優秀な人材達
以前と変わらずどこか散らかった印象の学園長室。客人への失礼にギリギリならない程度に片付けられた室内は意地でも整理整頓を嫌がっているという部屋の主の意見が尊重されている。
特に変わった様子は無い中で一つだけ違うモノがある。それは部屋の主が偉そうに机に踏ん反り返っているということ。小さな背丈に短い足を机に乗っけている姿は背伸びしきれない子供そのものだ。
「あー、ハジメっち達があの場にいるのは良いとして。ロジー先生、言いたいことは分かるかな?」
名前を呼ばれてビクリと肩を震わせるとロジーは恐る恐るといったように口を開く。
「はい。オークに対して適切では無い対応をしたからです」
「うん、今回は許そう。だけど、次は許さん」
結局のところ飴玉をあげたことは学園長にバレてしまった。それはそうだ。檻を覗き込んだラルクの目の前でオークは口の中でコロコロと玉を転がしていたのだから。反省した様子で目を伏せて謝るロジー。それとは対照的にぞんざいな態度でいるラルク。
「そんなにアレなのか。事にするほどの問題か?」
子供の外観であるラルクに大人気無いと言うのは思うところがあるが、ロジーが怒られている内容というのはオークに嗜好品である甘味をあげたことについてだ。怒るほどの問題でも無さそうであり、そもそも怒るのならば俺に対して怒るべきだ。
「異世界人であるハジメっちには分からないかもしれないけど、エルフとオークは太古の昔から確執があるのよ」
踏ん反り返している足を降ろすとそれ以上は言葉は続けない。不機嫌そうに腕組みまですると口を真一文字に結んでしまった。
「生息域が近いのです。後は察してください」
ロジーの追加の説明を聞いて俺はやっと頷けた。
ラルクは幼い見た目ながらもしっかりと美が確立されている。正確な年齢までは分からないが、大人の年齢並みの容姿になれば絶世の美女となるだろう。
全てがそうとまでは知らないが、恐らくエルフには美女が多い。こんなヤバイ性格のラルクも顔に捻くれた性格が出てこずに美形なのだから。
齢百を迎える少女。つまりは幼年期が長いということだ。それはそれだけ寿命自体が長いとも言い換えられる。
では、ここで一つの問いと答えだ。
美形で寿命も長いエルフと、どの種族とも子を成せて尚且つ凶暴な性質であるオークの生息域が近い場合はどうなるか。
答えは言わずもがな、形容し難く胸糞が悪くなるような事実だ。先ほど見たような可愛らしいオークの女の子が出来上がるのは道理である。
「言葉じゃ無くて肉体言語って話か。昨夜はお楽しみでしたねと言われた訳だ」
「おっと、ハジメっち。それはエルフの前で絶対に言ってはならぬぞ? くちゃくちゃにされても文句は言えんよ。お口にチャックが美少女ラルク様との約束じゃ!」
少し機嫌が直ってきたのか、軽口を叩いてくる。
「それにしても、ハジメっちはなんで学園に来たのだ?」
指を下唇に押し当てて首を傾けるその姿は黙っていれば可愛らしいものだ。
「聞いてないのか? アロイスに呼ばれたんだが」
「聞いとらん。ロジー先生は聞いとるか?」
「アロイス先生? いや、今日は見てないですよ?」
おかしいなっと首を傾げる。
読んだ側の当人が不在。単なるうっかりならば良いのだが、あの出来そうな男がそのようなミスをするのだろうか。
「ルチアはどう思う?」
隣で喋らずに黙々とお茶請けのクッキーと紅茶を胃袋に流し込むルチアに聞いてみる。
「……ふぇ!? あ、ごめん聞いてなかった。なに?」
「引っ叩くぞテメェこら」
「ちょっ、ふふっ、ハジメぇ食べにくいってば!」
口一杯にお菓子を頬張るルチアの頬をプニプニと指で押す。人が一生懸命謝ったり思考したりしてる横で呑気に甘味を楽しむとは良い度胸だ。
「それにしてもだが、学園に来てくれたのはちょうど良い。ハジメっちに頼みたいことがあったからのう」
「学園長。やっぱり頼むんですか。はぁ、面目無いです……」
指先に感じる弾力と頬を膨らましたままではにかむルチアの笑顔を楽しんでいると、真面目な口調と声のラルクが言う。隣のロジーはラルクが言おうとしていることを知っているのか大きくため息を吐いている。
「頼みたいこと?」
「そう。お主達のお姫様のことでな?」
姫と言われ、思い描いたのは道中でワガママな姿を見せてたプリシテラ姫では無く、先ほどの授業で楽しそうに友達と話していたプリシラの方だ。
意外にも楽しくやっていそうだったが前にいる二人の視線からは何やら不穏な気配すら感じる。
「プリシラに何かあったのか? ……もしかしてよからぬことか……?」
本来の彼女ははこのグロリアス王国の一粒種である姫だ。今はただの一学生として生活をし始めている彼女だが、その素性がどこぞの良からぬ輩に漏れてしまう可能性というのはゼロでは無い。
誘拐。暗殺。物騒な言葉が頭を過ぎる。
いくら護衛がいるとしても、この学園では王都とは違い付きっきりでいるのは難しい。あのリーファのことだから今もどこかで見ている可能性は大いにあるが、監視を欺いて人を殺す手段というのはいくらでもある。
その事実に気付いた瞬間、否応無しにも緊張感が四肢の末端にまで広がる。ジワリと汗ばむ指の湿り気に過敏になる五感。俺の全神経が今まさに開かんとするロジーの薄桃色の唇に集中する。
「プリシラちゃん。成績がダントツの赤点でこのままじゃ祭りに参加出来ないんです」
「……あっ?」
開かれた口から出たのは、自衛隊という社会人になってから久方ぶりに聞く言葉であった。予想だにしない赤点という言葉に理解が追いついたのは、隣のルチアが喉を鳴らして紅茶を飲み干してからだ。
「かてん?」
「あっかてんでは無いです。赤点です。赤の点と書いて赤点ですよ」
ロジーが素早く空中になぞった赤点の文字は当然漢字では無くこの世界の文字であるので俺には読めない。だが、伝えたい言葉は分かる。
「あいつ、頭悪かったのか」
「いや、その、やれば出来る子なのは担任の私が保証します。ただプリシラちゃんはやらない子なので。私をロジーちゃんと呼んでくれる気さくな良い子なのですが。頭が超おバカなんです」
互いにちゃん付けで呼ばれるということは関係性は悪く無いのだろう。成績不良者というのは教える側と教えを請う側の信頼関係の不一致という問題もあるが、この場合は違う。単純にアイツの頭が悪いだけだ。
「成績が悪いとダメなのか?」
「いえ、まだ少年学部なので成績不良で退学とかは無いんですけど……その、定期的に成績表が親元に届くのです」
「あぁ、相手が相手か」
一国の王が自分の娘の成績が悪かったらどう思うか。
直接会って話したこともある俺からしてみれば、賢王ディリーテはとやかく言うような人間には思えない。いや、もしかしたら愛娘に関しては性格が豹変するタイプかもしれないのでなんとも言えないが。
「賢王が何かしてくるとは思わんがな。でも親なら自分の子はお馬鹿さんよりも頭が良い方が嬉しいだろう?」
「そりゃそうだ、馬鹿な子ほど可愛いっていうけどよ。どっちにしろ可愛いなら頭が良い方がいい」
子が優秀なことを喜ばない親はいない。俺は子共はおろか結婚もしてないし彼女もいないがそれだけは分かる。
「一週間後にお祭りが行われます。その前日にテストがあるんですよ。その結果が不良だとお祭り当日の日に補修が行われるんです」
「なんでわざわざ楽しいお祭りの日に補修なんてやるんだよ?」
「簡単に言えば当てつけだのう。ハジメっちも目に見える罰ゲームがあったら全力で回避しようとするだろう? それを見越してこのラルク様が決めたのだ」
偉そうに胸を張り鼻息を得意気に鳴らすラルク。
性格が悪そうな人間が考えそうなことだ。要するに遊びたければ全力で勉強して補修を回避しろと言っているのだ。方向性の怪しいスパルタ教育と言うべきか。
「生徒が補修だと、先生も付き合うんですよ。せっかくのお祭りの日に、朝から晩まで」
ボソッと呟いたロジーの言葉は聞かなかったことにする。
「頼みたいことはそれじゃ。ハジメっちにプリシラの勉強を手伝って欲しいのだ」
言われて俺は困ってしまい、無意識の内に両手の平をラルクに向ける。
「待て待て、俺は文字が読めないんだぞ? それで勉強を教えろってのも無理がある」
文字が分からなければ当然教科書は読めない。教科書が分からなければそもそも試験の勉強を教えることも出来ないのだ。
そんな俺が文字無しで教えられるのは保健体育ぐらいだ。
この異世界で野球や蹴球を教えるのも面白そうだが今回はそれをやる余裕も理由も無いし、やる必要が無い。
「いえいえ、プリシラちゃんは人に教えて覚えるタイプです。何というか根が世話焼きお姉ちゃんなんですよね」
ここ数日の期間でしか接していないはずのロジーはプリシラの性格をそう分析した。
案外間違っていないと思う。なぜなら毒舌無邪気なファムと実の姉妹のように仲良くしている様子を道中で見ていたからだ。その際、ファムに対してプリシラは城の中での生活や学んだことを偉ぶりながらも丁寧に分かりやすく説明していたのだ。
とても楽しそうで微笑ましくあり、その時ばかりはプリシラは本当の意味で王女では無くなっていた。どう説明すれば分かりやすいかを考える。本物の教育を与え、そして受けていたのだ。
姫の本質を見抜くロジー。彼女も優秀なのだろう。同じ先生であるアロイスと違って自分から言わないだけで。
「つまり、アレか? 俺はプリシラ大先生から勉強を教えてもらって勉強を手伝えということか?」
「その通りです! 察しが良くて助かります。私、今回のお祭りは絶対に参加したいのでよろしくお願いします!」
「良い機会だろ? ハジメっちも勉強出来て一石二鳥というヤツだ。私の名案に感謝するのだぞ!」
二方向からの圧に押され頷きかけてしまうが、そこは大人の傲慢な心情がギリギリで顎を引き止める。いくらなんでも一回り離れた女の子に叱責されながら勉強を学ぶのは正直恥ずかしいモノがある。
だがしかし、二人からの笑顔の圧力がYESかハイか了解かOKの四択選択肢しか許してくれない。この状況を打破するにはこの場で唯一の味方である隣のルチアの言葉しかない。
(頼むルチア。異世界人の調査でそれどころでは無いと言ってくれ……ッ!)
「やったねハジメ! ここで勉強して頭良くなっちゃおうよっ!」
包囲網は既に完成していた。
甘いお菓子で餌付けされていたルチアが味方になるはずも無く、無邪気な笑顔の前に俺の念は全く意味を成さなかった。
俺は大きく、盛大に、わざと三人に見せつけるようにため息を長く吐く。肺の空気が全て吐き出されると軽く息を吸い、もう一つ短めのため息を吐き出した。
「喜んで受けてやるよ。けどな、俺の事情も分かってんだろ?」
恨めしく言う俺の言葉を待ってましたとばかりに、ロジーは机の下から分厚い本を取り出した。その本の上に自らの小さな手をラルクが置き、ニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「この学園の現在の生徒と所属する教職員の名簿とそれぞれの情報。そして街の著名人の名と職業のリスト。ふふん、異世界人の調査には役立ちそうだな〜」
「私が調査の人なら喉から手が出るほど欲しいですね。怪しそうな人物のリストアップと好きな人のストーカー行為に最適ですもの。おっと、今のは独り言です聞かなかったことに」
目に見える報酬を出されてしまい、いよいよをもって拒否出来なくなってしまった。二人の悪い笑みが分かりやすいほど彼女らが優秀であることを証明してしまっている。
ここで俺は無意識にまたしてもため息を吐いてしまった。呆れを通り越して尊敬にまで行き、行き過ぎてもう追いかけるのを諦める。そんな気持ちになってしまったのだ。
「個人情報保護法ぐらい守れっての」
「コジンジョーホー……なにそれハジメ?」
「ふ〜ん。知らんなぁ、そんな法律はのう?」
片方は理解しておらず、もう片方は明らかに理解しているのだが、その顔は美少女の顔にあるまじき悪い顔をしてるのでそれ以上は何も言えなかった。
(まっ、イオンをビックリさせてやると考えりゃやる気出るか)
勉強と聞いて休みを惜しまず熱心にこの世界の情報を教えてくれた仮面の親切な少女を思い返す。
ここで勉強をしてあの仮面の中を驚きと感心の表情に変えてやるのも一興だ。喜んでくれるだろうか、それとも僕が教えたかったのにと怒るだろうか。想像するのが楽しい。
「ったくよぉ。ここまで用意されたらやるしか無えじゃねえかよ!」
やらない理由はあるが、それ以上のやる理由がある。
ここまでお膳立てされて拒否するのは機会を逃してるとしか言いようが無い。
俺は机の上に置かれた本を受け取り立ち上がる。ルチアを伴い、この後に控えるプリシラの授業に不安と興味が入り混じった思いで学園長室を後にした。




