祭前日
綺麗な空。綺麗な景色。綺麗な空気。現代日本と比べて湿気の少ない環境。元の世界と比べてこの世界が優れているのは何よりも自然だと俺は思う。
自然が織りなす美しさ。それは現代人が忘れてしまった過去の御伽噺。元の世界ではまずお目にかかれないモノがこの世界にあるのだ。
その一つが今、目の前にある。
窓から差し込む朝日に照らされ、紫色の魔法陣が俺の部屋の真ん中に描かれている。そしてそこからは一人の人間の頭部が覗いていた。
正直、自分が驚いていないことに一番驚いている。この世界に来てから不思議なことや危険なことを経験し過ぎてしまって感覚が麻痺してしまっているのか。
いや違う。目の前の光景は一度見たことがあるから驚いていないのだ。
「朝早くから申し訳ありません。ヒノモト殿、お時間よろしいですか?」
「目覚めの一服は朝の重要な儀式だぞ? タバコを吸わない人には理解出来ないかもしれないがな」
魔法陣の中で申し訳なさそうに頬を掻くのはアートマ学園の先生であるアロイスだ。
「中々に緊急事態です。いや、でしたっと言うべきですかね……わりと今も緊急なのですが」
困ったようにも見える眼鏡の奥の瞳が俺に拒否の言葉を出しにくくする。
緊急事態と言われてハイそうですかと二度寝したり朝飯を食べに行ったりするほど俺は他人に無関心では無い。断りの言葉を俺は言わない。それを分かっててアロイスは俺に緊急事態という言葉を言って来ているのだ。優秀な人間とは得てして厄介な時があるから困る。
「……来いってんなら早く言えよ」
「話が早くて助かります。では、来てください」
正直な話。俺はアロイスに着いて行くのに少々の抵抗があった。理由は別に転移魔法が怖いからでは無い。
昨日の夜。男三人での会議が行われた。内容はもちろん異世界人についてだ。
本来ならプリシラの護衛のバルジは異世界人の調査には関係無いのだが、彼もプリシラ不在で暇を持て余していたのか色々と調べてくれていた。主に街の怪しそうな住人についてだ。
一代で若くして繁盛店を築いた武器屋。奇抜な発想の魔法具を作る道具屋。若干十歳にして街の警備隊に入隊した少年。個性豊かなゴーレムを製作する若い女性。その他諸々。とにかく怪しそうな人間をリストアップしてくれていた。ジェリコも同様に怪しい人間について調べてくれていたので様々な意見が聞けた。
ここで一つ。俺以外の仲間が怪しい人物を挙げている。となれば俺も怪しそうな人物を出したくなるのが人の性だ。
そして俺が無意識に怪しいと口にした人物の名前。それが……
「よろしく頼むぜ。アロイス」
雑念が湧くのを頭を振ることで払い、魔法陣に乗る。
途端に身体を包む光。その光が消えると俺の視界は部屋の中では無くなっていた。
湿り気を帯びた洞窟内。暗い視界。吸い込む空気は当然土臭い。そして眼前に存在する巨神兵の頭部と思わしき部分。
「あっ! ヒノモトさん、朝早くからすいませんね」
俺達に気が付いて声を掛けてくるのは後ろ前に被った帽子が似合う女性。ロジーだ。アロイスと同じような文言を言って頭を下げる。徹夜していたのか、汗と土と女性の匂いが混じった何とも言えぬ香りがする。
「気にするな。緊急事態って聞いたが何かあったのか?」
周りを見回して見ても特に変わった様子は無い。荒らされた気配すら無い。
「その……昨日ここに侵入者が来てたらしくて……」
「侵入者が?」
侵入者という不穏な言葉を聞き、俺の寝起きの頭が覚醒する。寝癖が残る頭頂部の髪の毛をガシガシと掻き毟ることによって僅かに残る眠気を完全に取り払う。
「恐らくはこの遺物が目的で侵入者して来たのでしょうね」
ロジーの視線は巨神兵の頭部に注がれる。頭部とは言っても鼻や耳や口があるわけでは無いが、半円の形に大部分を占める十字の深く広い溝。その奥にあるゴーレムの単眼によく似ている物体があるのでかろうじて頭部に見える。
「これを盗みに来たってか? 無理だろ。どんな怪盗だろうとよぉ」
こんなモノ、盗み出せるはずが無い。どこぞのもみあげが似合う大泥棒三世であってもさすがに不可能だと思える。
「ところがですねヒノモト殿。盗まれてしまったんですよ。なので緊急事態なのです」
「盗まれたって……なにを?」
アカデミックドレスの懐から取り出されたのは厚い紙の束。何十枚にも渡るそれをペラペラと扇いでいる。
「この巨神兵……一応、仮の名前として巨神兵オグマと名付けています。この紙の束はオグマの調査資料となっています。これの一部が盗まれました」
「資料が盗まれちまったのかよ。そりゃ重大だな」
情報とは価値がある。それは疑うべくも無い事実だ。
俺がいた自衛隊でも武器の諸元や地図などの資料は保全情報として厳重に管理されている。何故ならそれらは知らない者にとっては欲してやまない資源とも言えるからだ。そしてそれを知られることは自衛隊の損失のみならず国の損失とも言える。
この巨神兵に関する資料だ。これの情報が盗まれたとなれば文字通り大きな事件とも言える。
「この資料が盗まれてしまった件なのですが……良い情報が二つ。そしてとても悪い情報が一つあります」
「なんか嫌な三択な気がするけど……聞かせてくれ」
アロイスが咳払いを一つすると、ロジーが鼻を擦って分厚い手袋の人差し指を一本立てる。
「まず一つ。ゴーレムは破壊されたのでは無くて稼働停止されてました。これは核となる魔結晶に過剰な魔力が注ぎ込まれたせいです。これは常人には無理。到底無理な芸当であり犯人は絞られます」
なるほど。っと納得できる良い情報だ。この情報は犯人を捜す助けとなる。犯人は俺のように魔法が使えない人間では無く、潤沢な魔力の量を持つ人物。それか多人数による犯行だ。
つまりおのずと犯人は絞れる。要は名のある魔法使いが怪しいと言う訳だ。もう一つの多人数の場合も誰か末端の人員でもいいから一人でも捕まえれば芋づる式に片っ端から犯人を捕まえられる。きちんと組織された調査機関に頼めばおのずと犯人まで辿り着けるということである。
「もう一つ。盗まれたのは幸いにもこのオグマの起動方法の資料です」
「それって幸いなのか?」
思わず俺は首を傾げてしまうが、二人の先生はニコリと笑う。
「簡単に説明するならばゴーレムと同じなのです。、内蔵された魔結晶に魔力を注ぎ込むのが起動方法です。この巨神兵ですよ? 普通のゴーレムでさえ数人分の魔力が必要なのに、この大きさを起動するのにどれだけ必要か分かります?」
「この都市で一番の魔力を持つのはラルク学園長。調査によるとその学園長が数十人必要になるほどです。当然、優秀な私でも起動なんて夢のまた夢の話ですよ」
笑う二人を見ると俺も一安心出来る。俺は専門家でも無いし魔法も使えないが、これを起動するのがどれだけ大変なのかは分かった。それこそ宝くじで数億円当てるぐらいの奇跡が無いと無理だろう。
「っで……悪い情報は?」
俺の問いにアロイスはピタリと笑いを止め、鼻の頭を掻きながら真剣な表情に戻る。先ほどまでの空気の差に俺は無意識に唾を飲み込む。
「もしも仮に、万が一にでも起動出来たら、起動出来る手段があるとしたら……この北区は間違い無く瞬時に吹き飛びます」
「っ!?」
物騒な言葉に声を詰まらせてしまう。
「オグマの全長は詳しく教えません。ですがこれがもし、起動したすれば……数える間にこの都市は真っ二つに割れてしまいますよ。それほど巨大なのです。この巨神兵オグマは」
「……そしたら観光の地図が二つ必要になるな」
笑えぬ皮肉は当然ウケなかった。沈黙が流れる場。
「ま、まぁまぁ! 起動なんて無理ですよそんなのありえませんってば! こんなの動きっこ無いですよー!」
沈黙に堪えかねて努めて明るく振る舞うロジーだがその言葉に絶対の信憑性は無い。
何故なら、使えぬモノがわざわざ作られるはずは無い。運用する価値があるから作られるのだ。作ったからには使われるのだ。それが人工物というものである。
ならば、これを作った人物はどのような目的で作ったのか。それは本人不在の現在では文字通り神のみぞ知るというやつだ。
「これが緊急事態でしたの内容です。本来ならヒノモト殿は無関係なのですが、一応お耳に入れておこうかと思いまして」
「そうかい。まぁ、ありがとよ。眠気覚ましにはこの上無いモノだぜ」
俺が知ったところで何も出来ない案件なのだが、それでも知らないよりかは良い。もしかしたら異世界人調査をしていく内にこの件にも関わるかもしれない。
……もしかしたらアロイスはそこまで見込んでるのかも知れないが、一応黙っておく。
「さっ、ヒノモト殿。宿までお送りします。ロジー先生はここに配置するゴーレムの調整をお願いします」
「うへぇ……今日は生徒達のテストを監督しなきゃならないんですよ?」
「テスト終わったら帰っていいですから。給料にも特別手当を弾んでおきますよ?」
給料の話が出た瞬間、ロジーは嬉しそうに握りこぶしを作り上げる。そしてぐるりと大きく肩を回すと腰の作業ベルトからスパナを取り出して意気揚々に歩いていく。
その様子を見守っていると俺の足元がにわかに光りだす。
「それとヒノモト殿。先日は申し訳ありませんでした」
「先日……あぁ、お前がいなかった日か。何かあったのか?」
当然の疑問にアロイスはバツが悪そうに口元を軽く触る。なんとも恥ずかしそうに目を伏せながら答えてくれた。
「家の猫が産気づいてしまいまして……無事に出産したので良かったといったところです」
「……そうかい。おめでとさん」
互いに何と答えるのが正解か分からぬまま転移の魔法陣が展開した。そしてアロイスが手を振ると次の瞬間には俺は元の宿の自分の部屋に戻っていた。
「お見事な手際で」
話題に詰まった場を誤魔化す抜群のタイミングだ。能力が優秀な者は空気を読む力も優秀だ。
感心する俺の耳にドアをノックする音が聞こえてくる。返事をする前に開かれた隙間から覗くのは桃色の髪の毛。
「おはよ〜ハジメ……あれ、今日はタバコ臭く無いね?」
すんすんと部屋の臭いを嗅ぐルチアの行動に俺は大きくため息を吐く。
「……お前らさ。いつもだけどよ。ノックしてるとはいえよぉ。……入ってどうぞの言葉の前に入るのおかしくね?」
「ん。ハジメだからいいかなってさ?」
信頼の証なのかは分からないが、ともかく俺に礼儀は必要無いと思ってるらしい。嬉しい反面、もしも俺が何かしらの行為の真っ最中だったらお互いにとんでもないことになる。
「全く……欠伸ぐらいさせてくれよお前らは!」
「な、何言ってんの? すればいいじゃない」
困惑するルチアの肩を軽く叩き、俺は朝飯を食べに食堂へ向かう。こんなに目覚めの良い日は中々無い。たまには朝から大盛りでご飯を食べるのも良い。
先ほど見た光景と思考した内容はひとまず置いといて俺はただ朝食の良い香りに惹かれるままに歩いていく。




