即席
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
「おっ? パイセンに南野班長おかえりなさいっす」
「お疲れ様です。どうしたんですか? こんなに寒いのに汗だくで。筋トレっすか?」
暖色の空間に入ると身体から一気に力が抜ける。へなりとしゃがみ、銃を地面に置くと近場の荷物を背もたれにして足を広げ休む。
「敵の歩哨に見つかったんだ。久し振りの雪中全力疾走は丁度良い筋トレだったぞ。なぁ? 日本一」
「うっ、返す言葉も無いですぅ」
俺の不手際により見つかってしまったのだ。文句も弁明もしようが無い。
「戦車も見つけたんだけどよ。俺達が見つかったから予備陣地に移動してるだろうな」
惜しいことをしてしまったものだ。
戦車の所在の座標を獲得していたので後は砲兵に火力要求をして砲弾を降らしてもらえれば敵を戦車陣地ごと殲滅できた。
だが、残念なことに斥候が敵に暴露してしまったことにより敵は陣地変換を行うだろう。座標が割れた陣地ほど良い的は無い。敵もそれが分かっている筈だ。なにせ俺達は部隊は違えど同じ自衛官なのだ。いくら実戦の経験が無いとはいえそれくらいは分かる。
「……明日の陣地攻撃の際は先導する前衛部隊が戦車を見つけるしか無いな。場合によって歩兵火力で撃破する。正直な話、中破できれば御の字だけどな?」
そうなってしまうとその前衛部隊は気の毒だ。なにせ車両や砲兵の援護無しに戦車と戦わなければならなくなる。敵戦車を見つけたからといっても、戦争ゲームのように味方の援護がすぐさま飛んでくる訳では無いのだ。
敵の座標を手に入れ、無線による伝達。部隊長の判断によって作戦を考える。作戦が決まったら各隊に下達する。下達された部隊はその作戦をどう遂行するか瞬時に考え行動する。そうしてやっと前線で戦う前衛部隊と共同して敵を倒すのだ。
どう考えてもタイムラグがでる。そんな作戦を悠長に待ってる間、前衛部隊が戦車と激闘を繰り広げ続ける訳も無い。即ち前衛部隊は全滅。それが確定事項といっても良い現実だ。
「ひぇ〜、前衛部隊の人って可哀想っすね。お悔やみ申し上げますっすわ」
西野が手を擦り合わせて念仏を唱えるとタケさんは呆れたように肩を落とした。
「何言ってんだ。俺達がその前衛部隊の一つだぞ?」
「えぇっ!? ビンボーくじじゃないっすか!
絶句する西野に、西野以外の全員がため息を吐く。
天幕内の一箇所に集積された火器。その中には対戦車火器であるLAMが置いてある。これは西野が携行している火器だ。
つまり、いざとなったら俺達の分隊は敵戦車に緊迫して戦闘を行うという作戦計画なのだ。
「即席の案になっちまうが、後は現地で調整するしか無いな。分かったか西野?」
「マジすか南野班長。そしたら今夜が最後の晩餐じゃないっすか」
「訓練だから実際に死ぬ訳じゃ無いけどな?」
俺の指摘を聞いているのかいないのか、ふらふらと西野は動き出す。そして自分の手荷物を探る。
「最後の晩餐か。じゃあ俺も良いのの出すしか無いっすね」
そう言うと西野は何やら器のようなモノを取り出し、俺達に何か企んでるような笑みを見せた。
―――――
白く沸き立つ水蒸気は頃合いの時を知らせてくれる。器から白蓮のように穢れの無い水がコポリと滴れ、その無機質な銀の肉体を艶っぽく湿らす。
「きたか。この時が」
銀の艶かしい肢体を掴み持ち上げる。ほんのりとした暖かみを手の平から感じ取る。人の心を豊かにする温もり。人肌よりも高温な熱が手を介して身体に流れ込んでくる。
「慌てるなよ。ゆっくり、そう、赤子の玉肌に触れるようにだ」
夜も更けた部屋の中で独り言を呟き、俺は空いている左手で器を取り出す。ポップな文字が書かれた器はこの世界ではまず見かけないモノだ。
器に湯気が立つお湯を注ぎ込み、蓋を閉めてその上に重しとして弾抜きした空弾倉を乗せる。日本の現役自衛官が見たらふざけるなと叱責が飛ぶだろうが、あいにくここは異世界。ここにいるのは異世界にいる自衛官だ。
「三分だ。三分待ってやる」
どこぞのお目々がお留守な悪役が言いそうな台詞を呟き、俺は腕時計のストップウォッチ機能を使う。デジタルの数字が動き一秒毎に時を刻み、約束の時がいつ来るかを知らせてくれる。
ピピピッ。ピピ。
「来たっ!」
瞬時に反応しアラームを止めると俺は器の蓋を外す。ベリベリと粘着剤が剥がれる音がすると共に沸き立つ湯気はなんとも食欲をそそる良き香り。
予め手荷物として持ってきていた割り箸を二つに裂き割り、俺は意気揚々に器の中身をぐるりとかき混ぜる。箸にかかる重量は胃が喜ぶ期待の重さ。箸を一旦器の縁に置き、俺は手を合わせて合唱する。
「いっただっきまー……あ?」
そこで手は止まる。
理由は一つ。僅かに開いている部屋のドア。その隙間から誰かが覗いていたからだ。
「……ルチアだな?」
「バレちゃった?」
ドアがゆっくりと開かれる。髪は普段とは違い桃色の髪を後ろで三つ編みに纏めていており襟首の白が普段より俺の劣情を誘う。夜も更けた遅い時間帯。寝るための準備をしていたのだろうか。
「寝ないのか、もう夜遅いぞ?」
「そういうハジメだって。ん? ……何を食べようとしてるの?
部屋に立ち込める美味しそうな匂いに気が付いたのか、鼻をクンクンと鳴らして俺の目の前に座る。
「お行儀良く正座してもやらないぞ?」
「えー……」
残念そうな声を出されてしまうと言ったばかりの言葉を覆してしまいそうになる。さらに無垢な子供のような眼差しで見つめられると尚更だ。そんな状況で飯をかっ喰らうえるほど俺の神経は図太く無い。
「あーあ、しゃあねぇな。やるよ、食えよ。もう一個あるからよ」
「やった! ふふん! ハジメってば押しに弱いんだから〜」
分かっていてやったとなれば、案外策士な面もあるということだ。渡した器を右手に、渡した箸を左手に持つとルチアは慣れない手つきで中身を食べようとする。
「ところでこれは何て料理なの?」
「分からないで食べようとしたのかよ」
冒険心と好奇心は若人に必要なモノだと言えるが、それにしても見たことの無い食べ物を迷いもせずに食べようとするのは些か挑戦心溢れるといったところだ。思えば初めて会った夜も俺が渡したお菓子を無我夢中で食べていたので食に関しては物怖じしない性格であるのだろう。いや、今更か。
握り締めるように持った箸で悪戦苦闘する様を眺める。黄色い物体、四角い肉のようなモノ、緑が濃いネギ、若干黄色がかった長く縮れた麺をなんとか箸で挟み込み、ルチアは音を立てて汁ごと麺を啜る。
「カップラーメンっていうんだ。インスタントの食品でよ。持ってきてたの思い出したんだ」
リュックサックの中からもう一つ同じモノを取り出すと俺は先ほど自分がやった手順を再度行なった。
装甲車の中に入っていた各隊員の荷物は多岐に渡る。その中の一つであるこれはウェスタこと西野が訓練中の食事として持ってきていたとっておきだ。四個もあったので内二個を拝借したのだ。返すつもりは無い。
(ま、アイツにとっては三十年以上前だから忘れてるだろうしな。バレても俺は先輩だったから役得だしな)
先に言い訳をしといた。
「ハジメも眠れなかったんだね」
使い方に慣れてきたのか、未だ子供のような箸の使い方だが最初よりかは麺を掴む量が増えている。啜る口と掴む手は止めずにそんなことを言うルチアに俺は湯を沸かしながら答える。
「そりゃよ。色々見たからな。はいおやすみなさい! って寝れるほど都合の良い頭じゃねぇよ」
部屋にある湯沸かし器点火用の魔結晶は魔法が使えない者でも扱えるようにボタンを押すと起動するようになっている。誰でも扱える親切設計だ。
今日の昼に見たあれらのモノはこの湯沸かし器のように簡単に扱える親切設計では無い。しかしながら、絶対に使えないという訳でも無い。特に、アロイスが持っていた64式小銃。あれは弾さえ入れれば誰にでも扱える。北区の件でヒュンケルが俺の銃を意図せず射撃してしまったように。
そして、最後に見た巨人の像。無機物ながらまるで生きているようにも感じたあれを見て何も感じない訳は無い。
「怖かったね……本当に……うまく言えないけど、怖かったよ」
一度箸を置くとルチアは口元を手で拭う。お行儀は悪いがそんなことを気にする人間はこの場にいない。
大きなモノとは存在するだけで人に影響を与える。
海を見たとき、山を見たとき、巨大な建造物を見たとき、それぞれ感じ方は異なるが目の前に広がる光景に無心でいられる者はそうは居ない。
「おかげさまで寝れないぜ。こんだけ夜更かしすりゃ当然腹も減っちまうしよ」
湯が沸いたので蓋を剥がして注ぐ。よく分からない銀の装飾がちょこりと為されたポットの口から湯気と共に熱い液体が注ぎ込まれる。後は待つだけだ。
「ねぇ、どう思う?」
そのクエスチョンマークは様々や意味と疑問が混じっているのは分かっている。なので俺は敢えて一つだけ答える。
「ひとまず様子を見よう。学園やアロイスが何を考えているのかは分からないが、異世界人調査に無関係な感じはしない。何かしらの接点はありそうだからな」
この街に来て一番気になった。いや明らかに怪しいのはあの場所だ。現代の火器があれだけ眠る場所に、現代から来た人間が関わらない筈が無い。少なくとも俺がこの街に転移もしくは転生したならば何がなんでも、危険を冒してでも関わろうとする。それだけの価値があるからだ。
「幸いにもアロイスは俺を信用してくれている。明日も学園に来てくれと頼まれたしな」
何やら見せたいモノがあるとの事だが詳しいことは教えてくれなかった。
「ふーん。当然だけど私も明日着いてくよ?」
「構わねぇよ。今度も一人で来いとは言われてないからな」
クスリと笑うと俺はカップラーメンの蓋を外す。先ほど食べそびれた一品の香りを嗅覚総動員で楽しむ。
目の前でスープを飲み干したルチアの物欲しげな視線に負けてしまう前に急いでズルズルと麺を啜る。口の中に広がるのは熱と醤油ベースの汁の味わい。懐かしくもありながら、この世界に慣れた舌にとっては新しくも感じる味だ。
「とりあえずの即席案だがな。後は現地で調整すりゃいいだろ?」
「そだね」
部屋中に充満する良い香りの中、貴重な一品を存分に啜る。小腹を満たす麺の重みと方針が決まったことにより腹がキまった。




