祭の終わり
馬鹿となんとかは高い所が好き。その言葉には誤解がある。高所から眺める景色とは馬鹿も天才も誰もかれも、心を惹きつけ胸を高鳴らせるモノである。良い景色を楽しむのに高所へ登るのはある意味当然なことなのだと思う。屋根から落ちないように座っているのにも関わらず視界は広く高い。
「ふわ〜、良い眺めだね!」
「懐かしいです。学生時代は良くこうして建物の屋根から祭を楽しんでたんですよね!」
二人の楽しそうな声を聞くとなんだか楽しくなる。風になびく桃色の髪と金色の髪は見下ろす祭の景色にも負けず劣らず綺麗である。二人の美女に嫉妬しているのか、祭の装飾の旗が躍起になって風に揺れる。
「いやー、ここは穴場なんですよ。そのうちパンフレットに書こうかな? 祭の見物はロジー工房の屋根へ! ってな感じで」
首にタオルを掛け、タンクトップで腰には結んだ上着。油汚れが目立つ作業ズボンに丈夫そうな靴。色気のイの字も無い姿のロジーは笑いながら俺に両手の人差し指を向けてくる。ピストルポーズなんてどこで覚えてきたのやら。
「ごめんなロジー。屋根の上で観させてもらってよ」
「いえいえ! 祭のときは誰かしらが勝手に登って見学してるので。知り合いならばこちらも安心ですからね」
周りを見れば他の建物の屋根にも人々が乗って祭の喧騒を眺めている。空を飛ぶ魔法があるこの都市ならではの光景とも言える。
「ここは北区のすぐ近くにありますから。知ってます? 魔法の花火はとても綺麗なんですよ!」
そばかすのある目の下を擦り、既に花火が上がっている光景が目に浮かんでいるのか、キラキラと目を輝かせている。年齢は俺に近いはずなのにまるで少年のような眼差しは見ていてこちらまで胸が高鳴ってくる。
「北区で花火を打ち上げるのか。打ち上げるって表現でいいんだよな?」
魔法の花火と聞いて想像はできるのだが、それを打ち上げると聞くと魔法を使った場合はどうなるのか想像出来ない。素朴な疑問に頭を働かせているとエレットとルチアが俺の近くに来る。
「いいですかハジメさん。魔法の花火は大きく分けて二種類あるのです。まずは……」
「魔力を注入した魔結晶を打ち上げて空中で爆発させるのか、魔法使いが直接空に向けて魔法を放つのかの二種類よ!」
言葉を遮ってルチアが答えを言う。ほんの少しだけエレットの顔に不満の色が滲み出る。
「それでね。どっちが綺麗かというとね……」
「魔結晶の方が綺麗なのですよ! 魔法のみの場合は複数属性の魔法を一発に収めるのは大変ですが、魔結晶ならば沢山詰めても平気なんです! その分、簡単で綺麗なんです」
今度はエレットが言葉を遮る。ほんの少しだけルチアの顔に不満の色が滲み出る。
二人の様子を見ている俺の背中には冷たい汗が滲み出ていた。
「ねぇハジメ。私はこの祭のこと結構調べたから詳しい自信あるんだよね」
「ハジメさん。私はこの街に何年も居たから祭のことは当然詳しいですよ?」
二人の顔は共に笑顔だが、言葉が全く笑ってない。
「どっちの説明を聞きたい!? 私だよね!」
「どちらの説明を聞きたいですか!? 私ですよね!」
二人の声が合わさる。息はピッタリのようだ。残念なことに。
怖いくらいな二人の圧に俺は尻込みして後ずさりする。助けを求めようとチラリとロジーの方を見るが、ロジーは楽しそうに笑うばかりで救いの手を差し伸べる気は全く無いのが分かる。
「圧が凄えんだよ。ぶつかり稽古か?」
ベッピンさんに言い寄られて嫌な顔をする男はいない。昔の人の話でそのような伽話を聞いたことがあるような気がするが、それは最もなモノだ。
現に俺は嫌な顔は表に出していない。内心は別の話として。
「え〜っと……ん? あれは……」
言葉を濁すことしか出来ない煮え切らない態度にしびれを切らしたのか、ルチアとエレットは四つん這いで迫り、ぐいっと顔を寄せて来た。
肉薄する二人の顔越しの景色に一本の光の筋が天へと昇る。やがてそれは弾けると光の玉をいくつも生み出しそれぞれの光の玉は光線を引きながら天を四方八方に駆け巡る。まるで天を駆ける龍の尾のように光線を残すと昼の空に星の余韻を残していった。
「あれがこの世界の花火か」
眺める同じ空に再び光が現れる。それは空に向けて一つの玉となりて駆け上がり、先に消えた星の余韻の残滓に近付くと爆ぜる。爆音と共に爆ぜた先からは緑や黄色や赤や青や、様々な色合いの光が飛び散る。それは俺がよく知っている花火に瓜二つの光景であった。
「綺麗だな。こうやってちゃんと観るのは久しぶりだ」
幼き頃の夏祭や花火大会では一つ一つの光の瞬きを見落とさないように目を凝らして観ていたのだが、大人になるにつれてそれはただの風景の一部としか認識してなかった。
皮肉なモノだ。元の世界から離れて初めて元の世界の美しさを思い出すのは。
「先に上がったのは魔法による花火です。後の方が綺麗ですよね?」
さらに顔を近寄らせるエレット。本人も近過ぎて少し気恥ずかしいのか、前のめりに意見を求めているわりには目線が泳いでいる。
「あぁ、凄く……綺麗だ」
正直な話、後者の方は見慣れている感はある。なのでむしろ前者の方が俺にとっては新しくて面白かったのだが、それを言うとエレットが可哀想なのでやめておく。
「は、ハジメ! 昼の花火よりも夜の花火の方が綺麗なのよ。ピカって光ってさ! 知ってた?」
ルチアは俺の後ろに回り込み、エレットから引き離すようにズルズルと引きずる。そして俺の顔を下から挙げるように持ち、天を指差す。
「知ってるよ。俺のいた世界では花火は夜に上がるもんだからよ」
「えっ、あら……そう」
淡々と答えるとルチアは大人しくなってしまった。今のは言葉の返しを間違えてしまったかもしれない。
「ちょっと茶を淹れて来るよ。ロジーさん、お茶ある?」
「ご案内しますよ。工房の中は散らかっててうろつくと危ないですから」
こういうときは一旦引くに限る。ただでさえ二人は熱くなりかけているのだ。女性経験が多くない俺ではこの場を上手く纏めることは出来ない。
(三十六計逃げるに如かず。武田信玄は偉大だな)
昔の偉い人はよく言ったモノだ。人生の為になる言葉だと思う。
不穏な空気の二人を残すのは少しばかり気が引けるが、二人は立派な大人だ。後のことは花火の綺麗な景色がなんとかしてくれるだろう。
自分に言い訳をして納得させて、俺はロジーの後ろを付いて行き屋根の上から降りる。中へと続く長い階段を降りて行くとまず目に飛び込んで来たのは大きなゴーレム数体。北区で見たモノとついさっきロジーが乗っていた一際図体が大きいゴーレムだ。
「デッケェなこれ。他のと何が違うんだ?」
ポンポンと脚部に触れてみると冷えた大理石のような感触が手に伝わる。ロジーが乗っていた胴体部分は金属製の板で分厚く補強されていて頑丈そうだ。
「それは新型のゴーレムなんですよ。人が乗ることにより従来の魔結晶充填型と比べて継戦能力の向上が期待されています。その分搭乗者の負担も大きいですがね」
ゴーレムや魔法に詳しくない俺でも意図してることは分かる。
要は充電しながらスマホを使うようなモノだ。電池切れで使えなくなる心配が無いので動画もゲームも音楽もネット小説も、何をするに安心だ。ただ一つ、本体の負担になるのを除けば。
そして有人化のメリットで何よりも大きいのは現場の判断が出来るということ。先ほど襲われかけた際、きちんと止まったのはロジーが判断してロジーが止めたからだ。あれが無人のゴーレムの場合は止まるにしても本当に寸前となる。一歩間違えれば洒落や冗談では済まない事態となるのだ。現に砂を被った経験がある俺の意見は間違っては無いはずだ。
「あの音声は?」
「あれは私の声を蓄音の魔結晶に入れて加工したモノです。なんかそれっぽくてよくないですか?」
それっぽい。言われてみれば確かに男のロマンであるソレっぽくて良かった。だが、そのソレをロジーが知っているのは些か疑問だ。
「強固な防御。激甚な攻撃能力。俊敏な運動性能。私が持ち得る技術の全てを注ぎ込んだ最新型。これ作るの凄く大変だったんですよ。学園の同僚や生徒にも手伝って貰いましたからね!」
掛けた労力の証はロジーの油汚れ塗れの手が物語っている。女性の手とは思えないほど汚れた手ではあるが、彼女は汚れた手に誇りを持っているように見える。
「ささ、お茶を淹れましょう。大したモノはありませんがね」
口で説明しつつもその手はお茶の準備をしっかりと行っている。ふふっと笑う口の端の皺は女性的だ。
「あれ、お湯が無い?」
乾パンのような茶菓子に紅茶の茶葉を用意したところでロジーはお湯が入っていたはずのポットをゆらゆらと左右に振る。
『あ、ロジーさん。すいません、頂いておりまーす!』
呑気な声が隣の部屋から聞こえてきた。覗いてみるとそこには子供用のスプーンで紅茶のティーカップから茶色の液体を汲み取り啜る知の精霊。そして口一杯にクッキーを頬張る木の精霊がいた。
「行儀悪いぞ二人共。すまんロジー、俺の仲間がだらしなくて」
厚紙の包装紙に包まれていたクッキーは無残にも食い荒らされ、木製のテーブルの上には茶の飛沫が散らばっている。足元の木目の床の隙間にはポロリと落ちた食いカスが挟まっている。それらを気にもせずに食べるのはこれまた口周りに食べカスを付けたままのファムである。
「あ、ロジ〜。クッキー美味しいよ!」
口元を手でゴシリと拭うと、ファムは背もたれに預けていた背中を離し椅子から飛び降りる。トテトテと足音を鳴らして近寄った姿は子供らしくて可愛いのだが、その可愛らしい姿の額にデコピンをする。
「イッタァ! ハジメェ何するの!?」
「ロジ〜じゃねぇよ。他人の家を汚すんじゃない! 全く、こんなに食い散らかしやがって……」
額を押さえて痛がるファムを横目に俺は床に散らばる食いカスを一つ一つ拾う。
「ヒノモトさん、大丈夫ですよ。私は子供が好きですし、こういうのは慣れっこですから!」
一緒になって拾うロジーはどことなく楽しそうだ。
彼女は魔法学園の先生。機甲士と呼ばれるゴーレム技士であり工房も構えている。鉄臭い職人の仕事を兼業しているそんな彼女の生活の場にこのような子供向けのお菓子がある理由はそう多くは無いだろう。
「よく学園の生徒が手伝ってくれるんですけどね。いや〜、彼らもよく食いカスを落とすんですよ。注意するのですが子供は食い意地が張ってますからね〜」
楽しそうに拾う姿は決して嫌では無い気持ちから来るのだろう。それはそうだ。子供が嫌いな人間が子供の先生になれるわけがない。
「私がお茶の準備をしますよ。ヒノモトさんは軽く掃除してください」
ロジーの指差す方向には使いふるされた箒とちりとりが置いてある。
「あぁ、それと一つ。黒光りする気持ち悪い虫がいたら全力で踏み殺してください。一匹いると百匹はいるらしいですから」
それだけ言うとロジーは台所の方へと行ってしまった。この世界にも虫に非ずな虫がいるのは意外だ。できれば知らないままでいたかった。
「イッタイなぁ〜。ファムがお馬鹿さんになったらどうするのさ〜?」
「そりゃ良いな。馬鹿な子ほど可愛いって言うだろ?」
「む〜」
文句を言いながらクッキーをボリっと齧るのは食い意地が張りすぎてないかと思う。ルチアといいファムといい、この世界の女性陣は食いしん坊さんが多い気がする。
『まぁまぁハジメさん。私達は子供なんですから大目に見てくださいね?』
「お前は元の世界では成人してたって言ってたじゃねぇか」
『はて? なんのことやら。記憶にございませんね』
随分と頭の都合が良い知の精霊だ。悪知恵の精霊に種族を変えた方が身の丈に合ってる気がする。
「ノウ〜。このクッキーあんまり美味しくないよ〜」
「お前本当に自由気ままだな」
文句を垂れ流しても食の進みは止めない。よほど腹が減っていたのか。
ふと、俺は一つの事を考える。今思えば何故なのかという事柄だ。
「そういやファムはなんでこの調査の人員に含まれているんだ?」
お世辞に言ってもファムは今回の異世界人調査に関してはほとんど貢献していない。やったことはお姫様の友達として一緒に遊んでいたことのみだ。
では、友人枠で今回の任務に就いたのか。それには疑問が残る。なにせ道中はともかくとしてこの魔法都市に着いてしまえばプリシラは魔法学園に生活の場を移してしまう。日中は無論、学生寮に入ってしまえば一日中学園の中にいることになる。
そうなれば、俺達幻想調査隊がプリシラと関わる必要は無くなる。勉強の手伝いをしたとはいえファムはほとんどノータッチだ。行くまでの道中の相手は助かったとはいえ、別に相手は幼き頃から既知の仲であるリーファでも役不足でもない。
俺とジェリコは恐らく情報収集要員。ルチアは持ち前の高い戦闘能力による戦闘要員。ノウは幻想による異世界人特定だ。全員役割がある中で一人だけ、ファムだけがよく分からないのだ。
考えても、考えても、考えても思い当たる節が無いので俺はついにその疑問を本人にぶつけてみたのだ。
「ファムはね〜、アレだよ。ん〜、なんて言うかな〜?」
ボリボリと硬めのクッキーを噛み砕き、咀嚼し、飲み込み、ファムは空になった口で予想外の答えを出した。
「ファムはね、切り札だよ!」
「きりふだ?」
聞いたことのある言葉にも関わらず、俺はその意味を理解するのに時間が掛かった。
「きりふだって言うと……切り札か?」
やっと言葉を理解出来たのだが、まだ理解は出来ていない。目の前のただひたすらにクッキーを貪る子供が切り札というのはどういう意味だ。
『あれ? ハジメさん。なんか揺れてませんか?』
悩む俺を他所にノウがそんなことを言う。ノウの言う通り、確かにテーブルの上のクッキーのカスが小刻みに震えている。
「地震だッ!」
言葉を放つと瞬時に俺の身体は動く。まずは呑気していたファムの首根っこを掴むとノウ諸共テーブルの下に押し込む。次いで台所にいるロジーの元へと駆け寄り、突如の揺れに放心しているその身体を抱き込み、自分の身体で覆い隠す。
【災害とは平穏な時間の終わりのことを云う。それは何の前触れも無く災となり人の害となる】
本格的な揺れ、僅か数秒の揺れだったが中々に大きい。震源地はすぐ近くだ。
「ひ、ヒノモトさんありがとうございます……」
胸の下で呆気に取られているロジーの頭をポンと撫でると俺はすぐさま次の行動に移る。
「ドアを開けて外に出てろ! 俺は屋根の方に行く!」
地震災害の際は建物の建て付けに異常が出る。なので出入口が開かなくなる可能性があるのでドアは全開放するのが鉄則だ。これは自衛官としてというよりも地震大国に住んでいた人間の常識だ。そして全力で階段を駆け上がり、屋根の上へと躍り出る。あの二人は屋上でのんびりと花火を観ていた。今の地震でもしかしたら屋根から転げ落ちたかもしれない。不安が俺の胸を締め付ける。
「ルチア! エレット!」
「ハジメ! 無事!?」
「ハジメさん! ご無事ですか!?」
俺の声と二人の声はほぼ同時であり、同じことを考えていたようだ。屋根の出入口でぶつかるように鉢合わせした俺は咄嗟に二人を抱きしめた。
「無事で良かった! 怪我は無いか?」
コクコクと首が上下に振られる。二人は地震に慣れて無いのか、青ざめた顔に肩も震えている。
「今の地震はデカかったな」
「じしん? 今の揺れはじしんって言うの?」
さも当然のことをルチアが聞く。この世界で地震はあまり起きないのだろうか。震える肩を落ち着かせる為に強く抱き締める。
「は、ハジメさん……あれ見てください。街が……」
エレットの震える声と震える指につられてそちらを見る。そして俺は驚愕の声を零してしまった。
「なんてこった……」
なんてこった。この言葉の意味を俺達は別の意味で捉えただろう。
揺れにより倒壊した家屋。揺れにより混乱する民衆。混沌とした災害の場。二人が感じたのは恐らくそこら辺だろう。
だが、俺が感じたのは違う。
北区。あの巨大なモノが地下深く眠る地。その北区が。
まるで卵の殻が割れ、新たな生命が誕生するその瞬間のように、大きくヒビ割れていたのだ。
まるで、長年の眠りから巨神兵が目覚めるかのように。
まるで、世界が新たに生まれるかのように。
取り返しの付かない事が起きてしまった予感がしたのだ。




