情報の価値
〜〜一年前。冬。演習場にて〜〜
指先に触れる鉄刺の糸。手袋越しに伝わる無機質な温度は全てを傷つけなければ気が済まないのか、弱者を飲まんとする蛇の牙が如く鋭い。
左右を見ても末端は見えず、夜の雪景色に溶けていき行方知れずだ。もしかしたらこの世の果てまで続いているのかもしれない。世界を一周する大蛇。そんな空想をするのも悪くは無い。
「あっちの方にまた別の鉄条網が張ってあったな」
「そうですね。ってことはどこかに側防火器が置いてありますね」
「対戦車火器もな」
「ですね」
タケさんは地面に完全に座り込み手元で何かを弄っている。一目見るとスマートフォンにも似ているその小さな機械の正体はGPS。現在地の座標を送るための機械だ。
「ハジメ、筆記用意。今から言う座標メモっとけ」
「了解」
素早く胸元から防水紙のメモ帳を取り出し、タケさんが言う六桁の数字を書き残す。多少の明るさはあるとしても、月明かりが雪に反射している光では手元の文字までは鮮明では無い。ペンを滑らせる感覚だけで正確に書き込まなければいけない。この氷点下の寒さの中でという条件で。
「次行くぞ。できれば敵の車両の種類ぐらいは確認したい」
「了解」
脊髄反射と言えるほど返事の声は即座に出る。これは長年の信頼関係があるからこその話だ。この人の言うことなら納得できる、信頼できるという確固たる関係を築いているからこそ迷いなく従うことができるのだ。
「戦車なのか、装甲車なのかそれによって変わるからな」
戦車主導の部隊ならばこちらも戦車をぶつけるしかない。その際に俺達歩兵が相手をするのは戦車ではなく随伴歩兵だ。
もちろん対戦車火器を所持した隊員は戦車に対して指向する。しかし戦車を仕留めるのはあくまで戦車だ。航空機があればまた別だが今回の演習では味方部隊にヘリ等の航空戦力は無い。
戦車とは戦場において強力な存在だ。堅固な装甲。人体など木っ端に吹き飛ばす火砲、瓦礫の山をものともしない走破能力、そして圧倒的な威圧感。砲迫による制圧射撃が神の雷ならば戦車は神の鉄拳だ。標的として定められてしまえば死を覚悟するしか無い。
そんな戦車が恐れているモノがある。それは同じ戦車でもなければ爆撃機でも無い。俺達歩兵だ。
機動力、破壊力、防御力、全てが人よりも勝る戦車だが弱点として視界の狭さと小回りの利かなさがある。図体のせいで動きに融通が効かない場合があるのだ。
一方で歩兵は地形地物を利用し自己を隠匿することができる。建物が密集する市街地や樹木生い茂る森林内では歩兵の独壇場だ。
人が戦車を恐れるのと同様に戦車も人を恐れている。
それは神を殺すのは神では無く人間であるという古代の神話にどこか似通った趣が感じられる。
しかし、ここまでの話はあくまで戦車が相手の場合だ。装甲車や軽機動車の場合は異なる。
戦車とはまた違った能力。装甲車や軽機動車は対歩兵戦用の武装を主としているモノが多い。取りまわし容易な軽機関銃、強大な破壊力を持つ重機関銃に面での制圧能力が高い擲弾銃はその最たるモノだ。対装甲破壊力よりも人員を排除するのに特化している。無論、戦車にも重機関銃はついているが前述する機動力を鑑みて装甲車のとかの方が脅威になる場合がある。
故にタケさんの言う通り、敵の戦力が戦車なのか装甲車等なのかを判明させなければならない。そしてそれを調べるのが今の俺だ。斥候だ。
「待てっ。ゆっくり伏せろ」
鋭い声に俺は反応する。タケさんがゆっくりとしゃがみこむのに合わせて姿勢を低くする。辺りは風の音だけしか聞こえない。
「……」
「……」
黙り込むタケさんに習い、俺も一言も声を発さない。数秒ほど沈黙の時間が続く。
「敵だ。距離にして百五十。足音からして二名。恐らく動哨だな」
俺の五感では敵を捉えられない。だがタケさんには敵の存在がハッキリと分かるようだ。
銃を握る手に緊張感が走る。冷え切っていた背中の体温がにわかに熱を帯び始め、足先の冷えも忘れてしまう。
「敵の陣地はすぐそこだ。もっと情報を集めに行くぞ。どんな些細な情報でもそれは俺達の武器になる」
―――――
「情報の共有だな」
今日の朝食は角切りキャベツにベーコンエッグ、コーンのスープに蒸したジャガイモ、湯気が立つ食パンの切れ端にバターを塗りたくるというご機嫌な食事だ。喉を潤す水の冷たさは程よく目覚めの一杯にはもってこいの一品。
「飯食いながら仕事の話をするのはよォ。お行儀悪いぜハジメちゃん?」
「そりゃ日本の話だろ。ここは異世界だぜ?」
「こいつは一本取られた。あいにくホームシックなモンでね。ラーメンと缶コーヒーが恋しいぜ」
「良いねラーメン、一周回って醤油が好きでな」
今日は珍しく朝の食事の場に顔を出しているジェリコが俺に苦言を呈す。苦言に対して屁理屈で返すと呆れたように首を振りベーコンエッグを一口で頬張り咀嚼する。
「上流階級ならば口に物を入れて喋るのはマナー違反。ですが我々は別に貴族ではありませんからね」
意外にも俺に同調するバルジは綺麗に食器を扱い角切りのキャベツを口に運ぶ。
「私は気にしないよ? 楽しく食べた方がご飯は美味しいもん!」
分厚く切り落とされた食パンにルチアは大きな口でかぶりつく。よく焼かれているのか、サクサクとした音が口の中から聞こえてくる。
「異論は無いな。あれ、ノウとファムは?」
「あの二人は幸せそうに寝てたよ。お腹撫でてもほっぺたツンツンしても起きなかった」
「後半は聞かなかった事にするからな?」
頭の中でリーファが楽しそうにファムのお腹を撫でくりまわす図を想像する。字面で見れば微笑ましいが、昨日の暴走しかけた件を考えるとちょっと引く絵面が浮かぶ。
「まずは俺からだ。っても二、三日じゃ大した情報は無い。強いて言えばこの街は超楽しいってぐらいの感想だな」
「ダメじゃんハジメちゃん。旅行じゃ無いんだから!」
正直過ぎる俺の言葉にジェリコはすかさずつっこんでくる。
「そう言うジェリコはどうなのさ。いっつもお散歩ばかりじゃない? 朝ごはん食べてるの珍しいもん」
「ふふん。ルチアちゃん、ジェリコさんを甘く見ちゃダメだな〜。このあま〜いリンゴよりも甘いなぁ」
「ねぇ、そこのナイフ取って。お肉が足りないから尻尾切って焼肉にする」
手渡されたナイフを強く握り、剣に見立てて素振りをする。食器とは思えない風切り音はルチアの剣士としての技量の高さを物語っている。それを見たジェリコは呆れ混じりの愛想笑いを浮かべるが、尻尾を股の間に素早く挟んだのを俺は見逃さなかった。
「ジェリコさんはただ遊んでた訳じゃないよ! これ見てくれるかな?」
一体どこに隠していたのか、取り出したのは小さく折り畳まれた紙。何度も四つ折りに畳まれたそれをジェリコは長い爪の先で器用に開くと、現れたのは一枚の地図であった。
「なんだ地図かよ」
「なんだとはなんだよハジメちゃん。まぁいいや、よ〜くこの地図を見てみな?」
言われた通り、身を乗り出して覗き込むと紙の上には建造物の絵やミミズがのたくったような文字列が書き込まれている。パッと見では特におかしい箇所は無い。
「う〜ん? 特におかしいところは無いよね?」
一緒に覗き込んだルチアも俺と同様の意見なのか、自信無さげにリーファを見上げ同意を求める。求められた本人は地図を一度も見ずに鼻から血が出ないように押さえて頷く。
「むっ? ほう、ジェリコ殿はこれをどこで?」
頭を悩ませて一生懸命考え込む俺達よりも先にバルジは何かに気付いたようだ。目尻の深い皺の隣で眼光が好奇心と共に輝く。
「ひ、み、つ! 良い男には秘密は付き物よ? お爺ちゃん!」
「いいから早く教えろよ。お前が屋敷の部屋に隠してる春画の好みを皆に教えるぞ」
「なっ!? ハジメちゃんそれはお口にチャックで秘密にしといてェッ!」
慌てるジェリコは俺の口を急いで塞ぐ。押さえつけられた手の先は尖った爪であり、故意にせよ無自覚にせよ、俺の頬に痛みを与えて食い込む。
「これは街の地図です。ですが、観光用の地図ではありません。街の開発に関する地図ですね」
懐から取り出した眼鏡をかけ、目を細めるバルジはこの地図をさらに食い入るように覗き込む。俺も同様に目を細めて穴が空くほど覗き込むが、いかんせん文字が読めないので詳しい事は分からない。
「文字は読めなくても方角ぐらいは分かるよね? ハジメちゃんコンパス持ってる?」
「ああ。ちゃっちいヤツだけどな」
腕時計を外し、ベルトに付属品として付けているコンパスを取り外すと地図の上に置く。
置かれたそれと地図をジェリコは長い爪先で細かく位置の調整する。方位磁針の赤い針先が大量の文字書かれてる一点を指し示す。
「ある情報提供者によるとこの街の北区では遺跡の発掘を行なってるらしいんよ」
「遺跡……?」
俺の頭の中で想像する遺跡は鬱蒼とした森の奥深く、蔦に覆われた入り口に侵入者を拒む罠が満載。最深部には神秘的な力を秘めた髑髏の水晶が鎮座しており、それを取ってしまうと遺跡中の罠が一斉に起動し最後には爆破されるというなんとも海外映画な図を想像してしまう。少なくとも街中に遺跡があるとは到底思えない。
「ハジメちゃん絶対アレでしょ、どっかの考古学者を想像してるでしょ?」
「ムチは使ったこともないし、使われたこともないな」
「んー、なんの話をしてるの?」
「なんでもないさ」
現代人の一部にしか伝わらない内容が異世界の人間に伝わるはずは無い。はぐらかした俺の態度にルチアは首を傾げつつも食事を続ける。
「書かれてる内容を見るに、異世界の遺跡らしいですね」
一人地図の読解を進めていたバルジは小さな文字を見続けて目が疲れたのか、目頭を指で押さえている。疲れ目を感じる仕草だが刻まれた皺とは正反対に眼の中は子供のような好奇心が満ち溢れている。
「王国の兵士ではなく、魔法使い達が主導で遺跡の発掘をしてるみたいですね。これほどの機密事項、ジェリコ殿は本当にどこで手に入れたのですか?」
問いには答えずジェリコは指を一本立ててニヤニヤと笑うのみである。
「魔法使い主導でねぇ?」
魔法使いと言われて想像するのは二人の魔法使い。変人ラルクと学園の先生であるアロイスだ。二人共どこか怪しい所があった。
「うし、調べに行くぞ。ジェリコは案内を頼む」
「え〜、野郎とデートなんて嫌だなー」
足をめいいっぱい伸ばし、嫌がるジェリコの椅子を軽く小突く。ガタンと音を鳴らして姿勢を崩しかけるジェリコは渋々といった表情を見せる。
「言っとくけどハジメちゃん。この街は北方将軍の管轄地だけど、実質支配してるのは魔法使い。いくら幻想調査隊が国の機関であってもなにが起こるかわかんないからね? 最悪捕まっちゃうかもだからね?」
「そん時は脱出マジックでもやってやるよ。おひねり頂けるかもだしな?」
呆れるジェリコと意味を理解していないルチアを他所に俺は飯を口の中に掻き込む。
集めるべき情報が見つかった。ならばたとえ危険があろうともその情報を手に入れる。それが偵察の任務を帯びた者の心構えだ。
(どんな小さな情報でも、それはやがて俺達の武器になる。ですよね?)
師とも呼べる先輩の言葉を胸に刻み、口の中に入れた食事を一気に胃袋の中に押し込んだ。




