ep,17 放火魔の孤独7
目が覚めるとそこは、ひたすらに白い世界だった。
全てが白。純白。空虚なまでに、それこそ、白濁しいまでに白々しい。
濁り気など皆無に等しいが、それでもここはひどく濁って、透き通っていて、とても落ち着いた雰囲気の世界だった。
「――ここは、……一体?」
ここは君のナカだよ
唐突に、声が聞こえた。
――脳裏に直接、声が響いた。
透き通る宝石のように静かな、靜かな声が。
無意識的に、声がした方向を振り向いた。――そこには、見知らぬ女性が立っていた。
地に着くほどの小麦色の長髪を靡かせた無垢色の少女。その姿はたしかに白かった。
何が――その肌が、存在が、在り方が、彼女の魂そのものが、……歪なまでに白でいっぱいだった。
白い、白い翼を――通常であればそこには耳が存在したであろう頭部の両翼に、白い翼を羽ばたかせていた。
「君は……?」
ぼくは君だよ。君はぼくなんだ
「僕……?」
そう、と頷いて、太陽のような眩しい笑顔で頬を釣り上げた。
……さて、どうしたものか。
僕の目の前に存在する少女のそれは、自身を僕だと名乗った。それは一人称のみならず、そのままの意味で、僕はキミ――つまりは他でもない宮井リョウそのものであると、彼女はそういったのだ。
――否。今僕がどうするべきか思案している状況のそれは彼女の存在についてなどではない。断じてそう。
簡単な話、彼女の姿についてだ。眼前に存在する少女の姿―――――彼女は、裸であった。
スッポンポン。無類なく比類なき素っ裸、全裸である。
服を着ろ!! ――と、大声でツッコミを入れたい次第ではあったが、何故か彼女においては、その姿が酷く自然に見えた。
太陽が空に浮遊しているように、草木が地面に生い茂るように、それは自然な、至極当然なことのように思えた。
だから、「そうか、君は僕なのか」などと、状況に馴染むことにした。
「ところで、ここは?」
さっきも言ったけど、ここは君のナカなのさ
「僕の中?」
そう、君のナカ。――言うなれば魂の形の、その内側とでも言うべきかな。君の深層意識が映し出したままの世界さ
「僕の魂――ねえ。なんだかそう聞くと、どこかしら使力に近しいものを感じるな」
ああ、そうだね。それも正解ではあるね。君の中に眠る力によって、この思念空間を形成しているのだから
思念空間? ――ああ、この白い世界のことか。
「僕はたしか――プロトコルと戦っていて」
君はプロトコルの悪夢にあてられた
「そして気がついたらここにいた」
ここは君の思念空間ではあるけれど、今はプロトコルの悪夢が見せている夢の世界。本来なら君がここに来ることは未だなかった――けれど、彼の悪夢によって、その悪意によってここに足を踏み入れてしまった
「僕の思念空間を、アイツに見せられているってことでいいのか……?」
そう。そして他の四人も同様に、自身の思念空間を彷徨わされているのさ。――悪夢とは本来他人の思念に干渉し作用する使力機能、彼の使力のプロトタイプたる“ユメ”のFβだからね。その性能は他人のトラウマに働きかける悪意の暴走なのさ
◇
「以上の説明のとーり、自分が御使いに勝つっちゅーのは無理な話なんや(」
「そう……だったの、ですか」
せや、というコネットの一言に、意気消沈するアイスヒット。しかし、それも一瞬のみ。
「しかし、今しがたヒナ様は仰られた。――私はまだ強くなる余地があると」
まっすぐな瞳で、預言者の瞳を覗く。
「そぉだよ。きみはまだ強くなれる――きみにはFβに届きぅる器お有しているからにぃ。是非もないコトだょ」
フレーム……ベータ? 聞き覚えのない単語に驚きを隠せずにいると、察したようにコネットが顔を覗かせてきた。
「異常使力機能、それがその正体。アークっちゅーんは未だ未知の領域が多くてなあ、これもまたその一つや。――使力とはすなわち心。心や魂の反応によって、その在り方は大きく形を変えることがあるんや(」
「形を……変える?」
「せや。まぁ詰まるところは使力の進化やな。その進化論を、ウチの王様はFβ、γと呼んどるわ。ベータは原型の概念を残したまま強化された使力。ガンマはベータに至ったごく少数のみが到達する境地。ともに心、精神に大きな衝撃を受けた人間がトラウマや後悔、また大きな野望や希望によって魂に影響を与えた結果なんや。――君は、それに至る器……その兆しを、既に持っとる」
荒唐無稽な、酷く形容しがたい疑心が、この話の信用性を疑わせる。
しかし、私は勝たなければならない。私は強くならなければならない。
知らなければならない。成さなければならない。
「その力を手にすれば――私は」
「ベータに至った使い手が、通常の使力に遅れを取るわけないやで(」
「わかりました。――それを聞けただけで、私はもう満足です」
満足だ。私には、強くなる余地がある。それが聞けただけで、これ以上とない収穫だ。
私の努力次第で、あの化物を倒せるのだとしたら、私の進むべき道は決定したも同然だろう。
「ヒナ様、コネット殿。――誠に感謝申し上げます。私の進む道は今しがた決定した。――このご恩は生涯忘れません」
そう言い残すと、アイスヒットはくるりと背を向けまっすぐ部屋から出て行くのだった。
「いやぁいやあ、わがはいの預言が助けになったみたいでえかったえかった」
満足げに腹を膨らませるヒナ。その面持ちは心底からの幸福感に包まれていたと言えるほどに、満ち満ちとした表情だった。
やれやれ。こん人、ワイのこと完全に忘れてはるな(
「ちょーい、もしもし。ワイの方にもひとつ頼むよう言うてたやん? ヒナはんの言葉聞くために遠路はるばる飛んできたんやで? 文字通りの意味で(」
「ええ? ああ……忘れてたょ、割とガチで」
「笑えんジョークやでほんま(」
まあまあ、と歯をあらわにしてはにかむヒナ。なにやらご機嫌な様子だった。
「そない嬉しいもんなん? 友達が出来るっちゅーんは」
「もちの栄和だょ。この方500年間、このエルサムから出たことなぃんだからね。――数少ない友達と会話を交えると云うのは、わがはいにとってはそれはもう、筆舌に尽くし難ぃ幸福なのだから」
どこか憂いを帯びた顔。寂しげに仰ぐその顔は、彼女の心情をうまく物語っていた。
「ふうん(」
しかし、その思考はコネットにとって、非情なまでに理解し難いものであった。
友達……ねえ。
一人、友人とも呼べよう人間のそれを想起した。
しかし、それをひとえに友人と、友達と表記してしまって、そこに真実は有り得るだろうか。そこに友情は足り得るだろうか……そう考えると自信も、自身すらも希薄しい。
「まあ、ワイは他人のことなんて1ミリも眼中にないからなあ。そないな人間に友達なんて大層なもんは出来っこないんやて(」
「でもきみもまた、その他人のためにここに来たんでひょ?」
「………なんでもお見通しかいな、ほんま(」
そんならさっさとワイの望みに答えて欲しいねんけどなあ(
「これ、この預言(」言って、一枚の紙切れを差し出す。「途切れ途切れで要領を得ないんやけど、これ、もう1回きちんと預けてくれへんか?(」
「んんん……?」
ギョロりとした大きな瞳で、紙切れの詳細を覗く。
「あぁ、これかあ。確か……」呟いて、続けるように口を開く。――が、しかしとんでもない内容が、その口から放たれるのだった。「紅蓮の疫病が御使いちゃんにやられる預言でひょ?」
「は?」
「ひ?」
「ふへほ。じゃなくて、何言うてんのアンタ?」
ペストくんが御使いを倒すような内容ちゃうんかいな、これ。
ちょっと貸して、というヒナの言葉に言われるがままなすがまま、紙切れを差し出すなりものの数秒、こちらに返却された。――が、その内容は先程のそれとは違っていた。いや正確には、正確に補正されていた、である。
『コウポホルンのアエーシュマで亡骸の白い天使と運命。紅蓮の疫病が討伐される』
あちゃあ~~
当面、これ以外に言葉が見つからなかった。
ペストくん、うまく成仏しいや……。
◇
「おいおいおい、こりゃあ……」
その男、紅蓮の疫病。今現在、アエーシュマが郊外、山の麓に立っている。――しかし、その目に映る光景のあまりの異様さに、呆然と立ち尽くすばかりであると、それはもう一目瞭然であった。
「なんだこの一面灰色の炭世界は?」
辺り一面、灰燼のそれ。焼き焦げた雑木林と草原。明らか、それは使力によるものである。
まるでそれは自分の……いや、自分以上のナニかによる、一方的かつ暴力的な炎。
「おいオッサン、危ねぇからそこどいてろ!」
「オッサンだぁ? お前、誰に向かって――」
瞬間、二人の目が合う。必然、
「「お前はッ!?」」
完全に、見た顔だった。見覚えのある、忘れようにも忘れられそうにない顔。
なにせ――ともに世界を半周した仲なのだから。
「お前は軍の疫病野郎!?」
「お前は海賊の韋駄天小僧!?」
ビシィ! と互いに互いを指さし、怒号のような声音で名前を叫ぶ両方。なんでお前がここに――などと、口をそろえて同じセリフを吐く始末。そこに――
「うぉお……!?」
迫りくる熱気に足元が綻ぶ。そこへ――暴力のごとき容赦のない、未練もなければ後悔すらもない、ただただ何もない機械のような炎の海が――熱が、ペストの頬を掠めた。
背筋が凍る思いをしたのは何年ぶりか。熱いはずなのに冷や汗が滝のように流れ落ちる。――あの炎はなんだ?
「言ってる傍から……」
正面――セングゥは、眼前に立つ怪物に目を向けていた。
怪物、と形容するに十分にすぎる外見。体躯はおよそ2メートルを超えており、その見かけから恐らくは鬼を連想させた。火を噴き、炎を吹き、焔を鎧のごとく纏う煉獄の遣い。
「……フーッ……フー」
荒い呼吸。鎧の中が相当熱いのか、苦しそうな息が、隙間から零れる。
「……おい、海賊」
アイツはなんだ? と疫病は尋ねる。
「それは……」
答えを、ペストに返す応えを決めあぐねる。
あれは――正直、自分でも理解できていないのだ。
リョウに頼まれた通り、例のガキをここに連れて来た途端、それは起きた。
一面が、一瞬にして灰燼に包まれた。
空気が焼ける。
大気中の酸素のそれが、否応なしに消失――いや、焼失する。
喉が焼ける空気というものを、初めて吸った。それは、まさしくの意味で地獄そのものだった。
視界一面に広がっていた広大な草原のそれは、隔てなくすべてが等しく灰に散った。
その中心に、そいつは立っていた。
「……なるほどな。そりゃお前の推測通り、恐らくお前が連れて来た放火魔のガキだろうな」荒れ狂い暴れ回る炎を避けながら、ペストは続ける。「放火魔――恐らくは燃焼系、俺と同じ炎や爆発を操る能力だろうな。使力の系統もそこな化け物と一致してやがる。大方、間違いねえだろうよ――それと、」
値踏みするように、セングゥを見る。いや、セングゥというより、セングゥの周囲をまじまじと見渡す。
「お前、仲間はどうした? ていうか、海賊がどうして陸に上がってやがる?」
「……海賊だって、陸には上がる。それに、俺はもう海賊じゃねえ。今はリョウと一緒に旅をしてるよ」
「それで、その御使いは?」
「ここには居ない。……ここには――ここには俺と、ルサの二人だけだ」
「……?」
セングゥの言葉に一抹の疑問を抱く。再び、周囲を見渡す。
「ルサって……その殺人鬼野郎の姿も見えねえけどな?」
「……」
黙って、無言のまま顎で示す。
その方角――ずいぶん離れた木の麓に、それはあった。
黒く、焼け焦げた衣服。顕わになった素肌は等しく火傷に苛まれ、まるで動く気配のない殺人鬼だった黒く焼け焦げた兎フードが、そこにはあった。
「うそ……だろ」
「嘘だったらどれだけよかっただろうな」
必死に、それを視界に入れぬよう気を使っているのが容易に理解できる。
しかし、それ以前にその現実が、ペストにはひどく容認しがたいものだった。
「あの殺人鬼がやられたってのか……!?」
「……一瞬だったからな。いくら瞬きすら捉える化け物じみた眼を持ってても、俺みたく化け物じみた瞬発力を持ってるわけじゃねえ。反応はできても対応はできなかった――まあ、俺にしたって、自分のことで手一杯。ルサを連れて離脱できなかった、同じことさ」
悔やむように、苛立つように、足元を睨むように見下ろしながら呟く。
「にしても……なんなんだ、コイツは? 本当に人間なのか?」
ペストの疑念は全くもって妥当な意見だろう。それを人間として扱うことなどおよそ皆無に等しい。
文字通りの意味で、そいつは化け物。
怪物。
使力の、化物。
「アークシステムエラー……タイプ・フリークス」
ペストの呟きに、セングゥは耳を傾ける。
「おい、なんだその……アークシステムエラー、ってのは」
「うちの王様は、使力研究の第一人者なんだよ。その研究の一環、使力が暴走して肉体が使力に囚われる――支配されちまい、ああいった化け物が生まれちまうのが、ときたまあるらしい。ただ、これには前提条件として、ある二つのプロセスと特殊なファクターを踏んでないと、まず起こり得ようのない症状なんだがね」
「使力の、暴走……」
確かに、その化け物には少年が入っている。そいつの正体は放火魔の少年に、間違いはないはずだ。
だけど、そこに少年の意思――自我はあるのか。
それが、セングゥがずっと引っかかっていたモノの正体。
「海賊、一時休戦だ。俺も任務中だが、こんな化け物放っとくのはいただけねえ」
「さんせーだね。もっとも、俺の目的は最初っからコイツなんだがね」
一時休戦――そして、共闘。
まず、セングゥが飛び出した。駆け出した。
神速、その2ギア。スピードはトップギアに程遠いものの、動きの遅い巨体をあしらうには十二分のスピードだった。
炎に包まれた体躯に、丸腰生身で触れることはできない。なにより自殺行為だろう。しかし、
「そらよっと!」
しかし、飛び道具や離れてからの攻撃であれば、そこに何の問題もなければ支障もない。セングゥは爆発の際周囲に飛び散った岩石の類を拾い上げてはちょこまかと周囲を駆け回り、隙に応じてそれらを投擲する作業を繰り返していた。
そうして徐々に、怪物の注意は完全にセングゥへと回った。
セングゥを、殺す対象として認識した。
瞬間、怪物の口穴から、獲物を食らうかの如く襲い狂う炎が噴き上げた。
摂氏2000度を超える、空気すらも焼き殺す熱の暴力。蜃気楼の間隙、刹那の間に、セングゥは怪物の背後に回っていた。手には、ルサが愛用していた刃の長い剣。
それを、めいっぱい怪物の背中に突き刺す。深く。深く。熱さなんて気にしている場合ではない。今は、こいつの動きを止めることだけを考えろ。
まるで巨大な木の幹を連想させる胴の太さだ。
その隙をペストは逃さなかった。
セングゥが刀を突きさした瞬間、あらかじめ大気中に散布していた自らの爆炎菌を添加。セングゥもろとも焼き殺す勢いで、怪物の全身を四散――強力な爆炎で粉砕した。
「危っねえな!」
「いや、どうせ俺たち敵同士だし。ここでまとめてやっといた方が後々楽できると思って」
「てめえこの野郎覚えとけよ……それより」
やったのか、呟いて、燃え上がる火焔のそれを見る。先ほどまで自分がいた――今もなお、あの化け物を焼くその炎を、睨むように、値踏みするように見つめる。
「さあな。しかし、手ごたえはあった。少なくとも無傷ってこたぁないとは思うが」
言って、爆炎の名残が残る粉塵ののろしを睨む。――すると、雲間が切り裂かれるかの如く、一面を覆う煙のそれは晴れた。
否。それは掻き消されたのだ。
灰燼の中心より現れた、少年のカタチをしたそれによって。
「オイオイ……嘘だろ……」
信じられない光景を見た――とでも言わんばかりの、開いた口が塞がらない、といった具合の表情。
紅蓮の疫病として恐れられた国軍大佐の使力もってして、その少年は無傷に等しいほど、ダメージらしいダメージを受けていなかったのだから。
それどころか――
「どうして……ぼく、ばっかり……寒い……さむ、い……」
唐突に、先ほどまで炎に覆われた、火焔の鎧を纏っていた少年が凍えるように――体を小刻みに揺さぶりはじめた。
「いやだ……いやだ……」
途端、目の前のセカイが変わった。
変貌した。
急激に。
唐突に。
途端に――そこは、空気の色を、匂いを、カタチを――全くもって異なるモノへと変貌させた。
マズイ。そう思った頃には、とっくに手遅れだったのだろう。
白い蒸気状の魔の手は、とっくに首の根を掴んでいたのだから。
「ね えち ゃん」
瞬間――零度を下回った氷白の塊が、一瞬にしてすべてを飲み込んだ。




