童心我還
言うなれば少年が夏休みに作った秘密基地。頼りない外壁。利便性など思考の片隅にも置かない、建物を支える為だけが目的の大黒柱。とりあえず上に乗せて雨風を防ぐだけの木板。簡素すぎる作りとは打って変わって、そこら中にばら撒かれた宝物の数々。軋んだ音を立てる床の木目は得体の知れない液体で不規則な模様が描かれている。
「ぼくがつくったさいこうのひみつきち! ってか?」
これが小学校低学年のわんぱく少年が作ったのならば見事だ。千円札を渡して好きな物を買いなさい、と言ってその努力を労ってあげたい。だが、悲しいことにこの今すぐ崩れ落ちてきそうな建物こそが俺とルチアの初デートの場所になるのだ。
「崩れないよな? 大丈夫この床、ギシギシ言ってるけど? 俺結構体重あるんだけど? ねぇ、平気? ねぇ、ルチア? ねぇ、聞いてる?」
「平気だってば! ねぇねぇうるさいよ!」
何度も心配そうな声をあげ、先を歩くルチアの袖を引っ張る俺は歩みを進めるごとに軋む床の音にビビっていた。引っ張られた袖を面倒くさがりつつも、払おうとしないルチアは俺の姿をどう思っているのだろうか。
「ここはアレなんだってさ。クラフおばあちゃんの親友がやってる店なんだよ?」
「あの婆さんの親友かよ!? そんなん絶対ヤバイ奴じゃん!」
今にも戸棚の陰から顔が半分崩れた西洋人形や、顔の無いのっぺらぼうが出てきてもおかしくは無い。戸棚に貼られた東洋風のお札を、指が触れるか触れないかギリギリの所で逡巡しつつ、この店の事をそう評価する。
「……わぁッ!」
「ひゅアッ!? 脅かすなよルチア! この、バーカバーカ!」
「だってー、ハジメってばずっとオドオドしてるんだもん! そりゃ悪戯したくなるよ!」
「おまっ、お前っ! やっていいことの場所とタイミングがあるだろ!」
抗議の声はどこ吹く風。ルチアはクスクスと悪戯っぽく笑うとそのまま店の奥へ歩いて行く。俺は指に触れてしまったお札のヌメリとした触感を忘れるべく、迷彩服のズボンに指を擦りつける。
「ん〜? 誰も居ないね。出掛けてるのかな?」
中を見回しても店の者がいる様子は無い。あるのは暗めの室内を淡く照らす洋燈の灯りと蓋の無い樽に詰め込まれた杖の束。所々にある書物は意外にも埃一つ被っていない。乱雑な物の置き方のわりには清掃が行き届いており、綺麗好きなのか適当なのかこの店の主人の人柄は想像し難い。
もっとも、偏屈な毒吐き婆さんであるクラフの友人だ。会わなくてかえって良かったのかもしれない。
「あっ、いた」
「いるのかよ」
どうやら俺の願いはいつも空振りしてしまうらしい。
ルチアの声がした方向へ歩いて行くと、そこには床におびただしいほど積まれた本の山があった。一つ一つが何度も読み返しているのだろう。指の脂や垢が本の表紙やページに染み込んでいるのが暗めな室内の中でも分かる。
本というものは過去の歴史を未来に伝える役割を持つ。そしてそれは現在を生きる者が読み、今を生きる知恵にする。知恵を識ると書いて知識と読むように、それはかけがえのない、形の無い貴重品なのだ。
「ぐがぁ……ウュゴッ!? ……ZZZ……」
その貴重品の上で金髪の少女がヘソを出して寝ていた。遠慮も羞恥心を微塵も感じさせない大きなイビキを立てながら。
腰まで伸びた長髪。手入れをすれば満月も恥じらう美しさを醸し出す。だが、残念な事に乱雑に纏められた髪は枝毛が目立つ。
珠のような白い肌。手入れがされていればあの冬の日見た銀世界が思い起こされただろう。だが、残念な事に暗い室内も相まって肌荒れが目立つ皮膚は雪景色というより荒野の平原だ。
長めのまつ毛は開墾地にポツンと立つ枯れ木の様に所々長短が有り、香り立つ匂い天使の霞では無く、遊び疲れた子供が湯も浴びずに寝た様な独特の汗臭さ。
「何だこのホームレスは? 家の中で遭難してるのか? ここは新宿繁華街じゃねぇぞ?」
素材は一級、加工は三流の調度品を見た気分だ。高級懐石料理にマヨネーズを一本まるごとぶち撒けたかのような、怒りを通り越してもはや落胆の意すら感じる。
「ラルクさん! ルチアです、起きてください!」
「……んご? ゲフッ!? ゲホッ!? ヒック……」
ラルクと呼ばれた金髪ホームレスはルチアの呼びかけに咳としゃっくりで答える。出された吐息は酒臭く、幼女の見た目のはずなのに哀愁混じりの加齢臭すら錯覚させる。
「おおっ! ルひぃ……、あぐ!? むう……ペェッ!」
「うわっ!? 汚ねえな、何だこいつは!」
回らない頭で知り合いの名前を呼ぼうとしたのは良い。だが許せない事は、自らの長い髪の毛を寝ている間に食ってしまっていたせいで発した言葉は聞き取れず、尚且つ取ろうとした勢い余って客に唾を吐きかけた事だ。
「おいルチア。こいつァ本当にヤバイ奴じゃねェの?」
元の世界ならば親指を下に向け、中指を立てて店を後にする。捨て台詞を吐き捨て近場の洒落た店でアルコール入りの炭酸水でも飲みに行く。
入って数秒で退室。それ程迄に最悪な接客対応なのだが、今回はルチアとのデートであり、また、俺がこの街の雰囲気を感じ取りたいと言った手前、ここで回れ右をするのはどうにも格好がつかない。
「ゲホッ、ゲホッ。ふぃ〜昨日飲み過ぎちゃったかなぁ?」
咳き込んで垂れた涎を乱雑に腕で拭き取り、非常にもっさりとした動作でラルクと言う名の見た目は幼女のホームレスは立ち上がる。そして俺とルチアを交互に見やると何かに気付いたのかニヤリと頬を緩ませる。
「何だいルチアっち? 隣の迷彩筋肉ダルマとデートかい?」
開口一番。軽い口調からの言葉はまさかの俺への悪口で始まった。
ルチアが質問に対してにこやかな笑みで頷くのを見ると、俺への悪口や戯言や狂言も聞き流せる気がする。
「ええっと、俺は迷彩筋肉マンじゃなくて、ひのもと……」
「ところで、話は変わるけど……」
礼儀として自己紹介をまず行おうと思ったのだが、それは酒灼けをしたいがらっぽい声で遮られる。湿った咳を吐き出し一呼吸の間をラルクは置く。
「逞しい男の象徴と豊満な女の象徴が生える薬、作るならどっちが良いと思う?」
「こいつマジもんのヤバイ奴じゃんッ!」
純真無垢な幼女の顔で、まるで新緑の季節の晴れた空模様のように、曇り一つ無い澄んだ笑顔でそんな言葉をのたまった。
少なくとも今の言葉は公衆の面前で言っていい言葉では無い。さらに言えば知り合いの初デートに贈る言葉では絶対に無い。
「う〜ん……よく分かんないなぁ。ハジメはどう思う?」
「バッカァッ! 真面目に考えんなって!」
今の質問がどれほど馬鹿らしく、下ネタ的な事なのかルチアは分かっていないようだ。
(そういうところが可愛いんだけど、今はやめてくれッ!)
天真爛漫や純真無垢。本来なら可愛い女の子に当てはめたい四字熟語だ。そしてルチアはそれに当てはまる。
それは男の俺からすればとても喜ばしい事であり、自分の役得だと思ってもいいモノでもある。
だが、実際に目の前で交わされた言葉を見るにそれらの全てが良い事という訳でも無いのが分かる。
「分からぬか? なら、感覚消失薬と感度を数百倍にする薬はどう?」
「黙れクソ餓鬼! ルチアに変な事を吹き込むな!」
頭をかしげるルチアはそれがどのような意味を持つのかまでは理解していないように見える。不可思議な顔のルチアを他所に、俺は続きの言葉をラルクが吐き出す前に詰め寄りその身体を宙に持ち上げる。
「クソ……餓鬼? この私に向かって何だこの筋肉野郎ッ! 開発されたいか!」
暴言を吐き、にわかに金髪が逆立つ。襟元を掴む俺の腕に、ラルクはそっと自らの小さな手の平を乗せる。
「!?」
すると、俺の身体は途端に宙に浮かんだ。身体ごと周囲の散乱した荷物が巻き上げられ、室内を包むカビ臭さとラルクの汗臭さがより感じられたが、宙に浮かぶ俺はそんな事を気にする余裕が無い。
「ふん!」
「ぶへっ!?」
ラルクが腕を思いっきり下に振り抜くと、浮かんだ身体はその動きに連動して床へと叩きつけられる。土足で上がれる室内の床と俺の唇は熱烈な接吻を繰り広げる事となった。
顔に付着した砂つぶを手の甲で拭い払い、顔を上げると目の前には腕組みをして仁王立ちをするラルクがいた。
そこで俺は幼女の際立った特徴を見落としていた事に気が付く。
…が尖っていたのだ。長い金髪で分からなかったが、巻き上げられた事により真横に伸びた尖った耳が露わになったのだ。
「ラルクさん! 無茶しちゃダメだよ!」
「ルチア、俺の心配も頼む……」
ルチアは倒れる俺を跨いで超え、怒気を放つラルクの肩をさすって宥めようとしている。
日頃の訓練の賜物で受け身も取れた。確かに身体へのダメージはそこまで無い。でも、心配して欲しいと思う俺の男心は間違っていない筈だ。
「イテテ、結構痛えや」
手助けが無かったので止むを得ず膝をついて立ち上がる俺はラルクと視線が合う。
「そこの迷彩オーガッ! クソ餓鬼とは何だこの野郎!」
怒りがヒートアップして戻ってきたのかラルクは静止するルチアの手を何度も払いのけようとしては押し返されていた。
「ええい離さんか! いくらクラフっちの秘蔵っ子でもこの私を止める事は許さんぞ!」
口調は激しいが傍目で見れば、お姉さんにあやされる駄々をこねた園児にしか見えない。
羽交い締めにされ宙に浮いた手足をバタバタともがくその姿は背伸びしきれない幼子に過ぎないのだ。
「暴れんなよ金髪……いや、ラルクって言ったか? あんまり調子のるなよ?」
「うっさいぞ黒緑! くらえッ!」
「ふぉう!? おまっ……タマがぁ……」
ラルクが手を振り上げると床に落ちていた分厚い本が跳び上がり、股間に一直線に飛んで来た。
形容しがたい痛み。思考は真っ白になる。
「どうだ思い知ったか! ふん、清々するわい!」
床で悶絶する俺の背中に得意気な鼻息が降りかかる。
俺を痛い目に合わせたことで満足したのか、ラルクは暴れるのを止める。ルチアに優しく床へと降ろされ、次に取ったのは俺のすぐそばに座り見下すという性根が伺える行動だ。
「どうだ生意気な人間め。私にナメた態度を取るとそんな目に合うのだぞ?」
恍惚とも取れる蔑んだ目は、俺の両手が股間を押さえていなければ本気で殴っても許されると思えるほど上から目線であった。
「テメェ……何様だよ?」
幾分痛みが引いてきたので、両手で体重を支えながらゆっくりと立ち上がる。産まれたての子鹿の方がまだマシと思えるほど足を震わせ、まるで女の子がお手洗いを我慢しているかのように内股の体勢で俺はラルクへ質問する。
「む? ……ははん! 何だお前、私の事を知らんのか!」
芝居がかった言い回しが若干カンに触るが俺は黙る事で続きを促す。
「知らぬならば教えてやろう。いいかよく聞けィッ!」
ラルクの身体が淡い翠の光に包まれる。指を動かすと光の筋が空にたなびき、それらはふわりと部屋中に飛び散り地に落ちる。
淡い光が一冊の本に触れると、にわかにその本も発光し動き出す。そしてラルクが両の手を左右に力強く振るとその本は宙に浮かび上がり素早く本棚に収まる。さらに光の筋は部屋中を飛び回り、光球を部屋に散らし本や杖やその他の雑品に当たり、それらを元ある位置へと浮かび届ける。
「ムンッ!」
最後に両の手を合わせると部屋中の照明が一斉に点灯し仄暗い室内を一気に明るくする。一瞬にしてゴミ屋敷と遜色なかった場をまるで歴史深い厳かな図書館の一室へと様変わりさせた。そして部屋の真ん中にある椅子の上に立つとラルクはさらに高揚する。
「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花! 月の華は輝き、巡る朝日は共に歌う! エルフの中でも希代の天才と言われ幾星霜! 魔法の申し子! 歴史の隣人! 未来の賢者! 圧倒的成長可能性! 齢百の歳を今年迎えた美少女大魔法使いラルクとはこの私の事なのだッッッ!!」
長い口上を言い切り、興奮冷めやらぬまま肩で荒く呼吸をしているラルクはドヤ顔で俺に無い胸を張る。
「……」
「どうした? 言葉も出ないか? いや、無理もない。この私という圧倒的カリスマを前にしたら致し方なかろうて」
黙る俺を見てラルフは勝ち切った笑みを浮かべる。
「……一つ、いいか?」
俺はただ黙っていた訳では無い。しかし、今、咄嗟に胸に浮かんだ言葉を口にすべきか迷っていたのだ。迷った挙句、やはりここは我慢せずに言うのが大事な事だと判断し、俺は口を開く。
「百歳って……少女じゃ無いだろ?」
そこから先は言うまでも無い。
見えたのは俺の顔面に向かって真っ直ぐに飛んでくる分厚過ぎる用途不明の大きな本。感じたのは本とは思えないほどの衝撃力が俺の脳を揺らした事だけであった。




