誠意の姿勢
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
「よし。メモ用意」
「了解」
距離にして二十メートル。月に掛かっていた雲が晴れて良好になった視界。その先にあるモノの位置を座標に取る。
無機質な金属の塊。長く伸びた砲塔に角ばった箱状の上部。少々みずらいがそれらは迷彩色で塗られており、雪景色の中では少々目立っていた。枯れ木の偽装は稜線をぼかすことにしか役立っていない。
「戦車だな。それも90式戦車、道産子の鉄馬だな」
「道産子って北海道のアレですよね。俺の同期に出身の人がいるんですけどその名で呼ばれるの嫌がってましたよ」
「お前が北海道出身じゃなくて良かったぜ」
不整地を物ともしない装軌の履帯の跡が陣の奥の方にまで伸びている。状況と地図から判断すると後方の陣地の場所も概ねの予想がつく。
「もう少し近付きますか?」
「いや、いいだろ。これ以上は危険だ」
ここはもう敵陣地内。夜更けの時間で敵陣営も全員が起きている訳では無いが、警戒の人間は当然いる。あまり長居するのはよろしく無い。
「戻るぞ。障害の位置も車両の種類も分かった。後は無事に帰るだけだ」
「了解。軽装甲機動車とか小型車とか何台かありましたね」
伏せていた状態から立ち上がると服に付いた雪を払う。若干湿ってしまったがこれくらいは許容範囲だ。すでに凍え切っている身体にとって差はあまり感じられない。濡れるにせよ濡れないにせよ、早く帰らなければ命の危険があるのは変わらない。
「タケさん。帰ったらコーヒー飲みましょうよ」
「だな。西野がお湯沸かす道具持ってたよな? あれ使おうぜ」
「賛成です。アイツは無駄に良いモノ使ってますからね」
小声でそんな事を呑気に話しつつ帰路に着く。行きに使った道をそのまま使って帰る予定だ。つまり帰り道は安全が確保されてるようなモノだ。
「ハジメ、油断はするなよ? 敗北をする者とは、勝利の味より先に慢心の味を覚える者だからよ」
「分かってますってば!」
一歩。二歩。三歩と。陣の中から離れたときにそれは起こった。
カチリ。
その音はやけに大きく俺の足元から聞こえた。次の瞬間、けたたましい音が夜の空間に鳴り響く。
ブービートラップ。
細い糸などを用いて仕掛けられる罠の一種。子供騙しとも言えるそれは間抜けな兵士だけが引っかかる。
前を歩いていたタケさんは振り向き、まずは俺の足元を見る。次に顔の右側、右目の辺りを見るとため息を吐いた。
「暗視眼鏡は視野が狭くなるって言っただろうがっ! テメェこら日本一ィ!!」
「ヒィっ!? すみませんタケさん!」
俺はすぐさま暗視眼鏡を右目から外してその場から離れる。月明かりに反射した細い糸は肉眼の方がよく見える。
「走れっ! ダッシュだ! 全力疾走だっ!」
「りょ、了解!」
瞬時に響く戦車のエンジン音。ガチャりと車のドアが開く音。雪を踏み締める軍靴の音。様々な音が陣内を鳴り響く。
生きるか死ぬか。情報の確保を掛けた鬼ごっこが始まった。
―――――
ふらりふらりと何がしたいのか、天井からぶら下がってる洋燈は窓から流れる夜風に揺られ同じ道筋を何度も辿る。行ったり来たりを飽きもせず、その姿は良く言えば勤勉、悪く言えば進歩が無いと言える。もっとも、宿屋の照明に進歩が無いと言っても何の意味も無い。
「私が怒ってる理由は分かる?」
組まれた腕。その先の手。指先は小刻みに動き自らの腕を叩くことによって拍子を取っている。トントンと叩く振動に合わせて僅かに桃色の髪が揺れる。ルチアは明らかに怒ってるようだ。
「ハジメ? 私が怒ってる理由は分かる?」
同じ文言を繰り返されるが俺は黙っている。
「ハジメッ! 私は怒ってるって言ってんの! 危なかったんでしょ!?」
正座している俺の肩を掴み、大きく揺さぶる。予想していたよりもかなり力が強い。
「分かってるって! ゴメンよ! 危険があるとは思って無かったんだよ!」
肩を掴んできた手を押しのけ、俺は勢い良く土下座する。日本原産。謝罪の最上級。誠意と謝意合わせ技。謝る気持ちを行動で表す。
「行かなかった私も悪いし、私がいても何も出来なかったと思うけどさ。それでも知らない所で怪我するのなんて嫌よ。でしょ?」
「仰せの通りでございます」
ひたすら謝る俺は反論一つしなかった。こういった場合、下手に逆らわず謝る方が穏便に解決出来るのだ。特に女性は。由紀と幾度となく喧嘩してきた俺の経験ではそれが正解なのだ。
「それで? 学園の人は何を言ってたの?」
「それがよ。かくかくしかじかで色々言われてよ」
頭を深く下げたまま、俺は事の顛末を全て話した。
北区の演習場での騒動の後、俺達は学園に連れて行かれた。二度目となる学園長室。前回と変わらず学園長は不在で今回の件は連行したアロイスが対応してくれた。
まず最初に贈られたのは意外にも感謝の言葉であった。結果的には怪我人は誰もおらず、不正に入った学園の生徒を確保してくれたことは礼を言わなければならないとのことらしい。
アロイスによるヒュンケル達三人組への説教は割愛するが、穏やかな怒りというモノを体現するにはあれ以上のモノは無いとだけ言っておく。解放された後の三人は涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
次にエレットのことについて話し合った。元々二人は互いに知り合いであり、お互いの近況や世間話を交わすと淑女が遅くまでうろつくのは良くないとの理由で帰された。本来ならきちんと礼をしたいところだったのだが、幻想調査隊と教会が仲良くし過ぎるのも角が立つと本人に言われてしまった。けど、いずれこの礼は返したい。
そして残された俺とジェリコ。何が話されるのかと思いきや、茶を出されて少しばかり談笑した後に帰ってよいと言われ、今現在の有様に至る。
「それだけ? それだけなの?」
「疑うんなら反省せずに酒飲みに行ったジェリコに聞けよ。酒臭い息で同じこと言うぜ?」
宿に帰還し、今日の顛末を話した途端にルチアに拘束された。しかも拘束されたのは俺だけである。主張としては危険なことをするのなら私も呼んで欲しいとの意見だ。
「何も無かったんならいいけどさー」
怒りが和らいだ反面、疲れが出たのかルチアは部屋の椅子に腰掛ける。
「いや、何かある予定になっちゃうんだけどさ」
「えぇ……」
あからさまに嫌な顔を俺に向けてくる。普段は幼げに見えるがこういうときだけは大人の渋みのある顔だ。
「実は明日、アロイスが俺に北区へ来てくれって言われててさ」
学園長室から出る間際、俺だけ呼び止められて言われたのだ。別に咎められてるような雰囲気では無かったが、拒否を許さない圧力を感じた。
「……それってエレットって女の人も行くの?」
「はぁ? 何言ってんだ。別にエレットは関係無いだろ? 彼女をこちらの都合に巻き込むのも変だしよ」
「なら、いいけどさ」
何故今エレットの話題になったかは分からないが、椅子に寄りかかり安堵のため息を吐いたのを見るに、やはり教会の人間を幻想調査隊の任務に関わらせるのはよろしくは無いということだろう。
あくまで俺とエレットは個人で仲が良いだけだ。激戦を共に切り抜けた戦友同士だから属する組織の垣根を超えて信頼関係を築いてこれたのだ。
だが、彼女にはこれからも仕事がある。教会からの護衛が来ると言っていたのであまり頻繁に接触はしない方が良い。触らぬ神に祟りなしだ。
「そう、だから明日の情報集めは俺を除いてくれると助かる」
「嫌」
「へっ?」
まさか一文字で返されると思って無かった俺は意表を突かれてしまい、二の句が出てこなかった。ルチアは椅子から立ち上がると俺の方へ歩き出し、次にしゃがみ込んで俺と目線を合わせる。
「私も行く。一人で来いとは言われて無いんでしょ?」
「いや、それは、う〜ん? 確かに言われて無いけどよ。言葉の揚げ足取りすんのはなぁ?
「いいからっ! 私も行くの! いいよね?」
「はい。仰せのままに」
これは逆らうと後が怖くなるので言う通りにするしかない。俺は上官から命令を下達された新兵のように真摯な気持ちで背筋を伸ばす。
「放っとくとすぐ勝手なことしちゃうんだから。私が見てないとダメなの!」
「お前の思いやりが五臓六腑と骨身に沁わたるぜ」
「……ゴゾーロップホォネミ……?」
言葉の後半は首を傾げられてしまったが、ひとまず誠意は通じた。ルチアの許しを得た今、俺がやるべき事はあと一つだけだ。
(腹減ったなぁ)
説教のお陰で食いっぱぐれてしまったお腹の空腹をどうにかすることだけである。




