤツらがアンタのことそう言ってた」
「なるほど」
アハハて明るく笑いながら、彼女はそう言った。
僕からして、その姿はまるで笑えなかったが。
全身にかけて張り巡らされた夥しい包帯のそれ。痛々しさを通り越してもはや見てられない。
どうしてそう、笑ってられるんだ。
アンタをそんな姿にした張本人の目の前で、普通そんなに笑ってやれるものか?
「……どうして」
呟くように、尋ねるように、続ける。
「どうしてアンタたちは、他人に対してそう真摯になれるんだ。僕は、ついこないだまでアンタたちを殺すつもりだったんだよ? ……おかしいよ。アンタも、アイツも」
僕の問いに、しばらく顔をしかめて思案した後、しかめた面のまま口を開いた。
「……うーん。実際のところ、私にもよくわからないんだけどね。君の心を覗いたとき、いろんなモノが視えたんさ。君の心はいろんなしがらみに囚われていて、その中で君は蹲って必死に叫んでたの。『お姉ちゃん』ってさ、心の中で呼んでたんだよ。泣きながらね」
「呼ん、でた……?」
「そ、だからそのとき思ったの。『ああ、本当はこの子、助けが欲しいだけなんだ』って。だれかがこの子を、お姉ちゃんの代わりに守ったげなきゃって」
――お姉ちゃん。僕が殺した、ヒト。
寒かった。――寒かったけど、お姉ちゃんの暖かさは、寒くても確かに存在したんだ。
物理的な熱じゃない。理屈なんてありはしない。だけど確かに、お姉ちゃんは暖かかった。
寒くて暖かいヒトだった。
だから、ひどく後悔した。
お姉ちゃんを失って、独りはもっと寒いことを知った。だから――
「僕さ―――――」
7/
明後日の正午。コウポホルンはこの日、やけに賑やかな喧騒に包まれていた。
「貴様ら待て!」
「待たんか!」
慌てふためき街を駆ける連合国軍兵士。息切れ切れに、コウポホルン駐屯地兵士総出で、ある荷車を追っているのだとか。
「オイ、なんだこの騒ぎは?」
「なにやら留置していた犯罪者グループがまるごと脱走したとかなんとか」
「うへー。怖い怖い。早く捕まえてもらわねえと物騒で夜しか眠れねえや」
「…………ふうん?」
街の騒ぎを横耳に、ワクワクとした面持ちで街路を歩く人影。
「気持ちいい音色。楽しそうだね、ラミエーナ」
「ええ、とても。どこかで誰かが、楽しそうに笑っておりますゆえ、私も気持ちが高揚しております」
男女二人組。一人は白色の頭髪に整った顔立ち。眼鏡をかけた好青年という印象の男。もう一人は闇よりも黒い髪を長く伸ばしたスレンダーな女性。手にはバイオリンを抱いており、歩きながらにもかかわらず優雅な音色を奏でていた。
「じゃあ、そのどこかの誰かには感謝しないとね。こんなに素敵な音色は何年ぶりだっけか――」
「貴方ですよ」
男の言葉を遮るように、一言だけ漏らす。
「このラミエーナ・スイ・カンパネルラが感じ取った至高の嬉々は、ユン・ユリーシア様、貴方から感じ取ったと申しておるのです」
「ありゃ」
参ったな、と言わんばかりに苦笑して、頭をかく男。
「僕をその名前で呼んでくれるのはキミとハヤトクンくらいだよねえ……」
トホホ、と眼鏡の下に涙を浮かべる。
「なにか喜ばしいことでも?」
うん、と呟いた瞬間。街はずれの森の方角で爆発が。
焚き上がる煙を眺めながら、ユンと呼ばれる白い男は呟く。
「とても、………とても懐かしい空気がするからさ」
◆
爆発のあった森。現在、ふたつの勢力による攻防が繰り広げられていた。
「ひるむな! 撃て!」
かたや連合国軍。磨かれた兵士の練度を発揮しながら、着実に犯罪者グループを追い詰めていた。
「ぐあー! 危ない。もう少し退くぞー」
かたや犯罪者グループ。軍兵士の絶え間ない銃撃にひるみ、どんどん後退していく始末。白い装いのピエロのような男がヒラリヒラリとすんでのところで銃弾を躱していく。
「よおし、いい調子だ。間もなく准将閣下も到着される。可能ならばそれまでに奴らを無力化し、准将の御手を煩わせることのないように!」
怒号のような合声が、森中に響き渡る。
「…………」
しばらく攻防が続いた。その実30分ほど。
否。30分にも渡って、である。
国軍兵士たちの絶え間ない攻撃を、少しずつ後退しながらも30分、その連中は凌ぎ続けた。
「なぜだ。なぜいつも後一歩というところで凌がれる。奴らも必死のはずだ、そのせいか?」
軍兵士たちはそう考えていた。戦力差は必然、こちらが圧倒。なのになぜ、もう一歩押し切れないのか。
答えは単純なモノだった。
銃撃音が反響する森の只中、途端、銃撃音をかき消す剛音が轟はじめた。
樹木の倒れる音と、車輪の転がる音。音のする方角に視線をやったそこには、馬に荷台を引かせた荷車が爆走している様子だった。荷車を操縦するのはスキンヘッドの色黒男。荷車の上には耳の伸びた白いフードを被った黒髪の女性が、刀を構えて樹木を撫で切りにしている様子。
「オラオラ、どけどけェー!!」
豪快に兵士たちの陣形を正面から突破したその後、追っていた犯罪者たちを荷車に収容して、風のように去って行った。
「………ば、かな」
喪失感にも似た脱力が場を支配した。
「おいおい、なんだぁ。逃がしちまったのか」
「おっ、オールライト准将閣下!?」
兵士たちが振り返ると、鉄の馬に二人乗りしていた准将の姿があった。
「申し訳ありません! 奴ら、アルマの方角へ逃げていきました。すぐに、追います。これから手配を――」
「必要ない。俺とアキテルで追う。お前たちは街の騒ぎと放火魔の後片付けを頼む。俺が返ってくるまでに始末しておけ」
「りょ、了解であります!」
言って、再び鉄の馬に腰を掛ける。
「出せ、追うぞアキテル」
「任せてくだせえっ!」
さて、この場のだれが予想できたであろう。
誰も予想などできるはずがない。たかだか小規模な犯罪グループ相手の逃亡に、准将自らが少佐を引き連れて追ってみせるなど。
予想不可能に違いない。
なぜかって、全て出来レースなのだから―――――
投稿ペースが遅くてとても長くなりました?が、放火魔編はこれにて終了です。
次章は「歌姫編」と相成っております。何卒これからもよろしくお願いします。




