魔法学園演習場
荒れた大地の中に薄っすらと残る道らしき跡。後ろを振り返り外を見れば華やかな街が魔法都市の名に恥じない祭りを行う準備に駆られ賑わっている。
「夏祭りの季節に訓練やってたのを思い出すな」
夜の山中、蒸し暑さと羽虫との格闘により疲労した身体に響く打ち上げ花火の音。外界と断絶させられた感覚に陥るそれは、この魔法訓練を行う演習場でも似た何かを感じ取れる。
「ハジメさん。その魔結晶は絶対に離さないで下さいね? ゴーレムに侵入者と間違えられて襲われます」
「了解っと」
迷彩ズボンのポケットの中から黄色い色彩の石を取り出し異常が無いか確認する。
これは北区に入る際、入り口の警備員から渡されたモノだ。この魔結晶に込められた特殊な魔力の有無で警備のゴーレムは不審者を判断しているとのことだ。
「いや〜、なんか荒地ばっかだね? 遠くの方には林が見えるけど」
只でさえ細い目をさらに細くしてジェリコは遠くの景色を眺める。目線の先を双眼鏡で確認してみると確かに荒地の黄土色の中に木々の緑色が見える。
「あちらは身体強化や探知とかの魔法の演習場ですね。術者が障害物の中どれだけ動けるかとか、生物探知とかを試せる場所です」
「へぇ、さすが良くご存知で」
次にエレットは違う方向を指差す。指された方向を双眼鏡で眺めるとそこには大きな石の塊が大量にある。そのどれもが砕かれたり何かに穿たれたような丸い跡だったり、様々な破壊の痕跡が残っている。
「あちらの方角には攻撃魔法の演習場があります。何を的にしてるか分かりますよね?」
「青春時代の黒歴史とかか?」
「ブッブーです。大きな石材とかですよ? 何言ってんですか」
頬を膨らましてむくれるのがとても可愛い。ついイタズラをしたくなってしまうが、これ以上やってしまうと嫌われかねないので止めておくことにする。
「ハジメちゃん、ちょっといいか?」
肩を掴まれて道の端に引っ張られるとジェリコはそっと俺に耳打ちする。
「中に入れたはいいけどさ。どうする? あの子がいると調べ回れないじゃん」
エレットの助けにより北区の中に入る目的は果たした。だが、本来の目的である調査についてはそのエレットが邪魔となってしまう。
この北区内に怪しいモノが無いかを調べなければいけないのだが、俺達が移動すればエレットも付いてきてしまう。かと言って別行動を取ろうとすればさすがに不審がられてしまう。さらに言えば俺達が入れているのはエレットが信頼されているからであり、警備のゴーレムは誤魔化せても巡回する警備の者にはあからさまな不審者として捉えられてしまう。
改めて、この任務はある程度の機密性が求められている。思わぬところから情報が漏れる恐れがあるのだ。そう考えると敵対に近い関係の組織の人間であるエレットにここまで協力してもらっているのはギリギリアウトな状況といえるのだ。
「ハジメさん。何か気付きませんか?」
「ひゅい!? な、何が?」
内緒話をしている最中に声をかけられ、俺は吃驚して変な声が出てしまった。その反応に逆に驚いたエレットは少し引いている。
「何がって、えっ、分かりませんか? ……あまりにも自然ですかね?」
俺以上に戸惑いを見せるエレット。しばし悩んだそぶりを見せた後、胸元の山の間から蒼い宝石が付いたネックレスを取り出した。
「ハジメさん。私、貴方の言葉が分かるんですよ。そして私の言葉も分かりますよね?」
当たり前のことをエレットは宝石をチラつかせながら嬉しそうに話す。
一体何を言いたいのだろうか。相手の言いたいことが理解できないほど俺は空気が読めない訳では無い。っと思いたい。
何か気が利いた言葉でも言えれば良かったのだが、いかんせん俺の意識は胸元のネックレスではなく本体の胸にばかり気を取られしまっている。
「これアレなんです。人語翻訳の魔力が込められているんです。だから私達はお互いの言葉が通じてるんですよ! もうハジメさんの魔結晶を交代で持つ必要は無いんですよっ!」
胸と声を同時に弾ませると大きな胸も揺れる。見事な眺めを堪能しつつも、俺はようやく意味を理解する。それは同時に大変申し上げにくい話でもあった。
「あのなエレット。一ついいか?」
「はいどうぞ、お好きな言葉で言って下さい!」
なんでも来いとばかりに柔らかい胸を叩いている。
「俺の魔結晶さ。翻訳の魔力が込められてるらしいじゃん。そんでもってこの前の任務で正式な隊員になったから改良されたのよ」
「つ、つまり?」
エレットの顔から嬉しさが消える。
「俺の言葉は誰にでも通じるし、俺は誰の言葉でも理解出来る。エレットのそれが無くても普通にお話し出来るんだよ」
「……」
遂には黙り込んでしまった。目線がかなり泳いで明後日の方向にまで行ってしまっている。
「べ、別に、私はその……ハジメさんとお話するためだけに大金払って買った訳じゃありませんよ!」
自分に言い聞かせるように彼女は大きな声を出し続ける。
「えっと、そうだ。アレです。今度北部に行くから少数民族の方と話すために買ったんです! 高かったけど仕事のためですから無駄遣いじゃありませんからねっ!」
「そ、そうか! そうだよな?」
「そうですッ! は、早く行きますよ! もう……」
足早にエレットは前を行く。言い訳のような言葉だったが理には叶っている。
そもそも俺もこの街で会うとは露とも思っていなかった。出会いは単なる偶然。そこでエレットが偶然にも翻訳の魔結晶を買っていたというだけだ。
俺のために買ってくれたと考えるほど、頭はご都合主義ではない。正直、もしそうだった場合は悶えるほど喜ぶ自信はあるが。
「んっ!? 待てっ、エレット。ストップ!」
「はぇ?」
道を歩いていると不意に視界の端に何かを認め、俺は瞬時に全力疾走してエレットの両肩を掴み歩みを止めさせる。そしてすぐさまその場に伏せさせる。座った瞬間に漂ってきた香水の匂いが心地良い。
「ハジメちゃん。心配しなくていいっぽいよ? ただの警備ゴーレムだ。危険は無い」
咄嗟に動いた俺とは対称的にジェリコは微動だにせず、荒地の岩陰から出てきた存在をのんびりと眺めている。
「ゴーレムか。近くで見ると結構大きいな」
身長百七五センチの俺が見上げる存在。二百センチはゆうに越えてる。石造りの剛腕は攻防兼ねているのか半円状のカバーに先端には太い突起が付いており、シールドクローと呼ばれる武器に酷似している。足元も太く丈夫な作りであり、おそらく軽自動車ぐらいなら正面衝突しても耐えるだろう。
頭部の単眼は緑色に光り、俺達の方を数秒見つめた後に興味を無くしたのかどこかへ歩き出す。
「ハジメさん、大丈夫ですよ? 正規の手続きを済ませていれば襲われることは無いです」
神官服に付いた砂埃を手で払いのけ、咄嗟に押さえつけられことにより乱れた髪の毛を手櫛で整える。
「ごめんな? 安全だと分かっていても急に出てくるから吃驚しちまった」
「ハジメさんら怖がりですからね。不死者との戦いのときも少し怖がってましたよね?」
「バレてた?」
「えぇ。私はよく見てましたので」
隠してるつもりだったがまさかバレているとは。虚勢を張ったのが見抜かれるのは決して気持ちが良いモノでは無い。むしろエレットのような可愛くて性格の良い女性に気付かれてしまうのは男としてちょっと思うところがある。
「あのゴーレムの単眼の色は警戒状態を示していますので参考に。緑は安全、黄色は警戒、赤は戦闘モードで危険。近くにいると巻き添えを喰らいますので離れた方がいいですよ?」
「へぇ〜。信号機のサインみたいだな」
「しんごうき? よく分かりませんがそんな感じですね」
言葉は通じても現代にしか無いモノは通じないようだ。ルチアと話すときも度々首を傾げられるので無意識の内に俺は言ってしまっているようだ。なるべく注意しなければいけない。
「……エレットちゃーん。赤ってさ、あんなのかな?」
珍しくあまり喋らなかったジェリコが何か信じられないモノでも見つけたのか、半ば放心したかのような力の無い声を出している。何事かと思い視線を辿って見ると先ほどの警備ゴーレムがこちらを振り向いていた。
「……赤だ」
「……真っ赤ですね。初めて見ました」
離れた場所にいる先ほどとは違うゴーレムが不審者を見つけたかのようにこちらを向いているのだ。その目は蛍光塗料をぶち撒けたかのように赤く光っている。
そして次の瞬間。ゴーレムは巨体に似合わない素早い動きで俺達に向かって全力疾走してきたのだ。




