祭真最中
人の行き来が激しいこの広場の中で、こうして長椅子に座って食事出来たのは運が良い。
買い食いした腸詰のソーセージの味もかなり美味であり、小腹をひとまず満たしてくれるほどの量であった。もう一本食べても良いぐらいだ。
「あ、お口の中一杯で……美味しいです……」
「おふ、汁が零れちゃうよぉ……」
両隣からは喘ぎ声に似た艶っぽい声が聞こえてくる。左右を挟んでくる二人の美女は手に棒を持ち、腸詰肉の長い身を頬張っている。
なんといえば良いのだろうか。直接見てしまうと色々と想像逞しくなってしまうので目を閉じて見たのだが、閉じたら閉じたで余計に聴覚が過敏になり、妄想が逞しくなってしまった。
「早いんだね。もう無くなっちゃったの……?」
「早い人……私は嫌いでは無いですよ? ねぇ、ハジメさん」
それはそうだ。なにせ俺は一本しか食べてないのだ。三本も食べる二人と比べたら食べ終わるのが早いのは当然のことだ。
「ふぅ……」
ただそれだけのことなのだが、俺は背もたれに寄りかかっていた姿勢を変え、両肘を膝の上に置き前傾姿勢のくの字に身体を作る。今はとても危ないのだ。それしか言えない。そうとしか言えない。それだけしか言ってはいけない。
「二人共、もっと普通に食ってくれないか?」
あまりにも色々と妄想を沸き立たせるのだ。それは日中の、しかも大衆の前で声で立てて良いモノでは無いのだ。
「それにしても、ハジメってばこんな綺麗な人と知り合いだったんだね?」
さらりとした金髪に胸元の膨らみを見ながら俺に言う。言われてみればエレットは可愛いと言うよりかは綺麗と言った方が合ってるのかもしれない。落ち着きがあり清潔感のある立ち振る舞い。そして出るとか出た身体付き。同じ女性であるルチアがそう言うのだ。間違いは無いだろう。
「そ、そんな! ルチアさんの方こそ可愛くて愛らしいです。ハジメさんってこの方といつも一緒にいるんですか?」
纏めてあると三つ編みに短いスカートを見ながら俺に言う。言われてみればルチアは綺麗と言うよりかは可愛いと言った方が合ってるのかもしれない。活動的であり無邪気な立ち振る舞い。そして若々しい美脚と明け透けな笑顔。同じ女性であるエレットが言うのだ。間違いは無いだろう。
「そうだな。基本的にいつも一緒にいるな。このエレットとは首無し騎士の件で協力して倒したんだ」
何気無しに答えたつもりなのだが、帰ってきた反応はあまりよろしくは無かった。
「ふ〜ん。二人で協力してねぇ?」
「そうですか。お二人はいつも一緒にと?」
なにやら形容し難い、意味深な空気を両隣から感じる。粘り気と湿り気がごちゃ混ぜに交わりあった、ある種の不快や不穏や不安感が語気から感じる。
「ちょっと待って。なんか二人共、怖い感じがするんですけど!?」
殺気なら何度か浴びたことがあるので分かるのだが、今二人から感じる気はそんなモノとは違う。ドロリと煮詰まったコールタールを硫酸のプールに流し込んだような、心身共に害になる空気しか生まない存在。それが二人の言葉の端々から感じ取れる。
いたたまれなくなってしまった俺は両脇を挟まれたままに小さくなってしまった。
「あれれー? ハジメェはそこで何してるのかなー?」
そんな心中を知ってか知らずか呑気そうな声が聞こえてくる。水晶を思わせる透明度の高いまんまるお目々と視線が合う。
「ファム!」
『ノウちゃんもいますよ〜』
ファムの蔓状の髪の毛の中を掻き分けて出てきたのは、知の精霊ノウである。髪の毛の中を進むのは見た目よりも大変なのか、汗をかいてない額を拭っている。
ある意味この二人は精魔祭の主役とも言える。知の精霊様と木の妖精様だ。そしてこの二人は非常に良いタイミングで来てくれた。
「ファム、お前は何してんだ?」
「ん〜? ファムはねぇ、リーファ達とはぐれちゃったのよ〜。美味しそうな匂いに向かって歩いてたらいなくなっちゃった!」
心の中で握り拳を作る。これは幸いだ。本当に良いタイミングで良い理由を持ってきてくれた。
「迷子ってことだな。そしたら俺達と一緒にいようぜ。その方が安心だろ? 一緒にリーファ達を探してやるよ」
ファムに向けてそう言うと、返事を聞く前に立ち上がりエレットのほうを向く。
「悪いなエレット。迷子を保護しなければいけないんだ。またどこかで会おうぜ? ほら、ルチアも行くぞ!」
せっかく会えた美女に別れを告げなければいけないのは少々勿体無いのだが、先程から二人の間に見えない火花がバチバチと交差しているのだ。俺に対して飛ばされているのでは無いのだが、まるっきりこちらを意識して飛ばしているのだ。正直怖い。
この場は一旦離れなければ二人の間に禍根を残しかねない。二人共大事な友人であり仲間だ。その二人が仲悪くなってしまうのは心苦しい。ここはファムを理由にして逃げるのが最善だ。早口でまくし立てたので思いっ切り不自然ではあるが仕方が無いといえる。
【逃げるのは恥ずべきことでは無い。逃げた後に何もしないのが恥だ】
日頃とは違う態度にファムは訝しげな視線を送ってくるが、それを無視し手を引いてこの場から去ろうとする。
「迷子でしたら私も手伝いますよ? 迷い子を導くのは神官の役目ですから」
逃げることは許されなかった。敬虔なシスターからは逃げられない。
立ち去ろうとする俺の手をエレットはすかさず掴む。女性とはいえ第一線で働いているからなのかその力は思っていたよりもかなり強い。
「この子はこんな形でも幻想調査隊だぞ?」
「あのですね。先日にも言いましたけど、私自身は別に幻想調査隊の方を今はもう嫌いではありませんから」
にこやかな笑みなのだが、手を握る力は俺を逃がさないように全く緩めていないのが分かる。否定材料を出しても効果無しだ。
「ハジメさん。せっかく会えたんですから、私はもっとあなたと話をしたいんですよ。ダメですか?」
エレットは本当に美人さんの顔なのだが、このときばかりは否定の言葉を許さない念が全身から滲み出ていた。これ以上は何を言っても無駄だ。それを理解した俺は諦めて腕の力を完全に抜く。
「りょーかい。分かった、分かったから手伝ってくれ。ノウもファムも、ルチアもそれで問題無いか?」
『問題なーしですよ』
「お腹空いたよぉー」
「ハジメがいいなら。いいんだけどさー」
一名が肯定し、一名は自由奔放。一名は納得していないことが顕著に出ているが、とにかくこの場から逃げるのを諦めて大人しくエレットと同行する道を選んだ。
利用する目論見が外れたとはいえ、ファムがはぐれて迷子になっているのは事実。保護者の元へと連れて行かなければならない。
「ほら、どこではぐれたんだ? 案内しろよファム」
「お菓子食べたいな〜」
「買ってやるから!」
心中など何処吹く風。相変わらず自由気ままな調子のファムを先頭に押し出し、歩き出す。
それからどれほど歩いただろうか。祭の中心である広場を離れアリの巣のように入り組んだ路地を通り、また大きな道に出て人混みに流され、子供達が振りまく紙吹雪の切れっ端を頭に引っ掛けたり、時折イタズラ好きの妖精に足払いをお見舞いされたりしながら俺はどんどんと歩いて行く。
「随分とあれだな。本当にこっちから来たのか?」
真っ直ぐに道に沿って進めば良いモノをファムは路地に入るは大通りに出るなど不規則に道を歩いて行く。
「んー、だってリーファがね〜。ぐにゃぐにゃって色んな道を通ってたんだよー?」
言われて俺は振り返り、後ろの曲がりくねった道を見て気付いた。そしてリーファの行動の意味を理解した。
思えばリーファはファムだけでなくプリシラとも一緒にいたのだ。プリシラはただの生意気で素直になれない高飛車少女ではない。グロリヤス国の王女である。本人の見た目の魅力はまだ成長途中だが、その地位は魅力的である。どこかの良からぬ企みをする輩がいるかもしれない。
祭りの喧騒の場を利用する輩が万が一いるかもしれない。リーファはそういった輩を警戒してわざとデタラメな道や狭い路地裏を通っていたのだ。
喧騒の場となる大通りは周囲に不特定多数の人間がいて警戒しにくい。人混みに紛れて襲われたら厄介だ。反対に狭い路地裏なら周囲の人の気配は察知しやすい。襲われたとしても前後の二方向のみである。人混みの多い大通りへ行ったり来たりしてたのは、祭を楽しみたいプリシラの要望を叶えつつ警戒していたからだ。
普段はプリシラ関係に血相を変えるが、直属の護衛に選ばれるだけあって非常に優秀なのだろう。ワガママ王女の手綱を上手く握っている。
「路地裏を通ったのは学生時代以来です」
辺りを見回すエレットはどこか懐かしそうであり、まるで少女のような好奇心が灯った目をしている。
「こんなとこを通るような子には見えないけどな?」
この世界のみならず現代日本でもそうなのだが、一歩道を外れた路地の道とはお世辞にも綺麗な場所とは言い難い。それは大きな街であればあるほど、光が強ければ影が濃くなるのと同じように、華やかな場の裏とは澱んだ気で溢れているのだ。
今は祭が行われているので清掃が行き渡っており綺麗な路地裏だが、平時ではこうはいかないはずだ。
そんな場所をエレットが通っていたとは正直意外に思う。
「私の新たな一面を知れましたね。そうです、私は意外と悪い子なんですよ?」
否定せずに美人な顔にある意味似合わないイタズラ少女の顔で俺に笑いかける。さりげなく腕も組んできて、柔らかい感触が俺の上腕三頭筋を興奮させる。
「ふーん。なによ、デレデレしちゃってさー」
後ろを振り返らなくても分かる。ルチアの刺すような視線を。言葉の端に棘しかない。先端が鋭く研がれた棘しかないのだ。
「え、エレット? 危ないし歩きにくいから離れてくれない!?」
「危ないですか? でしたら、私が転ばないようにエスコートしてくださいね」
顔は澄ましているが当の本人もかなり恥ずかしいのか、耳たぶが真っ赤になっている。
本当に危ないから一旦離れて欲しい。いや、とてつもなく嬉しいのは事実であり、先程から俺の全神経は組まれた腕とほのかに香る髪の毛の匂いを嗅ぐのに集中しているのだが、違う意味で集中している部位が、姿勢を前屈みにしないと本当に危ないのだ。
「んんー? ハジメェ、なんでズボンにソーセージ入れてるの?」
『ダメですファム! そこは触れてはいけない問題ですよ! 子供にはまだ早いです』
前を歩くファムは俺の異常に気が付いたみたいだが、間一髪でノウがそれ以上の行動を止める。
「ナイスだぜノウ。お前が転生者で良かった」
『元の世界で私は成人してましたからね。でも、こんなしょうもない理由で感謝されるなら異世界転生したく無かったです』
ファムの頭の上に乗っているノウは指でパソコンのキーボードをカタカタと打つ動作をする。元々はキャリアウーマンだったのだろうか。
俺の下半身に一度視線を移すと呆れた様子で目を逸らす。俺だって内心喜んではいるが、好き好んでこの場で立ててる訳ではない。その反応は少し傷付く。
「ここら辺は工房地区だね」
地図を片手にルチアは言う。視線が合うとじっとりとした目を俺とエレットの組まれた腕に向ける。
「工房地区ってのは魔法具とか魔結晶とかその他の魔力が込められた武具を作る職人が多く住む場所よ」
鼻をすんっと鳴らせば祭に浮かれた街の香りに混ざって油や鉄の匂いが微かにする。耳を澄ませば人々の喧騒に紛れて金槌で何かを叩く音がする。トンテンカンっと小気味好い拍子だ。
「職人ねぇ。俺の銃を治せる人もいるかな?」
元から使ってた銃の修理はテッドに頼んでいる。今壊れているのは銃床部分だけではあるが、もしも内部の細かな部品が壊れた場合は繊細な技術を持つ職人の手が必要だ。そう考えると職人の知り合いの一人や二人は欲しいところだ。
「あっ、ハジメさん。そこの建物の上を見てください」
エレットが指で示したのは周りの家々よりも一際大きな建物だ。伸びた煙突の長さは異様ではあるが、それよりも乱雑に巻きつけられた祭の装飾が異彩を放っていた。
「デカイな。なんかの工場か?」
「分かりません。でも、私が学生時代の頃は勝手にお邪魔して屋上から祭の花火を見てたんですよ」
今とは違って学生時代のエレットはおてんば娘だったのか。本当に意外な話だ。
「花火なんてあんのかよ。ん? ってことはこの世界に火薬があるのか!?」
火薬がこの世界にあるということは俺にとっては朗報である。
銃の弾丸には火薬が使われる。当然、元の世界にある火薬とは種類も成分も異なるモノだろう。けれども、無から有を作るのは困難だが元々火薬というモノがあるのならば、それを改良することにより現代の技術に近いモノも作れるはずだ。
だが、返ってきた言葉は少々期待と違った。
「かやく……あぁ、火薬ですね。ハジメさんの世界の花火は火薬を使うのですね?」
エレットの言葉にキョトンとする俺。そんな俺を見かねてファムの頭の上にいるノウが俺の腕をトントンと叩く。
『日本の花火と違って魔法による花火なんですよ。火薬はこの世界にあることはありますけど、作られる量が少なく流通してませんしね』
ノウの言葉に俺は少なからず落胆する。この言い方だと火薬は普通の手段では手に入りにくい逸品だということだ。そうとなれば俺の考えていたこの世界での小銃弾の大量生産は希望が薄い。
「ハジメは花火見たことあるの?」
落胆しているとルチアが能天気な声で話しかける。俺が頷いてみせると嬉しそうに頬を緩める。
「いいな〜。私、一回も見たことないからさ!」
「でしたら、あそこの屋根の上に登ってみません? もう少しで昼の花火の時間ですから丁度良いと思いますよ?」
エレットの提案に俺は苦笑いを浮かべる。おてんば娘な提案なのもあるが、それよりも優先することがある。
「あのなぁ? ファムをリーファのところに連れてかないとよ」
「ファムも見たいな〜。ねぇハジメェ? 見てみようよ!」
言葉は途中で遮られる。普段は人を馬鹿にした態度のファムにもこんな子供らしくて可愛いところがあったのか。見上げるその姿は純真無垢で人畜無害な少女そのものだ。
そんな姿で強請られたら俺も頷かざる得ない。
「しゃあねぇな。登るか」
屋根の上に行くのにそんな都合良く梯子や階段が有るわけもない。あるとすれば建物の壁沿いに積まれた木材や廃材の大きな山のみだ。
少しばかり危ないとは思うが、使えないことはない。俺が先に登り上から皆を引き上げるのが一番良さそうだ。
「よっと……ととっ、危ないな……」
不安定な足場。それも当然だ。人が登るために積み上げられたのでは無いのだ。俺は両手でささえながら少しずつ登っていく。
「落ちちゃダメだよ! 私じゃハジメの体重は支えられないからね!」
「ハジメさん! 気を付けてくださいね!」
『良いですよ! あんよが上手、あんよが上手!』
「お腹空いちゃったな〜」
後ろから様々な声援が飛んでくる。いや、後半は声援といっていいのだろうか。
「案外いけそう……おっとっと!? うわっつ!」
その声援虚しく姿勢を崩して山から転げ落ちてしまう。幸いにもそんなに高くは無かったので大して痛くは無い。その代わりに不安定だった廃材の山はその繊細な配置が崩された結果、大きな音を立てて崩れていく。
「あっぶね! 怪我しないで良かったぜ」
背中を摩り起き上がると不意に何かを感じる。
「シンニュウシャ発見。シンニュウシャ発見。ドロボウ。ドロボウ。駆除シマス。排除シマス」
「ひゅい?」
この場にいる誰の声でも無い、まるで合成音声のような無機質な声が聞こえてくる。物騒な文言が並べられており、俺達は顔を見合わせて建物の壁を見つめる。
その壁が突如として崩れる。
「サーチアンドデストロイ。サーチアンドキル。無関係ナ方ハ即座ニコノ場カラ離レテ下サイ」
「な、なんじゃこりゃあ!?」
建物から出てきたのはゴーレムだった。北区の演習場で見かけたモノとは違い、さらに図体が大きく、寸胴型の胴体に丸太を何本も重ねたような巨碗。変わらないのは真っ赤に染まった単眼だけである。
俺は尻餅を着きながらも即座に太腿のホルスターから拳銃を抜き構える。周りのルチア達も即座に戦闘態勢に移行しようとしていた。
だが、その態勢は必要無かった。
「あれれ? ヒノモトさんではないですか。泥棒さんだと思いましたよ」
どこからともなく声が聞こえる。この声は聞き覚えがある。
「……ロジー?」
周りを見渡す俺の目の前でゴーレムの胴体に亀裂が入る。いや違う。元々開く構造なのだ。装甲車のリアハッチのように、ゆっくりと胴体部分開いていく。
その中から現れたのは魔法学園でのプリシラの先生であるロジーその人だ。作業着姿は祭当日でも変わらない。
「わお! 両手に花畑ですねぇ。意外とハーレム好きなのですね!」
頬に付着した油汚れ気にもせず、屈託の無い笑顔で俺に親指を立ててくる。
「ビビらせるなよ。ちびるかと思ったじゃねぇかよ!」
ホルスターに拳銃をしまい、埃を払いながら立ち上がる。そして無邪気なわんぱく少年のような笑顔をルチア達一人一人に向けるロジーに対し、小さな声で毒づいた。




